燦々と陽光が降り注ぐ街の石畳を、一人の少年が駆けていく。銀色の髪に褐色の肌の少年が向かう先にあるのは、ノエにも見慣れた孤児院だった。
いつの間に、自分は街に戻ったのだろうか。それに、街に入っていいと自分は言われただろうか。
泡のように浮かび上がる疑問を咀嚼しないうちに、きゃらきゃらとせせらぎの如く愛らしい二人の少年の笑い声が響く。褐色の少年は、自分の友人である金髪の少年――グレンに近寄ると、何か言葉を交わし合っているようだった。
それらの光景を、ノエはどこか夢心地のような感覚で、ぼんやりと眺めていた。
「ノエさん、ありがとうございます。コーディを連れて帰ってくれて」
声を発せないはずの少年は、ノエを見てにこりと笑いかけてくれた。グレンは、ノエの前では今まで鉄面皮を貫き通してきていた。果たして、彼はこんな風に笑う子供だっただろうか。
まるで絵に描いたような再会の場だ。引き裂かれた少年の友情は、一人の冒険者によって結び直されたのだ。
――ああ、よかった。
自分の選択を誰かに褒めてもらいたかったわけではない。だが、この場面を目にすることができたなら、雪原の旅路の厳しさや、竜との邂逅に弱音を吐きたくなる己に鞭打った甲斐はあった。
そう、思った時だった。
「ねえ、ノエ兄ちゃん。俺、異端者になっちゃったんだよ」
コーディ少年の声が、暖かな光景を引き裂く冷たい棘として、ノエへと突き刺さる。
「ノエさん。どうしてコーディは、竜の血を飲まされているんですか」
追い討ちの如く、グレンの声が重なる。
「それは……僕が辿り着いたときには、もう」
「じゃあ、もっと何で早く来てくれなかったの」
「来てくれたら、コーディは異端者にならずに済んだかもしれないのに」
少年たちの声が幾重にも重なり、ノエへと迫る。彼らから非難の言葉が一つ吐かれるたびに、ノエの喉は締め付けられるように痛む。
コーディは異端者になってしまっていた。それは、すでにどうしようもない現実としてノエの前に立ち塞がっている。
だったら、自分は手遅れだったのだろうか。
ここまで来た意味は、何もなかったのだろうか――?
「異端者になっちゃったら、俺、もう帰れないじゃないか!」
先ほどまでの和やかな空気は、一瞬の暗転の末に消える。
街の景色が一瞬にして消え去り、代わりにぼんやりとした暗がりがノエを包んでいた。
眼前に立つ二人の少年の姿だけが、やけにくっきりとノエの視界に浮かび上がっている。
「そんなことはない……はずだ。僕が、ちゃんと領主様に交渉する。皆が今まで通り生きられるように。皆が、街に受け入れてもらえるように――」
「本当にそんなことができるの?」
期待にすがりたいと望むがための疑問ではなく、否定の色が濃い詰問がノエの耳を抉る。
いつしか、コーディたちの姿は暗闇に滲み、消えていた。
彼らと入れ替わるようにして、小さな影がノエの前に姿を現す。
――その子供は、ノエのよく見知った顔をしていた。
「だって、誰よりも僕が一番知っているじゃないか。異端者になってしまったら居場所がないってことを」
青銀色の瞳。あどけなさが残る顔は、ノエにとってはつい数年前までは自分の顔に貼り付いていたものだ。
幼かった頃のノエと瓜二つの姿をもつ影はノエを見据え、大人になった自分に向けて、これから立ち向かわなければならない現実を突きつけてくる。
「それでも、僕は彼らを連れ帰るだけで終わるつもりはない。竜の血を飲んでいたとしても、彼らが彼らでなくなってしまったわけではないのだから」
「そうやって、無責任に希望をちらつかせるのは、より深い絶望を与えることになりかねない。それを分かっているのか?」
幼いノエの影は、今度はルーシャンの姿をとっていた。
ことここに至れば、ノエは今の自分がどういう状況に置かれたか、正確に把握できた。
グレンとコーディの再会も、幼い自分やルーシャンからの詰問も、全ては眠りについた己が見ている夢――それが、この場所の答えだ。
ノエの確かな最後の記憶は、無事に山腹にある廃村に辿り着いた日の夜で終わっている。夕食の干し肉のスープと酢漬けの野菜を流し込むように口にしたあと、すっかり疲労困憊だったノエは、細かい状況報告を聞く前に眠についてしまったのだ。
疲れ果てながらも、ノエは自分がこれから出会う被害者たちに、どのように自分たちのことを説明するか悩んでいた。その迷いが、夢という形で表出してしまったのだろう。
これまでの選択が正しかったのか。
これからしようとしていることは、果たして意味のあることなのか。
その真意を問うかのように、曖昧な世界の只中で、ノエの夢に現れた登場人物たちは問答を続けている。
「こんな姿で生きるぐらいなら死なせてくれと、嘆きの言葉を受け取るだけになるかもしれない。お前は、自死の手伝いを望まれるかもしれない」
「……そう、ですね」
「それでも、お前は『生きていてくれ』と言うのか。助けたいと望み続けるのか。それは、お前の勝手な願望にすぎないのではないか」
ルーシャンの姿は、今度はノエの父――ベルナールへと変化していた。
ベルナールと対話したときも、ノエは竜血を飲まされた人が自死を求める可能性を示唆された。
たとえ、竜の血を飲んでしまったとしても、生ある限り生きていてほしい。
生きていれば、きっとその先に続くものがあるのだから。
街に踏み入ることは許されずとも、家族の再会と別離の時間ぐらいは竜に強引に奪われたまま終わりとしたくない。
ノエはそう信じて、攫われた人を助けに行きたいと口にした。
けれども、ベルナールが示したように、全く異なる結末を望む者もいるかもしれない。
異端者であるという烙印を押された時点で、己の生きる価値すら見出せず、悲嘆に暮れてしまう者もいるかもしれない。
憎き竜の血が己に混ざるぐらいなら、命を絶ってしまいたいと願うものがいてもおかしくない。
あるいは、家族に迷惑がかかるかもしれないから、家族に会うわけにはいかないと願う者もいるかもしれない。
それは、イシュガルドで生きる者の文化や生活から外れて育ったノエでは持ち得ない考え方だった。
「……助けたいという気持ちは、確かに僕の勝手な願いかもしれない」
独りよがりの救済になる可能性は、ベルナールに言われる前から知っていた。
ただ助けるだけではなく、被害者のそのさきの未来まで救わなければならない。
仲間の一人であるルーシャンにはっきりと指摘されたときから、単なる行動としての『救出』を成し遂げただけでは、自分の目指す終わりには行き着けないのだとノエも腹を括っていた。
「死を望む人だって、いるのかもしれない。だけど、僕は、命を終えることをよしとする形では終わらせたくない。だから、どうせ自分勝手な救済を振りかざすなら、徹底的にやっていくよ」
最初は迷惑でもいい。そんなことは望んでないと言われてもいい。
「僕のやっていることは、イシュガルドの人にとっては理解できない行為かもしれない。それでも、僕は、生きて彼らを連れ帰りたいんだ」
どうして、そう思うのか。
助けられない人がいたら、自分の『助けたい』気持ちが損なわれる結果になるからか。
だとしたら、やはりそれは自分本位の考えに過ぎないのかもしれない。助けないでほしいと言っている人を無理に助けようとするのは、果たして正しいと言えるのか。
疑問はある。疑念はある。
不審もある。懐疑もある。
だが――今はまだ、俯かない。
「……うん。やっぱり、僕は『それでも』と言い続けられる」
自分の眼前に立ちはだかる影は、いつしかノエ自身の姿をとっていた。子供の姿ではなく、今のノエと全く変わらない姿をした影は、静かに凪いだ瞳で真っ直ぐにノエを見つめている。
これが正しいのだろうかと迷う自分は、どこからどう見ても自分の一側面だ。
目が覚めれば、再びノエは歩き出す。その過程で、己の選択に悩む日もあるのだろう。
けれども、己の迷いすらも己の一部として受け止めて、彼は笑う。
笑えるうちは、まだ歩いていけると信じて。
***
ふわりと意識が浮かび上がり、ノエはゆるゆると瞼を開いた。
覚醒と同時に視界に飛び込んできたのは、薄暗がりの淀みを抱えた石造りの天井だ。体の下からは、硬い木の質感が直に伝わってくる。
ひんやりと冷えた床板は、お世辞にも快適とは言い難く、起き上がったノエは体に走る痛みに唇を歪めてしまった。
上着を布団がわりにしていたものの、やはり野宿は体への負担が出てしまう。それでも、今日は屋根があるだけ僥倖だ。気温もさほど低くない。
夜になると標高の高さゆえにいくらか冷え込んだが、だが、雪が降っていなければ、それだけでノエにとっては大層ありがたかった。
寝起きの頭で、ノエはどうしてこんな場所で眠っていたかを思い出していく。幸い、回答はすぐに見つかった。
「ああ……そうか。昨日は、ランドンを振り切って、廃村に着いたんだっけ。皆と合流して、食事を食べさせてもらって、そこから……」
極度の緊張により疲労困憊になっていたノエは、夕飯もそこそこに、寝床がわりに使われている廃墟に案内してもらい、すぐに寝入ってしまったのだった。周囲を見渡すと、オランローやルーシャンの荷物がいくつか見られる。この建物は、男性陣が眠る場所として扱われていたらしい。
状況を把握してから、ノエは細く息を吐き出した。
(……気負いすぎているのかもな)
思い返すのは、先ほどまで浸っていた夢の様子だった。投げかけられた言葉を思い出すたび、ノエは無言で拳を額に当てる。それは、一瞬でも芽生えた不安を己の中に押し込みなおす儀式のようだった。
「僕は、僕なりにここまで来た理由を持っている。それを忘れるな」
周りから齎される情報は数あれど、初心を覆すほどのものではなかったはずだ。自らの決意を掴み直し、再度、数秒の深呼吸を挟む。息を整え、ノエは軽く両頬を叩き、気合を入れ直した。
被害者たちの意見を聞いた後は、下山を開始することになる。チョコボを使えば、まるまる一日もあれば下山の道のりを踏破できるだろうが、油断は禁物だ。ランドンとて、あれで本当に諦めてくれたとは限らない。
「さて、僕も朝の支度を手伝おうかな」
ルーシャンやオランローがこの場にいないのは、ノエより一足早く起きて朝食の準備をしているからだろう。疲れているだろうからと、起こさずに休ませてくれたのはありがたいが、いつまでも惰眠を貪っていられるほど怠惰ではいられない。
当面の目的を定めて、ノエは防寒具を羽織り直し、外へと出る。
採掘師たちが採石のために作ったといわれている即席の住居から顔を出すと、うっすらと昇ってきた日差しがノエの顔を照らした。
きょろきょろとあたりを見渡すと、かすかに煙がのぼる建物が目に入る。どうやら、あの建物はまだ煙突が生きているらしい。思い返してみれば、昨日もその建物で食事をもらった覚えがある。火を残しておいて、使いまわしているのだろう。
「おはようございます」
建物の中にいるのは、いったい誰だろうか。そう思いつつ顔を出したノエを迎えたのは、
「おはようございます、兄さん」
「おはよう。昨日は随分と疲れていたようだったが、少しはよく休めただろうか」
「おはようございます、旅人さん。朝ごはんはもう少し待っていてもらえるかしら」
最初に聞こえたのは、ノエにとっても馴染み深いオデットの声だ。
彼女のそばには、見慣れない人物が二人いた。
一人は老齢のヒューラン族の男性で、灰色の外套を体に巻き付けるようにしている。その隣にいるのは、ノエと同年齢と思しきエレゼン族の女性だ。栗色の髪の毛を背中に流しているが、この一週間近い野営生活のせいで、市井の女性のような艶は髪から消え失せていた。
年齢と性別を見る限り、コーディが話していた『マルコじいちゃん』と『クララ姉ちゃん』は、この二人のことを指していたのだろう。
「おはようございます。昨日は挨拶もろくにできず、すみませんでした。僕はノエといいます。どうぞよろしくお願いします」
中に足を踏み入れて、ノエが名乗りと共に一礼する。すると、後を追って、二人も揃って頭を下げてくれた。
「ヤルマルさんたちから、君については聞かせてもらっているよ。君が、私たちを助けるために先陣を切ってくれた人だそうだね」
「そんな大層なものではありません。ただ、僕は飛竜に攫われた人たちをそのままにしておきたくなかった。それだけです」
話をしつつ、ノエは手早く三人の様子を観察する。
老爺は鉄の細い棒を使って、火の番をしているようだ。熾火に少しずつ空気を送り込み、煮炊きのための炎を大きくしている。
彼の隣にいるオデットは、保存食の干し肉を小さく切ろうと奮闘していた。塩に漬けられて湿気を飛ばした肉は大層固くなっており、老爺の口では噛み切るのは難しいだろう。そのために、一度細かくして煮込むつもりらしい。オデットの隣に転がっている鍋が、彼女がこの次に何をしたいかを物語っていた。
「オデット、僕がやるよ。オデットは、水を用意してもらえるだろうか」
「ありがとうございます。ルーシャンさんを探してきますね」
鍋を抱えて、オデットはいそいそと外へ出ていく。
昨日は何の疑いも持つことなく、ヤルマルたちが差し出してくれたスープにがっついてしまったが、どうやらその水はルーシャンが魔法で作り出したものらしい。
便利な井戸扱いされて、皮肉の一つでも口にしていそうだと、彼の様子を思ってノエは少しばかり口元を綻ばせる。
「旅人さん……ノエさん、といったかな。一つ、聞いてもいいだろうか」
「はい、なんでしょうか」
質問をした老爺――マルコの隣に腰を下ろし、ノエはオデットが使っていた作業用の板の上で、ナイフを使い、干し肉を切り分けていく。
塩気で入念に水分を抜かれた肉に、簡単に刃は通らない。ノエが指を切らないように、力加減に四苦八苦していると、
「私たちを助けにきたのは、領主様の意向があってのことだろうか。それとも、純粋に君たちの善意からの行動だろうか」
「……!」
その質問がくると、予想していた部分はあった。
けれども、このような空気そのものが穏やかに流れている朝の時間に聴かれるとは思っていなかった。
故に、ノエは一瞬、言葉に迷う。
マルコは火おこしの手をやすめて、ノエをじっと見つめていた。
急かすでもなく。かといって、どうでもいいと思っているわけでもない。
彼の眼差しはどこまでも真剣だ。ただ見つめられているだけでも、体にちりちりとした痛みを齎すと錯覚しそうになるほどに。
「……領主様が、僕たちに頼んだわけではありません。領主様は最初、攫われた人を見捨てる選択をしました」
言葉を終えると同時に、ノエは恐る恐るマルコと、彼の後ろにいるクララの様子を伺う。
領主に見限られたと知って、彼らの心を絶望が巣食ってしまうのではないか。自分の未来は閉ざされてしまったと、泣き伏してしまうのではないか。あるいは理不尽な現状に怒りを覚えて、暴力的な衝動に駆られ、八つ当たりをするのではないか。
そのように危惧したノエとは裏腹に、マルコはひどく静かだった。彼の見せた反応は、小さなため息一つだけであった。
「それを聞いて、少し安心したよ。領主様が異端者を助けようなどと言い出したら、というのがずっと気がかりだったのでね」
「もしかして、予想していたのですか」
あまりに静かに現状を受け入れいている二人に、ノエは幾ばくかの驚きを覚えていた。
「あの方は聡明な方だ。フィリベール様ほどではないと、ご本人は仰っているようだが。それでも、自分が為すべきことを忘れてはいない。そういう方であったと、私は覚えているよ」
領主――ベルナールのことを身近な存在であるかのように語るマルコに、ノエは自身の胸によぎる小さな痛みを顔に出さないように飲み込んだ。今は、父のことをあれこれ考えている場合ではない。それなのに、どうしてもマルコの言葉が気になってしまう。
ノエの逡巡が、マルコにも伝わってしまったのか。彼は目を細めて一度頷くと、
「私は、以前領主様の屋敷に勤める騎士だったことがあってね。もう何年も前に一線を引いた身ではあるが、あの方がどのような考え方を持っているのかなら、大体は想像がつく」
直属の部下のように身近な距離ではなかったとしても、マルコにとってベルナールは町人から見た領主だけではとどまらない関係だったようだ。
ならばこそ、とノエの胸に引っ掻き傷のような痛みが走る。
「……僕が言うことではないかもしれませんが、領主様の判断に不満はないのですか。皆さんは、領主様に見捨てられたことになるのに」
「見捨てられる……確かに、そうなるのかな。でも、仕方ないことだって私は思うの。私だって、竜の血を飲んだ人を街に受け入れるって領主様が言い出したら、きっとものすごく反対しますから」
答えたのはクララの方だった。彼女はヤルマルたちから預かったと思しきパンを、枝に通し、串焼きのようにしてから火で炙っているところだった。その作業を片手間に行いながら、クララは続ける。
「自分が異端者じゃなかったら、竜の血を飲んだ人のことを追い出せって言っておきながら、いざ自分が当事者になったら手のひらを返してほしいって頼むは、流石に虫がよすぎるかなって」
「竜の血を飲んだ者を受け入れる場所などない。そのことを、私とそこのお嬢さんは受け入れている。逆に、それを理解できない者は、異端者たちの口車に乗って、一緒に山を降りてしまったよ」
「領主様は……皆さんを必ず中に入れない、とは言っていませんでした。僕は彼と話をしましたが、領主様自身、まだ悩んでおられるようでした。街に戻る前に、一度連絡して欲しいと、領主様は僕に頼んでくれたんです」
マルコとクララが、諦念に慣れたような発言をするので、ノエは領主であり父である男の決断を正確に伝えようと急いで言葉を重ねた。
ベルナールとて、好き好んで被害者の鼻先で門を閉ざしたいわけではない。
だが、ベルナールは領主である。領主である以上、領主として街で暮らす他の者たちを守る責任がある。だから、彼は迂闊に彼らを助けにいくと言えない。
それらの多層に折り重なった領主の思いを口にすべきかと、ノエが思案している間に、
「……そうか。あの方は、まだ私たちのために悩んでくださっているのか」
「竜の血を飲んだ私たちが、そのような決断を喜んでいいかはわからないけれど……でも、やっぱり嬉しいと思ってしまうわね」
マルコの声にわずかな安堵が混じり、クララも同様に言葉から緊張が抜けていく。
二人とて、街に戻れなくても仕方ないと言いつつも、言葉の裏に、元の生活に戻りたいという気持ちを抱えていたようだ。
「そういえば、ノエさん。自己紹介が遅くなってしまったね。私は、マルコという。そちらのお嬢さんがクララさんだ。コーディについては……どうやら、彼と君たちはすでに知り合いのようだったね」
「はい。孤児院にいた彼とは、旅人の宿泊施設に泊まっていた縁で何度か顔を合わせていました」
「なるほど、そういう縁だったのだね」
マルコは再び火の番を続けながら、老齢の人物独特のゆったりとしたテンポで会話を続ける。
「見ての通り、私たちはあの街の襲撃の際に、竜によってこのような辺境まで攫われてしまった。異端者は、自分たちに協力すれば寝床と食事を保証し、仲間として遇すると言っていた。そして、その言葉に耳を貸した大半の者は、山を降りていった」
マルコの説明は、これまでコーディから聞かされていたものと概ねは同じであった。
ノエの予想していたように、竜の血を飲んだという事実によって八方塞がりに陥ったタイミングを見計らい、異端者たちは自分らが味方であるようにすり込んだらしい。竜の血を飲ませたのが異端者自身であることを考えれば、詐欺のような手法だ。
しかし、竜の血を飲んだ者に居場所はないという、イシュガルドが培ってきた文化と歴史が、街の人たちが離反するきっかけを生んでしまった。彼らは、街に戻ることもできないと思い込み、それならばと異端者の手を取った。
「マルコさんたちは、彼らの意見に反対だったからここに残ったのですか」
「もちろん、それもある。私は、イシュガルド正教を信じてこれまで生きてきた。今更、竜を崇めるような連中と行動を共にすることはできない」
マルコの言葉は、芯が通ったものだった。それに、と彼は続ける。
「彼らの振る舞いを見ている限り、彼らが私のような年寄りや、女子供の体力を気遣ってくれるようにも見えなくてね。もとより、異端者たちは、私たちを『ハズレ』と捉えていたらしい。他の若者たちと比べると、私たちへの勧誘はほとんどなかったほどだ」
「マルコさんは見ての通りのお爺さんですし、コーディくんはまだ子供でしたから。異端者の悪巧みには、体力的にもついていけないと思ったのでしょう。私も、見ての通り屈強な体の持ち主というわけではないもの。筋骨隆々だったら、もしかしたら誘われていたのかしら?」
クララは力瘤を作る真似をして見せてから、くすりと笑ってみせる。深刻になりがちな空気を緩めようと、彼女なりのジョークを混ぜてくれたようだ。
「そういう理由から、私たちはここに残ることになった。このまま干からびて魔物の餌食になることも覚悟していたから、こうして皆さんが来てくれたことは、まさにハルオーネ様がもたらした奇跡のようだと思っているよ。……本当に、ありがとう」
「……こちらこそ、生きていてくださってありがとうございます」
目を細めるマルコに、謙遜と謝辞を述べながらも、ノエの胸の内側がぽっと暖かくなるのを感じていた。
外は相変わらず冷風が吹き荒んでいるのだろうが今この瞬間、ノエはどんな火よりも暖かいものを胸に灯してもらえた。それは、風如きでは到底消せない灯火だった。
だからこそ、今灯してもらった炎を実感できているうちに、ノエは言わねばらなるまいと定めたことを口にする。
「僕は、皆さんを街に連れ帰ろうと思っています。ですが、先ほども言いましたが、領主様は皆様の処遇について悩んでいるようでした。なので……もしかしたら。領主様は皆さんを街に留めおくことに反対するかもしれません」
「…………」
「もし、そうなったら、僕は責任持って、皆さんを竜との争いとは関係ない土地まで連れて行きたいと思っています。その結果、イシュガルドという国から出ることになるかもしれませんが」
言葉に詰まらないように、それでいて自らの言葉を遮られないように。
ノエはできる限り、これまでの旅路で考えていたことを口にしていく。
以前は、異端者をつれた亡命めいた行動は、可能性の一つとして提示するだけだった。しかし、今やこの考えは、ノエにとって欠かせない責任の一つとなっていた。
マルコとクララは、黙ってノエの言葉を聞いてくれている。彼らの沈黙に内心で感謝を覚えつつ、ノエは己の展望をこう締めくくる。
「ただ……それはあくまで、皆さんに生きていてほしいと願う僕の都合です。だから、皆さんが他に望むことがあるのなら、僕の力が及ぶ限り皆さんの希望を叶えたいと思っています。でも……それでも、僕は最後まで、皆さんが生き続けることを望みます」
言葉が途切れると、薪が爆ぜる音以外は何も聞こえなくなってしまった。
ひゅおおお、と吹き付ける山風の音を三度耳にした頃、
「……あの。どうして、ノエさんは私たちにそこまで親身になって考えてくれるの?」
口火を切ったのはクララだった。彼女は焼き上がったパンを串から外すのも忘れて、瞳から何かを見つけられると信じているかのように、ノエをじっと見つめている。
「領主様は、私たちを助けに行かないと判断した。つまり、君たちに直接依頼をしたわけではないようだ。では、何故、ノエさんは私たちを助けたいと言ってくれるのだろうか」
皺が寄ったマルコの瞳は、先ほど同様の穏やかさを保ちながらも、隠しきれない鋭さも帯びていた。おそらく、かつて衛兵だった頃に培ったと思しき眼光の鋭さは、真っ直ぐにノエを捉えている。
(……今度は、僕が試されているのか)
マルコは己が足手纏いになることを自覚している。それゆえに、異端者たちと行動をすることを拒んだ。彼らが自分にとって信用に足らない人物だと判断したからだ。
だが、それはノエたちに対しても変わらない。
リーダーであるノエが、被害者を連れ帰りたいという理由。それが納得できるものでなければ、マルコは動こうとしないだろう。老骨に鞭打って同行した挙句、路傍に捨てられる可能性があるかないか。マルコにとって、それはまさに死活問題だ。
では、なんと言えばこの老爺は納得してくれるだろうか。
逡巡は、一瞬だった。
「僕が皆さんを助けに行きたいと思ったのは――」
賢しい理屈を並べることなど、最初からノエは考えていない。
「見捨てられないと……そう、思ったからです」
明け透けに、己の気持ちを伝える。きっと、仲間たちならば、ノエのこの言葉を聞いただけで納得してくれただろう。
しかし、部外者の二人はそうはいかない。彼らは顔を見合わせると、
「私もお嬢さんも、見ての通りさほど裕福な家の人間ではない。コーディとて、同じようなものだ。謝礼を弾むことはできないだろう」
「お金が目当てなのではありません。お礼だって、無かったとしても構わないと思っていました」
「それはまた、どうしてだろうか」
「皆さんを助けたいというのは、僕が決めたことであって、皆さんが助けてほしいと僕に頼んだわけではありません。押し付けた救済に御礼を求めるのでは、筋が通りません」
御礼を言ってもらえれば、当然嬉しいとは思う。だが、率先して頭を垂れてほしいと望んでいるわけではない、とノエは主張する。
「ただ、僕は受け入れられなかっただけなんです。僕の旅路には関係ないことだったとしても……傷つき、苦しんでいるだろう人がいるのがわかっていて、それを見ないふりをするのは……そんな自分を許容することは、僕にはできなかった」
「だから、助けに行くと決めた。領主様にたとえ納得いただけなかったとしても」
「はい」
短く、しかしキッパリとノエは宣言する。
皺の寄ったマルコの瞳が、ノエを見つめながらゆっくりと数度瞬きをする。この青年の言葉が本当に信用に足るものかどうか、彼は今この場で吟味しているようだった。
「……どう思うかね、クララお嬢さん」
「私は、信じてみてもいいと思うわ。この山に、ずっといる理由もないもの。それに、こうして食事までわけてもらったのに、ノエさんたちの言葉を聞かないっていうのは、それこそ筋が通っていない。そうでしょう?」
「そうだね。私も……彼は私たちの命を預けてもいい人物だと思うよ」
マルコとクララの会話を聞いて、ノエは知らず知らずのうちに強張っていた体が緩むのを感じた。
もし、このままノエたちに不信を抱き、山から降りないと主張されたら。そんな最悪の結果に至らずに済み、つい安堵の息が小さく漏れる。
「試すような真似をして、悪かったね。私たちは見ての通り、旅人にとってはお荷物にしかならない。おまけに、竜の血を飲まされたせいで今では異端者の仲間入りだ」
「ですが、マルコさんもクララさんも、率先して誰かを傷つけようと考えているわけではありませんよね。なら、僕は皆さんを異端者と呼びたくはありません」
きっぱりと告げるノエに、今度こそマルコもクララも驚きで瞳を丸くした。
生粋のイシュガルド人である彼らにとって、このノエの発言こそ想像の外にあるものだったようだ。
「領主様や街の人は、あなた達を異端者と呼ぶかもしれません。ですが、僕にとっては、竜の血を飲まされただけの皆さんを、異端者だからという理由で異端審問官に突き出すのは……正しいこととは思えないんです」
ただヒトとして平穏に暮らしたい。そう願う彼らを、ノエは『異端』とは呼べないと断じていた。
だから、街が彼らを受け入れないのならば、彼らが受け入れられる環境を探したいと話した。ノエの手が届く範囲は狭いが、三人が未来に至るまで笑って暮らせる場所を探すぐらいならできるはずだ。
「……どうやら、ノエさんは随分と責任感が強い人のようだ」
マルコは目を細め、ゆっくりと何度か頷く。
「年寄りとしては、少々それが強すぎやしないかと心配になってしまうがね。でも、今はあなたのその責任感の強さに甘えさせてもらおう」
「では、僕らに同行することに、了承いただけたと考えてもよいでしょうか」
「ああ、もちろん。……どのみち、先ほども言ったように、ここにいても干からびて死ぬだけだった。私のような年寄りなら、それでも構わないが、そちらのお嬢さんや子供まで同じ目に遭うのは忍びない」
「あら、マルコさんも一緒に来るのよ。お孫さんに会いたいって言っていたじゃない」
「それを言うなら、お嬢さん。あなたもお祖父様やご両親に会いたいと話していただろう。武器屋の看板娘がいなくなってしまったら、あのいかめしい顔の祖父だけではまともに経営できない、と言っていたのはお嬢さんのほうだろう?」
マルコが何気なく口にした言葉を聞いて、ノエはハッとする。
「あの。クララさん、一ついいでしょうか。もしかして、あなたのお祖父様がいらっしゃるのは、街のこのあたりにある武器屋でしょうか」
街を旅立つ前に立ち寄った武具を扱う店で、ノエは一人の老爺に孫娘の救出を依頼されていたおとを思い出す。
ノエが店の特徴について説明すると、ゆっくりとクララの顔に驚きがよぎる。
「え、ええ。そうよ。どうしてあなたが知っているの?」
「武器を扱っていたお店の店主さんに頼まれたんです。攫われた孫娘を、どうか連れて帰ってほしいと」
「……!」
はっ、と鋭く息をのむ音が響く。同時に、クララの瞳に、じんわりと透明なものが溜まり、一粒ゆっくりと頬を伝って落ちていった。おじいちゃん、と掠れた声がつぶやくのを、ノエの耳は聞き逃さなかった。
やがて、彼女はゆっくりと数度瞬きをして、すんと鼻を鳴らしたあと、
「……そういうことなら、ちゃんと家に帰らないとね。おじいちゃんのことだから、心配で夜も眠れなくなっていそうだわ」
強がりにも聞こえるその声は、かすかに震えていた。は、と吐き出した息にも、隠しきれない乱れが混ざっている。
だが、その場にいる誰もが、クララの胸中によぎったであろう感情については触れなかった。
「では、クララさんも出立のための準備をしてもらえますか」
「ええ。といっても、身一つしかない身軽な身よ。でも、チョコボたちの邪魔にならないようにもっと減量しようかしら」
「いえ、その必要はありませんよ。チョコボは二人乗りにも耐えられるものを用意しましたから」
「ノエさんや。そこは、減量の必要がないほどにあなたは十分ほっそりとして美しい、というものだよ」
マルコに指摘されて、ノエは「しまった」と驚きと苦笑いを顔に浮かべる。それを見て、クララがくすくす笑いをこぼし始めたので、遅まきながらノエは自分が揶揄われたのだと気がついた。
(でも、クララさんが笑ってくれた。よかった……まだ、彼女が笑える人のままでいてくれて)
彼らの心は、絶望に浸かってしまったわけではない。たとえ、門前払いを食らったとしても、この二人なら、命を終わらせるのではなく、命を繋ぐ選択肢を受け入れてくれそうだ。
己の勝手であるとわかりつつも、二人の未来に明るいものを見出して、ノエが安堵したときだった。
「ノエさん。我々の下山の前に一つ、話をしてもよいだろうか」
「はい。どのような話でしょうか」
「私たちを誘拐した異端者たちについてだ。この件について、私たちが直に領主様の耳に届けるのは難しいだろう。だが、どうやら、ノエさんは領主様とやりとりをする手段を持っているようだからね。我々に代わって伝えてもらえると嬉しい」
マルコたちは己の立場を受け入れた上で、街の今後のためにも自分たちが得た情報を渡したいと考え、このように切り出してくれたらしい。つくづく、どうしてこのような献身的で善良な人物を飛竜は攫ったのかと、ノエは苦い思いを心の隅で滲ませてしまう。
「それなら、他の仲間が合流してからでもいいでしょうか。彼らも、異端者たちが何をしていたのかは気にしていましたから――」
そう話した瞬間、ノエのお腹のあたりからぐるぐると獣の呻き声のような音が響いた。思いがけなく轟いた腹の虫の音に、数秒間を置いてノエの顔に羞恥の紅がさす。
「はっはっは。どうやら、先にお腹を満たさなければならないようだね」
「そうね。そろそろ、お嬢さんが水を持って戻ってくる頃かしら。まずは、ご飯としましょうか」
ノエが切り取った塩漬け肉を受け取り、マルコは用意していた鍋に並べていく。
「ノエさんは、他の方を集めてきてもらえるだろうか。料理は私たちの方でしておくよ」
「はい。それは構いませんが……マルコさんたちも、最近まで食事がとれず、お疲れだったのでしょう。休んでもらっていてもいいんですよ」
「それはそうだがね。昨日、君たちの仲間から食事も分けてもらえた。久々に獣に怯えずに、暖かな上着を被って眠ることもできた。だったら、今度は続く大仕事の前に、体を動かしておかなければね」
「そういうこと。山を降りている最中に体力不足でバテました、なんてなったら、いくら助けてもらっている側でも流石に申し訳ないもの」
そう言うと、クララはノエに立つように促す。ついでに、彼女が焼いたパンの一つをもらって、ノエは廃墟の一つから外へと出た。
話している間に、すっかり日は昇り、山嶺の隙間から眩しい光が降り注いでいる。
木の少ない山々の向こうから降り注ぐ曙光を浴び、ノエは大きく体を伸ばした。凝り固まった体がほぐされていく程よい痛みに、思わず声にならない声を漏れる。
――まずは、第一歩。
目的地に辿り着いても、自分の決めた道は終わりではない。むしろ、ここからが本番だ。
竜の目を掻い潜り、無事に彼らを街まで送り届ける。続く道並みの険しさを思い、ノエは今一度、大きく息を吸い――吐き出した。
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