千代里
2024-08-12 11:52:36
14937文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その37


 ひゅう、と吹き付ける冷気を混ぜた風に、思わず上着の中にノエは首を引っ込める。
 目的地である山脈に近づくと、どういう理由からか、不思議と寒気は弱まりを見せていた。
 かといって、それでも気候は決して温暖とは言えない。イシュガルドに到着してからここに至るまで、気温の低さには慣れたつもりであっても、寒いものは寒い。ノエが上着の中で身をこわばらせるのも当然だ。
「砦の辺りよりも雪が少なくてよかったですね、兄さん」
「うん。もっと積もっているものかと思ったけれど……これも地脈の影響かな。標高が高いと聞いていた割には、積雪量は少ないみたいだ」
 チョコボに乗ったまま、ノエは自分たちの足跡が点々と残る山道を振り返る。
 ノエの父が治める街を出立した時に通った雪原や、ランドンに遭遇した森林に比べると、目的地であった山脈は不思議と積雪量が少なかった。
 気温の変化による雪解けというよりは、そもそも雪が長く残るような地温ではないらしい。一方で、気温が高いにも拘らず木々は少なく、この地が単に温暖な気候に恵まれているというわけではないことが伺える。
「ここからは、クリスタルが採掘できるって話だった。もしかしたら、ここは火属性のエーテルが強い土地なのかもしれない」
「へえ。それなら、温泉があるかもしれないね。天然の温泉があれば、この寂れた山も観光地になったりして!」
「観光地にするには、物騒な獣が多すぎるがな」
 サルヒの説明に、ヤルマルの楽天的とも思える発言。そこに、すかさずオランローが冷静な言葉を挟む。三人のいつも通りのやりとりのおかげで、どうにも拭いきれない空気の強張りも、ふっと緩んでくれた。
 ランドンとの邂逅を経て砦に到着してから、一晩体を休めた翌日。ノエたちは、予定どおり日が昇り切る前に砦を後にして、攫われた人がいるだろうと目されている山へと向かっていた。
 地脈の上に聳え立つと言われているその山は、確かにノエが今まで見てきた山嶺のどれとも違う姿を見せている。その一つが、先ほども口にしていた積雪量の少なさだ。
 イシュガルド皇国に到着してから目にしてきた山々のほぼ全てが、その山頂に白い雪化粧を施していた。だが、この山の山頂は黒ずんだ岩の色が麓からも見えた。
 通り過ぎる風に冷たさはあるものの、低地にあるはずの砦に比べると、こちらの方がやや気温が高いような気すらするのだから、山の頂上付近でも雪が積もりにくいのかもしれない。
 加えて、驚かされたのは先だってから何度も目にしている、とある光景だ。
「これも、地脈の影響なんでしょうか。こんな景色、クルザスでは見たことがありません」
「地属性が不自然に活性化したら、こういう景色ができても不思議じゃない。自然に風化してできた部分もあるんだろうが、あの辺りに隆起しているのは、間違いなくクリスタルだろうな」
 山道の端――一歩間違えば滑落間違いなしの崖の縁に少しだけチョコボを寄せて、ノエは眼下に広がる光景に思わず唾をのむ。
 崖下に広がっているのは、山の麓によく見られる森林でもなければ、草も生えない地面ではない。薄く雪が積もっているものの、そこには尖った岩やクリスタルの群れが槍衾のように並び立っていた。
 時に、自然はこちらが予想もしていないような景色を生み出す場合がある。ルーシャンの話す通り、特定の属性が偏ったことにより、奈落に落ちれば串刺しは免れないような空恐ろしい光景を生み出したのかもしれない。
「なるほど、この山に竜が住まないわけだ。こんな地形、飛べないドラゴン族にとっちゃ天然の罠がそこらじゅうにあるようなものだろうからな」
 崖から山道へと戻りつつ、ルーシャンは苦笑いをこぼす。
 山に踏み入って分かったことだが、山道の幅はあまり広いとは言えない部分が多い。お世辞にも、大柄なドラゴン族が通りやすいとは言えない地形がいくつもあった。
 翼が退化したドラゴン族にとっては、滑落しやすい細い道の下に、尖った岩やクリスタル群が並んでいるとなれば、自然と足も遠ざかるというものだ。
 山の麓から、現在一行がいる山道に至るまで、すでに二時間ほどが経過している。たったそれだけしか経っていないのに、ノエたちは何度もこれらの不可思議な光景を目にしていた。つまり、このような地形は山の特定の一箇所にとどまるものではない、ということだ。
「ドラゴン族がいない代わりに、ここは他の獣たちが住み着いているみたいだね」
「ドラゴン族がいない分、のびのびと生きられるのでしょうか」
「そうだと思うよ。食べ物は少なくても、竜と共に暮らすよりはいいと考える個体もいるんじゃないだろうか」
 ノエとオデットが視線をやった先には、グリダニアでも見かけたような、小型の鹿か山羊に似た動物が群れを作り、こちらをじっと見据えていた。角を生やした一体に率いられた群れは、警戒音として「ピューイ」と甲高い鳴き声をあげて、次々とノエたちの前から姿を消していく。
 彼らにとって、ノエたちは招かれざる侵入者だったからだろうか。それとも、他に警戒しなければならない敵がいたのだろうか。
 その答えは、残念ながら後者だった。
……おい、ノエ」
「うん、気がついている。どうやら、何か近づいてきているみたいだ」
 オランローの掛け声に呼応して、ノエは腰の剣に手を添える。
 ガサガサと木々を鳴らす葉ずれの音は、単に風が吹き鳴らしたものとは思えない。
 一行の左手に広がるのは、先ほどルーシャンが近づいた崖っぷちだ。前方の視界は良好で、獣がいるとは思えない。
 ならば、右手に広がる坂とも崖とも言えない斜面からか。地脈の影響で木が少ないという話は聞いていたが、木が全く生えていないわけではない。斜面に僅かに生えた植物の隙間を掻い潜るようにして、姿を見せたのは。
「皆さん、構えてください!」
 ノエも以前目にしたことがある、熊にも巨大なイタチにも似た野獣が斜面の上部から姿を見せた。
 だが、飛び出てきたのはそれだけではなかった。
「ぅ、わあああ!!」
 獣ならば決して発することのない悲鳴。獣に追い立てられるように、一足遅れて茂みから姿を見せた小さな影は、間違いなくヒトの姿をしていた。
「ボクが行く! ノエたちは、あっちを頼む!」
「はい! お願いします、ヤルマルさん!」
 ヤルマルが人影に向かって駆け出すのを片目で追いつつ、ノエはチョコボから飛び降りて剣を鞘から抜き放つ。
 同時に、体を巡るエーテルのひとかけらを掬い上げ、斜面を転がり落ちるように駆ける獣へとエーテルをぶつける。
 魔法とすら言えない、実際に相手に傷ひとつ負わすこともないこの技の真価は、相手を傷つけることにはない。
 不可視の不愉快な何かが接触してきたと、敵に認識させる。その結果、獣は自分が追いかけてきたものから、標的を技をぶつけてきた相手へと切り替える。それが、この技の目的だ。
 予想通り、獣はノエへと標的を切り替え、その巨大な体を新たな敵へとぶつけんと一目散に斜面を駆け降りてくる。
「兄さん!」
「オデット、支援は頼んだ!」
 すぐさま、オデットの放った光の障壁魔法がノエの体を覆う。ノエの振り翳した盾が放った即席の障壁とあわさり、強靭な壁が獣の前へと立ちはだかった。
 そうとは知らず、獣は不可視の壁に全力でぶつかる。
 バンッと激しい衝突音。びりびりと、盾に広がる振動。ざり、と音を立てて靴が不安定な斜面を滑りかける。
 しかし、獣の方も障壁にぶつかって無事で済んだわけではない。
 石壁に全力疾走して激突したような衝撃は、正しく獣の体にも伝わったようだ。
 獣は一度頭をもたげるも、ぐらりと体を傾ける。どうやら、勢いよく頭をぶつけたせいで、軽い脳震盪を起こしているようだ。
「ノエ、どうする。このまま仕留める?」
……いえ。一旦、様子を見ましょう」
 斧を携えてノエの傍へとやってきたサルヒは、警戒の色を隠さずに獣を見つめている。
 しかし、ノエは一方的に攻撃できる好機であることを分かった上で、獣の様子を見守ることに徹した。
 心のどこかで、こんなにも悠長に構えて要素を見ている場合か、と惑う気持ちはある。
 攫われた人は、今もこの山のどこかで助けを求めているのかもしれない。この獣をさっさと殺して、捜索を続けるべきだという焦燥は嘘ではない。
……でも、それは本当に望ましい僕の姿じゃない。少なくとも、今の僕はそう思う)
 狼の群れを一方的に殺戮しようとした自分を止めた、ヤルマルの言葉を思い出す。焦る気持ちのままに獣を狩れば、いずれその焦りはヒトにも向けられることになる。そう判断し、ノエは剣を握ったまま、己自身の心の手綱を引いて、獣の次なる動きを待った。
 果たして、獣はのっそりと起き上がると、ぶるぶると頭を数度振ったかと思いきや、踵を返して去っていった。周囲に散らばるヒトの気配を察知して、形勢不利と判断してくれたのだろうか。
「獲物を追っていた途中で横槍が入ったから、冷静になってくれたみたい」
「そのようですね。……無益な殺生は望むところではありませんでしたから、ちょうどよかったです」
 念のため、もう一度周りを見渡してから、ノエは剣を鞘に収める。
 残心を解いて、振り返ったノエは、ヤルマルが助けた人物の姿を目にして、思わず目を丸くした。
 褐色の肌に癖の多い銀色の髪。いつも、友人であるグレンのそばにいて、無口な彼の分まで口を動かしていたその子供は、
「コーディ!? よかった、無事だったんですね!」
 ノエに救出を依頼したグレンが求めていた友人の姿に、ノエは今度こそ安堵から顔を緩めた。
 
 ***
 
「それにしても驚いたなあ! まさか、ここにプリシラさんの知り合いの兄ちゃんたちが来るなんてさ」
 もごもごと口を動かしながら、コーディは素直な驚きを口にする。
 獣に追いかけられ、斜面から転げ落ちるように姿を見せた少年――コーディは、ヤルマルによって救出された。彼から事情を聞く時間を取るついでに、一行は比較的見晴らしの良いところに陣取って、小休憩の時間としていた。
 姿を見せた時こそ、獣に襲われていたために全力疾走していたコーディだったが、今の彼は決して健康とは言えない状態だった。
 間近で見ると、彼が随分とやつれて、疲れの色が濃いことがすぐに分かった。一週間ほど前に目にしたときは、瞳には子供らしい輝きが宿り、少年らしい頬の丸みにえくぼを浮かべて笑っていたことを知っていたが故に、彼の変化はより痛々しく見えてしまった。
 そんな子供に、何があったかをさっさと話せと強いるのはあまりに酷だ。そのように判断し、ちょうど良い頃合いだからと、ひとまず休息と聞き取りの時間を設けたのである。
「こっちこそ、君が急にいなくなってびっくりしたんだよ。随分と疲れてるようだけれど、今まで一体どうしていたんだい」
 以前、コーディに冒険譚を聞かせてやったことがあるヤルマルが、ひとまずの聞き取り役となって、コーディへと問いかける。
 コーディは、カップに入った水を一息で飲み干すと、
「それがもう、すっごく色々なことがあったんだよ! 気がついたら知らないうちにこんな山奥に連れてこられちゃってるし、大人たちは難しい話ばっかりしてるし。そしたら、ある日急に皆いなくなっちゃうし!」
「いなくなった? それは、いつのことですか」
 やはり、自分たちは間に合わなかったのではないかと、ノエの心中に冷たいものが落ちる。そんなノエの気持ちも知らず、コーディは自分の額に指を押し当てると、
「えーっと……二日か三日前ぐらいかなあ。最初は、俺以外にも大人の人がいたんだ。十人ぐらいいたかなあ。だけど、起きたらいなくなっちゃってたんだよ」
「では、この山に残っているのはコーディさんだけなのですか?」
「ううん。俺と、クララ姉ちゃんと、マルコじいちゃんが残ったんだ。クララ姉ちゃんは、誘われたけど行きたくないから行かなかったって言ってた。マルコじいちゃんは、体がきついから動きたくないってさ」
 聞いたことのない名前の人物が登場して、ノエたちは思わず顔をみあわせる。察するに、それはコーディと共に攫われた人たちなのだろう。
「もしできるなら、順を追って話してもらえるかな。君が覚えている限りでいいから」
 ことの経緯をまず知らねばなるまいと、ヤルマルは静かに問いかける。興奮気味のコーディをできる限り落ち着かせようと、ヤルマル以外の者は口をつぐんで様子を見守っていた。
「話すのはいいけど、俺もここの上にあるボロボロの家の中で起きるまでは、何が起きたかよく覚えてないんだ。大人の中には、ここに来る前に一度目を覚ましたって人もいたみたいだけどさ」
「じゃあ、君は自分が飛竜に攫われたことも覚えていないのかい。グレンは、君が攫われるところを見て、ボクたちに君を助けてほしいって頼んだんだよ」
 グレンの名前を聞いた瞬間、コーディは明らかに表情を変えた。
 だが、それは友人の名を聞いた喜びや懐かしさをとはまた異なるものだった。
 さながら、悪戯を問いただされた子供のように、コーディは瞬きの回数を増やし、視線を彷徨わせていたのだ。
「コーディ、どうかしたのかい」
「ああ、いや、うん。なんでもないんだ。そっか。グレンが、俺のことを……
「グレンは友人として、君のことをとても気にかけていたみたいだよ。自分のせいで君が攫われてしまったと、とても気に病んでいたんだそうだ」
…………
 コーディにとって、ヤルマルの説明は意外な内容だったらしい。彼は今までの饒舌さと打って変わって、目を伏せて落ち着きなく瞬きを繰り返していた。
「コーディ。君が友人に会えるようにするためにも、ボクたちは全力で君を街へと連れて帰るよ。安心するといい」
 コーディが気落ちしたように見えたのは、街に帰りたい気持ちが芽生えたからだろう。そう判断して、ヤルマルは今は当面の問題を全て棚上げして、前向きな希望だけを示した。
 そんなヤルマルの気持ちを察してか、コーディも顔を上げて小さく一度頷きを返した。
「俺、飛竜に攫われたっていうのは、クララ姉ちゃんに教えてもらって初めて聞いたんだ。一緒にいた大人の中には、飛竜に掴まれて空を飛んでいた記憶があるって言っていた人もいたし……暴れて、落ちちゃったのを見たって言った人もいたから、多分間違いないと思う」
……そうか。それは、覚えてないとしても随分と怖い思いをしたね」
「うーん、でも覚えてないから怖いも何もないよ。俺も、空から見る景色、一度見てみたかったなあ」
 一見すると呑気な発言にも聞こえるが、それがコーディなりの空元気なのだとは一同にも伝わっていた。恐怖に怯えて我を忘れるような素振りもなければ、言葉に詰まるようなところもないが、それでもコーディは子供であることには変わりない。命が危険にさらされて、平常心でいられるわけがないことは誰もが分かっていた。
「君の話によると、攫われた人は君も含めて大体十人程度という話だったね。君以外の子供はいなかったのかい?」
「うん。子供は俺だけで、クララ姉ちゃんが次に若い人だと思う。ちょうど、ノエ兄ちゃんと同じくらいの年だったよ。あと、爺ちゃんはマルコじいちゃんだけだった」
 コーディの説明によると、拉致されてきた人は殆どが意識のないままに山中に連れてこられたらしい。目覚めたときには飛竜の姿はなく、飛竜に襲われた記憶すら恐怖のあまり忘れてしまった人にとっては、いきなり見知らぬ廃墟で目を覚ましたように思えてしまったようだ。
「それで、大人の人たちが『どうしてこんな所にいるんだ』って慌ててるときに、ローブを着た怖そうな人たちが姿を見せたんだ。その人たちが、俺たちをここに連れてくるように飛竜に頼んだって言ってたんだよ」
……それは、つまりあの街を襲撃した犯人ってことだろうか」
「多分、そうだと思う。そんな感じのこと、言ってたから。大人たちはすごく怒って、殴り掛かろうとする人もいたんだけど、ローブの人が言ったんだ。私たちはお前らの命の恩人なのにって」
「命の恩人? 攫ったのは自分たちなのに、そのようなことを言ったのですか」
 むしろ、命を危険に晒している側ではないかと、ノエが眉を顰めて繰り返す。コーディはこめかみに指先を当てて、記憶を辿るように顔にしかめつらを浮かべながら続ける。
「ノエ兄ちゃんと同じことを、大人たちも言ってたよ。そしたら、ローブの人が瓶を取り出したんだ。で、それを見せながら、俺たちが襲撃で大怪我をしていたから、連れ出して竜の血を飲ませたんだって。そうじゃないと、俺たちはそのまま死んでいただろうって――……
 そこまで流暢に話していたコーディは、急に言葉を止めてパッと自分の口を塞いだ。
 言ってはいけないことを知らず知らずのうちに口にしてしまい、それに気がついたかのような振る舞いであるのは明白だ。褐色の肌であるがゆえに分かりづらいが、その顔はみるみるうちに真っ青になっているのが見てとれた。
「竜の血を、飲んだのですか」
 できる限り、コーディを怯えさせないようにノエは静かに問いかける。
 コーディは弾かれたように顔を上げ、素早く首を横に振り、
「の、飲んでないっ! さっきのは、えっと……間違いだ! そう、間違えたんだよ! だって、ゲルダ姉ちゃんやローブの人はそう言ってたけど、俺には全然そんな記憶ないし……! たしかに、怪我をしたような気がしたけれど、でもきっと気のせいだったんだ!! だって、俺は竜になんかなってないし……――!!」
「落ち着いて、コーディ。たとえ君が竜の血を口にしていたとしても、ボクらは問答無用で君を殺したりしないよ」
 立ち上がって必死に己の無実を証明しようとするコーディを、ヤルマルはやんわりと宥める。
 急に立ち上がったせいで、まだ回復しきっていない体力の限界が訪れたのだろう。コーディがふらりと体を傾がせたのに気がつき、ヤルマルは彼の体を掴んで再び座らせた。
「ほ、本当に……? でも、教会の司祭様は、血を飲んだ人は異端者になるんだって言ってた。だから、俺も」
「血を飲んだだけで異端者になったと考えるかどうかは、人によって意見が分かれるところだと思います。ですが、少なくともここにいる僕とその仲間たちは、無理やり血を飲まされた人を異端者だと看做して追い詰めるような真似はしません」
……俺、異端者じゃないの、か。兄ちゃんたちは、俺が竜の血を飲んでても、こ……殺さないのか?」
「そんなことはしません。約束します」
 ノエはコーディの不安げな視線を正面から受け止めて、深く頷く。
 たとえ子供であったとしても、竜の血を飲むことが決して認められない悪事であると、骨の髄まで理解している。イシュガルドという国で生まれ育ったコーディも、異端者は悪であるという教えを叩き込まれて育った一人だ。
 だからこそ、今のコーディのように、無理に竜の血を飲まされた彼らの不安をどうにかして拭わねばならない。ただ命を助けただけで全てが万事解決するわけではないのだと、ノエは改めて現状の厳しさを噛み締める。
 だが、今は彼らの状況を把握する方を優先するべきだ。
「ローブの人たちは、竜の血を持っていた。ならば、彼らは異端者だったのでしょうね」
「う、うん。大人たちもそう言っていた。そいつらに血を飲まされたって聞いて、皆、すごく驚いたり、怖がったり、とても怒ったりしてた。ローブの人よりも、街からきた大人の人の方が怖く見えるぐらいだった」
 コーディは、ヤルマルから渡してもらった干し果物を、命綱か何かのように握りしめながら、再び説明を始めた。
 コーディの説明によると、大人たちは子供の彼が怯えるほどに激しい怒りを露わにしたようだ。当然ながら異端者に食ってかかろうとした者もいた。しかし、流石の彼らも、竜の血をちらつかされれば拳を収めるしかなかったとのことだった。
 見た目は人の姿をしているとはいえ、いつ血を煽って竜そのものになるかわからない者に殴りかかるような無謀に挑戦する者は、その場にはいなかったようだ。
「皆が落ち着き始めた頃には、ローブの人たちは、いっぱい色んなことを話し始めたんだ。何言ってるかよくわかんない所も多かったし、すっごく疲れてたから俺は途中で寝ちゃったんだけど……でも、最初は怒ってた人たちも、途中から静かになって話を聞いていたみたいだった」
……異端者の言い分は、少なくとも攫われてきた街の人たちが耳を貸すに値するものだったということですね」
 恐れていた事態が一足早く進行していたとわかり、ノエは眉間に力を込める。できることなら、彼らが懐柔される前に訪れたかったが、間に合わなかったようだ。彼らは、異端者の甘言に耳を貸して、すでにこの場所を後にしてしまったのだから。
「それで、俺が目を覚ましたあとは、大人たちは話し込んでたり、急に言い争いをしたり、なんか……すごく、嫌な感じだった」
「異端者に与するかどうか、協議をしていたのだろうな。中には、異端者の言い分に一考の価値があると考えた者もいたのだろう」
 コーディが見聞きした内容を、オランローが推測から補足していく。竜の血を飲まされた以上、街に戻ることもできない。そもそも、この山から降りる方法もわからない。だったら、異端者としてヒトを襲うかどうかはともかくとして、一旦は敵の言うことに耳を貸すべきではないか。そう考える者が現れたと考えるのは不自然なことではない。
「難しい話は俺にはわからなかったし、すっごくお腹が空いてたんだ。だから、腹が減ったってゲルダ姉ちゃんに言ったんだよ。そしたら、ゲルダ姉ちゃんがローブの人に掛け合って、皆に食べ物を分けてくれたんだ」
「えっと……先ほどからコーディさんが口にしている『ゲルダ』さんというのは、どのような方なんですか? 聞いた限り、コーディさんたちを攫った人の一人のように聞こえますが……
 オデットの質問に、コーディは「ああそうだった」と呟く。
「俺たちを攫った人たちの中で、一番俺に年が近くて、いなくなるまでは一番俺と話をしてくれた人が、ゲルダ姉ちゃんなんだよ。多分、オデット姉ちゃんと同じくらいだと思う」
「そんな小さな子が、コーディさんに竜の血を飲ませた人の中にいたんですか……?」
 竜の血を飲まされた話をしたとき、コーディはゲルダなる人物の名を口にしていた。
 順当に考えれば、ゲルダはコーディが竜血を飲まされる様を黙って見守っていた人物の一人だ。
「ゲルダ姉ちゃんは、ローブの人……異端者みたいに『竜は悪くないんだ』って話をしてた。でも、俺が司祭様から聞いた話と違うんじゃないかって言っても、他の大人みたいに難しい言葉を使って怒鳴るようなことはしなかったんだ」
 コーディは、複雑に入り混じる気持ちをどうにか言葉にしようと、口元をまごつかせると、
「ただ、ちょっと困った顔はしてた。竜が全て悪いわけじゃないんだよって、それだけを何度も言ってたんだ。でも、その話題以外だったら、色々と面白い話をしてくれたんだよ。この山に食べられる木の実があるって教えてくれたのも、ゲルダ姉ちゃんだったんだ」
 コーディのような子供にとっては、異端者とは何かという正当性の部分で疑いはあっても、話ができる相手というだけで信頼に値すると思えたのだろう。ゲルダという少女は、この一週間近い間にコーディの身に降りかかった孤独に寄り添ってくれた人でもあったようだ。
「そうして、街の人と異端者の間で緊張状態が続いた末に、街の人の大部分は異端者の言葉に同意して山を出て行った。そういうこと?」
 話が脱線しがちなコーディを嗜めるように、サルヒが問いかける。
 果たして、コーディは今度こそしっかりと首肯を返した。
「皆がいなくなって、残されていた食べ物も無くなったから、お腹が空いちゃったんだよ。でも、クララ姉ちゃんもマルコ爺ちゃんも、山の中に入って食べられるものを探すのに慣れていなさそうだったから、俺が探しに来たんだ」
「そして、獣に追われているうちにボクたちに合流できた、と」
「うん。でも、皆が来てくれるっていうのなら、他の大人たちも待っていればよかったのにさ。兄ちゃんたちなら、怖い異端者の大人たちもやっつけられるだろ?」
 コーディの信頼と無邪気さの合わさった問いかけに、ノエはぐっと言葉を詰まらせる。
 コーディにとって、自分を攫った異端者たちは、まごうことなき悪人だ。だから、やっつけてもいい、と判断して、このような願いを事もなげに口にするだろう。
 しかし、彼は知らない。その悪人もまたヒトであり、それを『やっつける』というのはまず間違いなくヒトを殺すことに繋がることに。
 子供である彼に、そこまで読み取って発言しろと言うわけにもいかない。それでも、ノエの脳裏にかつての異端者との戦いを彷彿させるには十分な一言ではあった。
……どちらにせよ、目的ははっきりしたんだ。全員は連れ帰れなくても、残ったその女性と爺さんだけでも救出しよう。まさか、いつまでもこの山にいるなんて、その二人も言わないだろうからな」
 言葉に詰まったノエに代わって、ルーシャンが当面の目標を口にする。
 去っていった被害者たちがどのような気持ちで異端者に着いて行ったかは不明だが、流石に手がかりもないままに探しに行こうとは言えない。
 それに、ひょっとしたら、子供のコーディと異なり、残っている二人なら違う情報を持っているかもしれない。ならば、どちらにせよ彼らとの合流は不可欠だ。
「コーディさん。道案内は任せてもいいでしょうか。今、皆さんはどこにいるのですか」
「山の上の方にある、ボロボロの村にいるんだ。おかげで、少し寒くても薪さえ集めれば、火をおこして温まることはできたんだよ」
 察するに、彼らは山にあるという採掘師が作り上げた村落の跡地に滞在しているらしい。他の地域と違って比較的な温暖な気候のおかげで、凍死も免れたようだ。
「そこまで案内するのはいいけど、途中から逃げ回るのに必死になっちゃったから、細かい道順は覚えてないんだ。それでもいい?」
「構いません。大雑把に方向を教えてもらえるだけでも、大助かりです」
「じゃあ、コーディはオランローのチョコボの背に乗ってもらおうか。それから――
 ヤルマルが、そこまで言いかけたときだった。
 ずしん、と腹にまで響く重たい振動に、一向は思わず口を噤む。
 最初、それは離れたところを大型の獣が歩いているだけなのだと思おうとした。
 けれども、その振動は明らかに徐々にこちらへと近づきいている。もはや、大地を揺さぶる地響きは、無視できない大きさとなって一行を覆い尽くしていた。
 六人はすぐさま荷物をまとめ、立ち上がる。事態についていけない様子のコーディの首根っこをオランローが掴み、自身のチョコボへ投げ上げたときだった。
「兄さん、あの影は……!」
「ああ。……どうやら、本当にまた会うことになってしまったな」
 ここに来る前に、ノエはルーシャンを除く四名に最悪の可能性について説明をしていた。
 理由は不明だが、ノエへと言葉を投げかけてきた竜――ランドンが口にした内容。そして、彼は、ノエへに投げた問答の答えを求めて、また姿を見せるだろうということも。
 それでも四人は同行を続けると言い切ってくれたものの、できれば出会わないでいてくれと願ったのは嘘ではない。
 しかし、彼らの儚い希望を嘲笑うように、山道の下部から薄靄をかき分けるようにして巨大な影が滲む。
「ね、ねえ! あれってまさか、竜なのか!?」
「ああ、そうだ。だが、まだ遠い。今のうちに距離を稼ぐぞ!」
 飛竜に拉致された経験はあれど、流石にこれほど大型の竜を間近に見た経験はなかったらしい。震え上がるコーディに自分にしがみつくように指示を出すと、オランローがひと足さきにチョコボを走らせる。すぐに、サルヒがチョコボの胴を軽く蹴り、続けて彼の後を追う。
 他の面々も、彼らに倣ってチョコボへと飛び乗り、手綱を握る。少しでも早く走れと焦る乗り手の気持ちが伝わったのか、クエエェと声をあげてチョコボたちがが駆け出す。
「ちらっと見たかぎりだが、あの体の大きさなら、山道を歩くだけでもやっとのはずだ。この距離なら逃げ切れるだろうさ」
「ですが、万が一追いついてきたらどうしましょう」
 後ろに続くオデットとノエを安心させるように、ヤルマルが敢えて楽観的な予測を口にする。
 しかし、オデットの不安ももっともだ。山脈がいくら入り組んでいても、登れば登るほどに逃げ道は少なくなる。追い詰められてしまったら、一向はランドンと対峙せざるを得なくなる。
……願わくば、ランドンが行けるような足場が無くなっていることを祈るしかない。あるいは、彼が諦めてくれるのを待つか、だね」
「そう、ですね……。ランドンの注意を逸らせるような何かがあったらいいんですが……
 ちょうど、先だっての騎兵部隊のように大掛かりな攻撃があれば、ランドンも引き下がってくれるだろう。だが、そのようなものが都合よく姿を現してくれるわけもない。
 いっそ、空から雷が落ちてきてランドンを打ってくれないものだろうか。都合のいい奇跡を祈るような気持ちで、オデットが一瞬空を見上げた時だった。
 グオオオ、と何度目になるか分からない大音声の咆哮が轟く。大地を割るような声に、チョコボが驚き、その場で思わず踏みとどまる。
 一行がいく道の両側に切り立つように並ぶ斜面からは、バラバラと石の欠片がこぼれ落ちる。乾いた音が幾重も重なり、
「ノエ、オデット! 止まれ!!」
 いったい、誰が注意を投げかけてくれたのか。はっきりと分からぬうちに、耳をつんざく破壊音がノエたちの鼓膜を打った。
 大地そのものを割ったのではないか思うほどの、轟音と振動。体を揺さぶる振動が、本能的な恐怖を刺激する。
 指示を聞いていなかったなら、ノエはともかく、オデットは間違いなくチョコボを止めるなどという判断はできなかっただろう。
 振動と轟音による恐慌から思わず瞑っていた目を、オデットは恐る恐る開いていく。
 そして、絶句する。
――! そんな……っ」
「しまった! 道が、塞がってしまった……!」
 谷の間を走るように両側が斜面で囲まれた道を、ノエたちは縦一列になって走っていた。その隊列を分断するように、斜面の上部から巨石が落ち、道を塞いでしまったのだ。
 山にできる道は、岩や山を構成する岩盤が絶妙に組み合わさったことによって生み出された自然の産物だ。故に、ひとたび崩れてしまえば、道としての再利用は困難になる。
 道を塞いでいる岩を砕けば、と考えたものの、身の丈を優に上回る巨石を砕くには相応に時間が必要になるだろう。だが、足元に響く振動がそのような悠長な手段をとる時間がないことを示している。
「皆さん、先に進んでおいてください! 僕たちは別の道を探します!」
「だけど、ノエ!」
「ここで皆が立ち止まっていれば、どのみちあいつに追いつかれます。それぐらいなら、コーディさんが言っていた、残りの二人のところに先に行っておいた方がいい」
 昨日、ヤルマルが作ってくれた地図をノエも書き写している。コーディの話していた内容から察するに、残った人々は地図に記した廃村のはずだ。目的地がわかっているなら、あとは合流を目指せばいいだけである。
……だったら、ボクらは上で君の到着を待っているよ。来なかったら、承知しないからな!」
 断腸の思いであることを隠せずに、苦渋を滲ませたヤルマルの声が岩ごしに聞こえた。
 それでも、彼女は先に行くことを選んでくれた。自分と同じように、誰かを助けるために動ける強さを持つ先達の冒険者に、ノエは最大級の感謝と敬意を無言で送る。
……オデット、ごめん。申し訳ないけれど、今は僕の無茶に付き合ってくれるかな」
「そう言ってくれてよかったです。兄さんが、もし、『一人で囮になる』と言い出していたら、今ここでひっぱたくところでしたよ」
 容赦のない物言いを挟みながらも、オデットは苦笑を顔に滲ませる。その間にも、二人に近づく振動はますます大きくなっていた。
「僕は君のところに戻ると約束した。だから、そんな真似はしないよ。それに、策なら一応考えているんだ」
 ノエはチョコボの手綱を握ると、その首先を反対側に向ける。彼は走ってきた道を逆に辿り出したが、すぐにその途中で足を止めさせた。
 そこはちょうど、谷間のような道ができる手前にあたる部分であった。
 霧の向こうにランドンの姿が既に見えているというのに、一体こんな場所で何をするというのか。まさかランドンと本当に戦うつもりなのかと、オデットが危惧していると、
「オデット。今から僕はここを降りる。チョコボに指示を出したあとは、しっかり手綱を掴んで、体を低くして、両足でチョコボの胴体を挟んで体を固定させるんだ。いいね」
「えっ、ここを降りるんですか!?」
 オデットが驚くのも無理もない。ノエが見下ろしているのは、かなり鋭角の角度を誇る斜面だったからだ。チョコボが蹴飛ばした石ころが、あっという間に転がり落ちていくのが見える。
 さすがに、底が見えないほどの高所ではなかったが、遥か下に見える岩が掌に乗る小石ぐらいの大きさは見える。それほどまでの高さが、この場所から下に見える地面までの間には存在するのだ。
 だが、緊張と高所から生じる恐怖からオデットが唾を飲む暇もなく、既にノエはチョコボの首先をそちらに向け、手綱でその体を軽く打っていた。
「このぐらいの高さなら、以前ウヴィルトータさんといた時に降りたことがある。でも、もし、オデットが怖いと思うなら、僕だけが降りるよ。ランドンはきっと、僕を追いかけてくるだろうから、オデットはその後に安全な道を探してもらうか、一度下山して――
……行きます。わたしは、兄さんの隣にいるって決めたんです」
 ノエが次善の策を言い切る前に、すでにオデットは結論を出していた。
……わかった。じゃあ、僕が先に行く。何かあったら、僕がオデットのフォローをするよ」
 言うや否や、ノエはためらいもせずにチョコボを斜面へと走らせた。彼の姿は、あっという間にあっという間にオデットの視界から遠ざかっていく。
 一瞬の迷いを経て、オデットもその後に続く。最初こそ、意地と覚悟で恐怖を抑え込んでいたものの、数秒もしないうちにオデットは自分が駆け降りる斜面の角度とスピードに、喉の奥から悲鳴をあげた。
 次から次へと視界に飛び込み、過ぎ去っていく岩や木々の枝。チョコボの膝ぐらいの高さにある茂みには何度も勢い余って突っ込んでしまったし、中途半端に伸びた枯れ木の横を通った時は、頬に鋭い痛みが走った。
 それでも、ノエに言われた通りに体を低くして、足でチョコボの胴体を挟むようにして、永遠とも思われた下降の時間を耐えた。体にかかる中途半端な浮遊感に、恐怖を通り越してある種の虚脱を迎えかけた頃、
「オデット!」
 ずしん、と腹に響く着地の衝撃と同時に浮遊感がきえる。おかオデットは自分が無事に斜面を下り終えたことを知った。
 ノエの声を追いかけて顔を上げれば、彼はオデットの元へとチョコボを走らせているところだった。
「兄さん、わたし、無事に降りられていますか……? まだ、頭がふらふらするような感じがして……
「ああ、大丈夫だ。体に痛みはあるだろうか。腕を打ったり、頭を激しくぶつけたりは?」
「いえ、そういうことはなかったはずです。もう、ランドンは追いかけてこないでしょうか」
「そうだといいんだが……
 だが、オデットとノエの希望を裏切るように、バラバラと小石や大粒の石が斜面から転がり落ちる嫌な音が響く。ノエとオデットが視線を上げた先、聳え立つ竜の影は斜面へと一歩を踏み出していたところだった。
「オデット、行こう!」
「でも、どこに……!?」
「さっき、あそこに洞穴があるのが見えたんだ。入り口が小さかったから、あそこならランドンも通れないはずだ!」
 ノエはすぐさま手綱を操り、チョコボの胴体を軽く蹴る。
 出発の合図を受けて走り出したチョコボの尾羽を追い、オデットも慌てて手綱を操り、その後を追いかけたのだった。