2024-08-11 10:37:57
4535文字
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その灯火を目せよ ②

冥界案件小話 えっちではないです。


 しまった、と思ったがもう遅い。そこまで深部では無いからと、いくつかの護符と守護のイデアだけで冥界に降りたのが仇となった。経験の浅いソウルシーアの冥界観測の訓練のつもりで、通信の届く浅瀬で簡単に済ませるつもりだったのだ、との言い訳は残念ながらエメトセルクの他に聞く人はいない。冥界とはあらゆるエーテルが微睡を歌い、生者とは部外者であり、孤独なのだ。
 冥界の浅瀬で突如起きたエーテルの揺らぎは流れの早い奔流になり、エメトセルクを深く深くまで流してしまった。エメトセルクを観測していたのは経験の浅いソウルシーア三人と、熟練の観測者であるソウルシーアが二人。通信は途絶えているが、エメトセルクは人の形をしている。観測者がまだエメトセルクを捉えて、認識しているのだ。人の形であれと、願われている。まだ、エメトセルクは見失われていない。
 しかし、問題はそこではない。奔流に揉まれて流されて、エメトセルクの方向感覚はすっかり狂ってしまった。帰り道を示すための道標たる護符はエーテルの揺らぎに揉まれた時に流されてしまったらしい。ローブに縫い付ける意味はこれだったのか、なんて後悔してももう遅い。
 鮮やかにエーテルが輝く冥界は上下左右が分からなくなる。咄嗟に足元に足場を創造して立つことは出来ているが、どこへ歩けばいいのかも曖昧だ。優れたその眼は、ありとあらゆる輝きを拾い過ぎてしまう。どうにか己の身体が人の形を保ってる間に帰るべき現世を探し当てなければならない。
……自分で帰るしかない、か」
 もしかすれば、アゼムに連絡を取れるかもしれない。しかし彼女は今、遠い地へ旅立っている。連絡を取るには相応の時間が必要で、そもそも連絡を取れる状況なのかも危うい。ならば、己の足でどうにかするしか無いであろう。
 足で、というよりかは目で、だが。
 エメトセルクは眼を凝らす。生者のエーテルの輝きは、この冥界に揺蕩う輝きと全くもって別物である。生きてるからこその揺らぎを、強さを、美しさを、エメトセルクは何よりも知っている。そしてなにより、誰よりも、焦がれる光を知っている。
 不意に、エメトセルクの身体の端が解けた。とろりと溶けて崩れていく感覚に、見失ったか、と理解する。生者により人の形を観測できなくなり、エメトセルクの形が解けつつある、ただそれだけのことだ。それほどまでに、人とはやわく脆い。
 しかしエメトセルクはどこまでも冷静だった。慌てる必要はない。もしこれがエメトセルクでなければ、形を失っていく恐怖に我を忘れたかもしれない。
 エメトセルクには灯火がある。たった一つ、見失うことのない美しい光と、焦がれ続けてきた色彩を、惑う星々を引き寄せるほどの炫耀を、知っている。
 指先を失った。腕を失った。爪先が溶けて足も崩れた。エーテルが形を見失って、ほつれて、解けて。けれどもその眼は探している。ずっと、ずっと。眼を逸らせずにいる輝きを、たった一つの、灯火を。
 その灯火がエメトセルクの心を捉え続ける限り、エメトセルクが己を見失うことはないのだ。
 見つけた、と声を発する機能はもう無かった。
 歩む為の足もない。けれども、惹かれている。その炫耀こそが、帰る場所なのだと。形を失っても、覚えていた。




 微かな予感がしてアゼムはスッと目を覚ました。安全が確証されている宿屋であっても、アゼムは深く眠ることはない。旅先で何か起こった時に、誰かが助けを求めた時に、解決するのがアゼムの使命だからだ。
 ベッドの上で体を起こし、手元に使い慣れたナイフを用意したところで、不意に目の前の空間が微かに歪んだのを目にした。転移魔法にしては弱く、けれども確かに何かが現れようとしている。どうにも悪いものに思えず、ナイフをエーテルに還して目の前の歪みに手を伸ばせば、ぼやけたエーテルがアゼムの腕の中に靄のように揺蕩った。
 アゼムはけしてソウルシーアではない。それでも、そのエーテルだけは良く知っている。誰よりも、それを理解している。
「エメトセルク?」
 呼び掛けた声に微かにエーテルに熱が灯った気がした。うん、前にも見たことがある。冥界に降って形を失ってしまった時の姿だ。
「人の形を忘れちゃったの?」
 囁きかけても特に反応を示さない。うーん、と悩んで、アゼムはもう一度口を開く。
「ハーデス」
 ふわりと、柔らかく熱が灯る。んふふ、とアゼムは笑みを浮かべた。言葉を理解する形を失っても、アゼムが呼ぶ声には応えてくれる。それだけで、アゼムがこれから行う行為への報酬として充分だった。
 アゼムにまとわりつくエーデルを指先で遊びながら、アゼムは通信を繋げる。その先はアゼム院に勤めるアゼムの優秀で可愛い部下だ。
「あ、やっほー。元気?」
『何かありましたか?』
「急ぎでエメトセルク院に声かけて欲しくて。たぶん今向こう、エメトセルクを見失っててんやわんやしてると思うから、彼らにエメトセルクは私が捕まえたよって言っておいて」
『ああ、冥界案件ですか』
 過去にも何度かあったことである。わかりました、と告げられお願いね、と重ねてから通信を切る。
 大人しくアゼムを待っていたエーテルに待たせたね、と笑いかけ、そしてアゼムは着ていた寝巻きと下着を全て脱ぎ捨てる。そして全身でエメトセルクのエーテルを抱きしめた。
「人の形を教えてあげる。そうだな、まずは手を繋ごうか」
 柔くエーテルに指を絡める。何度か握りしめる動作を繰り返せば、不意に指が絡められたような気配がした。嬉しくなって握り返せば、同じだけの力が返される。でも、君の指はもっとごつごつして、硬いんだ。アゼムが覚えているその指を辿って、形を共に作っていく。
 彼は大きな剣を振り回せるほど鍛えてるから、腕はアゼムよりも太い。てのひらで柔くなぞって、厚い肩を思い浮かべて頬を寄せる。強い腕が、アゼムの頭に回ってそっと抱き締めた。嬉しくなって頬を擦り寄せれば、温かい胸が受け止めてくれる。また筋肉育ってるな、なんて思いながら足を絡めれば、アゼムより太くて長い足が捕らえてくれる。
 以前ローブを着たまま形を教えていた時に、足がふよふよひらひらした何かになって面白かったなあ、慌てて服を脱いだけど、あれはあれで可愛らしかったかもしれない。そんな雑念が伝わってしまったのか、咎めるようにキツく抱き寄せられる。ごめんって、大丈夫。私が一番可愛いと思っているのは、ありのままの君だよ。
 手を持ち上げて、両手で包み込むように。大きさも形も、全部覚えている。そっと唇を寄せて、形を与えていく。流れる白髪は寝癖が付きやすい程に柔らかいんだ。耳の形が人によって違うことを教えてくれたのは君だったな。ああ、すっかり眉間の皺が癖になっちゃったね。鼻が高くて仮面が引っ掛けやすそうでちょっと羨ましい。頬が意外に柔らかいことを知っている人はきっと少ないだろう。瞼の下に隠された星色の瞳は私のお気に入りで、可愛らしい形のその唇が、私は一番好ましい。
「ハーデス」

 君の声が好き。君に呼ばれたい。
 ねえ、ハーデス。私の大好きな形の君。
 さあ、起きて。君は、人だ。

 その口が最初に鳴らした音は、アゼムの名前だ。その響きを聞いただけで、アゼムは満ち足りた気持ちになり、いい仕事をした、と笑って頷いた。
 ゆっくりと持ち上がった瞼の下で、その眼は確かにアゼムを映していた。一瞬焦点がぼやけたのは、視界を切り替えて確かめていたのだろう。確かな力と熱を持って、その腕がアゼムを抱きしめて背中を柔く撫でる。
「おはよ。身体の調子はどう?」
「問題ない。手間をかけたな」
 はあ、と溜息を吐いてエメトセルクはアゼムに覆い被さるように身体の力を抜く。うげ、と潰されながらもされるがたまにアゼムはエメトセルクの頭を優しくぽんぽん、と撫でた。
「遠い、遠すぎる。お前は一体どこにいるんだ……
「アーモロートからしたら、確かにちょっと距離あるけど。文句言われても」
「久しぶりにあそこまで形を失って、頭が痛い……
「酔っちゃった? 確かにあそこまで崩れたの百年ぶりぐらいかな」
 アゼムの肩口に額をすり寄せ、あー、と唸るエメトセルクに小さく笑う。
「君のところには連絡しているから、少し休んできなよ」
「そうさせてもらう」
 ぎゅう、と素肌で抱きしめ合う心地よさに目を閉じて、アゼムは笑みを浮かべる。アゼムにとってエメトセルクが帰る場所であるように、エメトセルクにとってもアゼムが帰る場所であると。それがどれほどまでに幸福であるか、きっと二人だけが分かり合えている。それを、噛み締めていた。






「失った人の形を作り直すって、それめちゃくちゃすごいことっすね……俺には出来ない……
「あたしにも無理だよ」
 エメトセルクの無事を告げれば、エメトセルク院の人々はほっと息を吐く。エメトセルク様ならば必ずアゼム様に辿り着く、と信じてはいるが、それでも不安なものは不安なのだ。アゼムの部下は歓迎のお茶を飲みながら、私にも無理ですねえ、と頷いた。
「どうやって形を戻すのか、以前アゼム様に聞いたんですよ」
「あ、それあたしも聞いたんだけど教えてもらえなかった!」
 エメトセルク院の女が身を乗り出す。しかしアゼムの部下は緩い笑みを浮かべた。
「直接触れて形作ると言ってました。手を繋いだ時の形、抱きしめた時の形、頬を寄せた時の形、全てアゼム様は体で覚えているから、と」
……ええ…………
「しかも無意識にアゼム様を手本にされるから、ローブを着ていればローブの形を真似してしまうらしく、服を全て脱がれるそうです」
「ええ……
 ドン引きである。エメトセルク院新人の青年は瞬きをした。
「恋人同士ならば肌を重ねることもあるし、何よりも行動タイプのアゼム様なら納得なのですけど」
「いや」
 エメトセルク院の女が首を振る。緩い笑みを浮かべたまま、アゼムの部下もまた首を振った。
「あの人達、あんなに両想いに見えますけどまだ付き合ってませんよ。肌も重ねてません。いや重ねてますけど、深い意味で夜は共にしてないです」
「は?」
「なんであれで片想いだと思い込んでるんだろうな……
「えっ? まじっすか?」
「怖い話ですよ。アーモロート七不思議の一つです」
「あの七つ中六つはアゼム様が関わってるという七不思議」
 ええ、と戸惑う後輩の背中を叩いて、エメトセルク院の女が立ち上がる。
「ま、あたし達のやることは変わらないさ。あたしの仕事は観測。二人の焦ったい経緯も観測し続けるしかないのさ」
「私としては、そろそろどうにかなって欲しいんですけどねぇ」
 ふう、と息を吐いてアゼムの部下も立ち上がる。ご馳走様でした、と笑って伸びをする。
 半日もすればエメトセルクが帰還するだろう。たぶんアゼムも一緒に戻ってくる。戻ってきた彼女からたっぷりと話を聞いて、聞きながら溜まった書類仕事をさせなければならないのだ。
 全くもって、観察し甲斐のある二人である。