いを
2024-08-16 20:06:45
2241文字
Public 刀神
 

首はおよし

桂木
・ポラリスさん【EN_Hot_water】
お借りしています。

 濃い麦の色。氷がとけるにしたがって、その麦の色が波打つ。
「誰の?」
 桂木がぼんやりと呟くも、応えはない。
「いくら俺が酒好きだっていっても、ウオッカはやめろよな。こういうの苦手なんだ」
 目を擦ったあと注がれたウォッカを見ると、氷が増えていた。
「そういうことじゃなくてな……
 薄めたって摂取する酒の量は同じなんだから。
 チリンと風鈴が風にそよぐ。開け放された雪見障子から、風が吹き込んできた。なまあたたかい風だった。
「どうしてか。なんでだろうな。俺も分かんねぇよ。まあ、気の持ちようというか」
 気の持ちよう云々で酔う酔わないが決められてしまったらそれはそれで問題か。
「ああ」
 そういえば、ウォッカという酒は命の水という意味らしい。どこかで読んだ。
 桂木のずっと伸びない爪をチラと見下ろす。白ばんだこの爪は、艶など見当たらない。つねにかさかさとしていて、木の枝や幹のようなごわついた皮膚とほとんど同じようなものだった。爪は皮膚組織の一部なんだよ、と凪鞘班のだれかが言っていた。
 水分量が圧倒的に少ない皮膚をもつ桂木にとって〝命の水〟とはなるほど、納得がいった。
 ポラリスが言っていた。
 刀神も生命という絶対的な概念・・・・・・をもつ一種だと。
「そうだな」
 米は日本酒。麦はビール、葡萄はワイン。その三大醸造酒の歴史は古いと聞く。それこそ神話の時代からあったのだろうから、桂木が生まれるずっとずっと前のことだ。
「日本酒にしろ洋酒にしろ、植物からできているのには違いない」
 けど。
 だからって、
「それはお前たち、やりすぎだと思うけど」
 正座した桂木の足もとに千切れた掛け軸が落ち、部屋の中はむっとするような血の臭いが充満していた。あきらかに人間だったものの血の臭いや肉の腐臭。嗅ぎ慣れたそれと言っても、目の当たりにすれば目を細めるしかない。
「酒のにおいで欺けるとでも思ったのか」
 わざわざ洋酒を出してきて、目と鼻を使い物にさせなくしたかったのだろうか。
 透明な、まるで清いもののような細長い器を取り上げ、とげとげしい畳の上に麦のにおいがするそれを流した。
「俺は刀神で、鬼だ。酒と血肉のにおいには敏感だが、見誤ったな。お前ら」
 ゆっくりと立ち上がる。
 そのまま天井を見上げると影のような、ぼんやりした霧が落ち、桂木の前に澱む。形も保てない霊のようだった。幻覚、幻影。それらを用いて妖魔を呼んでいたのだろう。人間を喰らうために。
「残念ながら俺は人間じゃない。でもまあ、妖魔の餌にはなるか」
 霧は滞りながら、ゆらゆらと揺れている。
……聞きたいことがある」
 霊は人間だったもの、動物であったものか――あるいは自然が自我を持ったような、限りなく〝カミ〟に近い存在か。
 あやふやではあったが、問いかける。
「綾祢、綾切という名前の人間と刀神を知っているか」
 霧は答えない。それとも、言葉をもたないのか。どちらにせよ回答は見込めそうにない。
 だが――一瞬。一瞬だが、ぎょろりと霧の中から白い目玉がひとつ、こちらを凝視した。
……!」
 綾切の特徴のひとつである、一つ目。偶然か、あるいは。
 ひゅっ、と桂木の目の前を一閃の、黄金の光が走る。
「待て!」
 その式神は金色の光を放ちながら、その目玉を貫いた。
……
 桂木が懐に忍ばせておいた式神は役目を果たし、やがて消えていく。これほどまで脆い霊は、下緒院がつくった擬人式神でも十分らしい。それとも――人間ではないもの、に特別弱かったのか。
「下級の霊でしたか」
「そうみたいだ」
 妖刀、雪魄桂木刀・伍号の柄に手をあてながら、破られて見る影もない襖の奥からポラリスが現れた。
「噂を頼りに来てみたけど、なかなか人間の噂ってのは強い力を持っているな」
「強い力、ですか」
「もともと嘘っぱちの噂を媒介に、こういう下級の霊もやってくる。それを面白がってやってきた人間を食い散らかして、その霊が澱んでたまって、噂が本物になる。よくある話だ」
 今は動画、なるものがあるという。それを見た人間が面白半分でやってくれば、霊も妖魔も餌には困らなかっただろう。今回、妖魔はやってはこなかったが。
 ポラリスの目が引き裂かれた血まみれの掛け軸を見つめた。
「収穫はありましたか」
「ああ、こういう廃墟みたいなとこを探せばまた、あるいは。……ありがとな。無理を言った」
「いえ」
 人間のふりをして、霊をおびき寄せたわけだが。ほぼ桂木の私用に近いのにポラリスを連れてきてしまった。
 綾祢、綾切。このひとりと一振りは私怨とはいえ、刃佩流も承知はしているのだろうけれど。
……生きていると、いいんだけど」
 斜め後ろにいる彼女の目が桂木に向く。
「綾祢のことだ。妖刀持った刀神と一緒にいて、生きてるのかどうか。俺には分からんが……。探さなけりゃ、なるまいよ」
 畳のい草はあちこち跳ねており、桂木の足をちくちくと刺している。すこし足を引いてポラリスに向き直る。
「生きていようと、いまいとな」
「そうですね」
「それじゃ、帰るか」
 廃墟を出ると最初鳴っていた風鈴が粉々になり、土がかぶっているのが見えた。
 あれはきっと、あの霊が見せた幻聴だったのだろう。
 お前はここにいる・・・・・と、桂木に言い聞かせるように。
 空に浮かぶ月が、わずかに見える。
「今夜の月、やけに赤いな」