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ふーこ
2023-06-11 17:02:56
2771文字
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小説
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眠い袖、正しいボタン
ロビさんへ「朝の身支度をする壬生主:寝ぼけて龍麻が拳武館の学ランを着ようとしているのを恥ずかしそうに止めている壬生」をリクエストして描いていただきました〜!歓喜のあまり、イラストに寄せて小説を書きました!
いくらでも食べられるとか、いくらでも寝ていられるとか、そういう時期というものがある。いわゆる食べ盛り、育ちざかりのことだ。
おおよその人間は彼の年齢を聞けば「今がそうだろう」と答えるのではないか。しかし、当の壬生はその自覚に薄い。
食事は人並みに摂っている。睡眠も必要な時に、適宜。けれど貪欲なまでにそれらを求め、身体の成長に活かしているという感覚はなかった。龍麻にとっても今がそうであるか、そして彼にはその自覚があるか。それは壬生には窺い知れることではなかったが、少なくとも、今目の前で朝の身支度をしている彼にはまだ睡眠が足りていないことだけは十分に分かった。
なぜなら、どう見たって寝ぼけているのだから。
それ自体を指摘することはそんなに難しくはない。「まだ眠たそうだね」と言えば、弟弟子はその言葉に自尊心を刺激されて居ずまいを正す性分だ。ただし、そこに妙な衝突はない。それを分かっているから壬生も気を楽にして言えるだろう。
しかし今日ばかりは言葉を探す必要があったのだ。
「寝ぼけているのかい? 龍麻。それは僕の制服だけど」と、声をかけるべきかどうか壬生は一瞬悩んでしまった。そしてその一瞬を制することができなかったという事実は、すなわち壬生の敗北を意味していた。
壬生が「君のはこっちだ」と差し出すために真神の制服を腕に掛けた時にはもう、龍麻はもたもたと拳武館の制服からハンガーを引き抜き終えて袖に手を通したところだったのだ。
さて、困ったことになった。壬生はポーカーフェイスの裏で考えを巡らせた。友人の勘違いを指摘するなんて機会はこれまでにそうなかった。未発達の回路に無理やり思考を流し込むのは奇妙な感覚がする。
「龍麻
……
。これは僕の話だけど」
静かな水面に等間隔の波紋が広がるように、壬生の声は落ち着いて澄んでいる。彼は内面の揺らぎをそう簡単に外には出さない。内心ではどうしたものかと思いながら、思案も狼狽も読み取れない声色で龍麻に話しかけることができる。
龍麻は瞼にのしかかる眠気を払い除けきれないまま壬生の話に耳を傾けた。壬生が自分自身のことを語るのは珍しい。たとえ壬生がほんの雑談のように話しはじめたとしても、それを聞くときは眠たさに神経を呑まれることなく真面目にしていたいと思って頭を覚醒に向かわせる。
「小さい
……
子供の頃のことだ。シャツのボタンを掛け違うことがあってね。その上、掛け違っていることに最後になって気がつくんだ。勘違いにすぐ気がつくというのは大人でも難しいことだけれど
……
」
目を伏せたまま龍麻は小さい頃の壬生を思った。ボタンが最後の一つになるまで段がずれていることに気がつかない、ありふれた、あどけない子供だ。なんだかうまく想像もできないけれど壬生にもそういう時期があったのだ。
かわいい、と思う。龍麻は頭をわずかに寄せて話の続きを待った。
「
……
いや、そうじゃないな。今のは忘れてくれ」
しかし壬生は話題選びを間違えたとでも言いたげに話を打ち切った。龍麻が、おや、と重い瞼をゆっくりと開いて眼前の青年に目を向けると、彼は形の良い眉を困りげに下げていた。
「これは運がいいって言っていいのかな。壬生が困ってるところなんて、なかなか見られない」
「からかわないでくれよ」
相変わらず参ったような顔で壬生は龍麻の軽口を叱った。
なにも馬鹿にされている訳ではないと壬生にも分かっているが、決まりが悪いことには変わりない。それに、龍麻に古くからの友人のように軽く接されると壬生は少しだけドキリとしてしまう。気軽に肩に触れて笑いあうような距離に他者がいることに、まだ戸惑うのだ。
「ごめん、ごめん。忘れるよ」
普段から柔らかさのある龍麻の声がもう一段と気遣いに包まれた。眠たそうにしていた瞳も幾分か輝きを取り戻し、ゆっくりとした瞬きの度に睫毛が朝の光を反射している。
ささいな動作に龍麻の命を感じる。瞬きを繰り返すうち、再びとろとろと瞼を伏せたままの時間が長くなっていくのを見つめながら、壬生は悟られぬように小さく笑った。子供みたいな仕草だ、と思った。
それからまた緩慢な動作で龍麻が制服のボタンを留めようとしたので、壬生はとうとう観念する。観念すると同時に少々心が浮いてもいた。今なら龍麻を真似た軽さで彼に接してもよい気がしたのだ。
「龍麻」
再度の呼びかけに龍麻は律儀に反応する。サイズも色もデザインも違う学生服に気が付きもせず、口を閉じたまま返した「うん」という声がぼんやりと室内の空気に溶けた。
気まぐれみたいに、それでいてそうと決めていたように、龍麻は壬生の制服に袖を通している。
「
……
それは、僕の制服だ」
瞬間、ぱっと目を丸くして瞬きを一つ。言葉の意味を飲み込むまでに龍麻は自分の服と壬生が持っている真神の制服を二往復も見た。そして最後に気まずそうな壬生の表情を目に入れて、一気に顔を赤くする。
「は、早く言えよ
……
!」
慌てて制服を脱いだ龍麻の第一声に、壬生は彼の言うことももっともだと申し訳なく思いながら、龍麻が耳まで赤くしているのを認めて少しだけ愉快な気分になった。
ふ、と笑いが漏れたのを隠すように口元に手をやるが、手遅れだ。龍麻はしっかりとそれを見つけて「笑うな」と咎めた。口調の割に、語気は柔く砕けている。
「悪かった、悪かったよ。忘れてあげよう」
「ああ、もう。それさっき俺が言ったセリフだ」
壬生はもう一度おかしそうに口元で笑った。
龍麻も顔では怒って見せながら、内心では面白くも思っている。壬生があれこれと言葉を探していたであろうことも、自分が逆恨みをしていることも、それをこんな風に笑われていることも。気を遣っているのか気安いのだか分からなくて、おかしい。恥ずかしいけれど取り消してしまうのは惜しい時間だ。
やっと制服を交換して、お互い正しいものを受け取ると、壬生は龍麻の体温が移った制服に気恥ずかしさを覚えながら腕を通した。
紛うことなく自分の衣服であるのに、馴染むまでに一瞬の間が生じたのが妙な気分だ。わざとらしくもう一度羽織り直して壬生がやっと平静を取り戻すと、龍麻は真神の制服を手早く着終えたところであった。
「
……
やはり、君にはその制服が似合っている」
「壬生もね」
まだ恥ずかしさを拭いきれない様子で龍麻が答えた。
今のはからかったつもりじゃないんだ、と言い訳してみようかどうか一瞬迷って、壬生はこれ以上龍麻の羞恥心に触れてしまいそうなことを言うのはやめておくことにした。
忘れてあげようという約束は守れそうにないから、せめてね。と壬生は心の中で詫びたが、それは龍麻が知る由もないことだ。
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