みそ
2024-08-10 16:22:10
5968文字
Public 本編ロナドラ
 

1円の蚊帳だけはやめてほしい(ロナドラ)

(まだ付き合ってない二人)7月、酷暑の日、蚊にモテて帰宅した同居人と彼について持て余し気味な色々を噛みしめる吸血鬼
※デカイ蚊の生態について捏造して書いてます

すぐ死ぬ吸血鬼ドラルクの本日最初の死因そのものは、ごくありふれたビックリ死であった。日が長い季節、とっぷり暮れてから起き出して、身だしなみを整えるべく洗面台で水に手をかざしたその瞬間の出来事だった。
「アッッッ!!?」
湯だ。湯が出た。青い、水の栓から。
幸い、あまりの驚きに跳び退って死んだものだから指先が奪われるようなことは無かったが、あたふたと塵から蘇って水を止めると、まず真っ先に同居人の顔が浮かぶ。よもや給湯器のスイッチ入れっぱで出て行きおったのではあの野郎、と。
ドラルクは、そもそも湯の側の栓には指一本触れていないくせにそうやって犯人をでっち上げ、プリプリと怒りながら風呂場の操作パネルに視線をやり再び死んだ。

起き抜けから一人でドタバタやっていた主人に気が付いたジョンがすっ飛んで来て、ヌーヌー泣きながら塵をまとめてくれている間も、ドラルクは茫然と壁のパネルを見ていた。
給湯器の操作パネルは真っ暗なままだ。

*

ジョンの手を借りて復活を果たしたドラルクは、これだけ驚かされたのだからこりゃ絶対もう一波乱あるな、と顎に手を当て考えた。ひょっとしてこの世界ってギャグ漫画の舞台なのかしらん、と思ってしまう程度には日々妙なことばかり起こる街、新横浜で暮らしてかれこれ五年になる。フラグの有無を察することはまあまあ容易い。
しかし。
「ギョワーーーッ!! ロナルド君どうしたそのブツブツ!?」
たとえフラグを知覚できたとて、その中身が予想と異なる方向からやってきたなら驚きもする。ドラルクは、駅前で涼しくなる服を貰ったぜ、とか言ってすっぽんぽんで帰宅する同居人を思い描いてシリアスな顔になっていたのだ。傾向と対策だ、いつもだったらそんな感じだろうと。ちゃんと服を着たままの、汗と泥にまみれた熱気の塊こと同居人ロナルドが、肌の至る所を赤く腫れあがらせて帰宅するなんて欠片も想像していなかった。
「ハァ!? ブツブツとか言うなや蚊だわ!」
「ハ? そろそろ使うから虫よけスプレー出しとけって言ってたのどこの誰様だっけ!?」
「念入りに付けたわ!」
「じゃ何で刺されとるんだ! うわっ君、首、耳まで!?」
「オイ引っ張んな! 地味に痛え!」
「アッつい勢いで髪の毛持ち上げちゃったが汗べっちゃべちゃ気持ち悪スナ……
「テメエから触っといて失礼すぎねえ!?」
「あーやだやだ、その抱えとる上着寄越せ、そんでさっさと風呂入ってこい薬出しといてやるから」
「俺は! 最初からそのつもりだったっつーの! ったく、そっちが引き留めたんだろが……
ずいっと突き出された退治人服の赤い上着を、砂の山から腕だけにょきっと生やしてドラルクは受け取る。彼が時折仕事で使う、吸血鬼に害を及ぼす薬剤類の臭いはなく、ただ泥と青草、それからロナルドの汗の混ざったにおいがする。
「いいか、掻くんじゃないぞ! あとおかえり!」
「わーっとるわ! ただいま!」
尚もぶつくさと何事か言いながら風呂場へ向かう彼の背中を砂のまま見送ると、ドラルクは、やれやれとばかりに蘇ってジョンと顔を見合わせる。
「若造、蚊なんぞ毎年のことなのにホンット学習せんな……
「ヌヌ、ヌヌヌーヌッヌヌヌ」
「えー、ちゃんとスプレー持って出てたの? それでアレ? ジョン、悪いけれどヌヒを出してやってくれるかね、私はこの汗臭な抜け殻を処理せねば」
「ヌーイ!」

まだ七月初旬だと言うのに、今年は猛暑日が続いている。
夏が年々暑くなっているとまことしやかに言われ始めて久しいが、それは夜の住民であるドラルクにとっても実感と一致する話であった。ドラルクとジョンは日本に移り住んでこの方関東地方を離れたことはなかったが、ここ20年ほどで、通り雨に降られて程良く涼んだ中起きる夜が減り、ただただ蒸し暑いばかりになったと感じている。
南米生まれのジョンは虚弱なドラルクよりははるかに暑さに強かったが、そもそも基礎体温は低めのアルマジロである。故郷のそれとは質の違う湿度フルな日本の暑さは結構しんどいようで、今年も暑さから逃れようと冷たいものばかり飲んで少々お腹を壊し気味だ。
「いやはや温室効果ガスによる気候変動ってやつだねえ」
ドラルクはしたり顔で言いながら、ロナルドのための薬を持ってきてくれたジョンを労い、エアコンの風の当たる場所を陣取り足を組む。電気は使うがそれはそれ、これはこれというやつだ。頑健な若い人間であればいざ知らず、ドラルクはこの気温の下、エアコンなしでは命を保てない。よって無駄遣いではない。
尤も、ここ数年はジョンとそれからキンデメ、あるいは不在時の家財のためだとか言って、熱中症アラートの出るような日は適切に冷房を使用するようになった事務所長殿のおかげで、ドラルクが起き抜けに棺桶内と室温との温度差で不快死したり、リモコンの温度計を見てショック死するようなことは減っている。

ロナルドがエアコンの使用にぶつくさ言わなくなったことは、ドラルクがここに移ってきてからの生活において大きな変化の一つであったが、それと時期を同じくして――ドラルクは、日記にその日を書き留めているためはっきり覚えているのだが――ドラルクの掛けるおかえりに、ロナルドがただいまを返すようになった。そしてそれにつられるように、仕事や生活上必要な意思疎通以外の会話がグッと増え、互いの身に起きた他愛のない出来事まで共有するようになった。カラスもびっくりの爆速行水で風呂から上がったロナルドが、薬よりも先に腹が減ったというので夜食を並べてやるその間、今日の仕事で起こったことをドラルクに話して聞かせる、といった具合に。
今日は、町内各所で大量発生した下等吸血鬼デカイ蚊の一斉駆除デーになったらしい。前日からぱらぱらと蚊がいるとの通報はあったそうだが、今日の夕方になって突如駆除依頼が増え始め、19時を回った頃には自治体やギルドの回線が一時パンクする程の事態になったため、組合所属のメンバー総出で対処に当たったそうだ。
前日の内に、ロナルドから詳細は伏せられながらも、ドラルクは役に立たない、ジョンは危ないからしばらく家から出るなと言われていた主従だったが、そもそも一人と一玉は近頃、夜の散歩どころかヴァミマへの買い物にすら出ていない。前の週は日中カンカン照りだったのに日暮れ前から雷を伴った豪雨が二時間も続くという荒れた日が続いたせい。そして今週に入ってからは、曇りなのに平年よりも暑い日が続いたためだ。夜でも気温は落ちず、風無し、湿度フル、やんなっちゃうね、と言うのが夜毎のドラルクとジョンの挨拶になる程だった。
しかしそんな天候がまさに、デカイ蚊の発生に関与したようだ。デカイ蚊は下等吸血鬼の中でも起源の古い種であるが、野生の、ヒトスジシマカやアカイエカと言ったヒトの血も吸う蚊が、吸血鬼の関与によってあれらに変態すると言われている。野生の蚊が居ない場所には発生しえないということだ。
つまり、大雨で街のあちこちにできてそのままにされた水たまりに普通の蚊が産卵し、その後の暑くはあるが安定した天気で一斉に成体まで育った。そして羽化したところで吸血鬼化――あるいは、ボウフラの内に吸血鬼化していたのかもしれない――したと言うところだろう。
「へぇー、そんなことになってたのか。外出なくて良かった。そう言えばさあ、」
夜食の、具入り焼きおにぎり3個と麦茶を吸い込むように食べながらも、順序だてて外で起こっていたことを共有してくれたロナルドへ、お返しに、というわけではなかったが、追加でスイカをひと切れ出してやりながらドラルクは、起き抜けに水道水が思いがけず熱く驚いて死んだことを話した。
「これまでも温いと思ったことはあったが、今日みたいなのは初めてだぞ。あれってつまりどういうこと? このビルの構造の問題なのか?」
「んー、そうなんじゃねえの? つーかお前は知らなかったかもだけど去年も、一昨年もそんなだったぜ、真夏は」
ロナルドが、リズムよく小気味よい音を立てながらスイカを咀嚼しつつ応える。赤い汁で、唇や指先がてらりと光っている。
「そうなの?」
「おー。なんだかんだ夕方くらいが一番煮えてる。お湯じゃん! ってなるぜ」
「へえ、君でもそう感じるなら相当だな」
「これまでなら、お前が起きてくる時間には冷めてたんだろうな」
今日はなんとも恐ろしいことに、朝8時の段階で気温が30度を超えていたそうだ。故に、さすがのロナルドも日中はカーテンを閉め切ったこの部屋で大人しくしていたらしい。
遮光等級は最高ランク、長さもたっぷりあって日差しを遮る吸血鬼御用達のカーテンがここリビングに取り付けられて久しいが、この上等なカーテンをもってしても室温の上昇が抑えきれないのは、偏に強すぎる太陽光のせいだ。周囲をアスファルトとコンクリートに囲まれたこのビル全体が日差しによって熱されているわけで、壁の内側を通っている水道管とて無事ではないと、そういうことのようだ。
「この位暑いと車ん中で肉焼けるんだろ? あのー、肉の刺身みたいなやつ……
「ひょっとしてローストビーフのこと言ってらっしゃる?」
「作れる?」
「ウチに車ないだろ。レンタカーでやってみろ、一発で店出禁になるぞ」
「でもちょっと面白そうって思ったろ」
「思っ……とらんわ!」
ロナルドは、してやったりとでも思ったかニマっと笑い、ようやく虫刺されの薬のボトルに手を伸ばした。蓋を開けた瞬間、彼が気に入っているボディソープの、夏季限定メントールマシマシ――だとすっかり思い込んでいる、ドラルクが勝手に中身を詰め替えたよく似た香りの1ランク上の製品――の匂いが、虫刺され薬の苦いような匂いと混ざってドラルクの鼻に届く。
「ま、とにかくヤベえ暑さだから普通の蚊も苦しいんだろ。マリアやメドキが言ってたけど、夜中は飛ばねえ種類の蚊が今日はわんさか居たんだとよ。退治の最中なら俺らもただの蚊になんか捕まらねえけど、」
腫れている跡に、ロナルドはびちゃ、びちゃ、とスポンジ部分でスタンプでも押すように薬液を塗布していく。薬を自ら塗るようになっただけマシだが、相変わらず雑な男だな、とドラルクは思う。
「大方VRC待ちの時間にでもやられたんだろ。虫よけは汗かいたら塗りなおせって書いてあるのに。尤も、君の類まれなる汗臭さの前には薬も負」
瞬間、待ってましたとばかりに風を切りながら正拳突きが飛んできて、ドラルクは見事塵と化す。出来た小山にロナルドは薬のボトルをズンと突き立てると、後ろ側頼むわ、と当たり前のように言った。一方のドラルクも慣れたもので、何も言わず復活すると椅子から立ち上がり、ロナルドの背後へ回って、塗布が済んでいない首筋や襟足の下、左耳の天辺に薬をつけてやった。
「ジョンと散歩に出るとき気ぃつけろよ、公園とか空き地とか。まだめっちゃ蚊居るぜ」
「言われんでもわかっとるわ……けどジョン用の虫よけスプレー、いつものやつだと弱いかもしれんな」
「いやおめーも、」
「ハー? この私が蚊ごときに遅れを取るとでも?」
「目ぇかっぴらいて現実見ろや。耳元で羽音しただけで不快だーつって死ぬクセに。いいから使っとけよ虫よけ、人間用使えんの? 俺が使ってるやつなら万が一ジョンに掛かっちゃっても平気だぜ」
そりゃあ選んだのは私だから、とドラルクは喉元まで持ち上がった言葉を、ムスッとして飲み下す。
今日だってドラルクがおちょくれば一度は拳は飛んで来たけれど、いつの頃からかそれより高いくらいの割合で、ロナルドがジョンだけでなくドラルクをも当たり前に気づかいの対象にするものだから、ドラルクはその度に、自身の心に嵐のごとく巻き起こるむず痒さを、持て余してばかりいる。
……しかし君、本当に入れ食いだな。蚊とはいえレディには違いあるまい、モテて良かったじゃないか」
「なんっも良かねえわ」
「O型が一番吸われるんでしょ? 蚊に」
「そんなのあんの?」
「ネットの記事にあったぞ」
改めてロナルドの対面に戻ったドラルクがスマートフォンの画面を差し出して見せる。するとロナルドは当たり前のようにずいっと頭を寄せてきて、それを覗き込む。いい大人二人が、額の触れ合うほどの距離で、蚊についての雑学を読んでいる。
「そういう傾向があるかもネって程度の話らしいが。どのみち私とは好みが合わんということだな」
「へん。お前が好きなのはB型だもんな」
血はな、血は。
とは、言わなかった。

「しかし外がそんなことになっているんじゃ、ジョンの蚊帳をお父様に持ってきてもらうか……ていうか蚊ってここまで飛んで来そう?」
「かや? ト〇ロに出てきたやつ?」
「そうだよ、現代っ子め。城で使っていた頃もあったのだ」
「え! それって俺も入れる?」
「ジョン用だと言うとろうが。君なんか上半身捩じ込んだだけでメリメリバーンてなるわ」
「ンだよ、俺のワクワク返せや」
「ロナ君ったら人の話はちゃんと聞きないって学校で習わなかったぁ?」
「うっせ!」
ぶすくれたロナルドが、すいっと持ち上げた手をそれでも拳の形にはせず自身のスマートフォンに伸ばすのを、ドラルクは見る。
汗で流れた虫よけを振り直しもせず、無防備にも上着を脱いだのだろう。元々肌が見えている場所だけでなく、インナーに覆われていたはずの部分にさえ赤い斑点が散っている。手首、腕、胸元、首、左耳、それから踝、12か所。襟足で隠れている部分の二か所を足せば14か所にもなる。下半身がほとんど無事だったのはデニム地のボトムスに守られていたお陰だろうけれども、まこと面白くない。
……まあでも、蚊帳で蚊にモテモテ足臭ルドくんの安眠が約束され、ひいては我が城の安寧につながるとあれば無駄ではないか」
「いちいち一言多いんだよテメーはよ! お、通販あんじゃん」
「そりゃあるだろう。え、なに、買うの?」
「おう。どうせならこの部屋すっぽり入るくらいの強えやつ見つけ出してやるぜ! ワンタッチ展開とかあんのか……
部屋ごと覆っちまえばキンデメも死のゲームも安心だろ、メビヤツもこっちに呼べば良いし、なんて、ロナルドは得意げだ。無機物勢は蚊に縁などないだろうし、キンデメに至ってはむしろボウフラの天敵であってしかるべきだというのに。

この部屋丸ごと。
つまりは、ジョンとドラルクは言うまでもなく勘定に入っている。調子が狂うったらない。肝心要の、蚊がここまで登ってくるのかという疑問を、ドラルクは蒸し返すことが出来ない。