「こはくさあああん! 夏といえば怪談! さあさあ二人で百物語をしようじゃないかあ!」
「
――は?」
突然、けたたましい音を立ててこはくの部屋のドアを蹴破った男は、蝋燭とマッチを手にニッカリと豪快に笑っている。
「やかましいわド阿呆! 今何時やと思てんねん! ジュンはんが仕事やったからええものの
……」
「そうかあ残念! 仲間が多ければ百物語も盛りあがるのになあ?」
「なんでする前提なんや! 帰れ!」
ずんずんと迫るその巨体に負けじとこはくも叫ぶ。目と目が合わされば、まるで古い少年漫画にありがちな火花が散る演出でもしているようだ。二本の蝋燭を掴んだままの斑の右手がこはくの頭を混ぜ返す。
「わぎゃっ!! やめんかこら!!」
咄嗟に一歩後ろへ足を引いたこはくの間合いを詰めるように、ずんと斑の足が部屋へ侵入することに成功した。こはくとしたことが。悔しさでむきになってその浮かれた手をぺしんと叩けば、斑は心底悲しそうに眉を下げた。そして始まる、わざとらしいその泣き真似。
「Crazy:Bの面々とは百物語に花を咲かせたそうじゃないか! 酷いひどいこはくさん! 俺とはできないなんて悲しいなあ!? 悲しみのあまり泣いてしまうぞお!?」
「あ゛ーーー喧しい! 子供か自分!!」
「こはくさああん」
そして張り上げられる、この、甘えたようで強引な声。こはくは言葉に詰まる。
「わかったわかった! すればええんやろ!? 煩いからさっさと部屋入って静かに座れや!」
喧嘩腰に叫んで、斑の襟首を掴んで引っ張り倒すかの如くドアの内側にその大きな身体を引きずり込んだ。とたんに嬉しそうに微笑む斑を尻目に、
「売られた喧嘩は買わな、桜河の名が廃るわ」
その、売り言葉か買い言葉かすでにわからない文句をひとつ。
なにが〝売られた喧嘩〟だろうか。そもそも斑は遊びの誘いに来たわけだから喧嘩もなにもない。
――本当は喧嘩でもない、こはくはただのお人好しだ。惚れた男の、恋人の駄々には殊更弱い。
「ありがとうこはくさん☆」
まるで夏空の下のひまわりのように満面の笑みを浮かべて喜ぶ相棒を、恋人を、〝こいつがこう笑うようになったのは、数奇な縁で自分と出逢ったからだ〟と少しの自惚れも抱いて、こはくは肩を窄める。
「まったく、仕方なのないお人やなぁ」
そう言いながら悪い気はしなくなってしまうのが常だ。完全に斑に骨を抜かれている。
――骨の髄まで心底斑に染まっている。
「ん、で? 何するん?」
こはくがベッドに腰掛ければ、
「お邪魔しまああす!」
どっかり隣に腰掛けた斑。ギッとベッドの軋む音。
「とっておきの怪談を聞いてきたし、せっかくなら本格的に百物語をしたい! 怖がりなこはくさんを見たい! それだけだなあ?」
「なにがそれだけじゃ!」
しばらくそのじゃれあいは続き、
「燐音さんに聞いたぞお? もう怖いものは克服して、肝試しも先陣切って歩いたんだろう? 本当に君が怖いものを克服したのか俺も見る権利がある!」
「なんでそうなるんじゃ
……」
今度こそ肩を窄めたこはくは、はぁとため息を零す。
「その目的果たせばええんやな? ほな、始めよか」
「そうこなくちゃなあ!」
ふらふら、ゆらゆら揺れる蝋燭の灯火。机の上に置いた皿は斑の自前のもので、なにやら遠くの骨董市だか蚤の市だかで手に入れたなどとうんちくと思い出を聞いた。それだけに妙に生々しくて物々しい。その中央に、白い蝋で固定された蝋燭。即興で作った粗末なセットだと舐めてかかったのが良くなかった、かもしれない。こはくの背筋に走るぴりりとした感触。
「なかなか雰囲気あるやないの?」
そうこはくが笑えば、今度こそ部屋の照明は落とされる。
「だろう?」
微笑む斑の顔の隆起を橙色の光が照らし、壁に大きく映しだす。瞳にもその橙が灯る。瞬きの度に光が揺れて、隣に座る男が、本当は違う誰かなのではないかと錯覚させるその雰囲気に、こはくはすっかり呑まれていた。
あかん、
――!
こはくの焦る心が身体の奥で脈を打って走り出す。
燐音が語った件の天城村での肝試しは、手を繋がなければ泣き出してしまうほど怖がる藍良がいて、後ろには腰が立たないHiMERUがいた。そして共に夜目を利かせて歩む一彩がいた。
守るべき者と並走する者。どちらもあるから自然と身体がしゃんとしたのだ。それが、今はこの男しかいない。自分が守る必要がないほど強く、並走するより早く前を歩く男。つまり、こはくはこの男の手を掴まねば、背を追わねば、ひとりぼっちになって置いていかれるのだ。
他でもないその男
――斑
――の作り出した怪異の世界に。
「っ、斑はん、意外やね。怪談なんっち超常現象みたいなもんは好かんと思っとったわ」
斑が二つの怪談を語り終わる頃、物語の最後を遮るようにこはくが口を開いた。〝頑張って〟口を開く。極めて自然な風を装いながら。
「んん? そうかあ? 伝承なら必ず全てが超常現象とも言えないだろう。恐怖を抱いた人々の手で形を変えつつ、それでも今まで消えずに伝えられたものだ。いかにも最近撮られた心霊写真なんかよりはずっと信憑性があると思うけどなあ」
「
……ほぉん」
口を開く。
……が、すぐに言葉は途切れる。
既に膝の上の手が、寝巻きのハーフパンツを強く握っている。汗ばんだその手。落ち着かない足の裏。背筋を伝う、汗ともなんともつかない不安なもの。
「
……っ」
「こはくさん」
「
……なんや」
声を震わせないようにすれば、自ずとそれは固く尖る。きっと、とっくにこはくのその感情は斑に伝わっているだろう。にんまり口角を上げた斑の顔がこはくの顔に近づいて、橙色の光が二人の瞳の中に揺れる。
「
……幽霊の類いは性的なことを忌避する、なんて伝承もあるぞお?」
含み笑いをした斑がこはくの鼻先に鼻先を重ねて、どうする? なんて呟いた。先を促すねっとりとした視線の中で、橙色が揺れる。
「んっ
――」
そうしてもはや予定調和で重なる唇と唇。何度か斑に啄まれたこはくの薄い唇が熱を帯びて、視界の端で揺れる橙色。唇が離れた瞬間、こはくは大きくため息を吐いた。
「ったく! こんなまどろっこしい誘い方すな! ド阿呆が!」
「ははは!」
「したいなら普通に声かけろや!! なんなんやもう
……」
徐々にこはくの上に身体を乗り上げる斑はまったく悪びれもせず笑い、下敷きにされたこはくが呻く。
「だって君、
……寮じゃ嫌がるだろう」
「当たり前じゃろが!
……それに、だったら余計普通に声かけろや
……。こないなアホくさい行程踏む前に向こうのマンション行くぐらい時間あったやろ
……」
呆れ声で紡ぐこはくを組み敷いたまま、ふと斑の視線が逸らされる。
「
……」
そして訪れる一瞬の沈黙。
「まぁ、誰かさんの天邪鬼と照れ屋さんはもうぜーんぶ知っとるけどな」
こはくの手が斑の頭に伸び、少し硬い癖毛を撫でる。編み込まれ髪を解くと、思いのほか長くて多い髪に驚いたものだ。そしてその表情が妖艶に見えるよう、髪のシルエットが拍車をかける。
――そんなことを知っているのはこはくだけでいい。
「
……こはくさん」
「しよ? 最近会えてなかったし、こんなんやけど珍しいぬしはんからのお誘いや」
斑が頷く頃には既にこはくの唇が斑の言葉を奪い、髪を撫でていた右手がするりとシャツをたくし上げる。
「せや、蝋燭消さな危ないな」
ふと二人の視線がテーブルの方を向き直ったその瞬間。
「
……え?」
ふ、と。一瞬にしてその火が消えた。途端に訪れる真っ暗闇。
「い、今、斑はん息吹きかけた?」
「いや
……てっきりこはくさんが消したものだと」
「
…………」
「
…………」
「
…………ッ
――!」
こはくの悲鳴が上がるのはその数秒後。どうしたのかと激しく部屋のドアが叩かれるのは一分後の話だった。
fin.
こは斑ワンドロワンライ
【怪談】
60min+6min
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