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ひるね
2024-08-18 03:22:46
4345文字
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犬とオオカミの時間
泣いちゃうリー君と指揮官
※指揮官の性別不設定です。
※ちょっと仄暗いです。
「リー、ただいま」
傘もコートも持ってなくて濡れちゃった〜。と緊張感のない声と共にドアが開いた。そこには濡れ鼠になっている我らがグレイレイヴン隊の指揮官。
「もうすぐ帰るよ」と指揮官から帰宅時間を通知された僕は、忠犬のように指揮官の自室で主人の帰りを待っていた。指揮官がレイヴン隊を離れたのは2週間前だった。ハセン議長から指揮官だけに言い渡された極秘任務で、隊員にも内容は明かされていなかった。目の前でのらりくらりと軽口を叩く指揮官は少しやつれており、睡眠も十分に取れていないようだ。僕は気づかれないようにこっそりため息をつく。
指揮官の足元には既に水溜りが出来始めている。空中庭園の天候は自動調整されていた。主に晴天に設定されているが、地球での生活を忘れない為に数日に一度だけ雨が降る。同様に、真夏や雪が降る日もわずかだが設定されていた。もういい大人なんだから、降水予定時間を調べるなりどこかで傘を調達するなりすればいいのに、この人はそれをしない。勇猛果敢なグレイレイヴン隊の指揮官は戦闘以外はからっきしで、主席指揮官なんて呼ばれているけれど、実態は年上のくせに何だかふにゃふにゃしていて面倒くさがり屋で危なっかしくて。出鱈目でわがままで奔放で。
…
僕がついていないとダメなのだ。そこまで考えて、思わず僕は頭を抱えた。意識海がぐわんと乱れる。最近の僕は、どうにもらしくない。
指揮官は苦虫を噛み潰している僕の眉間をぐりぐりと押しながら、「リーの百面相〜」とニコニコしていた。
「一体誰のせいだと思っているんですか。床がびしょ濡れじゃないですか」
そう小言を伝えると、「だってリーに早く会いたくて」と、可愛いことを臆面もなく言われ口元が緩んでしまう。危ない。意識海の表面温度が急上昇する。ゴホン、と咳払いで誤魔化した。本当は濡れているのなんてお構いなしにすぐに抱き竦めてしまいたいのに。
「
…
ちょっとそこで待っていて下さい」
大股でバスルームに行って、バスタブの蛇口を全開にする。お湯の温度を確かめ大判のタオルを掴んで指揮官の元へ戻る。
「ブーツを脱いで」
「はーい」
「次はコートを」
「はーい」
「
…
残りの服も、」
「濡れてて面倒臭い。リーが脱がせて?」
「
………
」
軍用ブーツと靴下だけ脱いでバンザイした指揮官が、僕が服を脱がしてくれるのを待っている。キラキラとした瞳で見つめられ、ぐっと言葉に詰まる。僕がこの視線に弱いことを指揮官は熟知している。正直面倒臭い。さすがは人
——
もとい、構造体たらしの人間の皮をかぶった悪魔。この指揮官に懸想している輩は両手では足りない。よりにもよって、何でこんな人を好きになってしまったのだろう。ああ、僕は本当にどうかしている。大きなため息が出た。
「あれ?2週間ぶりに会った恋人に対して、何だか冷たいなぁ」
「
…
十分過ぎるほど甘やかしていると思いますが?」
ムードもへったくれもなく、追い剥ぎの様に指揮官の服を脱がせてバスタオルで簀巻きにする。そのまま荷物のように肩に担いでバスルームに向かう。
「ちょっとリー君」
「あなたにはこれがお似合いです」
くすくすと楽しそうに笑う指揮官を、適温の湯船に放り込み風邪を引かせないように十分に温める。シャンプーや洗体も隅々まで行う。甲斐甲斐しさに我ながら涙が出そうだった。指揮官はもこもことした白い泡に包まれて、気持ち良さそうに目を閉じている。全てを僕に委ねているその姿を見て、この人は僕だけのものだと再認識する。湯上がりにドライヤーで髪を乾かしていると、指揮官の長めの前髪が気になってしまった。
「髪が少し伸びましたね」
「そうだね、最近忙しくて整えてる時間がなかったから。
…
今カットする?全部乾かさない方がいいかな」
指揮官が半乾きの前髪を一房持ち上げる。鏡合わせにドライヤーを持つ僕と、指揮官の視線が交差する。硬質な銀灰色が、前髪の隙間から僕の動向を観察している。よく神秘的だと評価されるその眼差しは(黙っていれば、だが)柔和な口調とは裏腹に意思の強さを窺わせる。鏡の中の指揮官が小さく僕に微笑んだ。
「今は止めておきましょう」
「そう?リーにお願いしたかったけど、明日は休日をもぎ取ったから切りに行こうかな」
「
……
気が変わりました。鋏を持ってきますので、少し待っていてください」
「急にどうしたの」
「明日が休日だとは知らなかったので」
“指揮官の休日”は特別な日だ。それは滅多に訪れるものではない。そんな貴重な日に、たかだか前髪一つでこの人の時間を無駄にしたくない。
「あなたは僕と一緒に過ごすべきだ」
「おお、随分と積極的!」
「茶化さないでください」
鋏とタオルを用意している間、
「いやでも、リー君。前髪はとっても重要だよ?これ一つで印象が全て変わってしまうからね」
と妙に熱弁を奮っている。
「そうですね、騒ぐと手が滑って思わずうっかり前髪ぱっつんにしてしまうかも知れませんね」
棒読みで言う僕に指揮官はニヤリと笑う。
「例え前髪が千切れていても、君は私を愛してくれる?」
「どうでしょうね?皆目見当も付きません」
「何それ冷たいな〜」
「ご命令とあれば」
「
…
はあ、やっぱり止めとく。大人しくしてます」
どう頑張ってもつれない返答の僕。ついに諦めた様子でしおらしくする指揮官の姿が何だか可愛くて、思わず手が滑ってしまいそうになる。危ない危ない。
指揮官はあまり目元を露わにするのを好まないため、前は1cm程でやめておくことにした。サイドや後ろ髪も軽く整えた後、切った髪をドライヤーで払い落とす。我ながら中々の出来だった。後片付けをしていると、指揮官が襟足をさすった。
「うーん、何か少しチクチクする
…
」
「もう一度髪を洗いましょう」
「次はリーも一緒に入ろうよ」
指揮官はバスローブを脱ぎ捨ててから、僕の着衣を解こうとする。僕はやれやれと肩を竦めてまた湯を張り直した。二人で入るには狭い洗い場で、先程僕がした手順をなぞる様に指揮官が泡立てたスポンジで僕の背中を洗ってくれる。汚れを落とす以外の理由での洗体なんて今まで必要無かったけれど。絶妙な力加減で僕の髪を洗ってくれる指先がとても心地良くて。髪質が硬いのを良いことに、シャンプーの泡で変な髪型を作って遊ぶのをされるがままに眺めた。
その後のぼせるには程遠い湯量のバスタブに交互に浸かった。上がってから髪を乾かし合い、僕が指揮官の為に用意した食事を一緒に摂って、挽き方を覚えたコーヒーを淹れる。備え付けの固いソファは良い座り心地ではないけれど、二人で狭いそこにぎゅうぎゅうに収まっている時間がとても好ましくて、大切で。僕にとっていつしか尊いものとなっていた。ええと、こう言う時は何と言えば良いのだろう。
「
…
リー、泣いてるの?」
「
…
え?いえ、すみません。これは
…
」
「君は時々、私以上に人間らしいね」
僕が泣いている?いや違う、これは涙などではない。視覚モジュールを調整するための排水。人間と同じただの生理現象だ。苦しい言い訳をする僕に、指揮官がくすりと笑った。その表情がとても柔らかくて。僕はまた胸を衝かれてしまうのだ。小さな傷跡が残る指先が、そっと僕の涙をなぞる。
そう、確かこれを幸せと言うのだ。僕を僕たらしめる意識海が漣のように揺れる。排熱システムが間に合わない。全身が小さく震えてしまう。僕はこの人を愛している。どうしようもないほどに。もう手遅れだった。僕は指揮官と今こうして共に在れる幸福感に浸る。けれど一方で、人間と構造体と言う決定的な断絶に慄いてしまう。僕の裡から湧き上がる暖かな感情。でも、これは本当に僕の感情なのだろうか?プログラムされたものでないと、どうして言える?あまりにも向こう見ずで浅はかで。思い知ってしまうのだ。この人の熱を求めて抱き合う度に。全てが満たされて一緒に眠りに落ちる度に。指揮官の全部が欲しいと、僕の全てを受け入れて欲しいと希わずにはいられない。
指揮官の親指が僕の顔に触れる。リー、怖がらないで。そう囁かれて瞼にキスされた。
「僕は、あなたを愛しています」
「知ってるよ。私も君を愛してる」
「だけど、あなたはきっと僕を置いて先に逝く」
「はは、分からないよ。君の方が先に壊れるかもしれない」
「そうなったら、あなたが止めを刺してください」
「
…
うん、随分難しいことを言うね」
僕は指揮官を抱え上げ、ベッドへ運んだ。
「どうしたら、あなたの心の奥底まで入れてもらえますか?」
「君の全部を受け入れてると思ったけど、まだ足りない?随分と貪欲だなぁ」
あなたの奥底の柔らかくて硬い、芯の部分までもっと入りたい。その場所は冷たいだろうか。温かいだろうか。指揮官が僕の胸に耳を当てた。あるはずの鼓動はそこにはない。ただの駆動音と循環液が巡る音がするだけだ。
「
…
どうすればご機嫌が直るかな?私のかわいい王子様」
「生憎と眠っているようです。
…
キスをすれば起きるかも」
嘘をついた。触れるだけの口付けなんて、それだけでは全く足りない。指揮官の唇をこじ開けて指を入れる。白い犬歯がチラリと見えた。僕は歯列を弄ってから指先で口蓋を擦った。後ろに逃げる舌を捕まえると、鼻からくぐもった息が洩れた。唾液が顎先を伝い、ぽたぽたとシーツに落ちた。指揮官の瞳が僕を射抜く。静謐の中に浮かぶ、歪な熱に掻き乱されていく。
——
何が正しい?
僕は一体どうしたいのだろう。今のこの瞬間にも、誰かが命を燃やしている。どこかで戦って死んでいる。
「リー、何も考えるな」
指揮官が僕の膝の上に跨って、優しく囁いた。僕は指揮官のバスローブをはだけさせた。背骨の一本一本を触れるか触れないかの力加減でなぞる。弓形にしなる体。ゆっくりと沈めた中指の熱さが。狭くて。もっと拡げて。もっと奥まで揺さぶって。絶頂と連続する小さな死。ただの生命を繋ぐ真似事。体は一つに繋がれても、完全な一つには永遠になれはしない。けれど、僕を受け止めてくれるあなたの熱がとても近くて。優しく名を呼んでくれるあなたが心底愛おしくて。また泣いてしまう僕を、どうか許して欲しい。
「君が望むなら、一緒に心中しようか」
指揮官が綺麗に笑った。僕の震える指先は絡め取られ、指揮官の心臓の真上に置かれた。力強い脈動。
もっと触って。もっと奪って。痛いくらい強く刺さって。そうしたらきっと、やっとあなたと一つになれる。
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