梶木鮪
2024-08-23 04:22:54
5215文字
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お喋り

drfキド夢の続き物。
キッド視点。
春嵐の続き。

 ああ、今日も可愛い。人懐っこい笑顔を浮かべて客の注文を聞く彼女を見て、本日何度目かの感想を抱いた。店内を行ったり来たりしてよく働くその姿は、動き盛りの子ウサギのようで癒される。カウンターの向こうの彼女の姿に微笑ましくなっていると、ふと相棒の声がして現実に引き戻された。心底面倒臭く思いながらそちらに目を向けると、ニヤニヤと意地の悪い顔をしたブッチがいて尚更機嫌が悪くなる。……あーあ、何でよりによってこいつなんかと一緒なのか。
 
「おいおいおい、お前まじであの子ウサギと付き合ってんの? 小さいガキは好みじゃねえって言い続けて数十年経ったはずのお前が?」
「うるせえ、気が散るから話しかけんな。邪魔」
「うっわ、キッショ」
 
 ゲラゲラと品の無い笑い声を上げた相棒のブッチをぎろりと睨みつけて、紅茶に口をつける。香り豊かな紅茶と、春らしく苺を使ったレアチーズケーキは彼女がおすすめしてくれた品だ。長らくコーヒー派だったが、彼女の言うように紅茶との合わせも悪くないかもしれない。そう愛おしい相手のことを考えて溜飲を下げ、「馴れ初めは? ちゃーんと全部教えろよ」と話す相棒に舌打ちを返してから口を開いた。下手にこいつに隠し事をしたら、後で十倍ぐらいで返されるから全く嫌になる。

「彼女と出会ったのは、数ヶ月前の雨の日だ。あの日はもうすぐ春だってのにやけに寒い日で、しかもバケツをひっくり返したような酷い雨が降っててさ。お前も覚えてるよな?」
「いや、忘れてた。お前細かいとこまでよく覚えてられんな」

 感心したように頷く相棒に、お前はどうでもいいからって色んな事忘れすぎなんだよと悪態を吐く。まあ、相棒の事はさておき、今話さなければいけないのは彼女との馴れ初めだ。
 酷い雨の中、傘を忘れてびしょ濡れだった俺は、仕事終わりで碌に寝れていなかったうえに腹が減っていてご機嫌斜めだった。天気予報に気を配ってはいたんだが、本当に急な雨で雨宿りをしようと駆け出しても視界が遮られるほどの強い雨脚だったのを覚えている。濡れてどんどん重たくなっていく服に内心ブチギレながら、ひとまず雨をやり過ごそうとしてこのカフェの軒下に駆け込んで突っ立っていたところ……彼女に声をかけられた。

「あの、これ。よければ使ってください」

 鼓膜を揺らした鈴が転がるような声に、つい反応が遅れた。自分でも酷い格好をしているのは十分理解していて、まさか声をかけてくる奴がいるとは思っていなかったから。ましてや、こちらを気遣ってハンカチまで差し出してくる女がいるとは……。相手の行動に対する驚きと動揺で、思わず女の顔とハンカチを交互に見つめてしまった。
 純真無垢そうな彼女によくお似合いの、淡い水色のハンカチ。そして、気休め程度にしかならないであろうサイズのそれを差し出してくる、性格の甘っちょろさが顔に滲み出ている女。普段の俺だったら、あー面倒臭いと思って彼女の厚意を受け取らなかったと思う。だが、彼女の気の抜けた笑顔を見ていると、何だか無碍にする気が起きなくて、結局ハンカチを受け取ってしまった。心も体も冷え込んでいる時に親切にされて、魔が差したのかもしれないと思った。
 それで、そのまま去っていく彼女をぼうっと眺めていたら、突然俺の腹の虫が突然けたたましい唸り声をあげた。びっくりしたようにこちらを見る彼女の顔に、羞恥やら何やらで体が硬直する。ああ、くそ、格好悪い。びしょ濡れのみっともない姿だけでなく、情けない音まで聞かれてしまって耐えきれず地面にしゃがみ込んだ。気を遣って言葉を投げかけてくる彼女につっけんどんに返事をして、重たい息を口から吐く。
 もう、放っておいてくれよ。ささくれた心のままさっさと帰れと口走ろうとしたところで、彼女が俺に何かを差し出してきた。

「あのっ、お腹すいているんでしたら、これどうぞ。ここのカフェで作っているクロワッサンと紅茶です。さっき包んだばかりなので、まだあったかいですよ」

 半端に開いた傘を地面に置いてしゃがみ、俺と目線を合わせながら袋を差し出す彼女。ここのカフェのものらしい紙袋からは、食欲をそそる美味そうな匂いが微かに漂ってきていた。まさか、見ず知らずの男相手に飯奢ろうってのか、この女。そう驚愕して顔を上げて、「結構人気なんですよ」と得意げに笑っている彼女を、伸びた前髪の間から胡乱げに見た。さっきから再三言っているが、この時の俺はすこぶる機嫌が悪かったんだ。
 それで、半分八つ当たり半分皮肉のつもりで、彼女に言葉をかけた。きっと、親切を突っぱねられた彼女は、憤ってこの場を立ち去ると思って。すると、俺の予想に反して彼女は心底驚いたふうに声を上げた後、しおしおと落ち込んでしまったのだ。てっきり、ここまで言われればいくら善人面した彼女であっても少しは怒ると思っていたから、俺は動揺して……紙袋を受け取ってしまった。
 数ヶ月前の記憶を思い出しながら、ブッチにペラペラと話す。どうせ飽き性のこいつは人の話を碌に聞いちゃいねえから、全部話してしまってもいいだろう。

「それで、その紙袋の中に入ってた飯がこれまた美味くてさ。クロワッサンと紅茶だったんだが、今まで食べた中で一番の味だった。彼女にお礼を言ったあと、腹も減ってたしガキみてえに齧り付いてあっという間に完食しちまったよ」
「へー」
「その間ずっと彼女が隣にいたんだが、俺が食べてるのを見てすんげー気の抜けたふにゃふにゃの笑顔浮かべてて、それがまた可愛くって……何ていうんだろうな、心臓がギュッて締め上げられる感じがしたんだ。彼女に惚れたのは、多分そん時」
「そりゃーすごい」

 明らかに興味の失せた返事しかしない相棒に聞くフリすらできねえのかと少しイラッとしたが、気にせずに話を続ける。

「今まで純粋無垢な女は馬鹿か良いカモとしか思ってなかったんだが、考えを改めようとあの時ばかりは思ったね。きっと、俗に言う『守りたくなる女』って、ああいうタイプの子のことを指すんじゃねえかな」
「ほー」
「で、今度は店で買うからまた来ていいかーって彼女に聞いたんだよ。そしたら、彼女がいつでも来ていいって言うから、すぐにでもまた行きたかったんだがお前も知る通り仕事がまた立て込んで……って、お前人のケーキ勝手に食ってんじゃねえよ!! バッカじゃねえの!?」

 彼女がおすすめしてくれたレアチーズケーキを、勝手に切り分けてもぐもぐと食べているブッチ。お気に召したのか舌舐めずりをしつつ二口目へと手を伸ばす相棒に仰天し思いきり怒鳴って、赤と白のコントラストが美しいケーキを皿ごと奪い取った。この野郎、人のものに勝手に手ェ出しやがって。油断も隙もありゃしねえと相手を睨むと、ブッチは不満そうに唇を尖らせた。

「たった一口だけで随分な慌てようだな、サンダンス。ケチ臭え男は嫌われるぞ?」
「人の飯を勝手に食う犬っころみたいな男に言われたくねえよ」

 次やったら、お前の部屋の調味料全部デスソースにしてやるからな。欠けたケーキの残りを掻き込みながらそう脅すと、相手はどうでも良さそうにくあっと欠伸をした。クソ、本当にこいつと一緒に店に入ると碌な事がない。もう二度とこのカフェの敷居を跨がせるものかと憤っていると、相棒がふと口を開いた。

「あの子ウサギちゃんに惚れたのはよーく分かった。お前が思ってたより単純な男だっていうのもな。だとしても、まだどーしても気になるんだよなあ」
「前半のクッソ失礼な発言には目を瞑ってやる。で、何がそんなに気になんだよ?」
「今までのお前が徹底的にチビな女を避けてきた訳だよ。ちょっと親切にされたくらいで簡単にコロッと惚れちまう雑魚のくせして、なんで今まで露骨に避けてきてたんだ? あの子ウサギに惚れるより早くどこかで骨抜きにされちまってそうなのに」
「それは……

 じっとこちらを見る緑色の双眸から、そっと目を逸らす。こいつ相手に理由を話したくはないが、俺が口を割らないとブッチは散々揶揄ってくるだろう。人を弄る時の楽しそうなこいつの表情を思い出して、一気に暗い気持ちになった。下手にほじくり返されるよりは、自分で話した方がまだマシだろうか。そう考えて、俺は渋々ながら口を開いた。

「小せえ女は、まず初手で俺ら見て怯えるだろ。それが嫌だったんだよ。取って食おうとしてる訳でもねえのに、ビクビクされたらこっちだって傷付く。それに、足元でチョロチョロされると怪我させそうで怖えしよ。その点彼女は、臆さずに俺に接してくれるんで助かってる」
「ふーん。だからお前、今までああいうタイプと付き合わなかったんだな。大人のキッドじゃなくて、女の触れ方も知らない臆病なサンディ坊やだったってわけだ」

 もうすっかり温くなったであろうコーヒーに息を吹きかけてから、ブッチが呟く。わざとなのか本当に猫舌なのかよく分からない相棒を黙って見ながら、瞼を閉じて一旦思考を落ち着かせた。

「仕方ねえだろうが、ああいう見るからに年下感ある柔そうな女は……握り潰しそうで怖えんだよ。腕上げてぶつかって相手が怪我でもしたら面倒だし、何より可哀想だろ」
「うへえ、きっもち悪い言い方だな。お前、前世フランケンシュタインだったりする? 人との触れ合い初めてなタチ?」
「いい加減に黙らねえと頭に風穴開けるぞ」
 
 苦虫でも噛み潰したかのような表情でベーッと舌を出しておちょくってくる相棒に、イライラが募る。苛立った心のまま彼女には聞かせられないような暴言を吐いて、帽子の下から相手の緑色の目をギロリと見た。しかし、そこまでしても相手はヘラヘラと猫っぽい吊り目を歪ませて笑うばかりだ。「おー、怖っ」とふざけた相棒に辟易し、相手を完全に意識の外へやってから紅茶を飲んだ。この表情のこいつに何を言っても無駄なのは、長い付き合いで知っている。
 その時、ふと彼女の声が聞こえてきて、沸々と湧き上がっていた怒りが霧散しふわりと心が温かくなった。どうやら、今さっき店を出て行った客に挨拶をしているらしい。可愛らしくありながら凛とした雰囲気もある、耳障りのいい彼女の声にほっこりとしていると、またブッチが声をかけてきた。もう黙れよ、お前。

「お前の恋路だから、お前の好きにすればいいと思うけどさ。茨の道になりそうじゃね?」
「は?」
「ああいう誰にでも優しい女と、嫉妬深いお前だろ。彼女はともかく、いつか絶対お前の方が爆発すると思うけどなあ」

 監禁とかしそうじゃん、お前が彼女にな。なんてったって、お前は自分の側からお気に入りが離れるのが許せない坊やだもんなあ〜? とケラケラ笑うブッチに、俺は何か言い返そうとして口を開閉させていた。でも、言葉が出てこない。あの、善性の塊のような彼女にそんな酷い事はできないと言わなければならないのに、どうしても言えない。その理由は……彼女を独り占めできたらと考えただけで、どうしようもなく興奮してしまったからだった。
 一ヶ月間口説いて口説いて口説きまくって、ようやく手に入れられた砂糖のように甘い女。数ヶ月前の別れ際に「お待ちしております」とふんわり柔らかく笑った彼女は、比喩じゃなく輝いて見えた。天国から間違って下界に降りてきてしまった、神の使いか何かなのかもしれない。そう本気で考えてしまうほど、真綿のように無垢で柔らかい優しさを惜しみなく人に与えられる、超が付くほどのお人好しが彼女だ。きっと彼女は、彼女自身も知らないうちにいろんな男をその甘さで誑かして破滅に導いてきたんだろう。無垢な生き物は人を狂わせると、数十年人間をやってきた経験で察していた。
 酷い女、と思った。でも、そう理解していても、その甘さが欲しくなってしまった。彼女の優しさも温もりも笑顔も何もかもを、独占して誰にも奪われたくなくなってしまったのだ。ブッチの言う通り、彼女を閉じ込めて誰の目にも触れさせないようにできたなら、どんなに気分がいい事だろう。しかし、その輝きを曇らせたくないと思っているのも、紛れもない事実だ。無理矢理縛り付けるんじゃなく、彼女自身に俺の側を選んでほしい。
 とりあえず、現時点で出せる最適解はこれだ。そう自分を納得させてから、動揺を残りの紅茶ごと飲み干してブッチに話しかけた。
 
「彼女が万人に優しいのは重々承知だ。でも、欲しくなったもんは仕方ねえだろ」
「そうだな。ま、せいぜい上手くやれよキッド」

 不器用な坊やがどこまで立ち回れるか、楽しみにしてるぜ? 新しいおもちゃを見つけた時の猫のような表情でそう笑うブッチに、俺は内心舌を突き出しながら「お前が思うような事にはならねえよ」と吐き捨てた。