コーラル発酵中テキサスシャーク
2024-08-22 00:00:10
3574文字
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「雪を、見に行きませんか?」

ねこたさん宅のヴェロニカちゃんとペイターが本編Chapter3とChapter4の間に雪を見に行くだけの話。


「えー……と?」

 上司であるヴェスパーの第8隊長ペイターの唐突な言葉に、ヴェロニカ=グラウ=ハイゼンベルグは戸惑いの色を隠せなかった。

 戦火燻る辺境の開発惑星ルビコン3。
 競合企業と新資源をめぐる争いを続け、遂には宇宙全体の治安維持を目的とした惑星封鎖機構とも敵対するに至る。
 封鎖機構が持ち出した巨大兵器との激戦の末、勝利したのは企業陣営だった。

「このタイミングで、ですか……?」
「このタイミング、だからこそです」
 
 ヴェロニカは思わず顔をしかめた。それはあまりにも急な話である。
 
 競合企業であるベイラムとの一時停戦協定は既に解かれ、集積コーラル調査は再開。早々にベイラムは例の巨大兵器が防衛していたかと思われる巨大地下施設へ突入していると、早朝のブリーフィングで嫌というほど聞かされたヴェロニカは、ただ頭を傾ける。
 
「発言の意味が不明です。それに雪って……
 
 彼女はおずおずと視線を窓の外へと滑らせた。

 叩きつけるような白いカーテンが、アーキバスが占領した古い基地の小さな窓を覆い尽くしている。外の光景とは完全に遮断され、まるで白いだけの世界に置き去りにされてしまったかのような錯覚。それは忍び寄る冷気のようにヴェロニカの繊細な精神を凍えさせ、コバルトグリーンの瞳に影が差す。
 
「何か問題でも?」
 
 ペイターは体をかがめ、ただ戸惑うヴェロニカの顔を覗き込んだ。彼の吐息が彼女の柔らかな頬に触れ、小さく肩が跳ねる。
 来るコーラル争奪戦に備え慌ただしい基地内では、常に喧騒がどこからか反響していたはずなのに、この2人の視線の交わる間だけは静謐が支配していた。
 
「問題は……
 
 そこから先の言葉が喉で痞え、澱む。ヴェロニカはしばし目を伏せ逡巡するが、やがてその艶やかな唇の間から嘆息を漏らす。

「わかりました……
 
 断る理由はこれと言ってない。業務に関しても、傭兵起用担当補佐としての仕事は件の独立傭兵の動向に目を光らせる程度なので、変わりはいくらでもいる。
 そう、断る理由など無い。二面性と呼べるほど思考の切り替えが早いペイターの強引な行動もよくあることだ。
 
 約束を取り付け、上機嫌なペイターの背。それを見送るヴェロニカの胸中に渦巻く暗雲。
 ヴェロニカはいよいよルビコンでのコーラル探査が大詰めになる事に、喜びよりも不安を募らせていた。

 ここからは情報の一切無い地下施設の探査だ。
 先行したベイラムとの交戦は避けられないだろうし、封鎖機構の特殊兵器が眠っていないとも限らない。

 そもそも、彼女にはコーラルがそこまでして得るべきものとは思えなかったのだ。

 アーキバスグループ強化人間部隊ヴェスパー第8隊長、その責務を負う彼も準備が整い次第、全貌の見えぬ地下へ出撃する。
 単なる傭兵起用担当としての役割しか持たないのなら、前線に立つ必要など無かったのに。アーキバスの効率を重視する組織構成と、二重の責務をこなすことが出来る彼の優秀さが今になって恨めしい。
 彼女とてペイターの補佐官としての役割はある。だが、危険な前線と安全な後方は、あまりにも遠い。生きる場所そのものが違うのだ。

 彼の手を引いて逃げ出してしまいたい。責任も、義務も、あらゆるものを捨て去って、こんな火種しかない星から離れたいと彼女の心は無声で叫ぶ。
 せめて戦う力があれば、その隣に居続けることが出来るのに。
 ただ一介の職員でしかない自身の無力さを呪うことしかできず、彼女は苦く下唇を噛んだ。

 
 

 ◇◇◇

 
 

「やっぱりやめた方が……
 
 慣れない重厚な防寒具に競合企業大豊のような豊満な胸を無理やり押し込んだヴェロニカは、外へとつながる隔壁の前で足を止め振り返る。
 こんなことをしている場合ではないと、社員としての自覚が彼女に罪悪感を生じさせていた。
 それに加えて、心を覆う暗雲が重く彼女を引き留める。恋慕の情を抱く青年がこれまでにない戦闘に身を投じると思うと、胸が張り裂けそうになる。

「その姿も十分素敵ですが、私としてはもう少し前を開けて欲しいですね」

 そんな彼女の心情を知るや知らずや、爽やかに笑うペイター。しかしながら高所から向けられるその視線は、彼女の視線と交わらない。ヴェロニカは少し違和感を抱くも、彼の視線の先が自身の胸部に向けられていることに気が付き、小さく黄色い声をあげた。
 もじもじと躊躇するヴェロニカの仕草と、重圧にはち切れそうな防寒具が合わさった姿は実に煽情的であり、ペイターはその無自覚な無遠慮さで素直に感想を述べたのだった。

「じゃあ、行きましょうか」
 
 羞恥に狼狽えるヴェロニカの手を引いて、ペイターは隔壁を開けた。
 
 視界に光があふれ、反射的にヴェロニカは目を細める。次いで身を切るような冷気が肌に突き刺さった。
 彼女の不安を映し取ったような悪天候はすっかりなりを顰め、光が純白の荒野を舐める。

  ルビコン中央氷原の朝。天候は晴。 

 喧噪も、争いの痕跡も見えぬ、生命を拒む美しい白銀の地平。何もない世界に、ヴェロニカは感嘆の声を漏らした。
 
「封鎖機構も撤退しましたし、焦るベイラムに横槍を入れる余裕などありません。休暇申請も通っています」
 
 彼の言葉に推され、ヴェロニカは恐る恐る白い絨毯の上に足跡をつけた。
 踏み出した足元からは小気味の良い音が響き、分厚い野外用の靴底を通して軽い触感が伝わってくる。久々の人工物で無い、天然物の地面の感触だ。
 
 ルビコンでは封鎖機構が衛星砲で睨みを利かせていたため、嗜好品はともかく弾薬すら土着の企業から買わざる負えない状況が続いていた。

 娯楽もその例に漏れず、陰鬱な天候に滞る物資配給もあわさって、メンタル不調に陥ったものも少なくない。気分転換をしようにも、寒冷化による悪天候続きに連日連戦となれば何もない基地に籠る以外の選択肢は無かった。
 事務員であるヴェロニカもその例に漏れず、見渡す限り広がる白亜の世界は抱えていた不安を一時的にも忘却させるだけの刺激となったのだ。
 
……きゃっ」
 
 吹き込む強風に積もった雪が砂埃のように舞い上がり、冷え切った空気が肺に流れ込んだ。野外に慣れないヴェロニカは思わず咽せる。
 そのまま鋭い冷気が彼女の体温を奪おうとするので、ペイターは強く彼女の柔らかな体を引き寄せた。

「大丈夫ですか?」
「えぇ……

 景色に溶け込むヴェロニカ淡い彩色の髪越しにその頬に彼の大きな手が触れ、頬にさっと朱が昇る。

 上気した瞳は、寒さだけが原因ではないだろう。ペイターは彼女の防寒具に被さった雪を払い落すと、再びその手を握り歩き出す。
 
 無機質で、清涼な二色の世界。
 時折吹下ろす冷たい風が無ければ、時が止まってしまったかのように錯覚してしまう。ルビコンに来てからというものの、矢のような日々を過ごさざるを得なかった。
 こうして二人きりで過ごす時間は随分と久しい。

 さくり、さくりと2人の足跡だけがどこまでも続く銀世界へと刻まれていく。
 その事実を、この時間を、二人は噛みしめる様に刻んでゆく。
 
 ただ緩慢に歩み続けるヴェロニカとペイターの間に言葉は無い。ただ互いの存在のみを感じ、確かめ合うだけの時間が続いた。
 
 企業にコーラル。ほんの一時だけだが争いの重圧から解放されたヴェロニカは、自分の手を引いて進む大きな背を愛おしく見つめた。
 
(このままどこかに逃げ出せたら──)
 
 そんな思いがふとヴェロニカの頭をよぎるが、彼女はその思考を振り切る様に目を伏せた。

 彼には責任と義務がある。
 若年ながら部隊長を任される優秀な彼の肩には多くのものが乗っている。
 そして彼は常に職務を全うする人物であることを、彼女はよく知っている。 

 もし彼と共に逃亡を選んだとして、その先に何が待っているのか。向上心の強い彼の経歴に泥を塗るだけではないか。
 
 あまりに無力。今ACを渡されたところで足手纏い以外の何になるか。
 だが、自分の仕事を思い出せ。
 彼の補助。後方要員としての能力が、義務がある。彼が背負う責務に比べれば余りにも小さいものだが、何も出来ないというのは誤りだ。

 せめて、出来るだけのことを。
 
 胸の内にわだかまる靄のような感情は消えることは無いものの、はっきりと彼を支えることを選択した彼女は、つながれた手を強く握り返した。
 
「幸運を、V.Ⅷ」

 ぽつりと口を出た彼女の祈りは、白い息となって青い空へ消えていったのだった。