千代里
2024-08-24 16:49:42
15326文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その40


「先だっての襲撃は、街に大きな被害を齎したが、異端者たちにとっても手痛い失敗だったらしい」
 食休めに差し出されたお茶に口をつけつつ、マルコはゆっくりと口火を切る。
 朝食を食べ、がサルヒやクララがコーディと共に、片付けのために席を外したのを見計らってのことだった。子供の彼に不穏な話を聞かせていたずらに怖がらせたくないと、マルコはタイミングを見計らっていたようだ。
「それは、やはり彼らの狙いが領主様だったから、ですよね」
「その通り。拉致されてからしばらくて、異端者たちがこの件について悔しげに話しているのを聞いたんだ」
「もし、あのまま領主が死んでいたら、街は大混乱だっただろうね。異端者としては、攻めの機会を失ったというわけだ」
 マルコの言葉の続きを、ヤルマルが引き取る。
 彼女の言う通り、ベルナールが先の襲撃で命を落としていたら、街は次に竜に攻められた際、あっという間に陥落していただろう。
「異端者たちからしてみれば、首尾よく街に忍び込ませた密偵まで使った、起死回生の一手だったようだ。彼らは、この地で活動している竜に加担して、街や周辺の地域の人々を手中に収め、竜の血を飲ませて味方に引き入れようとまで考えていたらしい」
 だが、周辺の村に住まう人々は、住む家を失ったと同時に領主の庇護下に置かれてしまった。竜に攻めいられ、誰からも助けの手が差し伸べられず途方に暮れた難民たちを引き込めると思っていた異端者にとっては、計算違いの結末となったわけだ。
「そこまでして、異端者たちは賛同者を増やそうとしているのか」
「彼らが、具体的にどんな未来を求めて行動しているのか。正確なところは、残念ながら私にもわからない」
 オランローの疑問に似た呟きに、マルコはゆっくりと首を横に振る。
 いくらイシュガルドで育ったものでも、イシュガルドの常識から外れたものを理解するのは困難である。イシュガルド出身であるノエやルーシャンであっても、具体的に異端者が何を望み、どんな世界を求めているかまで語れるわけではない。
「ただ、少なくとも、私が出会った一派の者たちは、竜そのものを信仰しているわけではなさそうだった」
「竜を崇めているから、竜の血を飲ませようとしているわけではないのですか?」
 ノエが、驚きまじりの質問をする。イシュガルドの人々が戦神ハルオーネを崇めるように、異端者は竜を崇めているのだろうと予想していたノエは、想像に反した内容に目を丸くしていた。
「彼らの目的は、もっとシンプルだ。現在のイシュガルドの社会を覆し、自分たちが安心して楽に暮らせる場所を作りたい。そして、その理想に大義名分を与えるため、竜という存在を隠れ蓑にしている。彼ら自身がこのように言ったわけではないが、私はそのように解釈したよ」
「っつーことは、つまり、犯人どもは現在の暮らしに不満がある者たちで、そういう連中が今回の襲撃の原因ってことか?」
 ルーシャンが、マルコの言葉を噛み砕いて説明する。ここまで単純な言葉を使われれば、その場において最年少のオデットであっても、マルコが匂わせている内容を理解できた。
 イシュガルドの社会は、現時点でも決して万人が幸せであるとは言えない状態であることは、イシュガルドで暮らした者なら暗黙の了解となっている。
 そして、その原因の全てが、竜にあるわけではないこともノエはよく知っている。
 貴族と平民を代表とする、生まれたときから付きまとう身分の差。下町で暮らしている者は、その日の糧にすら困り、犯罪に走る者も少なくない。
 ノエの父が治めるあの街ですら、流入してきた難民に冷たい視線を送る者がいた。たとえ難民がいなかった頃であろうと、よそ者や疑わしい行動をした者、家族を持たない者などは、肩身の狭い思いをして過ごしていたのだろう。
 それらの生きづらさは、竜によって作られたものではない。
 竜がいようといなかろうと、イシュガルドはこのような情勢を是として、一千年の歴史を積み上げてきたのだ。
 平民がものを盗めば即牢獄行き。なのに、貴族が平民から搾取しても目を瞑られる。この手の差別は、吐いて捨てるほどあるのがイシュガルドの現状だ。
「犯人たちは、街の者を勧誘する際に、『身分に縛られない自由の土地』という言葉を何度か掲げていた。そして、今のような貴族や教会の関係者ばかりが富を独占する在り方が間違っていると、ことさらに強調していた」
……貴族も教会も、然るべき義務を果たしているからこそ、財を持つ権利を得ているんだがな」
 マルコにすら聞こえるかわからないほどに小さな声で、ルーシャンが呟く。
 かつて貴族だったルーシャンにとって、不当に財産を独占しているように言われるのは、あまりいい気持ちがしないことのようだ。
「異端者たちにとって、竜の血を飲むことは、虐げられた者たちが反逆するために必要な力を得ること、という話だった」
 犯人たちにとって竜の血とはあくまで道具であり、竜に与することを示す証ではないらしい。異端者という意味では同列かもしれないが、理念という意味では合致しないのは明白だ。
「それはそれは、他の異端者が聞いたら怒り出しかねない内容だね」
 ヤルマルは苦笑いを浮かべ、言葉を挟む。
「異端者の人の中には、本当に竜の味方をしようと決めて竜の血を飲んだ人もいるから……ということですか?」
「そうさ、オデット。一見して同じ『竜』という存在を崇めているように見えても、信仰の軸がずれてしまっている。そうなると、なまじっか近しい分、竜を崇める者の怒りを買うだろうってことさ」
「竜のことが好きだから味方になるのではなく、今の生活が嫌だから竜の味方のふりをしている……。そういう人たちも、『異端者』とまとめて呼んでしまっていいのでしょうか」
「賢いお嬢さんだね。確かに、判断には悩むところだ。もっとも、彼ら自身は、あくまで竜の味方を気取っているようだったけれどね」
 既存の体制への反乱に関するお題目として、竜と人の戦争を使用している。言葉で表すと、それはなんだか卑劣な手段をとっているようにも聞こえる。
 だからこそ、犯人たちはあくまで『正統派』の異端者であるかのように振る舞う。もっとも、他の異端者と信仰の根底にあるものが違うと分かれば、仲間割れは免れないだろう。
 とはいえ、異端者同士の派閥抗争については、ノエたちにとってはどうでもいいことだ。問題は、彼らの思想よりも、この先の行動である。
「そいつらのような現体制への反乱を謳うものは、少なからずいるだろうな。人を集めただけの寄せ集めの集団なら容易に鎮圧できるだろうが、なまじっか竜の血なんてものがあるから、単純に捕縛するだけでも一苦労だ」
「ああ、全くその通り。彼らは、ベルナール様の襲撃が万一失敗した際に手勢を増やすため、負傷した者を狙って拉致するよう、飛竜に指示を出していたらしい」
 ルーシャンの説明に頷き、マルコは自分たちが目にしていた現状を説明する。
 襲撃により負傷した者ならば、飛竜も運搬が容易い。体が弱っているから、抵抗される恐れが少ないからだ。中には、気絶している者を選んで連れ出した個体もいたようだ。
「そして、あの襲撃の場で、負傷しても誰かに助けられることなく、飛竜に攫われるしかなかった者……それは、あの街に馴染めなかったはみ出しものであるということと同じ意味を持っていたようだ」
「たしかに、部外者や、普段から爪弾きにしていたものを助けてやろうとする奴はいないだろうな」
 瞑目しながら呟いたのは、オランローだ。彼もまた、故郷で爪弾きにされてきた者として、少なからず緊急時における集団心理というものを理解していた。
「結果的に、私やクララさんのような例外を除いて、拉致されてきた者の半数以上は、あの街で居心地の悪さを感じながら暮らしていたものだった。それを、奴らが狙ったかどうかはわからないが」
「それに、コーディさんの話によると、彼らは異端者に手当てのようなことをしてもらったのですよね」
「竜の血を飲むことを、手当てと呼ぶならね」
 マルコの言葉に、ノエは眉を寄せる。たしかに、コーディも「竜の血のおかげで助かった」というようなことを口走っていた。
「竜の血を飲むと、一時的に竜の姿になると聞いたよ。だが、少量ならすぐ戻るという話だったはずだ。それが、治療になるのかい?」
 ヤルマルは領主のベルナールから聞いた説明を思い出し、周りへと教えるついでにマルコに確認する。
 マルコは、この時ばかりは皺の寄った額にさらに深い皺を刻み、
「私も意識がなかったため、はっきりと状況を理解できたわけではないが……竜という生き物が、そもそも一つの生命としてヒトよりも優れた存在であるのは確かだ。そんな存在の一部を取り入れることで、一時的に肉体の治癒能力も向上したのではないだろうか」
 可能性としては、ありそうな話だ。しかし、イシュガルドでなかったとしても、そのような治療法は受け入れられないだろう。
 運が悪ければ、ノエの継母のように竜になったまま戻れなくなるかもしれない。突然の変化に心身が耐えきれず、精神を崩壊させてしまうかもしれない。
 ヒトの姿を捨て、己の心まで失っても生き延びたいのならば、話は別だが。
「結果的に、犯人たちは、加害者であると同時に、負傷した我々の命の恩人となった。無論、詭弁であるのは確かだ。それでも、命を助けられたという事実は残る」
「その心の隙をついて、仲間になるように誘った……?」
 オデットの呟きに、マルコは肯定の意思を示す。
「そうそう簡単にできることではないが、今後似たような拉致事件が起きる可能性はゼロではない。領主様には、くれぐれも気をつけるように伝えてもらえるだろうか」
「わかりました。必ず、伝えます」
 マルコの託した言葉を、ノエはきっぱりとした肯定と共に受け止める。
 具体的な方策としては、飛竜に対する防備を増やすことだろう。地域柄、飛竜に対する備えが薄かったのが、今回飛竜による拉致を容易にした一因だ。
 また、人間関係に依存しない救助と避難ができるような方法も考えなくてはならない。
 領主が街の者全ての人間関係を掌握できたら良いが、どう考えてもそのようなことは不可能だ。ならば、街で暮らす者同士が協力できるように尽力するしかあるまい。
「そういえば、飛竜は犯人たちの作戦を知った上で、狙い定めて誘拐したのですか?」
 話が一区切りしたのを見計らって、オデットが片手を挙げ、質問する。
「ヒトの事情はわかりましたが、竜は、それらを全て承諾した上で、怪我人を狙って拉致するという作戦を受け入れたのですか」
 ノエもオデットの問いを受けて、疑問を重ねる。
 ドラゴン族は、知能が高い。しかし、だからこそ彼らがヒトの言いなりになって、竜にとっては利益になりそうもないヒトの拉致を受け入れるとは思えなかった。
「それについては、竜との交渉をした者が異端者の中にいたようだ。竜と協力することすら、あくまで改革の一手段として捉えている者の中で、彼女だけが竜との融和をうたい、ヒトは竜と戦わないと示すために竜の血を飲むべきだと話していた」
 その姿は、正しい意味で『竜の信奉者』であると言えるのだろう。
 異端者の形に『正しい』も『正しくない』も無いのかもしれないが、少なくとも実利だけを求めて竜に取り入ろうとする者と比較すれば、信奉するという意味では『正当な異端者』だ。
「他の異端者の仲間と違う考えを持っているのに、その女性は犯人たちと対立はしていなかったのかい?」
「少なからず、思うところはあったようだがね。しかし、彼女はまだ若かった。彼女が描く理想……つまり、竜の血を飲んで竜と融和するという夢を叶えるためには、大人たちの手を借りる必要があると考えたらしい」
「まだ若い女性……もしかして、その方はゲルダという方ではありませんか」
 話しつつ、ノエは記憶の引き出しを漁る。昨日、コーディが話してくれた誘拐後の話の中に、そのような年頃の少女がいたような気がしたのだ。
「たしか、コーディさんが、唯一自分に話しかけてくれた人だと話していたんです。その子が、竜との交渉をしたのですか」
「恐らくは、だがね。異端者の一人が、彼女に『竜にもう一度手伝うように頼めないか』と持ちかけていた。だが、流石にこれ以上、飛竜に無茶を頼むことはできないと話していたのが聞こえたよ」
「その口ぶりなら、彼女はよほど無理を通して飛竜に協力を依頼したのですね」
 そして、彼らの口ぶりならランドンとの交渉も、ゲルダなる少女が買って出た可能性が高い。
 もっとも、ランドンは単純な思考の持ち主のようなので、とっかかりこそ少女が掴んだのかもしれないが、残りは異端者が口八丁で丸め込んだ可能性も高そうだ。
「ならば、その子供にも注意するように伝えておきましょう。ゲルダさんは、どのような容姿の方なのですか」
「白にほとんど近い淡い髪色に、紅い瞳をした娘だったよ。年頃は、そちらのお嬢さんと同じくらいだね」
 コーディが話していたように、ゲルダはオデットと同年代の子供らしい。
 オデットの顔が曇ったのは、自分と同い年ぐらいの子供が、竜の味方をしている実情を素直に受け止められなかったからだ。
 これまで、オデットは竜がもたらす被害を目の当たりにし続けた。彼女の中では、当然ながら竜はヒトの敵であり、相容れない存在であるという意識が根付いている。
 だというのに、自分と同い年ぐらいの娘が竜の味方をして、あまつさえ望まぬ形で人々に竜の血を飲ませたという情報を聞いては、平静ではいられないでいた。
……その人は、どうして竜の味方をするのでしょうか。竜があんなにも人々を苦しめている姿を見て、何も思わないのでしょうか)
 自分と同じ尺度で比較しても仕方がないとわかっていても、オデットの心の中に生まれた黒雲はすぐに消えてくれそうになかった。
「竜と個人的な繋がりがありそうな子供と、民衆から爪弾きにされた者を寄せ集めて作った異端者の集団か……。領主様には悪いが、また頭が痛くなりそうな問題だな」
「だからって、放置しておくわけにもいかないからね。こればっかりは、彼に存分に悩んでもらうしかないだろうさ」
 ルーシャンの苦笑いにつられるようにして、ヤルマルは薄く笑みを引く。
 その後、ヤルマルたちは、マルコに下山から街に戻るまでの旅路を説明し始めた。彼らの邪魔をするのもどうかと思い、ノエは先ほどマルコから聞いた情報を、メモとして持ち歩いていた紙に書き付ける。何かあったときに、せめて情報を記した紙が関係者の手に届けば、と思ってのことだった。
「ノエ。それが終わったら、サルヒとコーディを探しに行ってくれるかい。天候も安定していそうだし、今のうちにできる限り山を降っておこうと思うんだ」
「わかりました。二人は片付けに行ったのでしたっけ」
「うん。少し降りたところに水場があってね。そこで、食器を洗うと話していたよ」
 ヤルマルに道を教えてもらい、ノエは廃墟から外へと出た。
 朝の日差しはすっかり昇りきり、柔らかな日差しでノエを包んでいた。
 グリダニアのような温暖の土地に比べれば、気温はかなり低いものの、麓の雪原に比べればまだ暖かく感じる。実際、息を吸っても肺が凍りつくような冷気は感じない。
 エーテルの流れとは、このような本来あるべき形とは真逆の気候を作り上げることもあるらしい。
「山腹と聞いていたけれど、結構この場所も高さがありそうだな」
 水場に向かう道から、岩場をいくつか超えればすぐに崖に繋がる。そして、崖の下には槍衾(やりぶすま)のような尖った岩の群れが並んでいた。落ちれば、魔物であろうとひとたまりもないだろう。
 眺めていると崖下に吸い寄せられるような気がして、ノエは視線を断ち切り、崖から距離を置いて、歩行を再開する。木々が少なく、岩が多い地形は歩きづらいが、人を覆い隠す葉や枝が少ないため、予想より早くノエはサルヒ達を見つけられた。
 彼女らは上流から流れてくる川の水を使って、朝食に使っていた器を洗っているところだった。
「ノエ。どうかしたの」
「ヤルマルさんから伝言です。天候が落ち着いているので、早いうちに山を降りる準備をしたいんだそうです。なので、片付けが終わっているなら戻ってきてほしいのですが、どうでしょうか」
「それなら、もうすぐ終わる。ノエ、器を拭くものを持ってくるのを忘れていたから、取ってきてもいい? あと、クララが岩場につくまでに転んでしまって、ついでに治療をしておきたい」
 サルヒが目線で示した先、クララが足を庇うようにしてしゃがみ込んでいた。彼女のすすけた厚手のスカートの下からは、包帯に巻かれた足がちらりと見える。サルヒが応急手当てをしたのだろう。
「それなら、コーディさんと一緒にここで待っていますね。残りは僕がやっておきます」
「ありがとうございます、ノエさん」
 クララは一礼すると、サルヒと共にノエがきた道を戻っていった。
 子守を任されたノエは、残ったコーディの方を見やると、彼は珍しく不貞腐れたような顔をしていた。
「どうしたんですか、コーディさん」
「せっかくだから、サルヒ姉ちゃんにここに来るまでどんな所を旅してきたのか、話してもらおうと思ったんだよ。でも、俺が聞いても、全然話してくれなくってさ。ちょこっとは聞かせてくれたけど、どんな感じなのかよくわかんなかったし」
「あー……サルヒさんは、あまりお喋りな方ではないので、きっとコーディさんにすtモンされて困ってしまったんだと思いますよ」
 それで、自分に子守を押し付けてきたのか。合点がいくと同時に、苦笑がノエの口の端に滲む。
「ちぇー、そうなのか。じゃあ、ノエ兄ちゃんに聞こうかな。ねえ、街からどうやってここまできたんだ?」
 殊更に隠す必要もないので、ノエは掻い摘んでこれまでの道のりを語った。
 狼との戦いにコーディは少年らしく拳を握り、砦に泊まったと聞いたら自分も泊まりたいと声をあげた。
……よかった。竜と出会ったときは怯えていたけれど、コーディさんもいつもの自分も取り戻してくれたみたいだ)
 次の話をせがむ少年を宥めつつ、ノエはきらきらと輝く彼の瞳に目を細める。
 自分が異端者になってしまったかもしれないという怯えは、まだ彼の中にあるだろう。しかし、それについて悩むのはもっと後でいい。
 子供は子供らしく、と言うのは押し付けがましいかもしれない。だが、それでもノエは、年下の者が沈んだ様子をみているよりは、朗らかに笑っている姿を見る方が好きだ。
「街に戻ったら、グレンさんにも聞かせたいですね。きっと、喜んでくれると思いますよ」
「えっ。あー……うん。そう、だよね」
 しかし、ノエが何気なくグレンの話を持ち出した瞬間、コーディは明らかに表情を強張らせた。あたかも、触れられたくない話題を突如突きつけられたかのように、視線が泳ぎ、あらぬ方向を見つめだす。
「グレンさんと、何かあったのですか」
 飛竜に攫われる寸前、アランと共にいた子供たちに一体何があったのか。思えば、ノエは何も知らないままにこの場まで来ていた。
 グレンは詳細を語らず、あの場にあったというアランの遺体と、グレンの証言だけが今のノエの知る全てだ。
「えっと……その、ノエ兄ちゃんはグレンから何か聞いてるのか?」
……グレンさんは、アランさんが自分のせいで亡くなったと思っているようでした。そして、コーディさんも自分のせいで失うのは嫌だから助けにいってほしいと、僕にそう話してくれたんです」
「話した? 文字で書いたってことか?」
「文字でも書いてはいましたが……そうでした。コーディさんにはお話ししていませんでしたね」
 ノエは一呼吸置いてから、
「グレンさんが、自らの口を使って頼んだんです。……たった一度だけですが、あなたを助けてほしいと依頼するときだけ、言葉を発したんですよ」
 これは、コーディにとっては驚きを与えるに十分な情報だったらしい。彼は目を丸くすると、何度も瞬きを繰り返した。さらには、浅い呼吸を数度挟み、
「グレンが、話した?」
「はい。……僕に頼んだ後は、また喋れない状態に戻ってしまいましたが」
…………そっか。そう、なんだ」
 コーディはぎゅっと拳を握ると、擦り切れて汚れた服を握りしめ、目を瞑った。
 その姿は、まるで自分の中に迸る何か大きなものを、必死に押さえつけているように見えた。だが、少なく、ともコーディがグレンにまつわる吉報に喜んでいる姿には見えなかった。
「あの……さ。俺、兄ちゃんに話しておかなきゃいけないことが、あるんだ。……あの日、何があったかってこと、なんだけど」
「アランさんが亡くなったときのこと、でしょうか」
 アランはコーディとグレンを守ろうとして飛竜の攻撃の盾になり命を落とした。それ以外に何かあるのだろうかと、ノエは静かに言葉を待つ。
……竜が近くにいるって、鐘が鳴ったとき、俺とグレンはアラン先生のそばにいたんだ。そしたら、近くの建物から、物凄く大きな声がして……建物が吹っ飛んだみたいになって……そこから、竜が出てきたんだ」
 コーディが身振り手振りを混ぜて話してくれた内容を噛み砕くと、彼らは警鐘を聞くと同時に竜に変じた異端者と相対することになったらしい。
 幸い、巡回で近くにいた騎兵が三人の間に割って入り、コーディたちは竜に傷つけられる前に距離を置くことができた。だが、事態はそう簡単におさまってはくれなかった。
「竜と戦っていた騎兵の人たちは、そんなに沢山いたわけじゃなくてさ。一人がやられちゃっただけで、あっという間に皆まとめて、竜にやられそうになってたんだ。みんながやられた、次は俺たちがぺしゃんこにされちゃうんじゃないかって、すごく怖かったんだ」
 最初こそ、アランもコーディとグレンを連れてすぐに避難しようとしていた。
 だが、形勢不利である状況を目にした彼は、自分たちだけの避難を優先するか、それとも周囲の住民を守るためにも異端者に立ち向かうかの判断を迫られた。
「それで、アラン先生は、騎兵の人たちを助けるって決めたんだ。建物の中に隠れているようにって俺たちに言い残して、竜の方に向かっていったんだよ。倒れていた騎兵の人から、剣を借りてさ」
「それは……とても勇敢なことですね」
 異端審問官であったアランなら、最低限の武芸の心得はあるだろう。しかし、甲冑も防具も身につけずに竜の懐に飛び込むのは、いくら武芸の達人であっても簡単にできることではない。
「アラン先生が手伝っても、皆すごく苦戦していたみたいだった。でも、アラン先生は竜をやっつけるまで、大きな怪我もしなかったんだよ!」
 その時の様子を思い出してか、やや興奮気味にコーディは言葉を重ねる。
「竜は、倒れた後も、最後まで首を動かしてたんだ。そしたら、こう、ばっさりと首を切り付けてさ。すごく血が噴き出て、あたりが真っ赤になっちゃってさ。あれも、魔法の力だったのかなあ……とにかく、すごかったんだよ」
「その様子を、コーディさんたちは見ていたのですか? 隠れるように言われたと、先ほど話していたように思いましたが」
 すると、今度はばつが悪そうな表情で、先ほどの勢いの良さはどこへやら、少年は言葉をひそめる。
「本当は、俺もアラン先生に言われた通りに隠れようとしたんだよ。でも……グレンがさ。動かなかったんだ」
 建物の中に行こうとどれだけ促しても動かなかった、とコーディは続ける。
「動かないで、グレンはずーっとアラン先生の方を見てたんだ。……だから、俺、グレンはアラン先生の様子が気になるのかなって思って……一緒に物陰からアラン先生の戦いを見ていたんだ」
 そこまで言ってから、不意にコーディは瞬きの回数を増やし、視線を彷徨わせる。
 話題がグレンのことに差し掛かった瞬間、明らかに彼は迷いを強く見せ始めた。
「それで、どうなったのでしょうか」
「えっと……それで、アラン先生が俺たちのところに戻ってきたんだ。返り血があちこちついていて、『怖いでしょうけれど、今は我慢してください』って言ってた。俺は、そんなことないよって言ったんだけど、やっぱり少し怖くなって……すぐに後ろを向いちゃったんだ。それで、アラン先生が、グレンに何かを言ってるのが聞こえて」
 そこで、不意にコーディが押し黙る。
「そのとき、竜に襲われたのですか?」
 考えられるとしたらそうだろうと思い、ノエは続きを推測して問いかける。
 飛竜に襲われたことを思い出して、恐怖から口を噤んだのかと思いきや、コーディは青ざめながらもゆっくりと首を横に振った。けれども、彼はそれ以上何を言うでもなく、ぐっと唇を噛んで、俯いてしまったままだ。
 続く言葉を待っている時間の余裕があるかどうかと、ノエが危惧したのを待っていたかのように、
「ノエ。布巾を持ってきた。器を貸して」
 声と共に、サルヒが姿を見せる。
 瞬間、コーディはパッと顔を上げると、すぐさま川縁に浸したままになっていた器をかき集め、
「ほら、持ってきたよ! 俺だって、ちゃんと手伝いくらいできるんだからな!」
「分かってる。ノエ、旦那様が道程が決まったから来てほしいと言っていた。行ってくれる?」
……わかりました。コーディさん、話の続きはまた後でお願いします」
 一言言い置いてから、ノエは後ろ髪を引かれるような思いではあるものの、二人に背を向けて、先ほど降ってきた道を登り始めた。
 一歩一歩、踏みしめるようにして歩きながらも、コーディのただならぬ様子はノエの意識の端に引っかかり続けていた。
(コーディは一体、何を見たんだろう。グレンさんと、その時に喧嘩してしまったんだろうか……?)
 だが、いつまでも彼の告白のために時間をとってやることはできない。ランドンの姿が見えない今が、下山のチャンスでもあるのだから。
(山を降りて、安全な砦についてからちゃんと話をしよう)
 ひとまず心の置き所を見つけてから、ノエは廃村の中に足を踏み入れた。
 屋根もろくにないような建物が並び立つ中、かろうじて煙突が崩れなかった家がノエたちが食事の場として選んだ場所だ。ひとまず、そこに行こうとノエが足を向けかけていると、
「ノエさん。少し、話をさせてもらってもいいだろうか」
 別の建物から顔を出したマルコが、ノエへと呼びかける。
「はい、構いませんよ。それにしても、どうしてそんな場所に?」
「ここは、攫われてから私とクララお嬢さんとコーディくんが身を寄せ合っていたところなんだよ。屋根がまだしっかりと残っていて、隙間風も少なかったからね」
 ちらりと中を見ると、彼らが寝床にしていたと思しきボロ布がいくつか置かれている。衣服は着たまま、食べ物は加害者から与えられるものしか口にできなかった彼らは、文字通り着の身着のまま置き去りにしたようだ。
 ボロ布が畳まれて家の隅に置かれているところから察するに、たとえゴミのように見えるものであっても、散らかしたまま出て行かないように片付けていたらしい。
「それで、話とはなんでしょうか」
「ああ、そうだった。朝の話を聞く限り、ノエさんは領主様と顔を合わせる機会に恵まれたようだね。領主様のご様子はどうだったか、聞かせてもらおうと思ったんだよ」
――安心してください。特段大きな怪我をすることもなく、お変わりないようでしたよ」
 父親との最後のやり取りだけでなく、再会した直後の会話まで思い出してしまい、ノエは答えるまでに数秒の時間を要してしまった。
 幸い、マルコはわずかに挟まった隙間を訝しがることもなく、素直に受け入れてくれたようだ。
「それはよかった。異端者たちの様子から、ベルナール様を仕留めるという作戦そのものは失敗したらしいと聞いていたが……やはり不安が拭えなくてね」
「マルコさんは、ベルナール様の近くで働いていたという話でしたよね。その……もしかして、親しい関係だったのですか」
 気がつけば、ノエの口をついてそんな質問が飛び出していた。マルコは「まさか」と首をゆっくりと横に振る。
「仲が良いなどと、恐れ多い。私はただ、あの方と少しばかり言葉を交わしたことがあるだけの、しがない兵士の一人にすぎないよ」
 しかし、そのささやかな語らいがマルコにとっては大切な思い出なのだろう。目を細めて昔を懐かしむ彼の横顔は、今の状況を忘れそうになるほどに穏やかだった。
 そこには、ノエの知らない父との思い出が確かにあった。それに触れていいのかノエが躊躇している間に、
「年も、ベルナール様と比べれば、私の方が上だったのでね。共通の話題もなく、いくらか挨拶を交わすだけだった。……だが、だからこそ、つい気になってしまう所もあったのだよ」
「だからこそ……ですか?」
「ああ。私よりベルナール様はお若い。恐れ多い話ではあるが、私は彼が……時に身近な存在に感じることがあったんだ」
 年齢の差はあれど、身分の差はある。迂闊に声をかけられる間がらではない。
 それでも、年長者だったマルコにとって、ベルナールが年下である事実は変えられない。
「私が赴任したときは、まだベルナール様は領主として正式な襲名をする前だった。偶然ではあるが、私はあの人がどのようにして子供から大人となっていったかを近くで見る機会に恵まれた」
…………彼は、どのような人だったのでしょうか」
 ベルナールの口から聞いた嘗ての彼は、兄への羨望と周囲の期待に潰されそうになっているひ弱な青年にしか思えなかった。それは、ノエが嫌悪していた父親の像とは一致せず、ノエはあまりの『普通さ』に一瞬呆気にとられてしまったほどだった。
 そして、マルコは言う。
「一言で言うのなら……普通の青年、であったよ」
 十年前の自分と同じように、とマルコは付け足す。
 貴族であろうと、市政のものが噂するように青い血が流れているわけでもない。食事をしなければ腹がすき、年相応に面倒ごとを嫌がり、両親からの期待に顔をしかめる。
 それは、自分にも覚えのあることだった、とマルコは語る。
「だが、ベルナール様は私と異なり、領主としての地位を受け継ぎ、この地の皆を導く立場に就いた。その継承の場に、私も立ち会っていた」
 ノエの見立てでは、マルコはどれだけ若く見積もっても六十には差し掛かっているだろう。そして、ベルナールは、マルコよりは一回り以上は年下である。
 故に、マルコはより一層ベルナールを近い存在と感じたのだろう。少なくとも、文字通り親子としての年齢差があるノエよりも、ずっと彼は近い位置にいた。
「果たして、お若いベルナール様が問題なく領地を切り盛りできるのか。そのように、不安に思ったこともある。当時は、兄君の方を強く推す者も少なからずいたからね。彼らの陰口は、ベルナール様にも届いていただろう」
……僕も、領主様が直轄で治める街に赴いて、土地を治めるということが決して楽ではないと知りました」
 マルコの昔話につられて、ノエも父に向けられた口さがない言葉の数々を思い出す。
 それでも、ベルナールは、それらの言葉を聞いてもなお、領主であることを捨てようとはしなかった。普通の人に過ぎないはずの彼は、普通ではない立場を受け入れることを決めた。
……僕が、逃げを許さなかった部分もあったな)
 子供を飛竜から庇い、その果てに殺されそうになったベルナールを叱咤したのは、他ならぬノエだ。
 父が領主という責任ある立場から逃げないように、ノエは父親を領主の座に縛りつける言葉を吐き出した。
 それを思うと、このような他人事のような発言は我ながら薄情にも思える。
 だが、父がノエを見捨てたのも事実だ。その時の怒りを、悲しみを、今更少しばかり領主の苦労を示された程度で覆すつもりはない。
(だけど、僕は……あいつが負ってきたものが何かを無視したいわけじゃない)
 ベルナールが背負ってきた責任の重さも、時に逃げたいと思いながらも今も踏みとどまる強さも、全て含めて、ノエは言う。
「きっと、僕の知らない苦労もあったのでしょう。領主様自身が、退任を望まれた日もあったかもしれません。それでも……僕は、あの人がこの地の長でよかったと思います」
 それもまた、ノエの素直な感想だった。
 ノエに追従するかのように、マルコも深く頷く。
「これは、彼の治める土地で生きてきた者の勝手な願いかもしれないけれどね。ノエさんの言うように、私もベルナール様が領主の座に座っていただいていることを、一臣下として誇りに思う」
 深い息と共に、彼は続ける。
「だからこそ、此度のような、身勝手な主張を振り翳した者が領主様の命を奪うような結果にならなくてよかったと、心底安堵しているんだよ」
「安心してください、マルコさん。領主様は息災でした。この目で見た僕が保障します」
 ベルナールが無事であることを、ノエは重ねて強調する。
 同時に、このように深く領主を思うような臣下であっても、ベルナールの判断によっては街に足を踏み入れることも叶わないのかと、苦い感情がよぎる。
「今回の事件の大元には、現在のイシュガルドのあり方に不満を抱いたものの怒りがあるのだろう。そこにベルナール様の責が全くないとは、私にも言えない。……だが」
「いくら理由があるといっても、自分の怒りを示すために、誰かを死なせたり傷つけたりするような結果になってしまっては、せっかくの言葉も歪んだ形で届いてしまう。……僕はそう思います」
 ノエの主張に、マルコも同意の首肯を返す。
「私も同意見だ。だが、歪んだ言葉こそ届く者もいる。その事実を目の当たりにして、私は……悔しいと思ってしまったよ」
 どのような治世であっても、そこに暮らす民を全て満足させるということはできないのだろう。ベルナールの治世とて、不満を抱く者は消せなかった。
 そして、異端者たちは彼らが抱いていた小さな不満に火をつけた。
「ですが、マルコさんやクララさんのように、異端者の言葉に耳を貸さずに残った方もいます。今は、そのことをベルナール様に伝えましょう」
「ああ。領主様にとっては新たな悩みの種となってしまうかもしれないが……だが、たとえ竜の血を飲まされたとしても、領主様の治世を肯定する者がいることを、私は彼に示したい」
 そこで、マルコは小さく咳払いを挟む。折よく、ひゅうと音を立てて一陣の風がとおっていくところだった。
「すまない。ただ、領主様の安否をもう一度聞きたかっただけだったんだが。つい長話をしてしまった」
「構いません。僕も、僕の知らない領主様の顔が見えたように思えましたから」
「そうかい。それなら、年寄りの昔話でよければ、また聞かせてあげよう」
「はい。山を降りたら、ぜひ」
 ノエは一礼をしてから、本来の目的地の建物へと歩き出す。胸中によぎるのは、父に対する二つの相反する感情だ。
 すでに一定の答えは見つけ出したのに、父のことを考えるたびに腹の底がちくちくするような、喉の奥がちりちりと焼けるような、言葉にし難い不愉快な感覚がよぎる。
(この気持ちも、いつかは消えるんだろうか)
 マルコのように歳を重ねれば、自分の中に当然のものとして溶け込むのか。それとも、生涯付き纏い続ける影となるのか。
「いや、今考えることじゃない。それは……帰ってから、また考えればいいんだ」
 悩み続けるのも、また自分の『らしさ』なのだろう。数日前、ヤルマルが砦で語ってくれた言葉を思い出し、ノエは俯きかけていた頭を上へと向けた。
 *
 遠ざかっていく若者の背中を見つめながら、マルコは軽く目を伏せる。
……ベルナール様は、家を継いでしばらくの間、平民出身というお妾様の元に足繁く通っていた。聞いた話では、たしかお妾様との間にご子息もいらっしゃるということだったな」
 従者たちの間では、上司の醜聞とも言えるこれらの話は半ば公然の事実となっていた。人の口に戸は立てられないのだから。
「もっとも、そのご子息も、異端者であったお妾様と共に、処刑されてしまったと聞いたが……
 正確な年齢はわからない。だが、経てきた年の数を数えていけば、件の子供がもし生きていれば何歳ぐらいになるか。それを想像するのは容易い。
 異端者であったのならば、妾が死ぬのは仕方あるまい。だが、子供までその咎を受ける必要があったのか。当時、まだ髪が白くなる前のマルコはそう思っていた。
 今、彼は嘗ての己の思いを引き出し、先ほど話していた若者の姿を重ね合わせる。
 意思の強そうな眼差しは、ベルナールには似ていないので、母親似だろうか。だが、冬の空のように澄み切った青銀色の瞳と、肌を柔らかく覆う栗毛の癖っ毛が誰に似たか。その想像は、若かりし頃の領主を知っているマルコにとっては容易いことだった。
「まったく、数奇な縁もあるものだ。……そう思いませんか、ベルナール様」
 かつて、憧れと一抹の不安を抱いて見上げた先にいた若者の姿を思い、兵士だった老爺はそっと目を瞑る。
 瞼の向こう、領主としての重荷にも屈することなく前を向き続ける彼の姿は、当人にとっては皮肉なことに、老爺と言葉を交わしていた若者によく似ていた。