ゆき
2024-08-11 17:04:49
2606文字
Public れめしし
 

また明日ねって言いたかったのにな(れめしし)

2024/8/11 無配。DC前日のふたり。

 さきほどからずっと、鞄にしまっていてなお、獅子神のスマートフォンが存在を主張している。
「出ていただいて結構ですよ」
「いえ、たいした用ではありませんから」
「それにしては」
 随分と長いこと鳴っている。と言う言葉を、相手方が苦笑いに変えたのは当然といえる。マナーモードの何がマナーなのか問いたくなるほどのやかましさだ。
「いたずら好きな友人がおりまして、申し訳ありません」
 取り出したスマートフォンの通知を一瞥して、予想通りの内容だと確認して通知を減らすモードに切り替える。あとで折り返すから勘弁してくれ。伝わるわけもない言い訳を、獅子神は心の中でつぶやいた。
 
 試合の前はいつも通りに。
 日常のひとつにあの緊張感を置くのだとして、当日の予定は流石にリスケしたものの、試合の日程が決まっても前日の外出はそのままにしていた。
 ホテルで密会などというのは大袈裟だが、機密性の高い商談なんていうのは、胡散臭そうでいて案外こういう所であるものだ。最近ようやく相手にされるようになってきて、こういった声かけもあることはある。
 欲しい情報を得て部屋を後にし、ホテルロビーまで降りてきてようやくスマートフォンを取り出すと、ロック画面の表示を見る間もなく、通話の呼び出し画面が表示された。
《叶 黎明》
 先ほどからバッテリー切れもかくやという勢いで、延々と通知を鳴らし続けている男の名前だ。
 
『敬一君ひどい!! 十分もオレのこと無視して!!』
「バカ、オメーこっちにも予定があんだよ」
『オレより大事な予定なんかあるかよ』
「オメーはオレの彼女か。お前とのアポイントはねぇだろ」
『じゃ、今から入れて。〇〇ホテルならタクシー待機してるでしょ、十五分ってとこかな。住所送るね』
「は?」
『じゃ、十五分後くらいに』
「待て待て待て、オレの都合を聞け」
『え、この後フリーでしょ? 断る理由なくない? オレもう十分も待ってんだけど』
「オレが悪いみてーに言うな」
『このオレが、敬一君をずっと待ってやるって言ってるんだ。不満なことがあるか?』
「あーもー、わかったわかった。行きゃいいんだろ」
『ほーら、そうこなくちゃね』
 そう言ってブツリと通話を切られた。
 勝手なやつだ。
 エントランスを出ると、流れるようにドアマンがタクシーを案内してくれる。老舗のシティホテルのスタッフは、毎日人の動きを見ているだけあって優秀だ。多少誘導したとはいえ、視線の動きひとつでこちらの要望を察する。
 これのもっとずっと高度なことを、息をするようにやってのける連中がいる。人も場も支配する、心理戦の強者たち。
 明日の対戦相手だって、同じだろう。
 あんなのがゴロゴロいるなかで、あの程度の位置で王様気取りをしてたことが、逐一自分の足元を不確かにする。無駄にした時間が、今更ながらに惜しい。後に立たないとはよく言ったものだ。
 明日がなんの日かよくわかっていたとしても、叶がここまでやかましく呼び出す理由は、きっとくだらない。
 その傍若無人さを思って短いため息をついて、シートに深く腰掛けるとタイを外して、叶が送ってきた住所を告げると、短い返事と共に車は走り出した。

◆ ◆ ◆
 
「おそい」
「自由すぎんだろ……
「じゃあ断ればいいだろ」
「あの勢いで断れるかよ」
 呼び出された先は、通りに面したカフェだった。タクシーを横付けした獅子神が車を降りると、叶以外の視線が獅子神に集まった。叶は通りから一歩奥まった、建物に沿って並ぶテラス席に座っていた。いつもよりおとなしい格好を、と言うよりお忍びのモデルか若手俳優かのような格好をしていたが、それでもなお、持ち前の華やかさが道ゆく人の目を惹いている。
「で、何の用だよ」
 入り口にいたスタッフが、二人の挨拶を邪魔しないタイミングでメニューを差し出してくる。
「次の予定までの間、暇だったからさ」
 叶はバラバラになったタルトの背と、溢れたブルーベリーを器用にまとめて口に入れた。ザクザクと、小気味良い音がする。
「は⁈」
「敬一君近くにいるんだったな~って思い出して」
「オレ今日の予定お前に言ったか?」
「言っても言わなくても、オレが知りたいと思って知れたんだから、それはもう必要のない質問だよ」
「そういう問題じゃねぇんだよ」
 呆れながらオーダーをかけようと視線を上げると、すぐにスタッフが反応する。ここもまた、よく目の行き届いた店だ。
「オレ寝ぐせすごいじゃん?」
「ああ? そうだな」
 いつだったか泊まって行った日の、鳥の巣のような頭を思い出す。寝相も悪かった。
「マメにケアしないとさ〜、お願いしてるとこが近くなんだよね」
「おい、」
「ほら、このへんもうハネてんのわかる?」
「ほんとだ……じゃなくて」
「なんだよ、よく見ろよ」
「マジでそんなことのために呼び出したのか? オレの用事が終わるのまで待って?」
 明日試合のオレを呼び出して? という言葉は飲み込んだ。
「そうだよ、明日試合の敬一君に、見てほしくて」
 飲み込んだところで、手を突っ込んで引きずり出してくる。容赦がないというよりは、歯牙にもかけられていない。
「なにを」
「オレをだよ。他になにがあんだよ。このちょっと髪が伸びて、美容院に行く直前の、前髪の端っこが跳ねちゃったオレをさ、よーくみておいてくれよな」
「お前ほんっとに自由だな」
「だって次があるかわからないだろ?」
「ハッ、やなやつ」
「だからオレをしっかり見て、目に焼き付けといてくれよな。そんでちゃんともうダメかも~ってとき思い出して」
「走馬灯で間違い探しでもさせんのかよ」
「はは、それいいね。次会った時、何ミリ切ったか当ててよ」
 
 あ、時間だ。そう言って叶は立ち上がった。座ったまま見上げると、いつもより大きく見える。店の椅子が一般的な高さのせいだ。座面ばかり広くて高さが低いそれに、座った時から二人揃って足を余らせていた。
「じゃあね、敬一君はごゆっくり。明日がんばって~」
 伝票も持たずに去っていった叶を呆然と見送り、着信からだいたい一時間程度。テラスを覆うホロの向こうは晴天なのに、獅子神はひどい夕立にでも見舞われたかのような気分だ。
 口に含んだダージリンは、いつもよりずっと苦く感じた。