鬼太郎が立って歩くようになると、すぐに水木のあぐらをかいた膝の上が彼の定位置になった。水木が仕事から帰ってくると、とことこと彼の足の周りをうろついて、まだかな、まだかなと期待のこもった目でじっと見つめてくるのだからたまらない。着替えもそこそこ座りこみ、膝の上に小さな鬼太郎を抱き上げると、いいこにしてたか~~~~、とぐりぐり抱きしめて揺らしてやるのが水木にとっても一日の疲れを癒やす大切な習慣になるのに時間はかからなかった。
あんた、服くらい着替えたらどうなんだい、と母に呆れた顔をされようとも、水木や、せがれならもう少し放っておいても平気じゃ、と目玉のに言われようと、だってこんな風にできるのなんていつまででもないだろう、と水木は意に介さなかった。そして、鬼太郎は得意げな、満足げな顔で水木の膝の上を陣取っていた。食事も水木が膝に載せて食べさせてやるのが一番よく食べるもので、これはさすがに可愛いがってばかりでもいけない、と水木も危機感をもたないでもなかったが、だが、まあ俺が食わせればいいか、とさっさと自己完結させていた。これは目玉が「おぬしちと落ち着け」と説教したが、この場合理は目玉にあるだろう。…ただ、それに水木が従ったかどうかはまた別の話である。
春夏秋冬、暑いときも寒いときも、水木と鬼太郎はそのようにくっついていたのだが、さすがに(まだ小さいが)にょきにょきと鬼太郎が大きくなってくるとそもういかないのではないか、となった。…なったというか、水木は全く気にせず、ほらおいで、とぽんぽん自分の膝をたたいて示していたので(食事以外、爪を切ってやるときなどもそうしていた。その頃になるともう目玉も何も言わなくなってきた)気にするようになったのは鬼太郎の方だ。ただ、例えば他の小さな子どもや小動物(猫など)が水木の膝を陣取ろうものなら、僕のなのに、と癇癪を起こすこともないではなかった。といっても、初めはそもそも一人っ子で誰とも喧嘩をしたことがなかったため、どう癇癪を起こしたらいいかわからず、うーっと唸った後丸まって寝てしまうなどしたが。その時は水木の方がよっぽど慌てて、自分の膝を気に入ったらしい近所のお子さんに丁重に降りて頂いて、丸まってしまった養い子を抱き上げたりもした。どうした、俺のかわいい坊や、そんなに泣いたら目玉がとけちまうぞ、なんてこめかみや頭のてっぺんに優しい口づけを落としながらあやしてやれば、鬼太郎の機嫌はすぐに直ったが。
…しかしこのままではいけない。
来年小学校に上がることになり、鬼太郎は鬼太郎なりに決意した。水木さんのお膝を卒業する、と。もう小さな子どもではないし、子どもではなく、自分に恋してほしい。母の腹にいた時間が長かったからか、鬼太郎の自我はやや成長している部分があった。体はまだまだ小さいが。
そして、成長しているといっても完全に大人の精神というわけでもないので、子供っぽさも相応に残している。…単純にいって、鬼太郎の初恋が水木だというのが一番ん妥当かもしれない。
だがとにかく鬼太郎は決意した。
もう僕は赤ちゃんじゃない。
「きたろ~? どうした?」
新聞を読んでいた水木が、自分に近づかない養い子に気づいて顔を上げる。ほら、と自分の膝をたたきながら。非常に魅力的な誘いだったが、鬼太郎はぐっと奥歯をかみしめ、首を振る。水木が目を丸くした。
「…おひざ、座りません」
「え?」
「僕、もう、お兄さんなので」
「………鬼太郎が…」
その時ほど唖然とした水木の顔を、鬼太郎は見たことがなかった。
「……そっか…」
そしてそのまま寂しげな様子でうつむく。沈黙が、二人の間に落ちる。
「…もう俺の小さなかわいい赤ん坊じゃないんだなあ…」
しみじみした語尾の最後はしめっていて、水木が鼻をすすった気がした。ぎょっとしたのは鬼太郎だ。慌てて立ち上がり、水木のそばに近づいて、水木さん、そう顔をのぞきこんだ―
「わっ」
と、まるでそれを待っていたかのように、水木の手がぐわっと鬼太郎の小さな体を持ち上げ、自分の膝にすぽんと納めてしまった。
「なっ…」
「まだいいだろ。おまえはまだ小さいし。俺のかわいい坊やだよ」
絶句する鬼太郎をぐりぐり抱きしめながら、養い子を罠にかけた男は笑顔でそう言った。
…一部始終を見ていた目玉のおやじは、水木よ…とつぶやき、なんとも言えない雰囲気で親友と息子を見つめるしか出来なかった。
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