リンクさんの出で立ちは、今までに見たことがなかった。腰に無理をさせるほど引き絞った砂時計型の婦人服は足元を隠し、革手袋ではなく光沢のある絹の手袋をしている。生花を添えた小さな帽子を頭に乗せ、胸元にはサファイアのネックレスが下がる。剣の代わりに緻密なレースに縁取られた真っ白な日傘を優雅に握っていた。
どこからどう見ても、剣士に守られる側である貴族の令嬢。この姿をした彼女を初めて見た者は、彼女が現役近衛だと見抜くことはできないだろう。
私たちは並んで歩き、城を守る堀に張りめぐらされた水面を見つめていた。太陽の輝きが堀の水面に反射してキラキラと輝く。けれどその美しさは、リンクさんに遠く及ばない。
リンクさんの横顔は、深窓の令嬢といった様相であった。常に自身を見つめ、厳しく鍛錬に当たる日々を過ごしていた姿ばかり見てきた私にとって、今のリンクさんは見慣れない。
「何だか不思議な気持ちです」
「どうしてですか?」
「今の貴女は、私の知らない姿をしていますから」
「……やはり似合っていませんか?」
しゅんと残念がるリンクさんは、まるで萎んだチューリップのよう。大きく落ち込む様子に私は思わず焦った。
「いえっ! そういう事ではなく……その……とても、よく似合っています! 私には御婦人のドレスの良し悪しを見定めることはできませんが、今のリンクさんは……とても、綺麗です」
やはり、私はこういう場面に慣れていない。あれこれと言葉を並べ立てても、それがこの場に相応しいものなのか、彼女に喜んでもらえるものなのか、まるで見当がつかないのだ。
「私の気持ちが追いつかない、と言ったほうが良いのかもしれません。貴女の、姿に」
ようやく纏まった考えを伝えれば、リンクさんは何が可笑しかったのか、朗らかに笑った。令嬢らしさから少し離れたその顔を私は知っている。普段神経を尖らせている彼女が時折見せてくれた、安堵から来る声を伴った笑い。
「アルバート様、いえ、教官もそんな顔をされるんですね」
「リンクさん……」
「なんだか安心しました。教官って、凄く完璧なお方だと思っていましたので」
リンクさんの肩から力が抜けている。彼女も着慣れない衣服に身を包み、持ち慣れないものを持つことに違和感を覚えていたのだろう。『自分には似合わない』と思ってしまっているならば尚更だ。私だって、若い女性と二人きりなんていう状況に慣れていない。相手がリンクさんで無ければ、今頃質の違う緊張感でガチガチになっていたに違いない。
「教えてくださりませんか、見合いに参加することになった経緯を」
「はい、もちろんです」
✽✽
「あのおっさんが好き、だぁ?」
「失礼な言い方をしないでルベル。私の恩師なんだから」
「その恩師を好きになるかねぇ、普通……」
私の弟は、私に対して過保護だ。昔は私の後ろに隠れてなかなか出てこなかったのに、私がでかけると言うと何がなんでも付いてくる。たとえ小麦粉まみれだろうが、パン釜の前に立っていようが、びっくりするほど早く身綺麗に支度をして戸口の前に立っているのだ。姉の私が言うのも憚られるが、一般的に言う『シスコン』。弟は私から見てもなかなかに良い顔をしているのに、そんなだから色々と台無しだ。
「夏に一回だけ顔見たけどさぁ、ああいう品行方正に見えるのが一番こえぇんだぜ? どうすんだよ、とんでもねぇ変態だったら」
「へんッ……!? 教官はそんな方じゃないってば! 強くて、お優しくて……何より、私が近衛になるのを後押ししてくれた方なんだから」
私がそう言うと弟は「ふん」と唇を尖らせた。私の志を一番近くで見てきたのはこの子だから、その重要さがわかるはず。
「けど姉ちゃん、おっさんのこと、どのくらい知ってんだよ」
私が教官の剣技の巧みさや、現役時代の功績、教わってきたあれこれを話すと、弟は「違う違う」と首を横に振った。
「オレはさ、姉ちゃんは、教官としてじゃなくて、あのおっさんがどういう奴だか知ってんの? って聞いてるんだ」
弟の言葉に、私は返事ができなかった。
たしかに、私は知らない。『教官』ではなく、あの人自身のことを、何も。
私は、以前教官から言われたことを思い出した。
『貴方は何かを勘違いしているのかもしれないということです。騎士としての憧れを好意に履き違えている、とかね』
そうなのかもしれない。そんな気がしてきた。現場での研修中は城での仕事を覚えるのに必死で、教官に断られたことを考えている時間など無かった。あの人は私が立派な近衛になるのをお望みなのだから、そうなることが恩返しなのだと、何より自分のなりたい姿なのだからと。
正式入隊までの僅かな帰省期間でこちらに戻ったことで、忙殺されていた気持ちがゆっくりと膨れ上がった。私は、教官のことが好きだったと。
ということを弟に話したところ、こういった意見が返ってきたわけで。
「……もう、会えないよね」
「オレとしちゃ、会えないほうが万々歳だけどな。オレは嫌だよ。姉ちゃんがあんなおっさんの嫁になるなんて」
弟はどうしても教官のことが受け入れられないようだった。何が弟をそこまで思い込ませるのかわからないけど、ある一点ではそれが理解できた。私は教官のことを、否、『アルバート•ダギアニス』のことを知らない。何も知らない相手に対して盲目的になるなと、弟は言いたいのだろう。それに関しては、一応同意できる意見だ。
それでも、私の中にある近衛としての在り方はあの方の教えを基に作られたもの。何も知らないわけじゃない。だから私は、教官を好きになった。
でも、私は現役で、あの方は教官。会える機会など無い。成就しない想いを燻らせたまま、私はこの先を生きるしかないのだ。それを職務へ昇華できれば、一番良いのだけれど。
正式入隊後、王国軍に所属する女性たち数人の元に陛下から直々に手紙が送られてきた。その中に私も含まれていて、内容は『さる退役騎士の夫人となる女性を探しており、貴女はその候補として選ばれた』というもの。
やっと近衛として働けるようになったタイミングで婚約者候補にされるとは思わなかったけれど、退役騎士と聞いて私はすぐさま教官のことを思い出した。でもそんな人たちは国中にたくさんいるわけで、その退役騎士が教官である確率は低い。けれど陛下のお手紙を無視するわけにもいかず、私は『婚約者候補』たちと共に、その見合いの相手が誰なのか教えてほしいと陛下に願い出た。
陛下は私たちが目通りすることをお許しくださった。そして見合い相手の名や素性を伏せていたことに対し、私たちへの誠意に欠けていたことを詫び、そこで初めて見合い相手の仔細を知った。
『アルバート•ダギアニス』という名を聞いた瞬間、他の婚約者候補たちは「どこのどなた?」という反応だった。元近衛で現在は騎士学校にて教官の任に就いていると陛下が仰ったけれど、どうやら彼女たちは教官のことを知らないようだった。もしかすると、教官は特別科だけで教鞭を執っているのかもしれない。婚約者候補の中で、近衛をしているのは私だけだった。
教官の婚約者候補になったことに驚きと嬉しさがあったけれど、私はそれを隠した。私だけが先に知り合っているのは申し訳ない。私は見合い相手の素性を知らない振りをした。
退役騎士ということで、婚約者候補たちは皆ある程度の年齢であることは覚悟していたらしい。それでも数年以内に五十を迎える男の妻になるということに、抵抗感を覚えるのは仕方がないこと。
陛下は、見合い相手には浮いた話が一つも無いことや、雇用主の視点から見ても大変立派な人物であったことを話された。それでようやっと検討するかどうか、というのが婚約者候補たちの全体的な雰囲気だった。
謁見の間から下がり、私たちは官舎の食堂であれこれと話をした。おっさんなんか御免だという意見もあれば、元近衛なら金持ちのはず! という財産目当ての意見もあった。その中でも、万が一の保険として結婚するのもアリという意見が最も多かった。私は近衛だけれど、他の人達は各地に駐留したり、魔物を討伐するのが仕事。戦いが職務のメインである以上、身体が不自由になる可能性はいつだって秘めている。それを考えれば、金持ちの妻になるのも悪くない選択肢だと思う、と。教官が財を成しているかはわからないのに、勝手に話が進んでいる気がした。
「リンクさんはどう思う?」
「えっ?」
「そういやリンクさんって近衛だよね? その人のこと、知らなかったの?」
「えっと……まあ……一応……」
私は曖昧な返事しかできず、居た堪れなくなって「ごめん、そろそろ交代の時間だから」と誤魔化して食堂から出た。
あの人の年齢も、財産も、私には関係ない。ただ教官ともう一度会って話ができる機会を与えられたのだから、私はそれを掴みたい。けれど彼女たちの前でそんなこと言えない。見ているものが、私と彼女たちとではあまりにも違うのだ。
私は陛下へのお返事に、見合いを受ける旨を書き綴った。
✽✽
「そこからが大変でした。見合いを受けたと同室の子たちに話したら、服や化粧品を見繕うって城下町に引っ張り出されて……。けど私がなんにも知らないって言ったらびっくりされちゃいました」
堀と城を一望できるベンチに腰掛け、リンクさんは笑いながらそう言った。
「ドレス選びも、メイクも、髪型までその子達がやってくれたんです」
センスのあるルームメイトたちだ。婦人服のことや化粧品のことなど、私もさっぱりわからない。そんな素人目から見ても、今日のリンクさんは本当に美しい。きっとこの姿で町に繰り出せば、十人中十人が振り向くことだろう。
「優しい同僚に恵まれて、君がそこで役目を全うしているならば、君を教えた甲斐があるというものですよ」
「……教官」
リンクさんはベンチから立ち上がり、私の正面に立った。先程よりも少し鋭利な声色に、彼女の考えが本気であることが伝わる。私は身構えた。
「私、教官……いえ、アルバート様のことがもっとよく知りたいです。だから、少しずつ教えてください。私も、私のことを貴方にお話致します」
真っ白なドレス、結わえられた金髪、真摯な青い瞳。天頂に座する昼の太陽が、彼女を真上から照らす。まるで彼女自身が光り輝いているように見えた。その不思議な魅力は、伝承の絵画に残る女神様のよう。おかしなことだ。この子は騎士なのに。
いや、だからこそなのかもしれない。王家を護り、民を守る役目に就く近衛は女神様と似ている。騎士と女神様はふたつでひとつだと神話を解釈する者も多いのだ。彼女の中には、その二つの素質があるのだろう。
見合いと結婚は陛下からの頼み事だが、ここまで私を追いかけてきた彼女を袖にするのも申し訳ない。何より、以前にも増して私はこの子に興味を向けていた。
「……良いでしょう。私も、貴女に久しぶりに嬉しく思っていましたから」
リンクさんのパッとした笑顔が眩しい。私たちの二度目の出会いは、こうして始まった。
続く
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