Kishie
2024-08-13 17:47:42
7001文字
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世界線が入れ替わってしまった千神のお話(ちばさん目線)

千里さん(@chirykhfs )書いてくださった、ふたつの世界が混線した(入れ替わった)ちばかなのお話しの、ちばさんバージョン(目線)のお話を書かせていただきました。

隣にいたはずの神奈川さんが、いきなり別の世界からきた彼に入れ替わってしまっていた事に気づいた千葉さんの話です。

こっちの世界のちばかなはピュアなお付き合い中。あっちのちばかなはガッツリ大人な関係が進行していて、そんな二組の世界線が入り乱れたらどうなるのか……。

あっちのちばさん×こっちのカナさんについて書いてくださった、千里さんの素敵なお話はこちらから→
https://x.com/chirykhfs/status/1810697453399863618?s=46&t=jTiJJ85SHTLa0x_HghdSlA

 一瞬、目がおかしくなったのかと思った。テレビ画面からふと逸らして隣に視線をやった時――。その瞬間に覚えた強烈な違和感を不思議に思いながら、目線を正面の画面に戻してしまった。感覚的な反応に左右されて、判断を誤るのは俺の悪い癖だ。だから息を吸って、それからもう一度顔を向けてみる。そして拾った居心地の悪さの正体を知った。
 そこに座って一緒に映画を観ていたはずの神奈川が、ソファに凭れかかるようにしてこちらを見ていたからじゃない。そこにいた彼が、さっきまでとは全然違って見えたからだ。別人とも言える雰囲気を纏った――けれど確かに神奈川の姿をした男と視線が絡み、俺は身構える間もなかった。ただ、そいつの淡く澄んだ、青い瞳を見つめ返しただけだった。

 
 ふたりで映画を観始めてから、そんなに時間は経っていない。神奈川が両手いっぱいに買い込んできた袋の中身を取り出しながらスタンバイを終えた時、まだ夜は始まったばかりだったはずだ。寝椅子に深く体を埋める俺の隣に座ってから、こちらを見てからふっと笑うあいつの顔をしっかりと覚えている。なぜかというと、いつもよりもその笑顔が可愛く見えたからだ。仕事を終えたり、準備を終えた時のふっと気の抜けたような――ほんの一瞬だけ緩む神奈川の表情が、俺は好きだった。思わず見惚れそうになってからはっとして、膝の先に広げたフードに手を伸ばす。ピザの上で固まりかけたチーズの塩味と油で、落ち着かない気持ちをむりくり胃の中へ収めた訳だ。

 映画が始まってからも、俺はあんまり集中できなかった。作品によっては話の中へ入り込むように見入る事もあるが、今回は違った。決してつまらない訳じゃなくて、ある程度眺めるような感覚で観る事もある。それは流れるだけの時間を楽しむ贅沢なもので、この部屋に漂う緩やかな温度を満喫するつもりだった――

 でも実際のところ、俺にそんな余裕はなかった。原因は、言うまでもなく隣の男だ。少し間を空けて座る神奈川の体が視界にしょっちゅう飛び込んでくる。その微妙な――手を伸ばせば届くのにそれがなかなかできない――隙間が気になって仕方ない。ふたりでいるこの時間は最高に心地いいのだが、それはそれとして神奈川がどうしているか気になってしょうがなかった。
 
 だがここにきて、何かがおかしい事に気づいた。急に部屋の空気が変わった気がしたんだ。まるで何か――空間にノイズが走るような気配がした。音もなく空間を捻じ曲げるような強い力が肌の上を通り過ぎていって、反射的に神奈川の方を見た。神奈川は変わらずそこにいた――はずだった。だが、何かが変だった。神奈川は長い足を組み、背もたれに寄りかかってこちらを見遣る。その顔は確かにいつものあいつのはずなのに、雰囲気がまるで違っていた。
 
……あれ?」

 俺が言葉を吐き出す前に、目の前の神奈川は気怠そうに声を漏らした。瞬きをする仕草がいやにゆっくりと湿度を持っている。
 
「一緒にベッドにいなかったっけ……?」
「さっきからずっとここに座ってただろ」
……そうだったかな」
 
 何を言ってんだよお前。ベッド、という言葉にぴくりと耳が反応してしまったが、それよりも広がる違和感を投げ捨てるように、視線を画面へとやる。俺の動きに釣られたからか、神奈川も液晶画面へ顔を向けたが、ぼんやりした表情は抜けないままだ。
 
 どこかしっくりしないまま横目で隣の男を観察する。そこでようやく、神奈川の服装が先ほどと違う事に気づいた。スッキリとした細身のスラックスとベストのフォーマルめいた装いが嫌味をいう間も与えない程に似合っている。いつの間に着替えたのか、雰囲気が違うのは当然だ。けどなぜだろう、それだけじゃない。根本的に何かが違う気がした。ついでに言うならば、シャツのボタンがいくつか外れている上にノーネクタイの首元からすぐ下へ、隙間から肌が覗くくらいにはだけていることは付け加えておきたい。俺にとっちゃかなり目に毒な状況というわけだ。

 とりあえず状況を整理するには不可思議なこの現状をどうにもできず、次々に浮かぶ疑問を宥める。そんな中でふと気付けば神奈川との距離はさっきよりも縮まっていた。顔を向ければ今日一番の近さで今一度見つめ合うような格好になっていることに気づき、俺は焦った。至近距離でその整った顔を眺めていると、好奇に満ちたその青い瞳がきらりと光る。そのままゆるやかに細めた瞼の動きの優雅さも、睫毛をなめらかに上下させる所作も、指先で髪を耳にかける仕草でさえ――呼吸のひとつを拾い上げるだけで目を引くというか。いつもよりも妙に色っぽい。好きな相手のそんな顔を見て、そわそわしない男がいるか、いるはずがないだろ。目を離せなくなってしまって、見つめ返したまま生唾を飲み込んだ。

 すると神奈川の視線は、ゆっくりと――俺の体の表面を舐めるように、上から下へと滑っていった。そしてそのまま口の端を僅かに緩める。そしてそのまま顔を擦り寄せ、俺の首筋にふうっと息を吹きかけた。変な声が出そうになって焦る。手で掴んだままだったペーパーカップがふやけて、思わず握りつぶしてしまいそうになるのをすんでのところで堪えた。

「同じ匂い」
……なんだ?」

 喉の下のあたりに鼻先が触れて、うっと声を上げそうになった。慌てて体を離そうとしたが、神奈川が体ごともたれかかって――いや、最早押さえつけられているとも言っていい体勢になってしまったせいで動けなかった。

……顔も声も、体も、俺の好きなその瞳の色も全部一緒。でもちょっとだけ違うんだね」

 あっと言う間に目線が揃うくらいまでに体を起こして、そんな事を言った。誰の話をしているのか――。言っている事の意味は分かるようでよく分からないが、柔らかく弧を描いた、その綺麗な形の唇に吸い付きたくなる。だがそこではっとして、俺は頭を振った。このままじゃやばい。――なぜか、今日俺の部屋のドアを開けた時に見せた、神奈川の顔が頭の隅によぎった。

「あー!! まてまてまて! ちょっとだけ待て」

 神奈川をとめたい、と言うよりも、自分を制する意味の方が強かった。おかしな空気に流されて手を出してしまいそうな俺自身に言い聞かせるように、はっきりと声出す。よかった、まだ俺の理性は仕事をしてくれそうだと、自分を褒めたくなった。

「ひとまず話をしようぜ。俺わけわかんなくなってっから」
「うん、良いよ」

 そのまま押し切ってくるのかと思いきや、神奈川は案外すんなり引いた。だが体を離してはくれたが、手をソファの上で突っ張っていた俺の手に触っている。それを握られたままの状態で、話をすることになった。


 改めて自分たちの置かれている状況を整理してみたが、神奈川はやはり神奈川だった。こいつもゆる神という立場であること、そしてそれがどういう存在であるかについても、俺の認識と一致している。東京さんや埼玉といった周辺の隣神――勿論俺も、こいつの近くにいるらしい。けれど色々聞いてみると、細かい部分が少しずつ違った。何よりも、この神奈川の知る俺は俺じゃないし、俺の知っている神奈川はこいつじゃない。ごちゃごちゃ検証なんてしなくても、簡単に認識を共有できる材料がここにあった。

「俺が世界線を飛び越えて来たんじゃないかなあ。お互いがお互いの――所謂パラレルワールドみたいな存在にあたる感じなんじゃない?」

 事もなげにそんな事を口にする神奈川に面食らった。

……そんな事が実際にあるもんなのか?」
「多分。だって俺らの話を縫い合わせようとしたら、それしか考えられないんじゃない?」

 そんなにも不可思議な事が起きるのだろうか。俺はまだ半信半疑だった。だが空間の隙間に新たなフィールドを創造する力をもつーーブランド化を司るゆる神なるものまで存在する世界だ。別の並行世界はきっとあって、それらが何かの拍子に繋がるなんてこともあるのかもしれない。
 だが、それでも少しだけ解せない。もはや観ている者がいない、ただのBGMと化した映画の音量を落として、俺は神奈川に向き直った。

「なんでそんなに普通にしてられんだよ。そっちの世界じゃよく起きることなのか?」
「そんな訳ないだろ」
「じゃあ今お前はどうしてそんな平然としてんだ?」
「さあ……なんでだろうね。よく分からない事で騒いでも仕方ないし」

 神奈川は興味深そうにゆっくり笑ってから、手の甲を指でなぞってきた。そしてそのまま絡めてくる腕の温度を感じながら、なんとも言えない気持ちになる。
 それにしてもこの神奈川は落ち着きすぎだと思った。自分たちにとって年齢なんてもんは、それほど大きな問題じゃない。実際に存在した年月は、精神年齢に直結するものではないし、見た目にイコールするものでもない。もしかしたらこいつは俺らより歳を重ねているのかもしれないし、そもそも経験してきた事柄が違うのだろう。俺の――という言い方はアレだな、こっちの神奈川も冷静な方ではあるんだが、あいつはもう少し状況を深く捉えて慎重に行動をしそうだ。
 喧嘩っ早い部分を持っているくせに、普段はそれを隠して上手い事やる。深く付き合っていかないと見えてこない、俺の好きな神奈川の内面のひとつだ。神奈川は簡単に心の内を見せてはくれないから、関係が深まればもっともっと彼の中に入り込めると思っていた。たが、実際はなかなかそう上手くいっていない。誤解がないようにしておきたいが、付き合い自体は概ね順調だった。ふたりだけで過ごす時間を、少なくとも俺は楽しいと思ってる。だが恋人、という関係性になったこと自体が、あいつに変な意識を持たせてしまっているんじゃねえか。そんな気配を、最近は特に感じていた。別によそよそしいわけでもないのだが、ふとした瞬間の――明確な意図を持っての物理的な接触を避けようとしているのが分かる。せっかく大手を振って隣にいられる立場を手に入れたんだから、俺はもう少し近寄りたい。端的に言えば、良い大人なのだから色々としたい事もあるというわけだ、そう色々と。
 そんなこと考えていると、伸びてきた手が頬に添えられた。

「今、俺の事考えてただろ」

 俺じゃない俺のほうね。わざとらしく拗ねた声色を吐き出したが、瞳は可笑しそうに揺れる。言葉遊びを楽しむように神奈川は笑った。
 改めてよくよく見れば見るほどに、こいつも神奈川なんだな、とそんな事を思う。別の世界から来たとしても細かい部分が異なっていても、本質は変わらない。一度冷静になって話をしたからそう思えるのだろう。声も、不思議そうに首を傾げる仕草も知っている男のもので、冒頭の得体の知れない存在に出会ったような、警戒心がすっかり抜けてしまっていた。なんだか上手く説明はできないが、目の前で浮かべた笑顔は、確かに神奈川と重なるものだったからだ。

「お前は本当に俺の事が好きだね」
「なんだよ」
「さっきから感情がめちゃくちゃ漏れてる。なんか眼差しが初々しくて、新鮮だなって思って……、あ」

 急に、神奈川が嬉しそうな声を上げた。視線の先には俺の左腕があった。

「これ、俺があげたやつじゃない?」

 そう言って手首に巻きついたシルバーを指さす。それはレザーとチェーンを繋ぎあったシンプルなブレスレットで、確かに神奈川から貰ったものだった。俺自身も気に入っていたが、これを見ると神奈川が喜ぶのを知っていたから、ふたりで会う時はいつも着けるようにしていた。
 頷く俺に、神奈川は納得したかのように笑って、それを指先でつつく。

「よく分かったな」
「俺がやりそうなことだよなあって」
「何が」
「こういうのを贈る時の心境みたいなものとか……意味って知ってる?」

 考えた事もなかったと言うと、まあ、暇があったら調べてみると良いよ、と神奈川はまた微笑む。

「あんまり気にしていませんよーみたいに振る舞っていても、こうやって主張したくなっちゃうのがね……俺って結構独占欲がある方なんだよなあ。普段表に出さない分、出ちゃった時がすごいかも」
……それはお前自身の話だろ?」
「うん、でもあいつも俺だからね」

 あいつなんだかこいつなんだか……誰が誰だかややこしくなってきて、よく分からなくなってくる。神奈川は神奈川で、こっちの神奈川の考える事も当然分かる、というような言い草だが、俺はあっちの俺が何を考えているなんて分からない。どんな奴か知らないからだ。――でも、もし俺があっちの俺と同じ立場なら――? 置かれている状況を置き換えて想像したところで、少しだけ嫌な予想が頭を過ぎる。
 
 そんな風にぐるぐる考え込んでいると、神奈川がもう一度肩を抱き込むような形でもたれかかってきた。そして、そのまま俺の太腿から付け根へと手のひらを滑らせてくる。ごく自然な事のように見せてきたその動作に、俺は数秒遅れてはっとした。慌てて神奈川の手を掴む。もう少しで危険なエリアに侵入するところだった。

「おいコラ、ちょっと待て」
「お前、さっきからそればっかりだなあ」
「いやいや、何してんだ」
「何って、続きしようよ。お互いの置かれている状態が分かって、ようやくスッキリしたところだしさ」
……続きって何のだよ」
「やだなあ、言わせたいの?」

 会話が続けながら、神奈川は俺の顔を少し下から見上げるような格好で視線を寄越してくる。
 ずっと落ち着かない――視線のやり場に困っている原因はゆるく露出したままのこいつの首回りのせいだ。そういえば、こいつって何でこんな状態になってたんだ。ベッドがどうとか言っていた事を思い出す。そして、あっちの俺とは俺らと同じような関係なんだとも言っていた。ーーそこまで思考が戻って改めて、こいつと入れ替わって違う世界へ行ったかもしれない神奈川の事が心配になる。
 ――もしもあっちの俺がすでにこの神奈川と一線を越えているという前提があったなら。果たして神奈川を目の前に、俺は我慢なんてできるだろうかと。自分に置き換えて想像した事を思い出してゾッとする。

……あっちの俺ってどんな奴なんだ?」

 意味のない質問だという自覚はあった。俺の意図をなんとなく察した様子で、神奈川はまた笑う。勘の良さも思考の回転する速さも、やっぱり神奈川らしい。

「良い男だよ。お前が一番知ってるんじゃないの」
「いや、その、そういう事じゃなくて。お前と入れ替わったって事は、あっちへ行ったかもしれない神奈川は、」
「いまは俺がお前の神奈川なんだから、余計な想像は置いておこうよ」

 言葉を被せてくる神奈川の前で、主張を続けられなくなった。それとこれは話が別だろ。そう口にしようしてからようやく気づく。心配したところで今の俺にできる事が何もないのは事実だ。そう認識すると急に体の力が抜けてしまった。神奈川は俺の様子を見てから、ふっと微笑む。そして拘束を緩めた俺の手をそっと外して、手を下腹部の下へと這わせた。

「お前、これ好きでしょ」

 今度は下っ腹から太腿の間にある、凡そ男の一番弱い部分を撫でてくる。明確に意思を持った指先でそこを擦られて、くっと声が漏れそうになった。布越しの感覚が気持ち良い。ーーこれはまずい。

「直接じゃなくて、もどかしい感触。いいよね」

 いい顔してる。そう耳元で囁く声は甘く響いて、俺の理性をあっさりとこそぎ落とした。

「罪悪感なんて感じる必要ないよ。だって俺はあいつだし、あいつは俺なんだからさ」
……んなこと言っても、お前は……俺のよく知る神奈川とは違うし、あいつはこんな事しない」

 無駄な足掻きだ。よく知る神奈川の横顔を思い出しながら、感覚を逃がそうとして息と一緒に言葉を吐く。

「ああ、やっぱりまだしてないんだね。お前の反応見てそうなんだろうなぁって思ってたけど」

 チャックを下ろす振動と音がした。ゆっくり視線を神奈川へ移すと、伸ばした指で額に張り付いた俺の髪を優しく梳いてから目元を緩めた。

「でも一緒だよ。もしもこっちの世界の俺がお前の前でおとなしくしてるとしたら、それは隠してるから。……お前に嫌われないように」

 自分の中に爆発しそうな欲を抱えながら、目の前にいる綺麗な男が話す言葉の意味を考えてみるが、ちっとも頭に入ってこない。

「あいつだって男なんだからさ、人並みの欲は飼ってるんだよ。でもね、一度解放させちゃえば、あとは簡単だから」

 ――誰でもない、俺が言ってるんだから説得力あるだろ?

 話しながら一度手を止め、神奈川は上のシャツを脱ぐ。そして、俺の手を取り、その綺麗な胸元へ導いた。触れると、しっとりとしたその肌の感触がたまらない。

「俺が教えてあげるから。お前の好きにして良いよ」

 大丈夫だよ、なんとかなるから。だから、今は全部忘れて楽しもう――
 
 その言葉で頭が覚醒した。最後の枷が外れたんだろうと思った。
 目の前の白い首筋に齧り付きながら、俺は神奈川の体温に沈んでいった。