車と屋敷を繋ぐ邑神の障壁の下を歩き、立派な日本家屋の玄関へ辿り着く。玄関の鍵などは邑神の能力で施錠されているわけではなく電子化されていた。最低限のセキュリティサービスは利用しているらしい。
「……見れば見るほど立派やな」
開錠後、玄関の奥に長い長い廊下が続いているのを目の当たりにした千葉は久しぶりに放心という感覚を思い出した。その様子を見た邑神は横目で千葉をちらりと見上げて、そして首を振る。
「……土地があるだけだぞ」
「紛うことなき金持ちのセリフやなあ。経済特区から車で三十分もない場所にこれだけの土地があるのは普通とは言えへんで」
車のトランクから腕に抱えられるだけの量の本を慎重に玄関に運び入れて千葉が言う。来客用のスリッパを二足用意していた邑神はその言葉を否定できずに苦笑いを浮かべていた。
「まあ……『普通』とは程遠いか」
無人だというわりに埃のひとつも見当たらない玄関とそこから伸びる廊下にどんどん本を運び入れる。まずは車の中をからっぽにする予定だ。無言と大量の荷物に苦戦して息を吐く音だけがその玄関にあった。
大雨で閉じられた屋敷は本当に邑神とふたりきりであるということを否が応でも千葉に意識させた。
――祥ちゃんが昨日余計なこと言うから……。
東雲祥貴のお節介は百パーセント善意で出来上がっているのだからタチが悪い。これで揶揄いの要素のひとつでも含まれていれば悪ノリの気持ちで適当にやり過ごせるのだが。東雲にとっては己の大切な友人同士が結ばれたことが余程嬉しく、祝福したい事柄なのだ。
そんなことをごちゃごちゃと考えている内に車の中の荷物がどんどん減っていく。千葉の予想通り、男がふたりもいれば玄関への運搬自体はそこまで時間はかからないようだった。
ともかく作業に没頭しようと黙って手を動かしていると車の影から人の気配がした。次の瞬間だった。
「――有奇さん、お久しぶりですね」
六十代くらいの背筋がピンと伸びた立ち姿の女性が傘を差し、片方の手では風呂敷に包まれた荷物を持っていた。
「ああ、カサネさん、お久しぶりです。紹介します、こちらは千葉恵吾」
「どうも」
突然の紹介に驚きつつ、千葉は荷物を抱えたまま会釈をする。カサネと呼ばれた女性は邑神に向けていた微笑みも千葉へも向けて軽くお辞儀をする。
「お伺いしておりました、千葉様」
「お伺い……?」
「はい、有奇さんと同じく甘い物がお好きだと。本日は有奇さんの言伝でお茶菓子をお持ちいたしました」
カサネは傘を畳みながら邑神に歩み寄り、風呂敷包みを渡す。邑神も嬉しそうな笑顔でそれを受け取っていた。
「毎度助かります、ありがとう」
「本日は祥貴さんとご一緒ではないのですね。てっきり三人でお帰りになるものだと思い込んで三人分を発注してしまいましたよ」
「詳細を伝えていなくてすまない……もしよければカサネさんがお持ち帰りになるのは……?」
「私は私で、実は家族用に一緒に買ってしまっているんですよ。どうぞおふたりでお召し上がりになってくださいな」
「そうだな。いつも本当にありがとう」
「いえいえ、それが務めですので……それよりも有奇さん。また本を増やしすぎですよ。私の仕事が増えることの方が困るのですけど?」
カサネはちくりと邑神の荷物の量を咎めるがその表情は柔らかく愛に溢れているものだった。
「いやいや……所蔵物の管理は自分がちゃんとするので……」
「本当でございますか? 有奇さん、美術品の扱いは丁寧なのに、書籍ときたら可能な限り積み上げていくだけ。その扱いは本来だめでしょう?」
「いや、わかっている、わかっているんだ。だが、一応規則性があってだな……」
「まったく、困った坊ちゃんですよ。本日は本の整理をお手伝いした方がよろしいでしょうか?」
いつもは不遜にも思える態度の邑神がカサネ相手にはたじたじになっていた。会話から察するに邑神家に長年出入りしているお手伝いさんか何かだろう。
カサネの前では子供時代の邑神に少しだけ戻っているのか、普段は見られない邑神の表情を興味深く感じながら、彼らの会話を横目に車内に残された最後の本を玄関に運び込んだ。
「申し出、本当にありがとう。ですが今日は大丈夫です。この男と一緒に片付けをするので」
子供時代に少し戻っているといっても、そこにいるのは成人男性の邑神だ。お手伝いさんの申し出を丁重に断る様子はまさしくこの屋敷の主人然としていた。
そんな風に成長した坊ちゃんの立派な姿を見せられてしまったカサネは一瞬呆気にとられた表情をしたあと、申し訳なさそうに、しかし顔には隠しきれない嬉しさを滲ませながら謝罪する。
「失礼いたしました――そうですよね、差し出がましいことを申しました」
「そんなことはないんだ。普段、カサネさんが心配するレベルで荷物を運び込んでいる自覚は……」
「いいえ、そうではなく……ふふ……」
カサネは見当違いな言い訳を並べる邑神に対して笑い声を漏らし、そして荷物を玄関に運び終えて持て余している千葉の方へ視線を向けた。
「千葉様、どうぞ有奇坊ちゃんのことをよろしくお願いいたします」
「あ、はい……?」
千葉はカサネの言葉がこちらに向けられるとは思っておらず間抜けな声を漏らす。カサネはそれに対しても嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「では有奇さん、私はこの辺りで失礼いたします。何かご用があれば本日中はいつでも対応をいたしますので」
「お気遣いありがとう。だが今日はもう呼ぶつもりはない……元気そうで良かった。カサネさんも何か困り事があればいつでもご連絡ください」
「こちらこそありがとうございます、では」
その女性は嬉しそうな笑顔のままふたりに向かって会釈をし、再び傘を差すと、大雨の中に姿を消していった。
千葉はほんの少しだけ空いている玄関のスペースに腰を下ろしながら、邑神を見上げた。男はカサネから受け取ったお茶菓子を嬉しそうに眺めている。
「カサネさんって、お手伝いさん?」
「ああ、長年邑神家に家事手伝いをしにきてくれてるんだ。自分がここへ戻ってくる時はこうして訪ねてきてくれるし、無人といっても定期的に掃除しに入ってこれるんだ」
「んん? じゃあ、今日の荷物もカサネさんに受け取ってもらったら……」
「『定期的』というところがポイントだ。自分の結界――契約でカサネさんが家に入れるタイミングが定まっていてな。今日はその日じゃないんだ。今日も自分がいるから家に入れているだけなんだ」
「はあ……なんというか、複雑というか……」
「『めんどくさい』は禁句だぞ。術というのはそういう縛りが重要なんだ」
千葉は邑神の言わんとすることは理解していた。だが、そういう「めんどくささ」も面白いと思っている。だからこそ正面からこのように告げるのだ。
「まったく、有奇坊ちゃんはめんどくさいなあ!」
「おい、坊ちゃんと呼ぶな!」
千葉の意地悪な笑顔に対して邑神は言葉の上では怒っているものの、愛おしそうな柔らかい視線を男に浴びせた。
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