邑神の知り合いで千葉の友人である綿奈部という男がタクシードライバーをしている。しかし、その手段を行使しようとしない様子を見ると、もしかすると邑神は既に綿奈部にも連絡済みで断られているということなのだろうか。となると、本で形成されたいくつもの山は倒壊までいよいよ本当に秒読みとなる。
「荷物は明後日に届くんだろう?」
「ああ……だからできるだけ早く本を移動させたいんだが……」
「明日ならユートピアは定休日じゃないか、ねえ、千葉くん?」
千葉は邑神に出した紅茶葉で二度目の茶を自分用に淹れているところだった。予め大量に砂糖を入れたカップの中へ赤茶色の液体を注ぎ込みながら、東雲の呼びかけに再び首を傾げる。しかし、次の瞬間には隣に立つ男の言わんとすることを察し、右手人差し指で頰をかいた。
「せやけど……うーん、カミサマがなんか報酬を用意してくれるなら、運搬作業を手伝ってもええで?」
「まったく君という男は……素直じゃないなあ」
少々焦れている様子の東雲は事情を知らない他人から見れば不思議な光景だっただろう。
――祥ちゃんもお節介な人間やなあ……。
目の前で紅茶を無表情で啜っている男も、無表情でありながら先程までとはまた別の気まずさを漂わせていた。そして無表情のまま紅茶のカップから唇を離すと、視線を手元に落としたまま口を開く。
「……報酬、か……いや、千葉恵吾が休養することこそが肝要だろう……無理に自分の用事に付き合わせるのは忍びない」
それまで心配していた本の山の倒壊よりも千葉の休みの方が大事だとのたまった旧友に、東雲は今まで他人には見せたことのないほど声量で「はあああ……」と溜め息を吐き出し、そして突き指するのではないかという勢いで親指と人差し指を眉間にあてた。眉間に寄ってしまった皺を伸ばすように親指と人差し指はぐにぐにと蠢いている。
「――どうして君たちはこうもお互いに素直じゃないんだ!」
「いや、祥ちゃんがお節介なだけやから……」
「自分は今ここで千葉恵吾と言葉を交わしているだけでも十分で……」
「遠回しに惚気るのはやめろ、有奇くん! ようやくお互いの心が通じ合ったかと思えば、それ以来デート一回すらしていないらしいじゃないか、君たちは! どうして! 今が一番楽しいときだろう!」と店中に響き渡る声で嘆く東雲。
しかし当のふたりは表情を変えないまま続ける。
「いや、お互い仕事が忙しい上に……夜は通話したりしているぞ」
「祥ちゃん、言ってることがおっさん臭いわ」
「また惚気たな、有奇くん! そして悪口はやめるんだ、千葉くん!」
「悪口じゃなくて事実やけど……」
そして東雲のお節介の通り、いわゆる「お付き合い」状態にはなっているがそれ以上の進展がないというのも事実だった。だが邑神の語る通り、お互いに仕事が立て込んでおり、ふたりきりになるタイミングがなかった。
そしてその上、千葉自身が邑神との距離感をはかりかねていたということもある。男性との真剣交際など、お互いに初めてのことだった。女性相手であれば百戦錬磨と言っても差し支えないが、それでも「真剣なお付き合い」状態も随分久しぶりのことだ。
手を繋ぎ、口づけを交わし、抱擁をする――そこまではあったものの、非常にプラトニックな状態であることは否めない。
――あれほどまでに肉欲に飢えていた俺が?
千葉はこれまでの女性たちに対する所業を思い出して内心苦笑いする。しかし、距離感をはかりかねているとはいえ、邑神がそばに居るだけで、あるいは回線越しに声を聞くだけで、心が安らいで満たされる思いになるのも間違いではなかった。ある意味、「本当に」満たされている。であるなら、邑神が歩み寄ってきてくれるのを待つ方が良いだろうと、千葉は考えていた。
東雲は煮え切らないふたりの態度にうんうんと唸り続け、やがて軽く手を打った。その表情は梅雨の季節を忘れさせるほど晴れやかなものだった。
「――確か、有奇くんのご実家にはユートピアで取り扱いのないボードゲームがあったよ」
大輪の花を大量に背負ったような華やかな笑顔がふたりを交互にその輝きで照らしつける。
「報酬はユートピアにないボードゲームを譲り受ける、ということでどうかな?」
邑神の依頼を遠回しに遠慮していた千葉だが、恋人の生家に興味がないわけもない。半ば強引に取り付けられた用事だったが、内心は友人のお節介もといアシストにほんの少しだけ感謝していた。
千葉自身、はたで見ている東雲がやきもきする気持ちは理解できる。ふたりともがお互いに対して想定以上に奥手なのだ。だが、愛し合う方法など十人十色――そもそも、慌てて何か事を進めるほどお互い若くない。
――盛りのついた猿やないからなあ……。
立派な大きさの門扉が開ききるのを待つ必要もなく、ふたりを乗せた車が通り抜けられる程度には隙間が生まれ、千葉は緩やかにアクセルを踏む。
邑神の指示で敷地内に駐車する。その間も雨は車のルーフをきつく叩きつけていた。
「大雨の中で本を運び入れるのは、カミサマの能力がなかったら大変やろなあ」
そうぼやく千葉の隣では邑神が自身の能力で顕現した本と羽ペンで何やら書いている。橙色に発光するペン先から文字が次々と宙に浮かび上がり、それらの文字はフロントガラスをすり抜けて車と建物を繋ぎ、やがて雨が車のルーフを打つことはなくなった。
邑神の防御壁の操作性能はかなり高く、簡単な屋根を作るくらいならお手のものだった。
「……まあ、な。結局、この季節は自分で荷物を運ぶのが一番安全なんだ」
「こんな便利な能力あったらそらせやろな」
お互いに視線がかち合う。得意げな表情の邑神と素直に感心を示す千葉は少しの間を置いて微笑み合った。
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