いを
2024-08-10 17:11:45
3798文字
Public 刀神
 

楚々としてメタモルフォーゼ

菊司
・定之さん【higasa_onink】
お借りしています。

 ヨレヨレになった白衣はいつもどおりで、胸ポケットには定規とペンがさも適当そうにささっている。両手を突っ込んでいるポケットには、メジャーと飴玉とスマートフォン、分厚いメモ帳が入っているため重たい。いつもどおりの服装だ。
 夏祭りという名目だろうけれど、あちこちで目を光らせている刀遣いがいることに気付いた。
 人間も人間ではないものも、人間と化物のあわいのものもここにはいるということだろう。祭りなんてものはそんなものだろう。本来の目的を忘れてしまっても、この喧噪の中に入ってしまえば同じこと。
 感化、
 するのだ。
 古木の根っこの部分に義足をひっかけて、ぼんやりと行き交う人びとを見つめる。人間観察なんてつもりじゃないし、興味もないのだけれど。境内を歩く人は浴衣だったり着物だったり、甚平だったり夏服だったりしていた。サンダルや草履が石畳を擦る音も聞こえる。
「菊司サン」
「ん?」
 無意識に返事をすると、視界のすこし下にオレンジ色の髪の毛がちいさく揺れていた。
「あ。定之くん」
 確認するように定之がうなずくと、ようやくその彼の服装を確認できた。
「いいねえ、甚平」
 首を傾けて笑ってみせる。
「なんか、夏祭りって感じ」
「菊司サンは、いつも白衣」
「まあね。楽だから」
 楽?という疑問を投げかけてくる右目を見下ろしてヨレヨレの白衣の袖を引っ張ってみせる。袖口は黒いインクで薄く汚れていた。
「白衣着てればそれなりに見えるでしょ。中身が残念でも」
 自分でいうことではないか、と思いうなじを割れた指先で掻く。定之はぼんやりとした目で菊司を見上げていた。
……せっかくだし歩いてみようか」
 人間も人間じゃないものも混ざっている人混みを指差すと、彼は一回だけ頷いた。
「久しぶりだなぁ。お祭りって。……小銭あったっけ」
 ポケットの中をまさぐると、裸の千円札が見つかる。どうして財布に入れなかったんだっけと思うが、大方、過去の自分が面倒だったのだろう。
「屋台って高いよねぇ。千円じゃひとつかふたつくらいしか買えないかも」
「俺、持ってる」
「や、定之くんは定之くんの好きなもの買いなよ。俺も好きなもの買うし」
 千円札を指先で畳んで、今度は胸ポケットにつっこんだ。
「菊司サンが好きなの」
「ん。うーん」
 歩きながら、両端にぎっちり並んでいる屋台を眺める。たこ焼きに広島焼き、唐揚げに、なにか……長細い揚げ物。綿あめや林檎飴。ハングル文字で書かれたカラフルな飲みもの。
「食べものっていうより俺、型抜きとか射的とかのほうが好きかなぁ」
 こういう性格だからモノが増えるのだろう、きっと。
「定之くん、やってみる? 型抜き」
 ちょうど右手側に型抜きと書かれた看板が見えた。
 こくんと頷いた定之をつれて、屋台の店主に話しかける。低い机代わりの板の上で、子どもたちが一生懸命型をつついていた。
「お兄さんたち、刀遣いでしょ」
 店主が笑うように口を開けると金歯が見えた。
「ええ、まあ。休憩がてら見物に」
 白髪交じりの店主は、意味深げに笑ってから屋台の裏側に引っ込んでいった。
 数秒後戻ってきたしわのある手には、どう見ても難しそうな型がある。形からみるにカニだろうか。カニにしては足が多い気がするが。
「これを割らずにできたら景品ふたつやるよ。どう?」
 定之を一度見下ろしてから、菊司は白衣の腕をまくる。峰柄衆に挑戦状とはいい度胸だと思いながら。
「フフフ。いいでしょう。受けて立とうじゃないですか。定之くんはどうする?」
「俺はこれがいい」
 彼が指さしたのはゆるめのネコの顔の輪郭だった。型を受け取って――かなりきつく背中を丸めなければならなかったが――少しささくれだった木の板に置く。
 手渡されたのは画鋲だった。
 薄い黄色の型を画鋲で削る。せこいやり方だが突くより削ったほうが成功率は上がる気がする。
 顔を限界まで近づけて、大人げなくひたすら削る。かり、かり、とやわらかいような硬いような音が真下から聞こえてくる。
 こめかみから汗がにじんだ。
 カニ――らしきものと、こうも真剣に向き合うとは思ってもみなかった。
 とうとう滲んだ汗が板に落ちて、じわりと広がり少しの間、しみになる。
 横目で見ながら、ちいさい白い画鋲で削っていく。半分くらいは無事、割れずに抜けたようだった。
 気付くと眼鏡がずれていた。つるを押し上げてから再び画鋲で削る作業に没頭する。

 ――お前、器用だな。
 義父がそう言っていたことを思い出す。いつだったか、夏祭りに連れてきてもらったときのことだ。こうして型抜きをしていると、堅苦しく険しい声が降ってきた。
 ――だが、手先が器用でもなんの役にもたたない。
 そう突き放したような言葉に、当時の菊司は〝そうなのか〟くらいしか思わなかった。手先が器用だったら、色んな可能性があるのではないかと思ってはいたけれど、義父のそのひとことで脆く崩れ去った。砂場のトンネルがたやすく踏みにじられるように。
 けれども、菊司はさまざまなことに興味をもっていた。幅広い芸術、文学、数学、考古学、工学、医学。目についたものは殊更だった――が。
 義両親が求めた帝王学、経済学には、一切手をつけなかった。
「見苦しいですよ」
「養子の立場だからと……。我々へのあてつけか」
 敵意のある大人たちは数え切れないくらいいた。それでも菊司はその悪意がにじんだ視線や言葉など、どうでもよかった。見苦しかったのかもしれない。あてつけだったのかもしれない。けれど、菊司が菊司である証明が――〝それ〟だったのだ。

 天照に、入ったのも。

 がり。
 手が止まる。あと、約1ミリ。それでこの型抜きは完成する。
 顔をあげた。向かい側に座った定之の手元には、上手くくりぬかれたネコの輪郭があった。
 そのまわりには粉っぽくなった型のかけらが散らばっている。
「菊司サン、あともうちょっと」
 定之はわずかに期待した目で菊司を見上げていた。見間違いかもしれないが。
「うん」
 画鋲をもつ指先が汗で湿っていた。
「これ、うまくできたらさ」
 顎から汗が一滴、膝に落ちる。
「俺のこと、褒めてくれる?」
 定之は目を瞬かせて、うん、とちいさく頷いた。
 ――褒められたことはある。
 けれどもそれは家の意向に添ったものごとだからこそ。菊司の好きなことをそのまま受け入れて褒められたことはない。もう三十も過ぎたというのに、馬鹿な願いだ。
 家からの愛情は金のなる木への出資だ。もっとも菊司は「それ」に背き、今ではしたいようにしているのだが。
 だから受け入れてほしいなどと思っていない。思う資格などない。
 清陵院の家も、菊司を見放してしまえばよいものを。ただの、――そう、ただの養子なのだから。外聞が悪ければ「独り立ちしたから」、「天照に入り、家に迷惑をかけないために」。なんとでも言える。家からいえないなら菊司から口八丁手八丁、道化を演じよう。

「いやあ、ほんとに成功しちゃうとはねぇ」
 金歯の店主は感心したように頷いていた。
「約束は約束だ。ほら景品。もってきな!」
 ずい、と差し出されたのはブリキの玩具。正確に言うとネコと飛行機のインテリアだ。手のひらに容易に納まってしまうくらいのちいさいものだが本物のブリキなら儲けものだ。
 定之に贈られたのはダルマの形をした、ころころとした土人形だった。
「ブリキに土人形って、渋いですねぇ」
「まぁね、俺もじき引退しなきゃいけないから」
「在庫処分みたいなもんですか。もしかすると」
 菊司が笑うと、店主は決まり悪そうに苦笑いした。どうやら当たりらしい。けれどまあ、こういった細々したものを大事に持っていても仕方ないだろう。
 型抜き屋から離れ、ちいさなビニールプールのようなものに浮かんでいた缶ジュースを買って、すこし落ち着いた場所で休憩した。
 意外と緊張していたのか、首筋に汗が流れる。
「ちょーっと、本気出しちゃったなぁ。ははは」
 ベンチに座り、大げさに笑ってみせる。定之は手の上のちいさいダルマを見下ろしていた。
「菊司サン」
 唐突に呼ばれ、視線を落とす。定之がこちらをまっすぐ見つめていた。
「よく、できました」
 すこしたどたどしく、言いなれなそうに彼は呟いた。
「あ。あー、そうだ。そうだった。はは、ありがとね」
 ――褒めて、と。
 祭り特有の熱にあたったのだろうか。あの時は。あの、瞬間は。
 胸の内を自ら吹きさらしてしまったのは。
「俺は天才だからね!」
 くすっ、と菊司が言い訳のように笑ってみせると、定之のくちびるの端もそっと上がった。
「じゃあ定之くんにこれあげる。ネコ、好きでしょ」
 手の上の土人形のとなりに、茶色いブリキのネコをそっと置く。
「ちょっとこのネコ、目が離れてておもしろいね」
 定之はじっと土人形とネコの置物を眺めながら、こくんと頷いた。
「ちょっと休憩したらお好み焼きでも買っちゃおうかな」
 遠くで花火が打ち上げられた。ぱらぱらと火花が散り、落下していく。
 境内に吊り下げられた提灯が、赤く周りを照らしている。
「きれいだねぇ」
 ぽつりと、呟いた。