廊下を先導する邑神のあとに千葉もいくつかの本を抱えてついていく。作りのしっかりとしたスリッパはパタパタという音を長い廊下で響かせていた。襖で区切られた部屋が多い中、廊下の一番奥まで辿り着くと洋風の木製のドアが鎮座していた。そのドアも玄関と同様に埃ひとつなく綺麗に保たれている。邑神はその扉を手前に開くと、床付近に接着されているドアストッパーで開いた状態に固定した。
ドアの奥はそこまでの空間とは異なり、洋風の建築が広がっていた。いくつもの扉が両側に設置され、廊下も絨毯が敷き詰められている。
「――違う場所に来たみたいやなあ」
「ここは増築された場所なんだ。だから少し、造りが異なる」
再び先を歩き出した邑神の後ろについていく。
どの扉にも細やかな意匠を確認することができる。中庭を望むことができる嵌め込みの窓ですらステンドグラスでできており、雨の雫と照明で廊下の床を色とりどり照らしつけていた。そんな風に美しきものに心奪われながら進んでいくと、行き道と帰り道はわかるのに己の現在位置がどこにあるのか俯瞰することが難しくなってきた。前と後ろの区別はつくが、方角がわからない。しかし豪邸とはこういうものなのだろう。千葉はそう納得することにした。
やがて邑神がとある扉の前で足を止めた。
「ここが自室だ」
「自室……カサネさんはカミサマの部屋も掃除するん?」
「いや、この部屋は手が出せないようにしてある。他にも物置にしている部屋があるからそういった部屋は埃を払うようにしてもらっているんだが……ここはあまりにも、その――私的なものが多すぎるからな」
「私的な……ああ、エロ本とか?」
「違うわ、阿呆……ともかく、『報酬』のボードゲーム類は自室にしか置いていないから、ここに荷物を運ぶついでにいくつか見繕ってくれ」
呆れた視線が千葉の明るい茶の瞳を射抜くも、すぐに表情を崩して柔らかい微笑みに変わった。
こういう柔らかい表情を見る機会は、邑神とそういう関係になってから格段に増えた。仕事で忙しかったものの、まったく会わなかったわけでもなく、夜の通話もホログラム通話だったため、邑神の表情をじっくりと見ることは多かった。そしてそんな表情を向けられるたびに千葉はくすぐったいような居心地の悪いような――もっとわかりやすく言えばこんな甘い思いを享受して良いのかという自罰的な――感情になる。しかし、嬉しく、幸せなことには変わりない。
「オッケー。ほなとりあえず荷物運びながら店で使うのに良さそうなの探すわ」
――なぜだかカミサマの前では、自分の微笑みがちゃんとした微笑みになっているか、不安になる。
千葉は笑顔を作りながら、その部屋に足を踏み入れた。
邑神の自室は画廊ほどではないものの物に溢れていた。しかし、千葉が予想していたほど悪辣な状態ではなかった。おそらく、今までこの屋敷に運び込んできた書籍類は他の部屋に運んでいたのだろう。それでも本棚とベッドを埋め尽くす本、飾り棚は飾り棚とは思えないほどたくさんのアンティーク小物が詰め込まれている。邑神が学生時代に使っていただろう勉強机にも物は溢れかえっていた。床の上を歩けるのが不思議なくらいだ。勉強机の周辺はボードゲームや何に使うかわからない道具が安置されている。
ふたりで交互に部屋と玄関を行き来しながら、その間に千葉は邑神の勉強机周りで物色する。東雲の言う通り、いくつか見かけたことのないボードゲームも存在していた。ボードゲームの箱を選り分けながら物の山が崩れないように勉強机周りを少し整頓する。すると驚くべきことに、邑神の部屋はまだ全容を見せていたわけではないことが発覚する。棚や、勉強机の奥にももう少しだけ空間が広がっていた。広い部屋を棚で二分割しているようだった。奥の空間にはこれまた用途のわからない大小の道具や、現代ではお目にかかることも少なくなってしまった絵の具などがバラバラと放置されていた。
――そういえばカミサマって絵とか描くんや……。
邑神との関わりが近い人間ほど彼の文学好きやナノマシンデバイス能力によってバイアスが掛かり、美術人というよりも文学人のイメージが強くなる。千葉も例外ではなかった。しかし邑神は「美術商」である。邑神自身が芸術家を目指したこともあるかもしれない、というのは彼を分析する上で予想可能な要素のはずだが、千葉の脳内からその選択肢がすっかり抜け落ちていた。
手前の空間と同じように物に溢れた奥の空間のさらに奥。大きな布が掛けられた四角の物体が幅を利かせていた。特に持って帰れそうな代物もない埃っぽい空間に足を踏み入れる気にもなれず、千葉は特に何を気にするわけでもなく邑神と交互に書籍の運搬を進めていた。先程したのと同じように山が崩れないように整頓しながら本を運び入れている中、全体の物が少しずつ移動しているためか四角の物体に掛けられている布がずれてきているのが見えた。しかし、千葉にしてみれば特に気にすべき事項でもなく、手前側の物の山が崩れさえしなければ奥の物が多少崩れようとどうでも良かった。とにかく物を整頓しつつ、今回の荷物をすべて運び入れることこそ重要なのだ。
そうして物を整頓しているうちに布はいよいよ重力に逆らうことができず、ばさりと音を立てて床に落ちてしまった。
やっぱり落ちてきたか、と千葉はなんの感動もなく音のした方向へ視線をやる。そして男は、己の身の毛がよだつのを感じた。
布が覆い隠していた物を暴いてやろうとかそんな邪な思いなど千葉にはなかった。だが、見てはいけないものを見てしまったのだと直感した。
そこにはイーゼルにのせられた大きめのキャンバスがあった。素人目にもわかるほど美しい肖像画は、しかし未完成の状態で放置されている。未完成だが、その美しさは観る者へ迫力を感じさせる。
千葉はこの美しさを知っていた。
髪型も、年齢も違う。しかし、内側から発光するような真っ白な肌に秋の実りを感じさせる黄金の頭髪、特徴的な青み掛かった灰色の瞳は右目だけしっかり色が塗られている。顔立ちもしっかりと今に繋がる美しい特徴を残していた。
――これ、祥ちゃん……?
わざわざ布が掛けてあった代物だ。見られたくなかったのかもしれない。
千葉は心臓がばくばくと音を立てるのを無視し、一旦己の仕事に戻ることにした。まだ玄関には本の山が積み上がっている。廊下で邑神とすれ違った時も何も見なかったように振る舞い、再び部屋へ戻る時にも邑神とすれ違いながら何もなかったように振る舞い、本を運び入れる。しかし、その時には既に千葉にとってこのキャンバスは意味を持つ物に変化してしまっていた。なぜなら、その肖像画は異様なほど迫力があった。ただならぬ思いで描かれているのがわかってしまったからだ。
怖いもの見たさなのか、何を確認したいのか。千葉の心の中に浮かんだ興味は奥の空間を再び覗くように指令を出す。しかしその期待とは裏腹に、キャンバスには再び布が掛けられていた。
観る人に与える感動は怪作並ではあるかもしれないが、なにということはない肖像画。
なにということはないただの肖像画なのだ。
しかし、隠されれば隠されるほど、その作者だろう邑神がその未完成作品ないしはそこに描かれている人物――東雲祥貴に何らかの想いがあったと邪推せざるを得なかった。
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