mishiadd
2024-08-14 12:27:07
2672文字
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あにの初盆

宮本伊織の初盆の助之進の噺。

壱、

ああ、あの人、あの幽霊長屋のね。去年の暮れに亡くなったって。オヤ、あれは秋口だったか。
なんだか浅草寺の境内で倒れてたってェ話じゃないか。心の臓をひと突き、どう見たって人殺しだよ。ありゃ誰かに殺されたんだよ。だのにいまだに下手人の見当もつかないってェ話じゃないか。
まったく、同心は何やってんのかね。殺されたお侍と懇意にしてたのがいたんだろ。お仲間まんまと殺されて、いまだにお縄にできてないってんじゃ、どうせろくに真面目に捜してもいやしないんだろ。

まったく、薄情な話もあったもんだね。殺されたお侍だって、きっと浮かばれねェだろうさ。

ああ今年が初盆なのかい。そんなら、きっと今頃ここいらに帰ってきて、草葉の陰から恨めしげな顔でやっこさんを睨んでるだろうよ。






弍、

助之進の仕事ぶりが変わったというのは、同業の間では有名な話だった。
どこか言動のとぼけたところに愛嬌があり、適当に仕事をサボっては吉原で油を売ってみたり、そうかと思えば「友人に助けてもらった」といって手柄を持ってきたりもする不思議な男だった。

それが、ある時期を境に人が変わったように仕事に打ち込むようになった。昼も夜もなく働き続け、言動も厳しくなり、そろそろ皆手を引こうか――といった頃合いになってもひとりだけ決して捜査の手を弛めない。このままいくとふたつ名は『鬼の助之進』――にでもなろうか、という噂さえ立った。

世襲で同心をやっている男で、元々高い志があったわけでもない。実際、つい最近までそのような素振りはついぞ見せなかった。それが一体どういった風の吹き回しか、さてはようやくこの男にも春でも来たか――となにかの折の酒席で仲間の同心が水を向けたところ、ハッと鼻で嗤われた。そんな嗤い方をする男では決してなかった筈だった。

「俺の心の中はずうっと冬だよ。あの日から、ずう――っと――

そういえば、助之進が懇意にしていた浪人が殺された事件というのがあった、というのを朧げながらに皆思い出す。

「はああ、なんでい。じゃあお前さん、いまだに喪中か」
「そういや捕まったんだったか? 下手人は」

それすら覚えていない。定職にもつかずにふらふらしている浪人が殺された、などというのはこの江戸八百八町ではごくごくありふれた事件で、その顛末などいちいち気に留めていては同心など務まらない。
問われた助之進は顔色一つ変えず、ただぐいっと盃をあおる。口許を親指で拭い、端的に言った。

「いいや」
「はああーあ」

そらァ気の毒にねえ、と特に他に適切な言葉も見つからず空虚な慰めの言葉が宙に浮く。
助之進が自分の膝のあたりを見つめている。「そういやなんだか、」と別の同僚がぽつりと言った。

「雰囲気が変わったとは思ってはいたがお前さんよう。――なんだか最近、目つきが――
「あァ、お前もそう思ったかい。助之進のやつ、なんだか最近目つきが凛々しいような、こう、鋭いような――なんだか身振り手振りもやけに」
「ああ、まるで別人のようだ。背筋もしゃんと伸ばしてよう、そう――まるで、その――

――亡くなったっていう、その二刀遣いの浪人みてえな立ち姿じゃねえか。

自ら思い至った考えにぞくりとし、思わず口を噤む。
ちらりと見遣った助之進の視線が思いの外鋭く、ますますその恐ろしい考えが裏打ちされるのを感じる。

ちびちびと盃を口に運びながら、助之進が言う。

「この夏が初盆なんだ」
……ああ、そうかィ」
「お前さん、あの――悪いことは言わねえが……いっぺん、寺に診て貰っちゃどうだい」
「寺に?」
「お前、そりゃ、」



憑かれちまってんじゃァねえのかい



――という言葉を再び飲み込む。こそこそと助之進の視線を避けて互いに目を見合わせた同僚たちには目もくれず、助之進はぽつりと漏らす。

「寺――寺ね。俺にとって意味のある寺はもう、浅草寺だけだよ。あの浅草寺の境内の、硬い石畳だけだ――






参、

見廻りで歩く夜道に、ふとあの色鮮やかな青緑の着物が横切ったように見える気がする。

路地裏から血色の悪い白い腕が伸びてきて、こちらを手招きしているように見える気がする。

夜の吉原の大通りの遠くの方に、すっきりとした立ち姿の後姿が見える気がする。

ふとすれ違った人の癖毛が揺れて、刀に括りつけられた梅結びの飾りが揺れた気がする。



――ふと、夜の小道で立ち止まったときに、背後に誰かが立っているような気がする。



ヒィ、と悲鳴をあげたくなるのを堪えて、助之進はその場に立っている。ぬるり、と濡れた冷たい手が背後から伸びてきて、頬を撫でる。べったりと鉄の臭いが鼻腔にこびりつく。がくがくと揺れそうになる膝を堪えて、助之進はぎゅっと目を閉じる。気配は去らない。助之進の背中にべったりと張り付いて、聞き取ることのできない呪詛のようなものをぶつぶつと呟き続けている。

「伊織さん、伊織さん、御免、御免よ、堪忍なぁ」

その場に崩れ落ち、助之進は赦しを乞う。

「こんなことなら、もっと真面目にやってりゃよかったよ。アンタに頼りっぱなしじゃなくて、ちゃんと自分でやれるようにもっと頑張ってりゃよかったよ。
いざアンタがいなくなって、アンタを殺った下手人探そうとしても、俺ひとりじゃこれっぽっちも見つからねえ。手がかりひとつ掴めやしねえ。
――アンタ、さぞや俺を恨んでるだろうな。成仏もできねえだろうな。初盆なんていったって、アンタはずっとまだそこらへんを彷徨っている。俺のせいだ」

べったりと濡れた自分の頬を撫でる。手を見下ろすと、真っ赤な血がべっとりとこびりついていた。

「全部全部、俺のせいだ。アンタが成仏できないのも、こんな悪霊みたいになっちまったのも、全部ふがいない俺のせいだ。アンタはこんな御人じゃなかった筈なのに」
「ああ、そうだな。これは確かに俺ではない」



はっきりと、耳元で聞こえた。



それと同時に、助之進の背後で「ギャアアアアア」という化け物の断末魔のような声が響く。――そして、かちゃり、と、



二刀を納刀する音が、聞こえた。




地面に座り込んだまま、助之進が振り向く。そこには誰もいない。ただ、見渡す限りの夜の小道と、それを明るく照らす望月が、ぽっかりと夜空に浮かんでいるだけだった。








――慶安五年の7月15日、盂蘭盆会のことだった。