racmon
2024-08-24 10:55:31
836文字
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残業手当

疲れた人

 夏は日が長くていいな、なんて思っていた昨日の帰宅を思い出し、長いため息をついた。
 さすがの8月でも、22時を過ぎればとっぷりだ。全身を支配する疲労感に、西陽が恋しいほどである。
 水筒に残ったぬるい水を飲み干し、口を拭う。もう今日はなにもしないぞと固く誓い、最後の青信号を渡った。
「もう今日はなにもしないぞやねんて……
 三和土にはド派手なスニーカーが綺麗に揃えられている。サイズは俺とさほど変わらないが、好みが違う。簓だ。風呂と寝室を一直線で繋ぎたい俺の前に、今にも立ち塞がらんと気配を感じた。
「お疲れさん。えらかったな」
 リビングのドアを開けて顔を出した簓は、静かな声色で「寝巻き置いてんで」と脱衣所を指した。
「あ、ありがとう」
 にこりと笑うだけで騒がしくはしなかった。俺は拍子抜けしたもののツッコむ気力もないので、鞄を放り、烏の行水でシャワーを済ませることにした。
 1日分の汗を流い流し体を拭いて、上下の服を着たタイミングで3回ノックが聞こえた。
「髪乾かそか」
 黙って簓を迎え入れる。声を発するのも面倒になってしまっている、きっと扱いにくいであろう俺に向かって簓は微笑む。
「髪触られたら気持ちええやろ。こんでスッと寝れんで」
「うん」
 うとうとと舟を漕ぐ頭を優しく支えて、髪をすいてくれる。思わずもたれかかり、すべてを預けてしまった。
「はい、終わったよ」
 ドライヤーの音が止んで、簓の声がクリアに届く。感謝の気持ちを言語化するのもサボって、振り返った。ただそれだけのアクションさえ汲み取った簓は、自分から唇を寄せてお礼を受け取ってくれた。温風でじんわりとした額を撫でられる。
「あちちやな。寝室よう冷えてんで」
 そこからの記憶はない。目覚めて拾った感覚は穏やかな心音と落ち着く匂い、次に少し冷えた二の腕と頬に付いたヨダレの跡。その首筋からはほんの少しの塩っ気。
 また新しい1日の知らせを浴びて、俺は元気いっぱいに体を起こした。