shirajira
2024-08-25 21:20:14
12840文字
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やらんとは言わんが今すぐやるとも言ってない

リクエストいただいて書いた「注文途中で逃げるな」の続き。夜の千人満足バーをやってたビマが、求められてヨダナの恋人になるも、全然抱かせてもらえない話です。

「悪い、裏メニューはしばらく休みなんだ」
 ビーマがそう断ると、カウンターの向こうで女が「えっ」と目を丸くした。
「そうなの? 何かあった?」
「悪い、詮索はよしてくれねえか。……再開するようなことがあれば、声掛けるからよ」
 自然と声を落として、そう囁くと、相手はビーマの顔をジロジロと見てきた。かと思えば、ビーマの頭の辺りを指差してくる。
「そのカチューシャ、どうしたの? 前はそんなの、してなかったよね?」
「あ? ああ、これか」
 思わず手をやる。一見するとシンプルな黒のカチューシャだ。端の方に色合いの違うルビーが二つ、花を添えるようにはめられている。
……もらいもんでな。料理する時にこうすりゃ前髪が邪魔じゃねえだろうって言うから、試しに使ってるんだが」
「ふーん」
 女の物言いたげな目線は、無視しづらかった。なんせ相手は人理に名を連ねる英雄の一人であるし、何より――何度も褥を共にした相手でもある。
「似合わねえか?」
「ううん、似合ってるよ。……裏メニューがないなら、Dランチでお願い」
 わかった、と頷いて、注文された品をトレーの上に用意する。QPと引き換えにトレーを持って、女が去っていく。その背をなんとなしにながめていると、ふわりと無視できない香りが鼻に届いて、思わず目をやる。
 カウンターにやってきた男の目線は、ビーマではなく本日のメニューが書かれたボードに向けられていた。男の腰には、ビーマのつけたカチューシャにはめられている石と同じ色合いの花が飾られている。
「A……んー、いや、Cだ。Cにしよう」
「Cランチだな。ちょっと待ってろ」
 トレーの上に皿を並べながら、何でもない風を装って相手をちらりと確認する。
 同席する相手を探してでもいるのか、ドゥリーヨダナはビーマのいるカウンターの中ではなく、数多の英霊たちやスタッフが食事を取っているテーブル席の方を見ていた。
 一体、誰を見ているのだろう。視線の先が気になりながらも、「ほら」とトレーをカウンターの上に乗せると、ドゥリーヨダナの視線がこちらを向いた。それだけで、何だかトレーをこのまま渡したくないような気分になってしまう。
「ん」
 QPをカウンターの上に出した手にそれとなく触れると、ドゥリーヨダナの手がびくんと跳ねた。
「おい」
「今夜は俺の部屋、来いよ。勝手に入ってていいからよ」
 相手にだけしか聞こえないような声でロックの解除キーを囁くと、ドゥリーヨダナの顔が赤くなった。奪い取るようにしてトレーを持って、返事もせずにのしのしと他の英霊たちの間に入っていく背中を見つめる。
 ドゥリーヨダナは蘭陵王と食事を共にすることにしたようだった。勝手に正面に座って何かやかましく喋っているらしいドゥリーヨダナに、蘭陵王が苦笑いを浮かべているのが、ビーマからも見える。ドゥリーヨダナの顔は、こちらに背中を向けているからわからない。
 こっちを向きやしないかな、と思ったが、ドゥリーヨダナは振り向かなかった。その後も何人かの注文を捌いたビーマが再び目を向けた時にはもう、ドゥリーヨダナの姿はなかった。


 寄越せ、と言われた。ビーマの唯一を寄越せと。代わりにドゥリーヨダナの唯一をくれてやるからと。
 ドゥリーヨダナの言葉をビーマが受け入れたのは、一ヶ月ほど前のことだった。乞われて女を抱いた帰り、廊下で居合わせたドゥリーヨダナは、ビーマの今の在り方が気に入らないようだった。
 このカルデアでは、多くの英霊が枕を交わしあっていた。ビーマも求められて、多くの女と夜を共にしてきた。別にいけないことでも、おかしなことでも何でもない。ビーマが召喚されるよりずっと前から、ここはそうして回ってきたのだそうだ。
 求められたら、応えたくなる。自分のしたことで相手が喜んでくれたら、嬉しい。
 そんなビーマにとって、昼に食堂で奉仕するのも、夜に寝台の上で奉仕するのも、どちらも楽しく、やりがいのあることだった。他の英霊を満たしてやることで、結果的にはカルデアの、ひいてはマスターのためにもなるし。
 みんな喜んでる。間違ったことをしてるわけでもない。いいことだ。
 けれども、ドゥリーヨダナはそうは思っていなかったらしい。廊下で一方的に怒鳴ってきたかと思えば、話の途中で顔を青くして逃げるように去ってしまった。後を追いかけてみれば、座に還るだなんだと半べそで騒いで、マスターを困らせていた。
 だからビーマは、ドゥリーヨダナの注文を受けることにした。何てったってマスターが第一だ。ドゥリーヨダナは貴重な戦力である。退去させるわけにはいかない。
 そうしたわけで、ビーマは不特定多数への裏メニューの提供は一旦やめ、ドゥリーヨダナのためだけにメニューの提供をすることにした、はずなのだが。
「遅かったな」
 片付けが長引いたビーマが駆け足で自室に戻ると、ビーマのベッドの上で寝そべり、持ち込んだタブレット端末を眺めていたらしいドゥリーヨダナが、顔を上げてそう言った。
「悪い、待たせたな」
 逸る気持ちを抑えてビーマがベッドに近づいた頃にはもう、ドゥリーヨダナは身を起こしていた。内心残念に思いながらも、ビーマはベッドに腰掛ける。ドゥリーヨダナの視線がカチューシャに向けられているのに気づいて、思わず手で触れた。
「お前にもらったこれ、なかなか良かったぜ」
「わし様が選んだものだからな、当然だ。……他のやつの反応はどうだった? その、女たち、とか」
「似合うって言われたな」
 そうか、とドゥリーヨダナが呟いて、こちらに手を伸ばしてくる。カチューシャを取り外され、上げていた前髪がはらりと落ちてきた。更に伸ばされた手が、後ろで髪をくくっていた髪留めを外す。
 ビーマと同じくらい大きくて分厚い戦士の手が、労るように柔く髪を櫛る。指の腹が頭皮を撫でる感触が気持ちよくて、ビーマはうっとりと目を細めた。ドゥリーヨダナが笑う。
「なんだかお前、そうしていると、でかい犬みたいだな」
「ワン」
 ふざけて返すと、ドゥリーヨダナがまた笑った。サイドテーブルにカチューシャと髪留めを置いて、両手でビーマの髪をくしゃくしゃに撫で回してくる。屈託のない笑み。
 遠目に何度か見たことのある顔ではあった。こんなに近くに見るようになったのは、注文を受けてからだ。
 ビーマはそれとなく、ドゥリーヨダナを押し倒そうと、勢いよくじゃれつくようにのしかかろうとした。並みの人間ならこれで呆気なく押し倒されるだろう。
 が。
「こらこらはしゃぐな。まったくこれだから森育ちは。躾がなっとらんなあ。わし様が一から躾直してやろうか」
 ドゥリーヨダナは並みの人間ではないので、びくともしない。体幹がしっかりしすぎていて、もはや岩というより大地そのものを押しているようである。
 今日も駄目か。ぐいぐいとドゥリーヨダナを押しながら、ビーマは遠い目になった。
 ビーマはまだ、ドゥリーヨダナと一度も褥を共にできていなかった。毎晩夜を共にしているのに、である。
 女たちと夜を過ごすことに異を唱えられ、唯一を求められたのだから、当然ドゥリーヨダナはビーマとそういうことをしたいのだろうと、ビーマは思っていた。それがメインディッシュであろうと。
 当然、ビーマにも迷いはあった。生前も、英霊になってからも、男を抱いたことはない。またビーマが知る限り、ドゥリーヨダナも同じはずだった。だからこそ、ビーマはドゥリーヨダナに女たちか自分、どちらか選べと言われた時、驚きのあまりすぐには答えられなかったのだ。
 でも、まあ、抱けるな。うん。やってやろうじゃないか。女たちを満足させてきたように、お前を満足させてやろうじゃないか。満たして、笑顔にさせてやる。
 そう思った。だから注文を受けた。なのに。
 抱かせてくれないのである。
 押し倒そうとすれば押し倒されてくれず、それとなく尋ねようとすれば話を逸らされる。そのくせ、変わらず熱のある目を向けてくる。
 まさか抱かれたいのではなく、俺を抱きたいのか? そう思ってしばらく様子を見たものの、その気配もない。
 プライドが高く、そのくせ臆病で小心、見栄っ張りな男だ。女たちと違って自分から求めることはできないのだろう、仕方ないやつだと、ビーマが自然にそういう流れに持っていこうとしているのに、てんで流されない。
 お陰でビーマの小さな――一般的にはかなり大きい部類に入る――分身は、かれこれ二週間ほど役目もなく暇を持て余している。
 代わりに毎晩何をしているかと言えば、ドゥリーヨダナの用意したゲームで遊んだり、とっかえひっかえ着替えをさせられたり、或いはその髪はなんだと手入れをされたりと、そんな健全な夜を過ごしていた。
 親しい友人、或いは兄弟のようだ。ドゥリーヨダナの向けてくる熱のこもった目がなければ、そう思ったことだろう。
 かつて毎晩女たちに向けられていたもの、それを更に煮詰めたような目を向けられて、そこに特別なものは何もないと思うのは難しかった。
 ビーマからすれば、注文ミスでも何でもないはずなのに、丹精込めたメインディッシュが手付かずで放置されているような状態である。はっきり言って、意味がわからない。
 相手がドゥリーヨダナとは思えない穏やかな交流も悪くはないと思うが、消化不良である。そうしたわけで、今日は思い切り踏み込んでやろうと、ビーマはドゥリーヨダナを自分の部屋に招いたのだ。
 犬の真似をしたまま、頬を擦り寄せる。ドゥリーヨダナは笑っている。ぺろり、と頬を舐めてやった途端、ドゥリーヨダナの笑い声が止まった。
 目を見開いてこちらを見る顔を見つめる。そのまま小さく開いた唇に吸い付いた。びくんと跳ねた体を抱き締める。
 そっちがその気なら、キスでそういう気分にしてやる。流される理由を、用意してやるよ。これで流されねえやつはいねえからな。
 そういうつもりでビーマは口付けを深め、舌を割り入れたのだが。
……っは、おい、がっつきすぎだ! 何なのだお前は。わし様の繊細な唇を何だと思っとるんだ? 吸われすぎて腫れるかと思ったわ」
……………………
 ビーマは無理やり引き剥がされた相手の唇をぼんやりと眺めた。唾液で濡れたそれを見ているだけで、既に固くなりつつあった胯間が余計に熱を持つ。
 なんだ今の……すげえ気持ちよかった……。俺と同じくらい大きくて、分厚い舌が、あんな……。こいつ、キスうまいな……
 技のドゥリーヨダナ。そんな風に呼ばれていたのを思い出す。棍棒術で技巧派の男は、閨でも技巧派だったということだろうか。
 雑に口許をぬぐっているドゥリーヨダナは、ビーマと違い、熱に浮かされている様子もない。けれども拒まれなかったし、それなりにノリノリだったように思う。じゃなきゃあんな風に舌を絡めては来ないだろう。
 これは行ける。今日こそ行ける。ビーマは確信し、再度ドゥリーヨダナに口付けそのまま押し倒そうとした、が。
「だーから、がっつきすぎだと言ってるだろうが! ん、もうこんな時間か」
 またすぐにひっぺがされたと思ったら、ドゥリーヨダナが立ち上がる。ビーマは熱の上がった体を持て余しながら、ドゥリーヨダナを見上げた。
「おい、どこ行くんだよ」
「マスターに呼ばれとるんだ。……お前の帰りがこんなに遅くなるとは、思わんかったからな」
 それを言われると、ビーマは文句を言えなかった。ドゥリーヨダナが部屋から出ていくのを、黙って見送る。
 一人になった部屋で、ビーマはごろんとベッドに寝そべった。熱はまだ収まらず、とは言え一人空しく慰める気にもなれない。
 誰かに声でも掛けようか。一瞬そんな選択肢が浮かんだが、余計空しくなるだけの気がした。そもそも他の誰かに手を出すのは、約定破りになってしまう。
 唯一をくれると、ドゥリーヨダナは言った。ビーマが唯一を差し出すのと引き換えに。
 サイドテーブルに置かれたカチューシャに目をやる。見る者が見ればわかる。他者を、女たちを牽制する意匠。
 こんなものなくたって、ビーマはちゃんと女たちからの誘いを断っているのに。
 あいつが俺に体を許してくれないのは、まだ俺が、女たちの誘いに乗ると思われているからだろうか。まだ唯一を差し出していないと、そう思われているのだろうか。
 求められたのに、応えられると思ったのに、俺はまだ、応えることができてないんだろうか。
 唯一。そんなもの、求められたことも、与えられたこともない。正解のわからない、誰かが教えてくれるわけもないそれに、長らく感じていなかった不安が沸き上がってくる。
 端に寄せていたブランケットを被る。どれだけの時間ここにいたのか、ビーマの唯一を求めた男の残り香が鼻をくすぐって、ビーマはスンと鼻を啜った。


 風が唸る。考えるより先に体が動いて、槍の穂先がナーガを貫く。張り詰めた筋肉は変に力が入ることもなく、かといって力及ばぬこともなく、敵を蹂躙する。
 引き抜いた槍をそのままくるりと回し、飛びかかってきたワイバーンの頭を弾き飛ばす。豪腕にて振るわれた槍の穂先に頬を叩かれる形になったワイバーンの頭は、首から離れて彼方へと飛んでいった。返り血をわざわざ立ち止まって浴びてやる義理はないので、目も向けずに先へと走る。
 今日は料理人としてではなく、戦士としての奉仕を求められていた。特異点への同行サーヴァント。
 マスターとビーマを除いて女ばかりだったものだから、初なマスターはしきりに照れていて、そのせいかやたらビーマにひっついてきて、ビーマとしても役得だった。頼られるのは単純に気分がいい。女たちの中にはかつて閨を共にした者もいたが、概ね和気藹々としたレイシフトだった。
 だが、そんな呑気な空気も、聖杯を見つけるまでだった。聖杯の持ち主は魔術師で、敵意を隠しもしなかった。その結果がこれだ。
 ナーガ。ワイバーン。バジリスク。キメラ。無限に湧いて出てくるエネミーを、殺して、殺して、殺し続ける。
 頼られるのは気分がいい。自分は求められたことに応えている。しかしそれはそれとして、いささか単調ではある。
 体は黙々と、キメラの心臓を一突きにし、バジリスクを真っ二つに引き裂いて、隙間なく殺戮を続けているが、頭のどこかは退屈を感じていた。
 この数ばかり多い有象無象の相手をするより、ドゥリーヨダナ一人の相手をする方が、よほど難事だと、そんなことを考えてしまう。未だ一線を越えさせてくれない男。向こうから求められ、注文されたはずなのに、まだ手付かずにされている。
 一体何が足りない。俺の、何が。
 息苦しくなる。自分ならと自惚れて、けれど届かなかったあの瞬間を思い出す。
 ああ、だが今度こそ。今度こそ、俺は真っ向からあいつとぶつからないといけない。そうでなければ、注文を受けた意味がない。
「風神の旦那はん」
 突然背中合わせに現れた相手が誰か、声を聞く前からわかっていた。今の今まで脳裏に思い浮かべていた男とどこか似た匂い。魔の、気配。
……酒呑童子か。どうした。マスターに何かあったか」
 酒呑童子はマスターの護衛として、バーゲストと共に残されていたはずだ。それ以外の面々は、有象無象のエネミーに紛れた聖杯の持ち主を探して、散らばっている。
「んふふ。怖ぁい顔。心配せんでも、マスターには何もあらへんよ。……そろそろ大物が現れそうやったさかい、な」
「大物?」
 聞き返した直後。地面ごと大気を震わすような声と共に、有象無象を蹴散らして、いや飲み込んで、天を衝くほどの大蛇が姿を現した。
「こりゃあ……
「あらま。随分とまあ、ご立派やねえ」
 最後の悪あがき、最終手段、奥の手。呼び方は何でもいいが、このままでは聖杯を奪われると悟った魔術師が、賭けに出たのだろう。
「ビーマ!」
 声に目をやると、マスターを抱えたバーゲストが走ってくるところだった。他のサーヴァントたちも、集まってくる。
「これ以上長引かせても埒は開くまい。ここは出し惜しみせず、一気に攻めるべきだ」
 英雄司馬懿の疑似サーヴァントである、ライネスという少女の進言に、マスターが頷いた。
「わかった。令呪も使って、一気に行こう!」
 そうと決まれば話は早い。後は攻撃手を決めるだけだ。
「残る雑魚は私が引き受けよう」
「なら、あのデカブツは俺の獲物だな」
 真っ先に口火を切ったバーゲストに、ビーマが続けば、誰も否とは言わなかった。
「煮るも焼くも同じやさかい」
「うんうん、罠を仕掛けるのは楽しいねえ」
「よくってよ!」
「願いましては~」
 その場にいる面々から、あらゆる強化をかけられる。駄目押しのように、最後にマスターが令呪を切った。
 先陣を切ったバーゲストが、角を抜く。抑制されていた魔力が、ぶわりと膨らむ。
「この剣は法の立証、あらゆる不正を糺す地熱の城壁。跪け!」
 黒い炎がその身を包む。妖精剣が叩き降ろされ、燃え立った焔が敵を屠った。
「捕食する日輪の角!!」
 悲鳴を上げる間もなく焼き付くされていく敵の真上を、ビーマは駆けるように跳躍する。黄金の鎧を身に纏い、魔力を込めた槍を振り上げる。
「我は風神の子、剛力無双を示すもの! 嵐の力よ、集いて我が手に!! 吹き飛べぇっ!!」
 大蛇の牙をへし折り、硬い鱗を引き裂く。下顎を失った大蛇が、苦痛に体をくねらせた。
 だが、これで終わりではない。地面に縫い付けるように、槍を大蛇の胴体に深く突き刺して、ビーマは拳を握る。
「まだまだぁ!! 超・風神鎧着装! 逃がしゃしねぇぜ!」
 全ての力を拳に込める。拳一つに収まりきらない魔力は溢れ、風となって吹き荒れた。
「風神の子、此処に在り!!」
 駄目押しのような蹂躙の前に立ち続けられる者はいない。断末魔の悲鳴は、もはや一種の音楽のようですらあった。
 後は聖杯の回収だけだ。この大蛇の腹を裂き、臓腑を探ればどこかにはあるだろう。ビーマがそんなことを考えていると、魔術師の苦悶に満ちた声が聞こえた。
「このまま……ここで終わってなるものか……! 魔力だ、魔力さえあれば!」
 悲鳴が聞こえた。大蛇の尾。地中を潜って、マスターや女たちの目前に現れたそれが、蛇の頭の形を取り、襲いかかる。
「させるか!」
 考えるより先に、ビーマの体は動く。守るべきものを守るために、そう生まれついたように戦うために、求められた声に応えるために。
 一迅の風のごとき速度で移動する。無理矢理、マスターたちと大蛇との間に割り込んだ。
 パキン、と頭から嫌な音がしたが、ビーマは気を取られることなく、握りしめた拳を大蛇の
顎に叩き込んだ。


「ビーマ、俺も一緒に謝るから……
 カルデアに戻り、メディカルチェックもまだ受けていないというのに駆け寄ってきたマスターに、ビーマは思わず苦笑を漏らした。
「いや、マスターが謝ることじゃねえだろ」
 本心からの言葉ではあったが、声に落ち込みが滲み出たのが自分でもわかった。マスターが「でも……」と気遣わしげに見上げてくる。
「それ、ドゥリーヨダナにもらったんでしょ?」
 ビーマの手の中には、真っ二つに折れてしまったカチューシャがあった。レイシフト時もそのまま身に付けていた、ドゥリーヨダナからの贈り物。
 詳しいことは伏せて、ビーマとドゥリーヨダナの関係性が変化したことだけ、マスターには伝えていた。気のいいマスターは二人の仲が良好になってくれれば嬉しいと喜ぶと同時に、一度は退去すると宣言していたドゥリーヨダナのことを、案じているようでもあった。
「こいつは俺の不甲斐なさの結果だ。……心配すんなマスター。あいつが退去するようなことにはさせねえからよ」
 怒るであろうことは承知の上だ。全面的にビーマが悪いのだから、誠心誠意謝る。何か求められたら、応える。それだけだ。
「ビーマ、でも……あっ!」
 マスターが口許を押さえる。その視線の先を見ると、ドゥリーヨダナがいた。こちらに寄ってくる。
「マスター、レイシフトは無事完了したと聞いたが、この後暇か? あの食っちゃ寝してるガネーシャ神を名乗る女から、わし様のカルナが離れんのだ。だから――
 ドゥリーヨダナの視線が、ビーマの手の中にある割れたカチューシャに釘付けになる。ビーマが何か言うより先に、慌てた様子のマスターが口を開いた。
「違うんだよドゥリーヨダナ! ビーマはわざと壊したとかじゃなくて、俺やみんなを守ろうとして、その時に敵の攻撃がちょっとそれに当たっちゃって。ね、エレナ!」
 管制室にまだ残っていた同行サーヴァントの一人、エレナ・ブラヴァツキーが頷いた。
「ええ! 私もライネスも、ああいうタイプの相手は得意ではないから――ビーマのお陰で、マスターを守ることができたわ」
 エレナに向けられた、ドゥリーヨダナの視線は険しかった。その視線がマスターに向けられたかと思えば、ドゥリーヨダナがおもむろに手を伸ばし、マスターの頬に触れる。優しい手つきだった。
「この戦闘馬鹿が守ったというのだから、大事はないかとは思うが――怪我はないか? マスター」
「う、うん。俺は大丈夫だよ。擦り傷一つなし!」
「そうか!」
 マスターの返事に破顔して、ドゥリーヨダナがマスターの頭を撫でた。くすぐったそうに目を細めるマスターに、ドゥリーヨダナが告げる。
「とは言え、念には念をだ。メディカルチェックはちゃんと受けるのだぞ? わし様の用事は……まあ急いでるわけでもないからな。また折りを見て、な」
 言うだけ言って、ドゥリーヨダナはふらりと管制室から出ていった。ビーマには、目もくれないまま。
 まるでここにビーマなんて、いないみたいに。目を向ける価値もないみたいに。
 そんなはずはない。ドゥリーヨダナがビーマを無価値と思うはずがない。
 だって、選べと言ったのはドゥリーヨダナだ。お前の価値をわかってるやつを選べと、女たちではなくドゥリーヨダナを選べと、そう言ったのは。
 唯一をやるから、唯一を寄越せと、そう言ったのだ。唯一を与えてもいいと、その価値はあると、そう思われているはずだ。
 それとも、俺がマスターや女たちを庇って、お前からの贈り物を壊したから。お前は俺に、失望したんだろうか。
 俺はお前を大事にしないやつだと、そう思われたんだろうか。かつて遊ぶつもりで、お前たちを傷つけたように。あの決闘で、ルールを破ったように。
 いつだって、俺はお前にうまく応えることができない。
「ビーマ」
 マスターに心配そうに名を呼ばれて、ビーマはハッと手の中のカチューシャに目を落とす。まずい、謝り損ねた。
「マスター、悪いが……
「いいよ、俺は大丈夫だから。早く行ってあげて」
 悪い、ともう一度呟いて、ビーマはその場を後にした。足早に、ドゥリーヨダナの気配を追う。
 ようやく追いついた時、ドゥリーヨダナは自室に入るところだった。体を割り込ませるようにして、しまりかけたドアの内側に入る。ドゥリーヨダナが驚いた顔で振り返ったのと、ビーマの後ろでドアが閉まる音がしたのは、ほとんど同時だった。
「ドゥリーヨダナ」
 握りしめたままだった、壊れたカチューシャが手の中でミシリと音を立てる。ドゥリーヨダナの視線がビーマの手に向けられ、次いでビーマの顔に向けられた。
 静かな瞳に、何を言っていいか、一瞬わからなくなる。けれどもすぐに、謝らないといけないと、ビーマは口を開いた。
 だがそれより先に、ドゥリーヨダナが口を開いた。
「聞くのも馬鹿馬鹿しいことだとは思うが――敵は無傷で倒したのだろうな?」
……おう」
 カチューシャは割れたが、ビーマは傷一つ負っていない。頷くと、ドゥリーヨダナが手を伸ばしてきた。いつもカチューシャをつけていた辺りを、確かめるように撫でられる。
「そうか。……つまらんことだな、どうせなら怪我の一つや二つ、してみればいいのに。そうすればマスターも、わし様の方が優れた戦士であると理解するかもしれん」
 ドゥリーヨダナの手が、離れていく。そのままビーマから離れたドゥリーヨダナが、ベッドの上にゴロンと寝そべった。かと思えば、ビーマを見上げて眉を跳ね上げる。
「何だ? まだ何か用があるのか?」
 何かも何も、ビーマの用件は何一つ済んでいない。ビーマはそろそろとベッドに近づいた。上がっていいのかわからなかったから、その場にしゃがんで、ベッドの上で頬杖をついていたドゥリーヨダナと目線を合わせる。そっとベッドの上に、握りっぱなしだったカチューシャを置いた。
「その、これ、壊しちまって、すまん」
 割れて二つに別れてしまったカチューシャに埋め込まれたルビーの輝きは、何一つ変わらなかった。それでもビーマは、お前はまた取り返しのつかないことをしたのだと、そう言われているような気分になって、目を伏せる。
「お前より女たちを優先したわけじゃねえんだ。女たちは悪くない。悪いのはお前にもらったこいつを、つけっぱなしで戦闘に参加した俺だ。……だから、怒るなら俺だけにしろ」
 エレナたちに向けられた、不機嫌そうな瞳を脳裏に浮かべる。ビーマの不出来さから起こった問題に、マスターや彼女たちを巻き込むわけにはいかなかった。
「俺は、お前の期待に応えられなかったんだろうが、次はちゃんと、応えるから」
 だから。俺のことを、諦めないでほしい。言っていいのかは、わからなかった。
 自分はたくさん、失望させてしまった。これでは約束の唯一をもらえなくても、仕方ないのかもしれない。
 でも。それでも。欲しがってほしかった。待っていてほしかった。喜ばせてやりたかった。
 とっておきの唯一を、まだ用意できていないそれを、受け取ってほしかった。
 はあ~と大きなため息が聞こえて、ビーマは顔を上げた。先程までより幾分険のない目が、ビーマを見つめていた。
「なーんでお前みたいなのがモテるのか、マジで謎すぎる。……こっち来い」
 手招きされて、ベッドの上に上がる。恐る恐る隣に寝そべると、じっと縦に長い瞳孔がこちらを見てきた。見つめ返していると、あのなあ、とドゥリーヨダナが呆れた声を出した。
「お前みたいな朴念仁は知らんかもしれんがな、こういう場で他のやつを庇うのは逆効果だ。少なくともわし様は不愉快な気分になった」
……すまん。だが、お前の怒りが他のやつに向かうのは見過ごせなかった」
「はあ? お前、わし様があやつらに何ぞ仕掛けるとでも思ったのか? しないわそんなこと。したところで八つ当たりにしかならんだろ」
「でも、不機嫌だっただろ、お前」
 ビーマの指摘に、ドゥリーヨダナが目を逸らした。不機嫌だったのは図星らしい。
「別にぃ。英雄のお前が女を庇うのなんて、今に始まったことじゃない。断じてわし様相手にそんなことはしないんだろうなとか思ったわけではないぞ」
「確かに、あそこにいたのがお前だったら庇わなかったな」
 だってお前なら、あんなやつに遅れは取らねえもんな。付け足すと、唇を噛んで眉根を寄せていたドゥリーヨダナの表情が、緩くほどけた。かと思えば、またため息をつかれる。
「マジで女たちはお前の何がよくて……いや、もういい。はぁ……お前らのそういうところが嫌いだ」
 ごろん、と背を向けられる。寂しくなって、ビーマはその背に身を寄せた。手を回して、ドゥリーヨダナの手を握る。拒絶されなかったことに安堵しながら、指を絡めた。
「ごめん、な。お前がくれたもの、壊しちまって」
……もうよい。どうせお前のことだ、すぐ失くすか壊すかすると、思っておったわ」
「でも俺は、大事にしたかった。本当に、大事にしたかったんだ」
 掠れた声で訴えると、ドゥリーヨダナが寝返りを打って、こちらを向いた。ビーマの顔を見た途端、ぶはっと吹き出す。
「何だその顔。飯を抜かれた犬のような顔をしおって。……まあいい、また買ってやる。わし様はお前と違って、お金持ちの王子様ゆえ」
 許してくれたのだろうか。思っていると、ドゥリーヨダナの手がビーマの頬を撫でた。優しい手つき。マスターにしていたより少し雑なそれに、嬉しくなる。
 ビーマの唯一を欲しがったくせに、簡単には喜んでくれない男。唯一をくれると言ったくせに、抱かせてはくれない男。それでも今、ビーマを許し、ビーマだけの時間を与えてくれる。
 もっと自分も与えたい、報いたい、応えたい。それで、喜んでほしい、笑ってほしい、同じだけ返してほしい。むくむくと気持ちが大きくなる。
「ドゥリーヨダナ」
 名を呼ぶ。こちらを見る目に、自分が映っているのを確認する。
「俺はどうしてか、お前相手だと、いつもうまくいかねえ。でもちゃんと、お前の期待に応えるから。お前をないがしろには、しねえから。……だから、いつかお前の唯一を俺にくれよ」
 伝わってくれ、受け取ってくれ。思いながら告げた言葉は、ドゥリーヨダナの「わし様の唯一?」という怪訝そうな声と顔に受け止められた。
「それならもうくれてやってるではないか。その、なんだ、恋人という椅子を。生前もその椅子に座る者はいなかった、正真正銘の唯一だぞ」
 今度はビーマが怪訝な顔をする番だった。まさか、ビーマが至らないから与えられないのだと思っていたものを、ドゥリーヨダナは最初から与えた気でいたと言うのか? ビーマが当然与えられると思っていたものを、未だ与えてはくれていないのに?
「でもお前、抱かせてくれねえじゃねえか」
 ビーマが言うと、ドゥリーヨダナがぱちくりと目を瞬かせた。次の瞬間、「はあ!?」と口を大きく開く。
「え、お前、わし様を抱けるのか!? 抱きたい、のか!? そんな素振り、なかっただろうが!」
「何言ってんだ、俺は何度もお前を押し倒そうとしたぞ!」
「は? ……あ、あーっ! やたらぐいぐい押してくると思ったら、そういうことか!? こいつこんな力加減もできんのかと、呆れとったわ……
 ビーマのそれとないお誘いは、全く違う意味に取られていたらしい。ビーマは内心ショックを受けながらも、言い募った。
「キスだってしただろうが! お前もノリノリだっただろ!」
「いやキスとまぐあいは違うだろ。勃つ必要もないし。そもそもお前、わし様で勃つのか? まず勃たんことには何もできんぞ。ま、仮にわし様相手に勃たないとしてもだ、代わりに女を抱くと言ったら殺すからな」
 真顔で言うドゥリーヨダナの腰を、ビーマは無言で引き寄せた。剣呑な空気を感じたのであろうドゥリーヨダナが身動きするより先に、腰と腰とを密着させる。ドゥリーヨダナが信じられないものを見るように、小さく口を開け、頬をひきつらせながら視線を下半身に向けた。
「勃てばいいんだな?」
「え」
「勃てば、お前の唯一をもらえるんだな?」
「待て」
「料理ほどじゃねえが、こっちの方には自信があるんだ。絶対お前を満足させてやるし、期待に応えてやる。腹いっぱいにしてやるよ」
「わし様お腹の具合が」
「サーヴァントは腹なんて壊さねえよ。……な、いいだろ。ずっと待ってたんだ」
 俺だって、唯一がほしい。
 伝えると、赤い顔と呻き声が返ってきたので。ビーマは今度こそと、性急にドゥリーヨダナの服を乱しにかかった。