ふーこ
2022-02-26 21:18:49
2990文字
Public 小説
 

もうすぐ春だね

ハメルンワンドロ お題「リュート王子」「春の気配」
リュート王子は特に春が好きそうだし似合うなというイメージがあります。リュート王子は花や動物が好きだし、花や動物もリュート王子が好きでしょう。何度でも春を迎えて欲しかったです。

 重たく冷たい風が吹いた。
 スフォルツェンド城の使用人たちは手を擦り合わせながら足早に外廊下を通っていく。「暦じゃもうすぐ春になるっていうのに」とぼやいた声が、今ひとたびの寒風に攫われて掻き消えていった。
 廊下にかかるアーチの柱からはごく薄い影が規則正しく落ちている。城内に植えられた木々もほとんど葉のない姿で、冬が明けぬうちはどうしても景色に色が少なく見えるものだが、今日は空に雲が多いこともそれに拍車をかけた。
 
「本当に……今年はいつまでも寒いな」
 リュートは自室のバルコニーで真っ白な神官服についた汚れを叩きながら、まだ冬の色を残している城内の景色を目に入れていた。深い暗青色の髪が風に煽られてひんやりと頬に触れ、参ったように赤くなった鼻をすんと鳴らす。
 リュートの服が汚れていたのは彼が近隣国に現れた魔族を退けてきたからで、健気に服の汚れを払っていたのは、これから女王陛下のもとへ向かうからだ。
 帰ってきたばかりの格好で参上すれば女王陛下――母は自分を窘めるだろうし、大神官の作法としてよろしくないことだと思って、一度自室に立ち寄って衣服の汚れを落とすことにした。もちろんリュートには替えの洋服くらい用意する世話係がいるが、リュート自身が使用人を下がらせるか撒くかするものだからしょうがない。
 リュートは冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。大気が水分を含んでいて、もうしばらくもすると一雨降りそうだ。冷たい雨の気配は心なしか体に重たく降りかかる
 重い色をした雲を見上げながら、吸い込んだ息をゆっくりと吐く。下を向いていると、ため息になってしまいそうで嫌だった。
 
 今日は山間の坑道近くの集落だった。その前は港町、しばらく空いてその前は国境沿いの関所、その前は……。リュートは自身と魔法兵団が救援に向かった場所をひとつひとつ思い出しながら表情を険しくした。
 魔族は時と場所を選ばずに現れて人を襲い、ときに支配しようとする。その暴虐が蔓延っていいはずがない、というのが皆の思いであるし、大神官であるリュートももちろん同じ意思で率先して動いている状況だ。それは魔族の被害を最小限にとどめることに功を奏していると言って何の間違いもない。今日だってそうだ。その前も、その前も。
 しかし彼の腹の底には言いようのない気持ちの悪さが渦巻いていた。魔族の進攻は、激しさや集中して起こる頻度に差こそあれ、いつまでも止む気配はない。
 周辺諸国の様子を見ても、民も王もゆっくりと疲弊していくのが分かる。いつやって来ると分からないものに怯え、いつ終わると言えないものに構え続けているのだから無理もない。魔族がやってくれば、たとえ「スフォルツェンドの守護神」の加護があったとしても立て直しは容易ではないのだから、気が気ではないのだ。

 気が抜けない日々であるのは、リュートにとっても変わらないことだ。
 彼は進んで人を助けようとするし、何より人々が幸福の中に在るのが好きだった。それが迷わずに危険の中へ迎える理由であり糧だった。
 だからこの時、リュートの脳裏に「いつ終わるのだろう」とふと浮かんだのは、彼の慈愛と義憤のためである。うんざりしているのでも絶望を抱いたのでもない。ただ少し、先が見えないことが重苦しくもどかしい。
 
 いつまでも冬の気配が残り続ける大気に、重たく空を覆う雨雲の水気に、色の落ちた景色。その中にふと目を留めるものがあった。リュートは城内の外廊下の近くに、古くからの使用人が二人立ち止まって何か嬉しそうに話しているのを見つけたのだ。
 先ほどから外を歩く者はみな肩を縮めて足早に過ぎ去るのに、いったいどうしたのだろう。リュートは好奇心に駆られてバルコニーから身軽に飛び出すと、魔法で落下の勢いを殺し、たおやかにそこへ着地した。
 突如上空から舞い降りた王子の姿に使用人たちは驚いて声をあげ、それから愛らしい子供のいたずらを目にしたかのように目尻を下げる。
「リュート王子ではございませんか。てっきり天から春の御使いが降り立ったのかと思いましたわ」
「は、春の御使い!? まいったな……なんか恥ずかしーよ」
「だって本当にそう思いましたのよ」
 使用人の一人が外廊下の側に植えられた木の幹に触れながら返す。リュートはつられてそこに視線を向けて、すっかり葉が落ちて寒そうな姿だなと思った。
「それよりさっきは何を話してたの? 楽しそうだったから、つい来ちゃったんだ」
「ああ、それはですね……
 差し出された手の示す先をリュートは丸い瞳で見上げた。
 あ、と思った瞬間、鼻先に柔らかな香りが掠めた気がした。実際に香りがしたのではなく、思い出したのだ。リュートにとってそれはよく親しんだ春の香りだった。
 彼らの側にある木の枝の先に、一つ二つ、小さな丸い膨らみがある。まだ固いそのつぼみの先からは白い花弁がかすかに覗いていた。
 木々や草木が春の気配を感じ取るにおいて、なんと敏感なことか。それは寒くて寂しい姿などではなく、希望を持って生きている姿だった。リュートは枝先に芽吹いたつぼみを愛情深いまなざしで見つめる。
「今年はもうしばらく……冬が続くのかなって思ってた。そっか、もう春が近いんだね」
 半ばひとり言のように呟いのだが、使用人たちもその言葉に頷きながら春の兆しを一緒に喜んだ。
 リュートの心は自然と弾んだ。裸足で芝生を駆けて叱られたことや、木に登って鳥と一緒に花の香を楽しんだことを思い出す。花が咲くことに癒され、陽光のもと人々が集うことに喜ぶ季節が訪れると思うと、体の奥があたたかかった。
 冬が解ける。重い雨の気配も、大地や木々を潤す甘雨に思える。
 
 背後でふと、錫杖がこつんと地面に触れた音がした。おや、と我に返って顔を向けた先には、難しそうに眉根を寄せた魔法兵団の一人が立っている。
 しまった、と思った。リュートはバツが悪そうに手を後ろで組んで兵を見上げる。言い訳はしないが、服の汚れを落としたらすぐに女王陛下のもとへ行くつもりではいたのだ。いつの間に焦らすほどの時間が経っていたのか。
「リュート王子……ここにおられましたか。女王陛下がお待ちですよ。ご準備は整いましたかな」
 その声色は焦っていたが、なにも不機嫌でばかり眉をしかめていたのではないと伝わるくらいに、安堵もうかがえた。城に返ってすぐ王子がお供を振り切って姿を消したとなれば、この兵士の心労も推して測るべしだ。
「いけない! ごめんね、すぐに向かうよ! みんな……話に付き合ってくれて、探しにきてくれてありがとう!」
 言うが早いか否か、リュートは大きく手を振って駆け出した。躊躇いなく足を踏み出し床を蹴る度に、神官服がふわりと揺れるのが美しくて力強い。リュートは今日見た春の兆しを母にも伝えるだろう。彼の目に映った春が、彼の喜びで膨らんで広がっていく。
 高貴な身分でありながら身軽な明るさを持ち続ける少年に、残された兵と使用人は思わず眉を下げて微笑む。これからあたたかな季節がリュートを迎え愛することを願いながら、どんどん小さくなっていく背中を見送った。「どうか、」と祈りのように手を組んで、かじかむ指先を叱りながら、彼の幸福を思いながら。