シノハラ
2024-08-22 21:18:54
10285文字
Public レイチュリ
 

NeutralとSubでプレイっぽい事をする付き合ってないレイチュリ

Dom/Subユニバースを好き勝手に捏造しています

 君のせいで追加の仕事が来た。そう、レイシオは少々不機嫌そうにアベンチュリンに告げた。
「僕が君の尻拭いが必要な手落ちをしてたってことかい?」
 ここ数日の記憶を掘り返してみようとしたが、一つも思い当たる節がなかった。そもそも、そんなものが発生していたなら即刻叱責が飛んできていそうなものなのだけれど。
「君がダイナミクスのケアを怠っているから、そこらの有料サービスを受けるか、誰かを引っ掛けるか、僕の処置を受けるかさせろだそうだ」
 カンパニー内でも制度が整っているのだから、適切に対処をしろとレイシオは漏らす。どうやらレイシオの不機嫌は仕事が増えたためというより、アベンチュリンの一種の不摂生に向けられているらしい。
「処置? 君ってDomだったっけ?」
 彼のその手の話を聞いたことがよくよく考えると一度もない。元々彼は自分の話はろくにしない手合いの人間なので、ダイナミクスなんて極々個人的かつ性的なニュアンスを帯びるものをアベンチュリンに話していなくても何ら不思議でもないのだけれど。
 一方で彼の物言いを聞く限り、レイシオはアベンチュリンのダイナミクスをカンパニー経由で聞き及んでいるらしい。その状態で彼のダイナミクスが伏せられるのが少しばかり癪に思えて問いかけてみたが、状況を思えば失礼には当たらないだろう。
「いいや。どちらでもない」
「Switch?」
「でもない。僕はNeutralだ。が、Sub向けの処置資格を持っている。僕から君のダイナミクスに直接作用はさせられないが、プレイの真似事をすればある程度の抑制状態の緩和は可能だ」
 つらつらと彼が説明するところを聞くに、治療中で体力の低下した患者や第一の性がアセクシャルに属する人達向けにセラピーと呼ばれる擬似的なプレイを行う制度があるらしい。アベンチュリンはそのどちらにも当てはまらなかったが、同様の効果が認められるはずだと彼は続けた。
「いいねそれ。カンパニーのシステムを使ったりもするけど、結局お見合いっぽくなるのが億劫な時があって、かといって行きずりなんて基本的にヤリ目だから余計にね」
 ダイナミクスが満たせるのであれば本来は性行為なんて不要なはずなのに、自分達はどうも最終的にそこを目指そうとしてしまう。アベンチュリンは第二の性と呼ばれるダイナミクスがある種の繁殖と生存戦略のためのものであるが故と捉えているが、そういうのが面倒くさい時というものはあるものなのだ。
 ちょうど今億劫な時期に来ている上に単純に仕事が忙しかったこともあって、アベンチュリンはレイシオを通じてカンパニーが指摘した通りダイナミクスの管理を怠っていた。まだ心身に差し障りを覚えていないのでそのままにしていたが、どうやら警告されるレベルまで放置してしまっていたらしい。言われてみれば、最後にしたのがいつだったかすぐに思い出せない。
「なら試してみるか?」
「うん、お願いできるかな」
 出張先のホテルにいたまま解消できるのであれば非常にありがたかったし、正直なところ彼のプレイにも少々興味があった。資格で管理されるものらしいのである程度杓子定規な手順を踏むのだろうが、個人の味が全く出ないわけではないはずだ。
「いくら?」
「はした金だ。気にしないでいい」
「じゃあ次のご飯の時に奢らせてよ」
 最速で明日の晩になるはずの予定を考えながら、アベンチュリンは彼の好物を思い浮かべる。近所にちょうど良い店があると助かるのだけれど。
「そっちの方が高く付く」
 仕方ないとばかりにレイシオが金額を指定したものの、彼が言うようにアベンチュリンにとっては支払いの意識もしないような金額である。性の提供を前提とした有料サービスと比べても幾分か安く、どちらかと言うとカウンセリングに近いイメージであるらしい。
 ポケットに入れていたスマートフォンを使って言われた数字の信用ポイントを振り込めば、珍しく入金が承認された。ついでに渋々とでも言いたげなスタンプと共に、他の資格保有者のためにも報酬は適切に支払われるべきだと言い訳めいたメッセージまで追加される。
 下手に市場の価格破壊をするわけにはいかないという彼の主張は理解するが直接言えばよかろうにと思ってから、ログに残しているのだから読み返してアベンチュリンに刻みつけよと言っているのだと解釈することにした。技術の安売りは良くないのはその通りなのでアベンチュリンはレイシオの徒労分の補填をしたいと常々申し上げているのだけれど、そちらの主張についてはいまいち伝わっている気がしない。
「これからはスマートフォンを見るのは禁止だ。しばらく待っているように」
 他にも通知がある事に気がついた瞬間に、レイシオにスマートフォンを取り上げられた。それから電源まで落とされて、彼の服のポケットに入れられる。ソファから立ち上がった彼は湯を沸かす準備をしてから、少々部屋の明かりを暗くした。
「ゆっくり飲め」
「それって君のコマンド?」
「いいや、まだ準備の段階だ」
 くるりくるりとマドラーを回しながら戻ってきたレイシオが、甘い香りの立ち上るコップを差し出してくる。口をつけると特に捻りもないココアの香りと砂糖の甘さが広がった。
「本当は風呂にでも入って体を温めるのがいいんだが」
「お気遣い痛み入るよ」
 入れと言わないのは、アベンチュリンがのぼせる体質だと知っているからだろう。砂と岩しかなくて水がほとんどない星に住んでいれば誰でもそうなるのではいかとは思うが、アベンチュリンは一般的な適切な温度管理と時間で入浴をしても肌を真っ赤にしてしまう。
 それも相まって、初めて出張で同じ客室になったときは全く風呂場から出てこようとしないレイシオの身を案じて戸を叩いてしまったことがあった。まさか人間がそんなにも長い間風呂に入っていてなんともないなんて、アベンチュリンにはちょっと想像できなかったので。
 当時のことを思い返しながら、アベンチュリンはまったりとした甘さのあるココアを胃に落としていく。雑に飲むのも悪い気がして、喉を通って胃に落ち込んでいく暖かな液体を意識しながらコップを傾けた。
「全部飲んだよ、ごちそうさま」
「では始めよう。まずはルールの説明からだな。今回のセラピーは君達がするプレイとは感覚が異なるはずだ。たとえば、僕の言葉には強制力が一切ないから、君は普段よりも主体的に行動する必要がある」
 ソファの横にある簡易の机にコップを置くと、レイシオがきっと資格を取るために暗記が必要なのだろう口上を唱え始める。一つ目の心構えにアベンチュリンは同意のつもりで頷いた。
「強制力がない手前、拒否も容易くなる。だからセーフワードを使うことなどまともな状況であればあり得ないが、ここは基本に則ってRedとしておこう。他の言葉で拒否してくれても構わない。僕は君が拒否感を示せば必ず中断する」
「うん、分かった」
 つまるところ、これからのレイシオがするセラピーとやらは少なくとも彼の本能には関わらないということだ。一方的にそういうものを晒してしまう可能性があると考えると俄に緊張してしまって、アベンチュリンはこっそりと親指と人差し指の腹を擦り合わせる。
 セックスまで行き着かなかったとしても、第二の性と呼ばれるものの発散なのだから自分達のプレイには性欲が関わってしまいがちだ。全くの素面の相手に自分のそういう側面を剥き出しにするのはさすがに抵抗がある。
「コマンドは定型のものしか使わないから、他の言葉に君が従う必要はない。分かったか?」
「ああ、大丈夫だよ。はじめてもらえるかい?」
 アベンチュリンの要望にレイシオは静かに頷いてから、Look、と多くのDomが最初に使うコマンドを口にした。場所を指定されなかったのでどこを見ても良いのだろうが、こういうときは視線を合わせると相場が決まっている。
「Good. Stay」
 少し瞬きを我慢している間にレイシオがあっさりとアベンチュリンを褒めてから、更に継続を求めてくる。互いに瞬きを減らしながらじっと見つめ合っているうちに、なんだか不思議な気持ちになってくる。
「何か感想があるか? Speak. もちろん、始めたばかりだからなければないでいい」
「ええと、そうだね。一言で言えば不思議かな」
 レイシオが先ほど説明してくれたように、確かに彼の言葉からは強制力は感じられない。だからなのか、Domのコマンドに答えた時のような外から入り込んでくる酩酊感に近いものをアベンチュリンが感じることもなかった。
「強制力がないって事だと思うんだけど、自然に答えたいって感覚が全然湧かないから本当に意識的にやらなきゃいけなくて、普段は全然気にならないところが気になっちゃうかもしれない。たとえば、今の僕は君のお願いにちゃんと答えられてるかな? とか」
 彼がDomであればSubが要求を満たせばダイナミクスに訴えかけるものが滲むはずなのだが、Neutralである彼にはそんなものはない。ダイナミクスなんて関係なしにサディストの傾向があればもう少し分かりやすかったかもしれないが、おそらくそういう素養もなさそうだ。そもそも真っ当な組織であれば、そういう輩が資格を取れないようにしているのではないかと思う。
 だから安定している彼の気持ちが分からなくて、ほんの少し不安だった。そもそもレイシオはアベンチュリンのためにしているだけなのだから、良いも悪いもないのかもしれないが。
「ああ、満点だ」
「ふふ、君の大学の生徒達が喉から手が出るくらいに聞きたい言葉だろうね」
「僕の研究室の生徒なら、むしろ警戒するだろうな」
 君の普段のスパルタさが目に浮かぶ、と笑ってから一瞬自分も警戒しろと言われているのではないかと気になってしまう。その疑念が顔に出てしまったのか、TPOくらいは意識すると少々呆れられてしまった。つまり、誇張はあるものの特に裏はないということだ。実際のプレイであれば結構な失点だったかもしれない。
「Strip」
「えっ」
「Stop. 違う」
 全く予想もしていなかった言葉に声を上げてしまいながら、アベンチュリンは反射的に自身の首元のボタンに手を伸ばす。そのまま角度を調整して外してしまうかで躊躇いが生じた瞬間に、レイシオが分かりやすく首を振って否定した。
「すまない、要求の仕方が悪かった。袖を捲ってほしい」
「びっくりした……了解」
 首のボタンから手を離すと、心臓に衝撃の余韻が残っているのに気がついた。相手が相手というのもあるかもしれないが、服を脱ぐよう告げられただけでこんなにも動揺してしまうとは思わなかった。
 やっぱり、いつもと手合いが違うからなのだろうか。良好な関係にあると認識している相手とそれらしいことをしたのは初めてなので、その辺りが作用している可能性もあるかもしれない。
 答えを見つけられないままシャツの袖のボタンを二つ外して、アベンチュリンはレイシオに肘の手前まで捲って見せた。そうすれば手首を返すように言われて、レイシオがしたいことが見えてくる。
「血管が細い」
「医者に嫌がられるんだよね。トレーニングもして最初と比べれば筋肉もついたけどけどあんまりで」
 手首に浮かぶ血管の色を見て、レイシオが即座に眉を顰めた。彼も採血の練習をして細い血管と言うものに悩まされたことがあったのだろうか。
「触っても?」
「僕は良いけど、君の方が大丈夫かい? 僕はお風呂も入ってないし」
 採血の際にやや緊張した面持ちで告げられる指示を思い出しながら手を握ったり緩めたりしていると、レイシオに尋ねられて首を傾けてしまう。ボタンを外す時にはもう予想はしていたし、今日の程よい天候でアベンチュリンが汗みずくになるようなことはなかった。けれど、レイシオは日頃潔癖を公言している男である。
 実際のところ彼が日頃どれくらい我慢しているのか、どのレベルが堪えられないのかなんて話は彼から直接聞いたことはない。一方で彼は常に消毒液を持ち歩いており、手をびしゃびしゃにしているところを見たことがある。
 それに、風呂の時間も長ければ手を洗う時間も長いのだ。さっきもホテルの部屋に入って早々に、さっさと洗面台でアベンチュリンからすればたっぷりとしか言えない時間をかけて手を洗っていたらしい。
 少なくとも、手指の清潔に彼ほど気を使う人間をアベンチュリンは知らない。そういう人が一日活動した人間の体に触りたがるのだろうか。カラスの行水であろうともやっぱり風呂に入っておくべきだったのではなかろうか。
「そんなことも予測せずに請け負うアホだと僕が思われているのか、ご無沙汰なところにダイナミクスの影響を受けてそんな予測もできないくらいに君がマヌケになっているのかどっちだ?」
「なんか別のプレイ始まっちゃった?」
 そんな懸念を剥き出しにした問いに、レイシオは深々と溜め息を吐いた。DomとSubのプレイはサディストとマゾヒストのそれとは幾分か異なるので、意外と言葉責めや単純な罵詈雑言が飛び交う機会はない。
「一応気遣ってるつもりなんだけどなあ」
 概念的な話ではなく、彼は医療の側面からプレイをしてくれているのだ。医療従事者として患者に対処する時に彼が普段の衛生観念を適応するかと言うと、答えは否だろう。彼の許容がそういう形で行われていないか、アベンチュリンは案じているのだけれど。
「君が気にする必要はない。それに、どうせこの後風呂に入るから多少の事は誤差にできる」
 それってやっぱり嫌なんじゃ、と思わなくもなかったが、わざわざ尋ねて肯定されるのも嫌だった。喉元まで出てきそうになっていた言葉の代わりにならどうぞと手首を差し出せば、レイシオがアベンチュリンの手首を握る。そのまま親指の腹が手首の内側を探るように少しだけ動いて、反応の割にはすぐに血管を捉えたらしい。
 ベッドとベッドの間にある時計をじっと見つめながら、おそらく彼はアベンチュリンの脈を一つ一つ数えている。変に数を増やさないように、アベンチュリンはその間ゆっくりと呼吸をするように意識した。
「平常値の範囲内だ」
「プレイの最中で平常値を越えること何で珍しくないだはずだけど、セラピーの場合はどうなるんだい?」
 手首を放したレイシオが脈拍数を教えてくれるのを聞きながら、アベンチュリンは首を傾げる。酩酊と興奮、多幸感の中にあって心臓の動きがいつも通りというのは、むしろその状況が異常と言えるだろう。
「処置に負荷があると判断されて、一時的に中断して様子を見る」
「本当にプレイとは別物なんだね」
 そう、とレイシオがアベンチュリンの感想を肯定する。アベンチュリンの感想が実感を伴っているものだと、彼も気がついているだろう。レイシオに触れられて気がついたが、アベンチュリンの体は随分とぬくもっている。じんわりと内側から滲み出るようなそれを、アベンチュリンは今まで体感したことがないはずだった。
「kneel. 嫌悪感があるならする必要はない」
「ううん、大丈夫だよ」
 分かりやすく服従や屈服を示す行動に、レイシオは今までのコマンドとは一線を画すものがあると考えているらしい。低い位置からDomを見上げる行為がSubからしても大分脳を突き抜けて本能にまで響く行為なのは間違いないので、教本でも注意点があれこれと書かれているのかもしれない。
 ソファから下りて無様にへたり込もうかと思ったが、彼には似つかわしくないのですんでのところで思い直した。たぶん、彼が本当のDomだったとしても、そういう屈服のさせ方をしないのではなかろうかとアベンチュリンは考える。
「Good. 綺麗な座り方だ」
 片膝をついて、敬虔な信者の背を思い起こしながら少しだけ背を丸める。それから一度下げていた頭を上げてソファから見下ろしてくるレイシオと視線を合わせれば、お気に召してもらえたらしく緩やかに褒められた。見下される視線には支配欲やある種の情熱のようなものは混ざり込んでいないように思う。
 彼の声音を思考の上で転がしているうちに少々の安堵が滲んでいることに気がついて、そもそもそのコマンド自体が彼にとって負担になりかねないものだったのかもしれないと思い至った。Domやサディストならともかく、成人男性がへたり込んで尋常ならざる眼差しで見上げてきていたら普通に怖い。
 いつの間にかダイナミクスの常識にどっぷりと身を浸していた自分を意識して、アベンチュリンは冷や汗をかきそうになる自分と相反する自己を見出した。レイシオに褒めてもらえると嬉しい。それはDomからのものとはやっぱり違っていて、あえて似たものを探すのであれば母や姉のそれが当たるはずだった。
「ありがとう」
 彼がかけてくれた心に謝意を示しながら、プレイ中にこんな事をする機会は今までなかったとアベンチュリンは考える。本来のプレイとはギブとテイクのバランスが崩れるセラピーがそうさせるのかもしれない。
「どういたしまして」
 レイシオはアベンチュリンの感謝を拒否せず、そっと瞼を伏せて受け取ってくれた。なんだかそれが嬉しくて、調子に乗った良からぬ本能がアベンチュリンをせっついてくる。
……あの、嫌だと思うから全然断ってくれていいんだけど」
 アベンチュリンのおそるおそるの問いかけの前置きに、ん、と微かに語尾を上げてレイシオが続きを促してくれる。いつもであればまどろっこしいと眉を顰められそうなのに、こういう時にそういう態度なのは反則ではなかろうか。
「君の膝に頭を乗せてもいい?」
 なるほど、とやっぱり語尾が上がる口調でレイシオが沈黙の間を埋めた。少々思案するように視線を脇にずらしてから、アベンチュリンの少し上――というより頭だろうか――に視線を寄せる。
「判断がつきかねるから試してくれないか。嫌だと思えば止めるから、そこで止めてくれればいい」
……分かった」
 てっきりあっさりと断られるものかと思っていたので、レイシオの提案に同意するのにしばらく時間がかかってしまった。彼のプロ根性と言えばいいのだろうか、とにかくそういうものが見え隠れしているように見える。
 邪念の類が少しでも顔を見せないよう、アベンチュリンは静かに深く深呼吸をした。それから数秒もせずに拒否されるイメージを固めながら、彼の膝ににじり寄って彼の膝頭に額をつける。
 むず痒くはないだろうかと思いながらも、彼の反応を窺う勇気はなかった。二秒三秒と過ぎたが、彼が何か言ったりしてアベンチュリンを諌める予兆はない。
 それから十じっくりと数えて許されたのだとようやく確信を持ってから、アベンチュリンは擦り寄るように頬をつける。居心地の良い場所を見つけて落ち着けば彼の指先が髪を掠めたようで、びくりと体がこわばってしまった。
 あ、と小さく声が漏れたのはその指先がアベンチュリンの頭をそっと撫でたからだ。母や姉の手のひらより大きくて重たいが、優しさは同じだったように思う。その手がアベンチュリンの髪の先を擽るように伸ばしたり、髪を掻き分けたりする。
 元々甘えた気持ちになっていたのに、そんなことをされてしまってはダイナミクスをむやみやたらと刺激されているアベンチュリンにはひとたまりもなかった。欲求のままに甘えるように頬を擦りつければ、レイシオの親指がこめかみ辺りを擦る。その穏やかで温かい指先にアベンチュリンの涙腺が緩んだのか、彼の知らないところでじわりと涙の気配が滲む。もちろん、悲しいからなんて理由からではない。
 小指の先までゆっくりと温まって、思考が緩むような感覚をアベンチュリンはじっくりと確かめる。栄養がしっかりと体を回り切るまでろくに仕事をしていなかった第二の性とやらが、こんなふうに自身に作用するなんて知らなかったのだ。
「ずっと分からなかったんだけど、お風呂ってこんな感じなのかもしれない」
 先ほども話題に上がっていたが、アベンチュリンは風呂の良さというものを今の今までよく分かっていなかった。雨のほとんど降らない場所で生まれたアベンチュリンと風呂の縁遠さときたら、カンパニーに来てからようやくその言葉を知ったくらいなのである。ひょっとしたら、ツガンニヤにはたっぷり湯の溜まった入れ物を指す言葉なんてそもそも存在しなかったのかもしれない。
「君の言う思考の淀みを落とすってこんな感じなのかもしれない」
 安心できる場所でぬくぬくと体を温めて、身も心も洗い流す感覚。今アベンチュリンの体を支配しているのはそれだけだった。Sub spaceとやらがそれを指すのかもしれないが、なったことがなかったのでよく分からない。アベンチュリンという名前を得て体が安定してようやく発現した自己のダイナミクスと付き合ってきた時間は思いの外短い。
「分かってもらえて何よりだ」
「あの時はごめんね、介抱させてちゃって」
 アベンチュリンの体質故に、きっと一生分かり合えない部分だとレイシオは思っていたのだろう。なんだか満足そうに彼が告げながら指先が額を撫でる感触を味わいつつ、いつかの大失態を思い出した。あれだけレイシオが楽しんでいるのだからいいものなのだろうと、適温と時間を調べてから挑んだのに盛大にのぼせてひっくり返ってしまったのだ。
「風呂に興味を持たせたのは僕だったから、責任が取れてちょうど良かった」
 自宅でしていたら大変だったとレイシオが微かに溜め息を吐いて、アベンチュリンは小さく笑ってしまう。なんとか浴室から出たところで力尽きて立ち上がれもしなかったので、一人だったらそのまま廊下で動けなくなっていたはずだ。
 運が良かったと囁けば、今後の教訓とするようにと言われた。まあアベンチュリンだってもう一人で数分以上の入浴をしようとは思わないけれど、彼は不毛にももっと普遍的な話をしているのだろう。
「さて、Stand Up. 足下に気をつけるように」
 彼と話をして少しだけ頭が回るようになった頃を狙うように、レイシオがコマンドを与えてくる。いつの間にか胴までべったりと彼の足にくっつけていた体が離れるのを少々もったいなく感じたが、いつもはほんの違う部分がコマンドに答えたいとアベンチュリンに訴えかけてくる。彼が気にしてくれたように足がふらつかないように気をつけて立ち上がると、今度はアベンチュリンがレイシオを見下ろす形になった。
「Come」
「えっと、それは」
 アベンチュリンはすでにレイシオの真ん前にいるのだ。その状態から来いと言うのであれば、多分抱擁をする必要がある。もちろんお互いにしっかり服は着込んでいるし、レイシオは後で風呂に入ると言ってはいた。とはいえ、風呂で全てを帳消しに出来るわけではないだろうに。
「嫌なら良い」
「いや、やるよ。君が良いって言うならやる」
 躊躇を振り払うつもりで首を振って宣言すれば、前述の通りだとレイシオは主張した。それからゆっくりと腕を広げられて、彼が抱擁を求めていることを言外に示される。
 一つ大きく息を吸ってからアベンチュリンはソファの角に膝を突いて、レイシオの体を抱きしめた。ぱっと見でしっかりと筋肉が付いているのが分かる彼の体はてっきり硬いものと思っていたが、想像していたほどでもない。そして、膝から感じていたよりももっとずっと温かかった。
 背中に腕を回したあたりでもっと体重を預けていいと指示されて、なんとでもなれと唱えながらアベンチュリンは体をぐっと傾ける。
「処置に協力的でよろしい」
「Domはそんな褒め方してこないよ」
 ただの照れ隠しだったと、多分彼は気がついているのだろう。特に気にしたふうでもなく、レイシオはそうかと相槌を打ってアベンチュリンの後頭部をそっとなでつけた。
 もう一方の手がアベンチュリンの背中に回って、ゆったりとしたリズムを取りはじめる。正面からは彼の体温とアベンチュリンのものとは異なる香水の匂いが伝わって来て、背中はあやすように扱われてしまっている。こうなってはもうずっとふわふわしている頭では、少しも抵抗できそうにない。
「そんなことされたら寝ちゃうよ」
 頭にかかる重さに逆らわず彼の肩口に頬を当てながら、アベンチュリンは聞き苦しくなっていそうな緩んだ声音でレイシオを脅す。本当に眠たいんだ、と自白しても背中に伝わる振動に揺らぎはない。
「おやすみ、アベンチュリン」
 それなのに、レイシオは事もあろうかアベンチュリンを寝かしつけるつもりであるらしい。思わずぱちりと瞬きをした目をすぐに細めて、くすくすと笑って振動をレイシオに伝えてしまう。お風呂に入るんじゃなかったのか、という問いかけはアベンチュリンのためにもしないでおこうと思った。
……先生が言うならしかたがないね」
 そして彼がかりそめのDomとして振る舞っているのであれば、Subであるアベンチュリンが従わないわけにはいかないだろう。そんなふうにそれっぽい理由を見つけることも出来たが、アベンチュリンはただ彼にあやされながら眠りにつきたいだけなのだ。たぶん。