いを
2024-08-13 16:57:52
4516文字
Public 刀神
 

花咲ける賽河原

菊司
・(少しだけ)灰さん【yasuinokikaku】
・(お名前だけ)定之さん【higasa_onink】
お借りしています。

 興信所から電話がきたのが一週間前。怪訝そうな声をした天照の職員が取り次いだ内線に出ると、ガラガラとした声の男が「あなたの両親がお会いになりたがっています」と言った。ほぼ有無を言わせない口調で一週間後、○○市の▲▲でお待ちしております。午後、お休みですよね?と念を押すようにガラガラ声で囁いた。
 全国チェーンのファミリーレストランで待ち合わせしてください、とのことだ。
 菊司はただ「はぁ」と呆気にとられたような声しか出なかった。
 両親ということは清陵院のほうではない両親なのだろう。
 菊司の血の繋がっている両親の苗字も名前も知らない。向こうが知っているということは興信所に頼んでコソコソと調べていたのだろう。それに家が気付かないとは果たして、その興信所の人間が優秀なのかそれとも、家のはみ出し者である菊司のことならば我関せずとしていたのか。
 どちらにせよ、両親に会うことは家にとってよくないことだろうなとは分かっている。――が、向こうが今さら会いたがるということは何かしらの事情があるのだろう。まだ名のなかった菊司を施設の地べたに捨てた2人の男女。今さら連絡してきたことで仮説が思いつく。
 電話をゆっくり置き、重たいため息を吐きだした。
 修繕中の義手を見下ろして、ひょいと持ち上げる。以前よりすこし重たくしてみたのだが、彼ならば使いこなせるだろう。間違いなく。
 その義手をマネキンに装着させると、なかなかよい雰囲気だった。
「いいねぇ」
 顎に指をかけて頷き、独りごちる。
 血の繋がった両親の見たこともない面影を振り切るように。
 
「あれ、今日急ぎ?」
 一週間後、調整の終わった義手を渡すと灰が不思議そうに首をかたむけた。
「いつもなら事細かに説明してくれるのに」――と言いたそうな表情だ。菊司は後頭部をがりがりと掻きながら「ちょっと野暮用が」と苦笑いした。
 時計を見るとそろそろ出なければいけない時間だ。
「自称両親が待ってるみたいで」
「自称……?」
「血が繋がっているほうの両親です。僕、養子なもので」
 そう、と灰はゆっくり呟いた。そのくらいの反応が一番気安くていい。同情も勘ぐりもされたくはないから。
「それじゃ。……あ! いいですか、また壊したら僕マジで泣きますからね。ほんとに、それはもう、赤ん坊のように。灰どののそばで。恥ずかしいですよ!」
「はは……。気をつけるね……
 今までの菊司の痴態を想像したのか、若干引きつった表情をした彼を満足そうに見た菊司は、くるりと踵を返した。
 リノリウムの廊下を歩きながら白衣を脱ぐ。自分の研究室に入って白衣をパイプ椅子にかけ、いつもより大きな鞄を取り出してそのまま鍵をかけて天照を出た。
 
 ○○市はここから電車で1時間ほどでつく。
 天照本部がある都市より、緑が多い。田舎というわけではないが――菊司が育った施設と近い場所にあった。
 さらさらとした風が流れ、目を細める。すこし、懐かしい心持ちになった。
 ▲▲のファミリーレストランにはバスで向かった。電車で1時間、バスで二〇分ほど。
 肩に食い込む鞄の重さ。
 背負い直して高校生や大学生が集まりはじめているファミリーレストランに、菊司も混ざって入った。
 スマートフォンを見ると興信所の人間からメッセージがきていた。指定の席について書かれていた。一週間前に連絡先を一応、渡しておいたのだ。
 窓際の、喫煙所から一番遠い角のテーブル。視線を流すと猫背ぎみの、六〇代くらいの男女が横一列で座っていた。
 あれ・・が俺の両親かと思っても、なんの感情もわかなかった。欠如した人間らしい感情があることを自覚しても、なにも。
 だからだろうか、迷うような足の仕草があらわれなかったのは。
「どうも」
 そのふたりが座るソファの目の前に腰を下ろすと、母親らしい女が目を丸くした。
……あ、あなたが……
「清陵院菊司と申します」
 最後まで言わせず、女の目を見つめ名乗る。しわのある目尻がこわばったように動いた。
 男のほうは目を伏せたまま、微動だにしない。
「お前の本当の名前は、一斗いちとだ」
 ぼそりと男が呟く。ちら、と、こちらを窺うように――上目遣いに。
「あなたの名前は佐々木一斗」
 ササキイチト。口の中で反芻しても、やはりなんの感情も湧いてはこなかった。
「はあ、そうですか。ですが僕の名前は清陵院菊司です。佐々木一斗という名前の男は存在しない。同じようにあなたがたの子どもはどこにも存在しない」
「それは……
 女が訳あり顔で菊司を見つめた。おそらくだが、ふたりの戸籍上の子どもはいない。あまりにも手回しが良すぎた。
「ええ分かっていますよ。僕を育てられるほどの環境じゃなかったんでしょう。そんな話はよくあることです」
「よく、あるって……そんな。私たちは」
 興信所の人間からはなにも言われていない。取り次ぎだけだったのだろう、本当に。
 女が言いたいことも分かる。その中身――気持ちは分からないが。
「そうでしょうね。ええ、そうでしょうとも。悩んだんでしょう、辛かったんでしょう。あなたがた
……
 男の、白髪のある髪がぱらりとひたいに落ちた。
 この夫妻は、裕福ではないようだった。よれたシャツ、すこし毛玉のついたパンツ。女は化粧をしていない。
 清陵院の家の夫妻を思い出す。
 ぱりっとした、アイロンがきいた白い清潔なシャツ、そして品のいい化粧、服装。
 真逆だ。
 菊司の心の中が、急に――いや、さらに冷え冷えとしてきたことを自覚する。
「僕が、清陵院の養子と知ったのはいつです」
「つい……半年くらい前よ」
「そうですか。なかなか手際がよかったですね。興信所の方も優秀のようです。名前も、今の顔も分からない僕を半年で見つけ出せるなんて。……施設の方から教えてもらったわけではなさそうですし」
「どうして、そんなことを」
「べつにいいでしょう。僕を育てたのは施設のやさしい大人たちと――清陵院家の大人たちです」
 施設には毎月数万ほど寄付をしている。その寄付は微々たるものだろうけれど、菊司の行方を漏らすことはその資金を逃すと思ったのかもしれない。菊司にとって「それ」は功を奏したわけだ。もっとも、興信所に見つかったが施設にはなんの関係もない。これからもつつがなく、だ。
「根回しをしていたのか……。そんなに俺たちに会いたくなかったのか」
 男の蛙のような目が、ぎょろりと菊司を見つめる。否応なしに、自分と似ている部分を見せつけられた。喉から、乾いた笑い声が吐き出される。
「ハハ。会いたいとか会いたくないとか思ったことありませんよ。どーでもいいんです。生みの親、育ての親。机上、書類上の名前のついた繋がり。それだけのことですから」
「憎んでいるのね」
 女の悲しそうな声が菊司の耳につく。今にも泣き出しそうな顔。膝の上に置いた、骨張った自分の手が知らず知らずに握りしめられた。
「言ったでしょう。どうでもいいんです。なので、憎んでも恨んでもいません」
 興味がない。
 今の菊司は天照の刀遣いで、峰柄衆の一端で。ただ、それだけのことだ。
 親がいない、菊司よりももっと不幸な生い立ちの刀遣いは山ほどいる。憎しみをいだいても許されるような・・・・・・・過去をもつ刀遣いたちは。
 ――菊司は裕福な家にもらわれ、立派な教育もさせてもらった。ただ、それだけの恩だけれど。
 この2人がいなければ菊司はこの世にいなかった。「生まれてこれてよかったのか」という思考の答えは、だからこそ――いまだにでない。
 黙りこくった夫婦は、諦めたように肩の力を抜いたようだった。とても、とてもちいさく見える。
「僕はね、家族愛なんぞ分かりません。でもあなたがたのような人間を守るために、僕は刀遣いになったんです。そのことをよく考えてください。あなたがたが捨てた子どもが、あなたがたを守るんです。これ以上ない笑い話でしょう」
 鞄からプラスティック製のケースを取り出す。縦15cm、横30cmほどの長方形のケースだ。外からは中身が見えないそのケースを開け、その中を二人にみせた。
「ここに僕が働いて貯めた四百万が入っています。これで手打ちにしましょう」
「て、手打ちって」
 明らかにふたりの顔が明るくなる。うまく隠そうとしているようだったが、口がひくりと上に上がったのを見逃さなかった。やはり〝これ〟が目的だったか。
 家族など、きっとそんなものなのだろう。親とて人間だ。人間の欲はべつに悪いことではない。けれどこうして目の当たりにすると、ひどく――腹立たしい。
「そう。今日から一生、僕に関わらないでください。あなたがたは四百万円を手にして、今まで通りの生活に戻る。悪いことではないと思いますが」
 がばりと男がケースを体で覆い、そのままひったくるように膝の上に抱えた。猫背を更に丸くしている。
 菊司はそれを目を細めて見下ろし、細い息をつく。
「最後にひとつ、訊ねてもいいですか」
……なに?」
「あなたたちは僕を産んでよかったと思います?」
 女は黄ばんだ歯を出して笑った。
「あなたは親孝行な私たちの……
「なるほど」
 答えはもう分かった。
 鞄を取り上げながらソファから立ち上がる。そして財布から一万円札を置いた。
 どうにも、吐き気がした。
「僕、性格悪いですけど、あなたがたもなかなかですね」
 そのままファミリーレストランを出る。足取りが無意識に速くなった。
 忘れようと思う。四百万を出して、過去を清算したのだ。金だけの繋がりならば、これほど容易いことはない。
 もっとも――使い果たしてもまた、金の無心をしてくると思うのだけれど。ただの、口約束なのだし。
 汗が滲む。
 気付けばバス停を過ぎていた。このまま駅まで歩いたら1時間くらいかかるだろうか。
 かなり軽くなった鞄を肩にかけなおして、立ち止まる。
 空。
 雲を運んでいつもどおりに流れていた。
 秋の気配がする。
 ちいさな田んぼにある、まだ青い稲穂がゆらゆらと風にのって揺れている。
 親とは、子とは、なんて考えるだけ無駄だ。
「ハハ……。結局、俺は」
 何者にもなれない。けれど、それでいい。それでいいのだ。名前のつくものになれなくても構わない。
 今まで通り、天照で刀遣いとして生きていく。
 それだけでいい。

 脳裏にかすめた定之の名前。
 あの子は今、なにをしているだろう。
 なにをして、なにを見て、なにを感じているのだろう。
 名前。
 あの子は、名前のつく誰かになるのだろうか。それとも、もうなっているのだろうか。
 いつまでもあの子の許しに甘えてばかりではいけないなと思う。

 スニーカーのつま先がぼこぼこと厚いアスファルトの上に転がっている黒い石を蹴った。軽い石はあえなく田んぼの中に落ちていく。

 カナカナ、
 カナカナ、
 遠くか近くで、ヒグラシが鳴いている。