小椋
2024-08-11 00:03:40
2724文字
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【kiis】遠くで咲くより近くに奪う

kiis版ワンドロライに参加したもの。
BM所属未来if。旅館の部屋から花火を見るkiisのお話。
第7回目のお題「即興劇」「はちみつ」「浴衣」をお借りしました。執筆時間は約2hです。

 気心の知れた生家に滞在するのではなく、観光地にある客室露天風呂つきの旅館に宿泊したい。そんな潔世一らしからぬリクエストに応じない理由はない。そうしてミヒャエル・カイザーは、生まれて初めて日本にある温泉旅館を訪れていた。
 チェックインを済ませるなり温泉に誘われ、入浴を終えたカイザーは潔から見慣れぬ衣類を差しだされた。
「なんだこれは」
「浴衣」
「ユカタ?」
 見せたほうが早いと思ったのか、下着だけを穿いた潔が手早く浴衣を身に着ける。袖が大きく生地の薄いコートのようなそれを羽織った。両腕を通してから前を重ねると、ボタンを留める代わりにベルトのようなものでウエストを締めている。ベルトに似たそれは帯紐というもので、金具の類はついておらずリボンのように結ぶことで使用するらしい。
 ようするにバスローブのようなものかと受け止めれば、潔はどう応じたものかと考えこむそぶりを見せてから、おおむねそのようなものだと肯定した。完全な正答ではないようだが、詳細な説明は手に負えないと訂正を放棄したのだろう。
「日本の祭りに参加するときに着用する、伝統的な衣装のことか」
「よく知ってんなお前……
 誰のせいで、誰のために、いつ役に立つともしれない知識を仕入れていると思っている。そう口にしてしまいそうになるのを寸前のところでこらえた。種明かしをすべきなのは、きっといまではない。
「うーん……同じだけど、ちょっと違うっていうか」
「あ?」
「確かにどっちも浴衣なんだけど、あっちのほうがフォーマルで、こっちのほうがカジュアルみたいな。もっと楽に着れるやつって感じがすんだけど、本当のところはわかんないや」
 潔による的を射ない説明を適当に聞き流しつつ、アンダーウェアの上から浴衣を羽織ってみる。さきほどの手本をなぞりながら自分なりに着てみせれば、潔がくすくすと笑いだした。
「不器用なカイザーって、ちょっと新鮮かも」
「おい」
「ごめんごめん、さっきの参考にするには早かったよな」
 せっかく結んだ帯紐をあっさりほどかれて、潔がカイザーの浴衣を掴んだまま間合いを詰めてきた。
 胸元開けすぎ。ていうか、これ合わせるの反対な。あとここ、もっと奥まで入れたほうがいいかも。そんなふうに説明をされながら、浴衣の合わせをくつろげられたあとで綺麗に閉じられた。抱き着くように帯紐をウエストに巻かれて、きつくもなくゆるくもないのに固定されているとわかる力加減で結ばれる。そうして帯紐をずり下げるようにして位置を調整された。
 なにげなく近寄られたことに息を潜めているうちに、潔が至近距離で顔を上げる。己のそれよりも薄い唇が、鮮やかな弧を描く。
「できた。……うん。かっこいい」
 お前なんでも似合うのな。ゆるやかに細められたミッドナイトブルーに心臓が跳ねたのも束の間、潔は返事を待たずに離れていく。
 カイザーが思わず深く息を吐きだしてしまえば、どうした? と小首を傾げられた。なんでもない、という下手な誤魔化しを、ならいいけど、受け流される。
 畳の部屋に敷かれた座布団に陣取ってくつろいでいるうちに夕食の時間となり、コース料理のように次から次へと運ばれてくる料理の数々を咀嚼していく。充分に腹が満たされたところで、潔から窓際に備えつけられた椅子に座るよう促された。やがて訪れたスタッフによって膳が下げられ、布団が敷かれていく。拳ふたつぶんほどの間隔を置いて用意されたそれらを眺めていると、部屋の照明を落とした潔に名を呼ばれた。
「そろそろ始まるぞ」
「なにがだ」
「ここ予約したときに言っただろ。この旅館は部屋から」
 花火が見えるんだって。そう告げられるのと同時に、潔の背後で大輪が花開いた。興奮を抑えきれない様子の潔が立ち上がって、大きく窓を開ける。途端に、どん、と震えを伴った破裂音が届いた。
 窓の桟に手を置いた潔に倣って隣に並ぶ。次から次へと、色とりどりの花火が打ち上げられていく。金属の炎色反応を利用して着色された火薬が、燃焼し破裂しては色鮮やかな軌跡を描いた。そうしてひと夏の夢とばかりに、夜空へ儚く消えていく。
 これを見たいがために、潔はこの旅館に予約を入れたのだ。夢中になって天上を見上げる潔を、カイザーは静かに窺い見る。ちょうど黄色の大輪が咲いたせいか、潔の瞳がはちみつを垂らしたような色合いに転じた。
 邪魔をするなと怒られるだろうか。頭の片隅で冷静に思考するも、いったん吸い寄せられてしまえば抗えるすべはもうない。カイザーは潔の肩に手を乗せると、視界をさえぎるように顔を寄せた。ついさっきも触れたいと望んだやわらかな感触に、そっと己のそれを合わせる。
 衝動に任せて潔の唇を奪ってから、カイザーは操り糸が切れたように我に返った。
 取り繕う間もなく、予想外に凪いだまなざしに貫かれる。カイザーは続く言葉を見失った。
 自身の思い描いた脚本をなぞることで皇帝として振舞ったことも、緻密に組み立てた筋書きを乱された末に道化へ成り果てたこともある。ミヒャエル・カイザーは潔世一の前で不意を突かれたが最後、即興劇の舞台上に立ち尽くす新人役者のごとく途方に暮れてしまうのだ。
 目の前で起こることへ冷静に向き合い、窮地に陥る前に対処する。そんな芸当、ろくに意識せずとも難なくこなせていたはずなのに。
 これまで仕入れてきた知識と、積み上げてきた経験に基づく知見や計画を粉々に砕かれ、跡形もなく破壊される。身ぐるみを剥がされて、裸のまま放りだされたような気分に陥るのだ。そうして虚飾を捨て去った結果、最後に残るものが最初の望みだろうと、絶望に似た痛切を伴って眼前に突きつけられるのだ。
 フットボールで味わわされた屈辱や絶望とは似て非なるもの。どれだけ腕のなかに閉じこめても完璧に手に入った気がしないという飢餓じみた心許なさが、フットボールから離れた場所と時間で潔に相対するカイザーに、どうしたってこびりついて離れない。
 世一、と掠れた声で許しを乞う。情を求めるふやけた響きを恥じる前に、潔の手がカイザーの胸元に触れた。心臓の上に置かれたそれが、浴衣の合わせをゆるく掴む。せっかく潔によって綺麗に着こなせていた浴衣が、他ならぬ潔のせいであっけなく乱れた。
 カイザー。そう唇の動きだけで名を呼んできた潔が、静かにまぶたを閉じる。すべてが許されたような気持ちに心臓を掴まれたカイザーは、祈りを捧げるように潔へくちづけた。
 寄り添いあうふたりを、夜空に花開いたひときわ大きな花火がスポットライトのように照らしだす。



小椋@OgrYtk