出発前、警戒はすれども襲撃を受けている最中ではないのだから脳波接続はしなくてもいいと碧に言い聞かせ、比較的無事な形を保っている幹線道路を選び、滑るようにオルトスを走らせていく。
一体何が目的なんだと訝しげな碧だけど、オルトスに乗ってこんなにも落ち着いていられるのは開戦後初めてだと気付く。いかにあの脳波接続が自身に負担を与えているのかを思い知らされ、気が滅入る思いだが、同時に、この技術でなければ奴らに対抗することができない、己のちっぽけな脳みそだけがこの戦線のクモの糸だという矜持が碧の精神を支えている。
多くの命がこぞってしがみつくこの糸が断ち切られることは許されない。
不意に鳴り響いたアラートが碧の意識を現実に戻す。まさか襲撃かと頭上のモニターを振り仰いだところで、いままで見たことのない警戒メッセージに目を見張った。
【上部ハッチが開放されました。直ちに閉塞してください。】
通常、TSが稼働している最中にハッチが開放されることはない。だからこそ、こんな表示は見たことがなかった。オルトスに関しても同様で、それこそ最初にオルトスに搭乗した横田基地で簡単に受けた口頭説明でしか触れられなかった、TS乗りには常識のあり得ない事態である。
なぜ、どうして、故障か、と思いつく原因を一通り脳内で巡らせて、ある意味最も可能性の高い原因の一つを思い浮かべる。
単純なことだ。コーパイロットである己の頭上のハッチが閉じたままなのだから、開いているのはパイロットのものだ。
「あのバカッ、一体何やって」
ゴンゴン
悪態をつきながらオルトス1に通信を繋ごうとしたその時、己の頭上から硬く、重く、鈍い衝撃音が2回。
ノックのつもりのようだが、これほど物騒な音で「入ってますか」と問いかけられて返事をする者など居ないだろう。なんのつもりだとじっと様子を伺っていると、焦れったそうに再びノック音が鳴った。
スミスが外で待っている。
いますぐ怒鳴り返してやろうと吸い込んだ息は、そのまま喉元で止まった。
パイロットが外にいるのに、オルトスが走り続けている?
碧は血の気が引く音を初めて聞いた。もちろん幻聴だし、なんならこの度の戦争では何度も感じたが、そのたびに初めて感じる気がしている。
オルトスは性質上、自動運転機能を有していない。
いったいどんな改造をしでかしたのだこの新米上司は。そもそもオルトスの科学部隊にバレずにできる改造なんてあるのか。
後からバレたら全部こいつのせいにしてやると固く心に決め、大げさなくらい大きなため息をひとつ落とした碧も、アラート音を無視してハッチを手動開放した。
碧の目に飛び込んできたのは、真っ青な青空をバックに、いまにも振り下ろされんとしていた巨大なスパナの先端で。
なるほど、これで殴られたら一巻の終わりだなと冷静に判断し、いまは日本にいる馴染みのメカニックが使用するコミカルな様子まで一瞬で思い描いていた。
「おっ!やっと出てきたかー!一度のノックで出てこないだなんて、モグラみたいだなアオ三尉!」
声の出どころは予想していたよりもはるか前方のパイロット用ハッチからで、長いスパナを片手で振るうスミスは胸元から上を飛び出させ、オルトスメインカメラの脇を通っていまにもこちらににじり寄ってきそうなほどに身を乗り出していた。
「何やってんですか中尉!というか、それだけ身を乗り出していて何故オルトスが走行できているんですか!?」
いったい何をやったんだ!と叫ぶが、相応の向かい風のせいか、風上のスミスまで声は届いていないようだった。
スミスはヘルメットまで外しており、強風に乱れた金髪がきゃらきゃらと光り暴れている。
機内で無線通信をしたところで、きっと返答はこなかったことだろう。
「何を言っているのか全然聞こえないが、機械の操作なんて究極はアナログなのさ!」
「聞こえてんじゃねーか!!」
すかさず突っ込みを入れるが、スミスはただただ大声で笑うばかりで、本当に聞こえているのかどうか真相は謎である。
だがオルトスの現状についてはおおよそ予想がついた。
おそらく何かの重しやロープでアクセルを固定している。なんてアナログな方法なんだ。
しかも、ちょくちょく前方を振り返り器用にがれきを避けて操縦桿を操作しているのは、おそらく足だ。
日米合同研究の、人間の英知の結晶の、人類の最後の命綱の、そのハンドルを。足蹴にしている。なんて男だ。なんて器用な男だ。
(これバレても本当に始末書で済むのかよ)
碧の口からはもう乾いた笑いしか出てこなかった。
いくつかの瓦礫を器用に避けて見せた男は、ようやく乗り出していた身を前方に向けた。
満開の笑顔がオルトスのメインカメラの向こうに消えたことで、混乱していた碧の気持ちも多少落ち着いた。
この上司に出会ってから自分の心は乱されっぱなしだ。よくも悪くも。
「なあ、アオ!海を見てみろよ!ワイキキの海を!」
声に促され、幹線道路右側に広がる砂浜とターコイズブルーの海を遠く眺める。
平時ならば観光客であふれかえっていたはずの海岸線は、戦火の跡をいくつも残しながらも、静かに寄せて引く波だけは変わらずそこにあった。
日本からの長い船旅を経てハワイに到着していた碧にとっては、オアフ島の海は広大な太平洋の延長であり、終点でしかなく、感動もなにもあったものではなかった。
オルトスを動かすためだけに連れてこられただけの自分にとって、ハワイも、オアフ島の美しい海も、何も感じ入るものはなかった。
「ヘルメット外せよ!君の目で見るんだ!」
おとなしく従う気にはなれなかったが、これも上官命令かとあきれながら、バイザーを上げる程度にとどめた。
レンズ一枚越しに眺めていた景色が、自身の裸眼の目に飛び込んでくる。
太陽光を反射し鈍色に輝く波が脳裏に焼き付く。
耳元を走り抜ける風音の向こうでさざ波の音が聞こえそうなほど、美しい情景が広がっている。
「きれいだよな!君と!俺と!ATFのみんなで守り抜いた、世界だ!」
スミスは眩しそうに眼を細め、水平線を遠く見つめている。
ハッチに片肘をかけくつろぐ姿はオープンカーを華麗に乗りこなす様を連想させた。相変わらず絵になる男だ。
この景色を自分に見せたかったのだろうか。
皆で守った美しい世界を見せて、結束を高めたかったのだろうか。
そんなことしなくても自分は折れないから大丈夫なのに。
「きれいなのはわかったから!そろそろ戻りましょう中尉!」
風圧に負けないように叫んだが、視線を海に向けたまま、スミスは振り返らなかった。
本当に聞こえないのだろうか。だが、いつまでもこうしてセンチメンタルに過ごしているわけにもいかない。
「ルイス・スミス中尉!そろそろ帰投しなければ」
「なあ!」
話している最中に向こうから声を掛けられる。
こちらの声が届かないのなら、おとなしく聞き届けるしかないのだろうと、碧は口をつぐんだ。
「俺は風上にいるからさぁ!君の声は何にも聞こえないんだ!」
「さっきから無視されてるからな」
「だからさぁ!いまここでアオが何を叫んでも!誰にも届かないんだよ!」
「急になにを」
「泣きわめいても誰も助けに来ないんだぞー!」
「悪役のセリフじゃねーか」
「いまの君は世界で独りぼっちだから!怒っていい!悲しんでいい!」
スミスの言わんとすることがだんだんわかってきて、同時に、鼻の奥のほうがつんとしてきた。
日本からひとり連れてこられ、ここまでずっと我慢してきた様々な感情が、喉元までせりあがってきて、いまにも吐き出してしまいそうだ。
「誰にも君の気持ちはわからない!計り知れない!俺にだって、だから!!」
「……気の使い方がへたくそすぎるだろ」
しかし幸いなことに今の自分は世界にひとりぼっちらしいので、誰にごまかす必要もないのだと言い聞かせ、碧は被っていたヘルメットにおずおずと手をかけた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.