삐약さん翻訳
2024-08-23 16:00:00
3756文字
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小片 1





1.



 帰ったら何がしたい?



 質問のテーマはありきたりだった。ここがもし地獄でなかったらそう言えただろう。レオンはこちらの目をまともに見ないジェイムスの金髪を眺めた。彼はいつもそうだった。会話を続けることを望み、人との相互作用を望む人だったが、いつも目を合わせられなかった。それとも俺の雰囲気がそうさせるのか? レオンは自分のほうを見ない彼に自身も視線を下へ落とした。焚き火は限りなく人工的だったが、拒むことのできない暖かさがあった。



「わかりません。戻ったところで平穏には暮らせないから」

「どうして?」

「話せば長くなりますが。……あまり話したくもないんです。初日があんなことになるなんて」

「悪いことを聞いた?」

「いいえ。ジェイムスさんはどうですか。もし万が一戻れることになったら、何がしたいか」



 すると彼は口を噤んだ。ゆらゆらと揺らめく火はだんだん消えていくようで危なっかしく、それでもついぞ消えることはなかった。いや、永遠に消えることのない火だった。彼は乾いた落ち葉を一握り掴んで火に投げ入れた。ぼうっ、と灰になって燃え尽きる。これが彼の返事なのか? なんとも意味深長な返事だった。



「どうして私がまだ生きていると思う?」

……

……冗談だから。そんな顔しないで」



 ああ、



 おそらく彼は。俺なんかが予想していたより、もっと深い憂鬱を抱えているようだ。











2.



 ジェームズ・ボンド、ジェームズ・ディーン……



 著名人たちの名前を挙げ連ねるハリーに、ジェイムスは傾けていたグラスを元通り置きなおした。サイレントヒルのパブ、メアリーと訪れてささやかな談笑を交わした場所。あの日飲んだカクテルの甘さはいまでも舌先が覚えていた。



「あなたのような教養がないので業績はよく知りませんが、有名な人たちですね」

「共通点がないかな?」

……みんなジェイムスです、名前が。それがどうしました? どこにでもあるでしょう、ジェイムスなんて名前。面白みもないし、特別惹かれるわけでもない」

「自分の名前にだいぶ手厳しいね」

「子どものころ、父親を問い詰めたこともあります。自分の名前はどうしてこんなに陳腐なんだって。まあ、小さいころなんて誰しもそうでしょう。特別に見られたいし、突出して見られたい」

「そんなわんぱく坊主がこんなに育ってしまって」

「やめてください。何が言いたいんですか」



 言葉遊びはうんざりだった。ジェイムスはハリーを睨みつけて鋭く言った。そうしたところで大した威嚇にもならないのか、彼は厚く埃をかぶった本を閉じ、隣に移動してきて椅子に座った。そして人が持っていたグラスを奪うなり一口飲む。あ、私が飲もうと思っていたのに。ジェイムスは唇を尖らせた。子どもなのはそっちじゃないか。



「私は好きだけどな、君の名前」

「は」

「呼んだときの響きもいいし、丸みがあって書き心地もいい」



 もう酔ったのか。酒に弱い人なのか。ジェイムスは努めて彼の言葉を無視しつつ、爪の先で卓上を叩いた。*『あなたの名前は本当に素敵よ』*。頭を振り払う。メアリーの声が耳元をかすめて消えていった。











3.



 アレッサ、アレッサ。



 *リサ、君はあの子の命を繋ぐのが賢明だと思うがね。この赤い、魅力的な薬が欲しいんじゃないかい? それなら私の言うことを聞かないとだろう?*



 アレッサ、アレッサ。



 *ええ。あのおかしなダリア・ギレスピー。この町ではちょっとした有名人よ。教会で火事があったのだけどその中に娘がいたもので、事故に巻き込まれてからおかしくなったんだとか。*



 アレッサ、アレッサ。



 助けて、ハリー。お願い。



「アレッサ、アレッサ」



 彼女は最後まで体の崩壊を認められず、壊れたように咽び泣きはじめた。アレッサ、アレッサ、アレッサ。彼女の名前だけを発作のように叫び、まもなく糸でも断たれたかのようにぱたりと倒れる。*いったいどうしてこの子は生きてるの! 気持ち悪い、もう嫌。どうしてあたしばっかりこんな目に?* 彼女が選んだのは薬物服用。



 過剰服用。



 記憶の断絶。



 二度と開かれることのない、聡明な瞳。









4.



 こんなことを望んだんじゃない。わかってるはずだろう。お前も、わかって。



「そんなふうに突っ立ってないで何とか言ったらどうなんだ!」



 処刑人は彼の前に進み、片膝を折った。血が次々に染み出してくる。彼の金色の髪も血の色に染まる。だが、それは彼の血ではなかった。彼が抱いているのは処刑人の手で命を絶たれた一つの死体だった。



「お前が殺したんだ! それなら、生き返らせる方法だって知ってなきゃおかしいじゃないか」



 奇妙な金属音とともに処刑人が鉄製の三角頭を傾げる。まるで理解できないといった仕草だった。ジェイムスは死体を抱きしめ、息を殺して泣きながら恨んだ。恨みは苦痛の根源に近い感情だ。自分を攫ってきた存在の笑い声が聞こえる。嘲笑。わけもなく気に入らなかった。



「なんで、なんで私じゃなくこの人なんだ。お前は私を殺すために来たんじゃないか」



 処刑人はむしろその言葉に強い意思表示を見せた。彼の周囲に棘が立ち上がる。もう一度そんな戯言を口にしようものなら、この棘でつまらぬ声帯をかき切ってしまうぞと言うように。ジェイムスは涙を押しとどめ、死体を静かに横たわらせた。そして処刑人が差し出した手を取り、嗚咽をこらえる。大人しく、反抗しないほうがいいと悟ったのだ。



「あの人たちは、私を……守ろうとしてくれたのに……



 涙が声を邪魔してなんと言っているのかわからない。しかし無慈悲な処刑人は彼の手をしっかり掴み、無言のまま脱出口へ向かった。巨大な鉈がきいいぃ、と彼らに音楽を奏でていた。彼の泣き声はおさまるどころか、より大きくなる一方だった。

 濃い茶色、小さな正方形のハッチが口を開けていた。入りたくない、いっそ殺してくれと頼む彼の背中を、処刑人はその未知の世界に押し込んだ。ひゅっと息を呑む音とともに彼が落ちていく。助けてやっただと? あの無慈悲な処刑人が? 黒い触手が降りてきて丁重に尋ねる。なぜ彼を生かしたのかと。

 処刑人は答えないまま鬱陶しい触手を大鉈で切り払い、自身の領域へと帰っていった。さもあらん、お前のように無知で考えなしの奴が常識的な返事をするわけがない。ところが黒い触手は一名の脱出者が生じたにもかかわらず、満足な食事だったと言わんばかりにくつくつ笑った。己一人が生き延びたという絶望は充分な満腹感を与えてくれた。そうか、それがお前なりの処罰というなら、なかなか味のよい処罰と言えような。











5.



 ハム、チーズ、レタス。自身の好物で作られたサンドイッチにさっぱりしたコーラをすっかり平らげ、ソファーに寝転んだシェリルは膨れた腹を何度も叩いた。



「やっぱり皿洗いはしないんだな」

「めんどくさいもの。学校でどれだけ神経すり減らしてるか……

「誰かに虐められたりでも?」

「金髪に染めてるって男子たちが冷やかすのよ。ほんっと腹立つ。あんたたちに可愛く見せようと思ってやってるんじゃないったら」

「あれ……

「まさか、そうだと思ってたの?」

「思春期の女の子なら、そうなのかなって」



 ジェイムスのふざけた発言をシェリルは鼻で笑う。お子様なんて願い下げだわ。その言葉と一緒にピンク色のスリッパを遠くへ飛ばす。



「そういうことを言う男の子たちなら相手にしないのが賢いだろうね」

「退屈だし面白くない。みんな意気地なしなんだから。私は父さんみたいにタフな人が好き」

「父さん? あ、ハリーか……

「いま期待したでしょ」

「そうだったらいいなと思ったことはあるよ。だけど、いまは違う」

「ふーん」

「だって私は、そういう人間だから。正直なんでまだ生きているのかわからない。あの町から、」

「あー、うるさい。私寝るから静かにして」


 また暗い話に持っていこうとする。シェリルはわざときつい言い方をして枕で顔を覆った。父さんはあなたをすごく気に入ってたわよ。言ってやりたかったが、なぜか恥ずかしくて言い出せなかった。実際のところ、うっすらと認めてはいた。自分もまた彼を気に入っている。第二の親として。間抜けだし、自己憐憫ばかりだし、情けないと彼を前に何度も言っていたけれど。

 スリッパが床を滑る音がする。そのままシェリルが寝転んでいるソファーの脇へ静かに揃える音がして、体の上に毛布が掛けられる。寝るつもりはなかったがここまで来たら一眠りしようか。頭をそっと撫でられて安らぎが広がる。逃亡者の身の上だが、これぐらいの平和には甘んじてもいいだろう。シェリルは薄く微笑んで眠りに落ちていった。