一年ぶりの王都アマリア。こんなに長い間、生まれ故郷を離れて過ごすのは初めてだった。
任された領地は季候がよく過ごしやすかったが、何しろ家族
――とりわけ仲がよかった姉や妹と離ればなれで寂しかったというのが本音だ。
王都の正面玄関である門、その両脇にそびえるグレディ大教会堂の壮麗な尖塔の群れ、混雑した門前広場、薔薇色煉瓦の街並み、懐かしいそれらすべてに歓迎されている気分で、ニキアスは大きく息を吸い込んだ。空気が乾いていてちょっと埃っぽいのさえなんだか嬉しい。
大教会堂で礼拝を済ませると、彼はまっすぐメヴィア公爵邸、すなわち我が家を目指した。屋敷の玄関には夏の花々がまだ燃えるように咲き乱れており、作業をしていた庭師達がニキアスの帰還に気づいて笑いかけてくれる。
彼らに手を振り、次はきっと妹が飛び出してきてくれるだろうと期待して屋敷の中に入った。
この屋敷に残っている公爵夫妻の子どもは、末の妹のジゼラだけだ。二人の姉はそれぞれ嫁ぎ、特に、自分と妹の面倒をいつも見てくれていた下の姉リンディが嫁いで間もなく、ニキアスも領地へ向かった。ひとり取り残されたジゼラはさぞ寂しかっただろう。だからニキアスの帰宅を一番喜んでくれるのは彼女だと思う。
妹にあげる土産をさっと取り出せるように準備して帰ってきたのだが、大学院へ行っているであろう父はともかく、妹も、母も、ニキアスの出迎えに来てくれなかった。
静かすぎる居間で従者とともに立ちすくんでいると、慌てた様子で家宰が姿を現した。
「若様! 本日お帰りでいらしたとは! お早いご到着でしたね。お元気なお姿を拝見できて嬉しゅうございます」
「久しぶりだねザロモ。みんなも変わりなさそうでよかった。母上とジゼラはどこかに出掛けてるのかな」
「ただいま、エルツェ公爵夫人と姫君がお見えでして、お庭でおもてなしを」
なんだ、客が来ていたのか。それなら仕方がないと安堵する一方、ザロモが告げたエルツェ公爵夫人と〝姫君〟という言葉にどきりとした。
王都を離れている間、ニキアスが宮廷周辺の情勢に疎くならないようにと、ザロモや父が王都での出来事をまとめて送ってくれていた。その中には『天槍の娘』として王家に庇護されていた娘がエルツェ公爵の養女になったこと、王太子殿下が彼女に想いを寄せ宮に迎えたことも、包み隠さずすべて記されていた。
ちゃんと手紙を読んでいたとはいえ、自分に直接関係ある事柄には思えなかったので気にしていなかったが
――まさか、こんなに突然かの姫君と顔を合わせることになろうとは。
(エルツェ家の姫君ということは、カイやアルフレートにとっては姉君ということになるな)
二人兄弟だった又従弟達に姉ができた、つまり、ニキアスにとっても親戚が増えたということになる。そう考えると少し興味が湧いた。
「ご挨拶していいかな。ちょうど土産もあるし」
「奥様にお取り次ぎいたします」
家宰が母にお伺いを立てている間に、領地から持ち帰ったハーブの砂糖漬けとリキュール漬けの瓶を取り出す。お茶に混ぜて飲むと甘くて美味しかったり、身体が温まって暑気払いになったりする。民間薬に近いこういうものをエルツェ家の〝姫君〟が喜んでくれるかどうかは分からないが、お茶の席に顔を出す口実としてニキアスがすぐ用意できるのはこれくらいだった。
かくして母から挨拶の許可をいただけたので、旅でややくたびれていた上着だけは替え、ザロモにしっかり髪を撫でつけて貰ってから、ニキアスは庭園へ赴いた。
「お兄様!!」
母と一緒に客人をもてなしていたはずのジゼラが、ニキアスの姿を見つけるなり椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がった。そのままこちらへ駆け寄り飛びついてきた妹を抱きとめる。そうそう、ジゼラがこうやって喜んでくれるのを期待していたのだ。
「お兄様、お帰りなさい! いつ帰っていらしたの? 明後日くらいになるんじゃないかってお父様がおっしゃっていたのに」
「急いで帰って来いっていう便りを貰ったから、急いできたんだけどな。ジゼラ、背が伸びたね」
「本当ですか? でも、お母様はいつもわたくしのことを小さい小さいって
――」
その時、テーブルのほうから刺々しい咳払いが聞こえてきた。兄妹がびくっと震えてそちらに目をやると、優雅な笑みを浮かべた母がいる。ニキアスはそっとジゼラを解放し、ジゼラもしおしおと席に戻っていった。
「お帰りなさい、ニキアス。ずいぶん早い到着でしたね」
「荷物はあとから送ってもらうことにして、取り急ぎ必要なものだけ抱えて参りました。お客様がいらしているということでしたので、お茶と一緒にいかがかと、こちらを」
「あらまぁ
……」
ザロモに預けていた瓶を差し出すと、母はちょっと渋い顔をした。うん、やっぱりよその公爵家の姫君をもてなしている場には相応しくなかったらしい。そう察したところでもう遅いけど。
「騒がしくて申しわけございません。ユニカ様には初めてご紹介いたしますわね。当家の嫡男、ニキアスですわ。お城勤めのために呼び戻して、たった今帰宅したところだそうですの。王太子殿下のおそばで働かせていただきますので、今後は顔を合わせることも増えるでしょう。お見知りおきくださいまし」
母の言葉を合図に、ニキアスは改めてヘルミーネの隣に座る姫君へ目をやった。
一番に目に入ったのは、肩口から胸元へさらりと流れている黒髪だった。水色と白の縦縞模様のドレスにその黒さが艶やかに映える。透けるような白い肌の首に、宝石の矢車菊が列んだ首飾りがそっと載っており、耳許にも同じ矢車菊が光っていた。
ニキアスを捉えた瞳は深く濃い青色で、彼女の周りだけ夜の静けさと涼やかさに包まれているような気がした。
「はじめまして、ニキアス様」
彼女の口元が小さく動いたことに気がつき、ニキアスははっとなる。
「お、お初にお目にかかります。ええと
――」
つい魅入ってしまっていたら、今し方聞いたばかりの彼女の名前が耳から吹き飛んでしまったらしい。ならばとザロモからの情報便に書かれていた文面を思い浮かべてみるが、肝心の名前のところが空欄になっている。考えるほど頭の中が真っ白になり、冷や汗が出そうになった時。
「お兄様、ユニカ様はリンディお姉様と同い年なのですよ。わたくしの押し花図鑑も見てとっても褒めてくださいました」
身を乗り出すように言ったジゼラを、母が「お話を遮ってはいけません」と嗜める。だが、ニキアスにはそれが妹からの助け船だと分かった。
「妹と仲良くしてくださってありがとうございます、ユニカ様。姉が二人とも嫁いでしまったので、一人になったジゼラは寂しがっているだろうと心配していました」
「初めてお話ししたのはつい最近なのですが、わたくしの方こそ、とても仲良くしていただいております」
どうにか会話を繋ぐと、はっきりとしているものの小さな声が返ってきた。王族の目に留まるような女性だが、性格は控えめなのかな。ニキアスは内心首を傾げる。
しかし、たとえジゼラのように活発で目立つわけではなくても、この神秘的な美しさなら王太子殿下が目を奪われてしまうのは当然な気がする。まぁ、王太子殿下の好みについてはぜんぜん知らないのだけど。
「私はこれから殿下のお仕事をお手伝いさせていただきますので、城内でお目に掛かることも度々あるかと思います。どうぞよろしく」
「はい」
ユニカはかすかに頷いた。唇に淡く笑みが宿る。
首から上にぶわっと血が集まってくるのを感じて、ニキアスはヘルミーネにも挨拶を述べると、早々に踵を返した。
「お兄様、ユニカ様にご挨拶なさっている時、お顔が真っ赤でしたわ」
「ええっ、やっぱりそうだった!? うわぁ
……」
エルツェ公爵夫人とユニカが帰ったあと、改めて妹との再会を喜んだニキアスだったが、いきなり鋭い指摘を受けて頭を抱えた。
気づかれているだろうか。だったら気まずい。自分でも言ったとおり、きっとこれから何度も顔を合わせるのに。
「とってもきれいな方だったから、ちょっと緊張したんだよ」
ジゼラも嫁いでいった姉二人も、母も、ニキアスが知る身近な女性は総じてよく喋り、よく笑い、怒ったり泣いたりと表情がくるくる変わった。
ユニカの笑みはエルツェ公爵夫人のしとやかさとも少し違う。ひんやり
……いや、しっとりと濡れた花びらか、花びらを濡らす夜露そのもののような趣である。
陽の光のような妹の笑い方も可愛いと思うが、ああいう女性もいるのだなと思うとまたちょっとどきどきしてきた。
が、相手は王太子殿下のご寵姫だ。ニキアスがうっかり見惚れていい相手ではない。次に会うときはちゃんと平常心を保たなくては。
ユニカに会って先入観なしに「かわいい😳」って思ったのって多分ニキくんがはじめて😄
読んだよ👏
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