溶けかけ。
2024-08-16 21:23:07
1465文字
Public ほぼ日刊
 

鯨の鳴く日

ずっとずっと前の呟きの「悪い神様の演技をするフリーナ」のお話です。

「よく来たね、諸君。僕を殺す決心がついたのかい?」

 嗤うフリーナの頭上では鯨が悠々と泳いでいる。

「フリーナ殿……私たちは君を助けに来た」

「助けに?」

 ヌヴィレットの言葉にフリーナの唇が弧を描く。

「ふは、ハハハッ! キミ、何を言っているんだい?」

 フリーナが立ち上がる。彼女の足元でガラス片が照明に照らされてキラキラと輝くのが、まるで舞台の演出のようだ。

「何がおかしい」

「ハハッ……これが笑わずにいられるかい? どこの世界に有罪判決を受けた罪人を助ける人がいるんだい?」

 フリーナが指揮棒を懐から取り出して、ついっと振れば、水で満たされた歌劇場の床からイルカが現れヌヴィレットたちを襲う。

「フリーナ! あんたねぇ!」

「ナヴィア危ない。それ以上は進まないほうがいい」

 フリーナの所業に怒ったナヴィアが一歩を踏み出せば、行く手を阻むようにイルカたちが集まり威嚇する。

「クロリンデの言うとおり! 僕に近づくならそれ相応の覚悟が必要だよ!」

 歌うような軽やかさでフリーナは言葉を紡ぐ。まるで神さまのようだ、と誰かが言った。




「なあ、おかしくないか?」

 パイモンが疑問を口にする。ヌヴィレットも旅人もそれに同意するように首を縦に振った。

「あれほどの出力で神の目を使い続けることなど不可能だ」

 ヌヴィレットはイルカを往なしながら考える。フリーナとの交渉が決裂した以上、彼女の体力が切れるのを待つつもりであった。つまりは持久戦。だが、数的有利がある以上ヌヴィレットたちの勝利は決まっているようなものだった。

「さあ、どうする? ほら、殺してみなよ……かはっ……

 突如、フリーナが血を吐いた。ヌヴィレットはそ
の時になって初めて、足元のガラス片が演出の道具ではないことに気がついた。

 ――彼女は初めから赦される気などなかったのだ。

 フリーナの頭上の鯨が鳴き声を上げた。ぎょろり、と優しげな目が狂気の色に染まる。彼女は――笑っていた。
 
 ああ、やはり君は――

 ヌヴィレットは一足飛びでフリーナの元へと向かう。

「君は、初めからこのつもりだったのか!」

「そうさ。――やっと気づいたのかい?」

 よく考えれば単純なことだった。足元にあったガラス片は元素力を上げる薬剤が入っていた瓶の破片。本来なら飲用するものではないのだが、手っ取り早く吸収するために飲んだのだろう。
 そして何より頭上の鯨は自らを裁くための処刑道具。ありとあらゆるものを呑み込む異星の鯨――その模造品レプリカ
 どちらにしろ、持久戦に持ち込んだ時点でヌヴィレットたちの負けだったのだ。なぜなら、彼女は最初から死ぬつもりだったのだから。オーバドーズによる急性中毒、あるいは力の制御を失い鯨に呑まれるか。
 演出家としては素晴らしい能力だと思う。どちらの結末で死んだとしても、彼女を快く思っていなかった者たちが聞いたら「偽りの神に相応しい最期だ」と両手を上げて歓喜することだろう。だが――ヌヴィレットは認めない。天秤は常に均等でなければならないからだ。

 フリーナを抱きしめ、出来る限りの力で結界を張る。彼女が全てを捨てて創り出した武器だ。全力で挑まなければならない。

「駄目だよ、ヌヴィレット。最高審判官が罪人を庇うなんて」

 どん、と強い力で体を押され真っ逆さまに落ちていく。

 舞台の上で独り立ち続ける君に届かないと知りながら――手を伸ばした。