【化菫】「墓穴を掘ってしまった…」

両想いかつ既にお付き合いしている時空で「キスして欲しいのかと思った」ってさらりと唇を奪う女が好きなので、書きました。化菫👁️‍🗨️📚編。

 夏の風物詩である蝉が暑さに負け鳴かない程、今年の夏は殺人的な暑さを誇っていた。空調が効いていた室内から一歩外に出たが最後、適温に保たれていた肉体は燦々と照り付ける太陽光と太陽光に熱せられたアスファルトや他の快適な室温を維持するため休みを返上した室外機から終始放出される熱風によって情け容赦なく茹でられる。
 しかも、この暑さは夜になっても無駄に継続するお陰で、涼しい内に帰宅するという一縷の望みすら絶たれていた。じっとり肌にへばりつく日本特有の夏の空気。その不快感たるやバイトを上がった緒川菫子と化野蓮の表情を意図も容易く歪ませ、意味を持たない間延びした母音を力なく零させるまで至っている。

 「この不快指数の高さと異常な気温、いくら健康優良体だってぶっ倒れるぞ」
 「その恵体でよく健康優良体なんて言えましたね」
 「よし、その喧嘩買おうじゃないか。と、言いたいところだがこの熱帯夜に免じて赦そう」

 まだ軽口を叩き合える体力があるだけマシか。そう胸中呟き、菫子はさして涼しくもないが手で顔を扇いだ。
 隣を歩く化野もこの暑さは堪えるらしく、額や首筋に滲んだ汗をハンカチで拭っている。
 このままでは二人揃って家に着く前に木乃伊化待ったなし。そんな馬鹿げているようで洒落にならん事を逆上せ始めた思考が回り始めた時、バイト先でふと客同士の会話を思い出した。

 ──そう言えば今、駅前のアイスクリーム店キャンペーンやってて、アイスどれでも半額なんだって~
 ──このクソ暑い日に最高のキャンペーンやってんじゃん、アイスクリーム店と店員さんマジ感謝……

 広く静かな店内で声量を抑えていてもよく通る声で話していた女子高生二人組の会話は、レジ打ちをしていた菫子を筆頭に聞き耳を立てずとも聞いていた者達の舌を悉くアイスの気分にしていったのは言うまでもない。
 ざっくり昼過ぎの会話を脳内に映し出した途端、菫子の舌はすっかりアイスを食べたい気持ちに支配されてしまった。この暑さを和らげるのにピッタリで魅惑的な甘味。頭と舌は完全に涼やかな味を欲してやまない。

 「どうしました、菫子さうわぁ……

 この眉毛、とうとう暑さで頭がやられたか。嗚呼、お労しや菫子さん。
 などと、勝手に引きまた勝手に憐憫を抱いている化野に気にも留めず、菫子は生気の戻った目で彼と視線を交わすなり周囲の湿度を除湿する勢いの爽やかな笑顔で笑い掛けた。

 「アイスを食べに行こうじゃないか化野くん!」

 子供のようにアイスではしゃぎ輝く菫子の眼差しに化野はアイスをねだり頬張る乙の姿を重ね、それはそれは兄らしい慈しみに満ちた表情で自分より年上の女性を見詰め──、こちらの意見を聞かず手を掴みずんずん歩き出す相手に「無邪気熟女ムーブ」と独り言ちたのだった。



 店内にいる客は疎らで閉店まで時間はあるものの、半額キャンペーンを謳っているためショーケース内のアイスは軒並み水位が下がり種類によってはソールドアウトのものもあったが、幸いにも菫子と化野が好むフレーバーのものは残っていた。
 手短に注文を済ませ各々カップに入ったアイスを受け取った。手のひらから伝わる冷たさ、アイスに刺さったスプーンでその冷たさを掬い上げ頬張りたいのを我慢して、何処か落ち着いて食べれる場所は無いかと周囲を見渡す。だが、残念な事に店内に置かれている数少ない席に空きは無くタイミングよく空く気配も無い。

 「仕方ない。近くの公園に行こう」

 後ろ髪を引かれる思いで涼しい店内を後にした菫子と化野は、蒸し暑さが残る頼りない電灯の明かりがチラつくうら寂しげな公園のベンチに腰掛けた。流石の時間帯、夜の公園に訪れる物好きは二人だけで他の人影たちは見当たらない。
 少々待たせてしまったアイスを漸く頬張れば上品で冷たく甘い幸せな味が口いっぱいに広がった。溶けている部分を重点的に掬い口にせっせと運び、小さな幸せを噛み締めていると不意に視線を感じ目線を手元のアイスから隣で同じくアイスを食している化野に向けた。

 「何頼みました」
 「期間限定ブルーベリー味」
 「意外とミーハーですよね菫子さんって」
 「言っとくがな期間限定は、その期間内にしか食べられないんだぞ」
 「知ってます」
 「では、君は何を頼んだのかね」
 「僕ですか? モカですが何かってあーっ!」
 「ふっふっふっ、油断大敵だぞ化野くん」

 したり顔で化野が食べていた茶色の丘を崩して口に含み「結構美味いじゃないか」とほろ苦い味に舌鼓を打ち余裕かましていたのも束の間、今度は菫子が食べていた紫色の丘が崩され抗議の声を上げる前に化野の口の中へ消え「まあまあですね」とやり返されてしまった。
 しかも、化野が削った丘は菫子が彼の丘を削った分より抉れている。早速多く削った分だけ返してもらうべく菫子の持っていたスプーンが電灯の明かりを受け光輝くのを見越していた化野は、咄嗟に持っていたカップを隠すように上半身を捻った。
 小食な彼にしては珍しく食べ物に執着を見せるのは、彼女の反応ないしやり取りを楽しんでいるのか、はたまた純粋にこの暑さに耐えかね僅かでも涼を取りたかったのかは定かではない。結局、相手に食べられる前に食べる精神で二人揃って急いでアイスを食べてしまい、涼むどころか逆に体温が上がってしまう事態に陥ってしまったのだった。
 程なくして白熱した攻防戦は仲良く重ねられたカップに二本のスプーンをベンチ端に除けた事で収束を迎えた。
 何んともはや本末転倒な状況にほとほと呆れ膝に両腕を置き俯いていた化野は、自分とは逆に両腕をベンチの背凭れに乗せ夜空を仰いでいる菫子に嘲笑ではない笑みを浮かべ──、彼女の口許に視線が止まった。

 「菫子さん」

 呼ばれ気だるげに視線を投げかける菫子に化野は自身の口許を軽く指でトントンと叩いた。その仕草に菫子が一度目を眇め、彼の言わんとしている事を理解したのか大仰に片眉だけ上げ致し方ないと笑った挙句、自身の柔らかく艶めいた唇を化野の薄い唇に触れるだけの口付けを落とし照れ臭そうに離れて行った。
 その様子を見開いた目で凝視していれば、菫子は恐らく狙ってはいないだろうが軽く握った手で口許を隠しやや上目遣いで化野を見遣る。

 「い、いくら人気が無いからって些か如何かと思、……とんだ誤解だったという事か」

 自分と相手の温度差に気付いた菫子は、如何に自分の頭が茹っていたのか羞恥心で顔が火照りに火照り、自身の口許に添えた手から伝わる温く湿った甘い感触に全てを悟った。

 「こ、此度の件は、わ、忘れてくれッ」

 熱帯夜の所為ではない。菫子は自分のとんだ勘違いで火が出そうな顔を両手で覆い隠すも、顔の半分を隠していた左手首を筋張った手に掴まれ引っ張られてしまい外されてしまった。不快ではない力で手首を掴む相手を恐る恐る見れば、感情を削ぎ落した化野が昏く渦巻いた瞳で見詰め三日月が二つ、否三つ愉悦感たっぷりに顔を覗かせた。

 「──汗も掻きましたし、続きは菫子さん家でしましょうか」
 「そんな事を言って今以上に汗を掻かせる気じゃないか!?」
 「おや? 僕そんな事一言も言ってませんよね? 一体何を想像したんですか、是非お聞かせ願いたい」
 「うーっ、うぅーっっっ」

 ほらほら立って。化野に促されベンチから立たされた菫子は未だに自分の失態を嘆き唸り続け、手首を掴んでいた化野の手がさり気なく指を絡ませ合うように握り直したのを終ぞ自宅玄関の鍵を開けるまで解けなかった。汗ばみ混じり合う体温に思いの他、期待してしまった事が妙に腹立たしく、何よりほろ苦く甘い味に嵌まってしまった事に菫子は何も否定出来ない上に。

 「今後ブルーベリー味を食べれば、今宵のあなたを鮮明に思い出せるのはいいですね」

 喜色に塗れた面持ちで口付けをくり返す化野の事をとやかく言える資格を彼女は持ち合わせていなかった。