グリッド086では、あちこちから様々な音が聞こえてくる。それは工場で何かを作ったり、壊したりする音だったり、MTや車が走る音だったり、重機や燃料機関が駆動する音だったり、誰かの悲鳴や笑い声だったりする。ここで暮らすドーザーたちは、そんな些細な音の一つ一つを愛でながら、破天荒な毎日を過ごしていた。
ある晴れた日のこと。カーラがチャティのために作った人型の体は、今日も異常なく動作していた。
休みだからとRaDに遊びに来ていた621は、チャティと共に工場の近くを散歩して――そして、621の耳に聞き慣れない音が飛び込んできた。
素朴なギターの音色と軽快なドラム、朗々とした歌声。ラジオから流れる古い歌に合わせて、ドーザーたちが大合唱をしている。
「どうかしたか?」
自分でも気付かないうちに足を止めていた621に、チャティが声をかける。何度か通ったこともある場所だし、物珍しいものがある訳でもなかったから、足を止める理由がチャティにはわからなかったのだ。
「ええと……この、声? 音? 不思議……だな、って」
「? ああ……歌のことか」
「歌……」
メロディと歌詞を合わせて発声するもの。楽器の伴奏と共に演じられる場合もある。知識としては知っていても、実際に聴くのは初めてだった。
「……」
複数人、しかもコーラル酔いのドーザーたちが歌っているせいで、歌詞はうまく聞き取れない。621は耳を澄ませてメロディと歌詞を追おうとし――チャティに止められてしまった。
「待て、ビジター。その……この曲は、少しばかり歌詞に問題がある。一旦離れよう」
「? そう……なのか? わかった……」
せっかく興味を持ったのなら聴かせてやりたい、そうは思うものの、そういう訳にもいかなかった。何しろ、今ドーザーたちが歌っている曲は、男女の営みを匂わせた、いわゆる猥歌と言っていい曲だったからだ。
621がチャティと共にカーラの作業部屋を訪れると、そこにはいくつかの工具を手にしたカーラが、基盤を弄りながら上機嫌で鼻歌を歌っているところだった。621の記憶に間違いがなければ、そのメロディはさっきドーザーたちが歌っていたものと同じもので――。
「ボス、あんたもそれか」
「なんだい、藪から棒に」
保護用ゴーグルを外しながらカーラが言う。さっきまでラジオで流れてたんだから仕方ないだろ、しかしボス……そんな問答の末、ちょうど作業のキリも良かったらしく、カーラは三人分の熱いフィーカを淹れてくれ、休憩がてら二人のお喋りに付き合うことにしてくれた。そして……。
「――なるほど、ビジターが歌に興味があると」
「ああ。何かいい曲があれば紹介して欲しい」
「ふむ……」
三人でフィーカを啜りながら、二人が作業場を訪れる前の出来事を話すと、カーラは何か〝笑える〟ことを思いついたらしく、ニッと口角を上げた。
「ビジター、良いことを教えよう。ようく聞きな……」
彼女の話は確かに〝良いこと〟だった。それを聞いた621は微かに目を輝かせ、カーラに主の幼い頃の話をあれこれ強請るのだった。
拠点に戻った621は早速ウォルターに今日の出来事を話した。ドーザーたちの歌を聞いたこと、歌というものに興味があること、カーラからウォルターは歌が上手いから聴かせてもらうと良い、と言われたこと……。
「カーラの奴……」
621の話を聞いたウォルターは、やれやれと頭を抱えた。能天気に誰かの前で歌っていたのは子どもの頃の話だ。ある程度歳をとってからは、とてもそんな気にはなれなくなってしまった。せいぜい気に入った古い歌や、かつて交流のあった、そして今はもういない誰かが好んでいた歌を、一人でこっそり口ずさむ程度。自身の歌を喜んで聴いてくれる人なんてのは、もう誰もいないのだから――いや、いるのか、今は。
「聴いて、みたい、です。ウォルターの、歌……」
「う……」
第四世代には刺激が必要で、おそらくこの色々と鈍い男には特にそうだ。興味を持ったことは尊重し伸ばしてやるべきで、であるならば、恥をおしてでも聴かせてやらねばなるまい。
「……どんな歌が良い?」
おそらくは歌にジャンルというものがあるということさえ知らない621に、ウォルターが尋ねた。ジャンルは知らなくても、ある程度の好みはあるだろう。楽しい歌、静かな歌、ゆったりした曲、速い曲――この猟犬の気質からして、穏やかな曲を好みそうではあるが、希望を聞くのは大事なことだ。
そして621がウォルターにリクエストした歌は――。
「――そうか。聴かせてもらえて良かったな、ビジター」
「ああ……ウォルターの歌、すごく……良い歌、だった、と思う」
その夜、チャティとの通話で621は早速ウォルターに歌ってもらった話をした。
621がウォルターにねだったのは、〝貴方の一番好きな歌〟。そのリクエストを聞いたウォルターはどこか寂しそうな目をして、しかし、誰かが故郷を思って作った歌を、古いギターをかき鳴らしながら優しげに歌い上げたのだった。
621には故郷の記憶もなく、それがどんなものなのか想像さえつかない。それでも、そうやってたっぷりと思いを乗せて歌われるくらい大切にされるものだと思うと、きっとかけがえのないものに違いないと、素直にそう思えた。
ウォルターの優しく、少しだけ切なげな歌声は、確かに621の脳を揺らし、郷愁というものを呼び起こしたのだった。記憶はなくても、いつの日か、思い出したいものとして。
そして、身近な相手――主の歌を聴いたなら、大好きな友達の歌も聴きたくなるのは自然なことで、621はチャティにも主と同じおねだりをした。
「今度、きみの、好きな歌も……聴かせて、欲しい、な……」
「俺の? しかし……」
621の発言に、チャティは言い淀んでしまった。メロディに乗せて発声させることはもちろん可能だ。しかし、人の喋り方を模しているとはいえ、自身の声は合成された機械音声であって、それを〝歌〟と定義して良いのか、チャティにはわからなかった。
そういった旨を返したチャティに、621は言う。
「きみが、好きな、歌を……きみの声で、歌ったら、じゅうぶん、きみの歌……だと、思う」
621の言葉を聞いて、チャティは通話回線の向こうでなんとも言えない表情をした。ある人が見れば笑顔と言っただろうし、ある人が見れば困り顔だと言っただろう。けれど、彼が抱いた感情が何かと定義するならば、〝嬉しい〟の一言に尽きた。
「……そうか。そう、かもしれないな……」
次に来る時までに練習しておく、チャティはそう約束をして、621との通話を終了した。すぐにでも歌うことは出来るだろうが、せっかくなら、好きな曲を吟味して――できれば、621に思いが伝わるような、そんな歌を歌いたいと、そう思う。
チャティがアクセス出来るデータベースには無数の曲が収められているし、少し危険を犯せば、その数はもっと増える。けれど、チャティ自身が日頃から親しみ、好ましく思う曲は、そうやって探し出すまでもなく、すぐ側にある。
RaDの拠点では、ドーザーたちが運営するラジオから様々な歌が流れている。その中には彼らが大好きな猥歌もあれば、ロマンチックなラブソングも、ウォルターが歌ったような切ない故郷を思う歌もある。
大多数のドーザーたちとは違い、少しばかり冷静で理知的な自負はあるが、結局、自分はドーザー集団の腹心であり、趣味嗜好が寄っていくのは仕方のないことだ。だから、少しばかり刺激的なラブソングを好むのも自然なことで――。
せっかくだからギターも練習しておくか、と音楽好きのドーザー――彼が根城としているラジオブース――を訪ねることに決め、チャティは自室を出た。グリッドに流れているRaDラジオは、基本的には録音しておいた内容の再放送だから、訪ねても放送に影響はないはずだ。
ギターのような嗜好品は高級かつ貴重で、しかし、だからこそ大切に扱われる。自身の健康よりも娯楽を取る連中が多いせいで、RaDにも何本かの楽器が保存されているのだった。
――いつか、ビジターと合奏出来たら、楽しいかも知れない。
ふと頭に浮かんだそれは、確かに良いアイデアだった。発声に難を抱えた621には、歌を歌うのは難しい。しかし、両腕さえ使えれば、何かしらの楽器を奏でることは出来る。そしておあつらえ向きなことに、621の側には良き師がいるようだ。
明日、通話をした時にでも、提案をしてみよう――。チャティはそんなことを考えながら、グリッド086の外れにあるラジオブースへと足を急がせた。
周囲からは相変わらず、色んな音が聞こえてくる。自動監視を行うタレットやドローンの小さな駆動音、換気ダクトから流れる風の音、誰かがパーティーをするはしゃぎ声、ラジオからは夜らしくスローテンポの古いラブソングが流れている。ここで暮らすドーザーたちと同じく、チャティもまた、そんな些細な音の一つ一つを愛でながら、この惑星の中で生きている。
数分後、過去の録音を流しながらラジオブースで飲んだくれていたドーザーの男は、珍しい来訪者に目を見開いて――しかし、良いゲストがやって来たと、大喜びでチャティを出迎えてくれた。
長い長いRaDの夜、緊急生放送となった今夜のRaDラジオの視聴率は、普段の三倍にも上ったという。
おしまい
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