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ふーこ
2020-12-30 21:54:52
11748文字
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小説
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ダル・セーニョ訪問
リュート王子が魔族の被害に遭ったダル・セーニョ王国を訪問する。盾の国、というものに心揺れる。
※第一次スフォルツェンド大戦時に15歳であったと仮定して、12歳の時、魔族が世に出始めた頃の話です。
※モブが割と出るし割と喋ります。
※いろいろ適当仮定で書いてます。
《スフォルツェンド守護国 剣技の国ダル・セーニョ》
数日前に母国スフォルツェンド公国を出立し、中継地であるセンザ国の港町を発ってから更に馬の脚で丸一日北上した。港町の海風も大変堪えるものであったが、この辺りの冴え冴えとした空気もまた体の芯まで沁みる心地がする。
気温こそ低いけれど、目的地であるダル・セーニョ王国に到着するのが今日であれば最高だと、そう思うようなとても天気の良い日だった。少年は街道を進む馬車の窓から外の様子を窺って眩しさに目を細める。
「王子。窓から顔を覗かせないようにと申し上げたはずですよ」
同乗していた世話役の兵が咎めると、少年は肩をすくめて柔らかな座面に腰掛け直した。
「あはは
……
ごめんごめん。あんまりいい天気だから、外の景色が気になって」
「気持ちは分かりますけどね。今は油断のならない時なのです。どこに魔の手が潜んでいるか分からないと女王陛下もおっしゃっていたでしょう」
彼の乗る馬車の周りには、警護の馬車と騎馬兵が周囲を注意深く警戒しながら走っている。懸念すべきは盗賊や獣の類だけではない。最近は魔族による被害が急速に増加しているのだ。魔族の出現は北方で目立つ傾向にあり、特にダル・セーニョは国土内で魔族の被害が出たばかりだというのだから、此度の訪問は普段にも増した緊張感がまとわりついていた。
魔族の群れが猛威を振るうなどというのは昔話の世界のことだと、つい最近まで多くの人々がそう認識していた。存在を知られてはいてもその恐怖を実感する人間はほとんどいなかったのだ。
ところがずっと災いを封じていた《箱》が一人の女によって開かれたという噂が小さな町を起点に広がりはじめたころ、それを裏付けるように各地で魔族は人々を襲った。世界は火に炙られるように、ゆっくりと混乱と恐怖に浸食されていく最中にある。
しかし、これでもまだ魔族の復活はまだ完全ではない。長たる大魔王は未だ《箱》の中にいるのだ。人類は解き放たれた魔族に対抗しつつ《箱》と《鍵》を守り抜く必要がある。それらを守護する要の国こそが、魔法大国スフォルツェンド公国と、機械文明大国スラー共和国だ。
少年は《鍵》を守るスフォルツェンド公国の女王が第一子。強大な法力を持って生まれた彼はこの時代において人類守護の使命を背負っている。もともと、人の幸福を我がことのように喜び、悲しみを思い遣って寄り添うような心を持った子供だった。それが彼にとって吉であるか凶であるかを断じることがいったい誰に出来ようか。けれど少年はただ、人々を守ることを確かに願っている。
「そうだね。母さ
……
じゃなかった、女王陛下も魔族のことを警戒してた。ボクは、心構えも何度も言われたんだった。『今回は王宮での会議の他にダル・セーニョ王国内の被害現場の検証も行われます。スフォルツェンドの王子として、そして次期大神官として、責任を持ってそれに参加しなくてはいけません。いつものように一人で駆けだしてはいけませんよ』って」
母の言葉を真似ながら、少年は細い指を立てて、ついと振った。きりっと眉を上げたその表情は責任感とともにちょっぴりの誇らしさを滲ませている。
「女王陛下は、王子を頼りにしていらっしゃいますね」
「えっ! そうかな、そうなら嬉しいけど。
……
えへへ、頼られるだけのことをしなくっちゃね! きちんと報告ができるように気を引き締めるよ」
齢十二の子供の瞳に確かな志と責任の光が宿る。両手で頬を叩いて、少年は背筋を伸ばした。
この子供が次期大神官に、というのはほとんど確定された未来の話だ。既に国で一番の法力を有し、魔法の才能も知識も、それらを扱うセンスも、全てが実に秀でていた。代々スフォルツェンド王家の男子は強力な法力を持って生まれるものであるが、その中でも彼は抜きんでた例だろう。今、この少年が大神官の職に就くことを阻んでいるのは経験と年齢だけだ。
「リュート王子。ダル・セーニョ王国にまもなく到着します。国境沿いの城壁が見えてきましたよ」
馬車を引く兵が室内に声をかける。少年は思わず窓の外へ顔を出しそうになり、慌てて居住まいを正した。世話役の兵が思わず笑ってしまったのを誤魔化すように咳ばらいをして小さな物見用の窓を示すと、少年はその意図に気が付いて、きらきらの丸い瞳でそっと外を覗いた。
前方を走る警護の馬車の向こう側に、堅牢さが窺える立派な王城の影と広大な領土が見える。あれこそがスフォルツェンド守護国、剣技の国ダル・セーニョ王国だ。
♦
魔法兵団の精鋭らと共にダル・セーニョ王国を訪れたスフォルツェンド公国の第一王子リュートは、王城の門をくぐってすぐに圧倒された。大地の神に忠誠を誓うダル・セーニョの騎士団は誇り高く質実剛健、飾り気のない甲冑を纏った者たちが並び立つ様は荘厳な格式高さを感じさせた。リュートは無作法に思われないように気をつけながら、小さく感嘆の声を上げて進む。
隊列の間を抜けると国王と王妃がそろってリュート達を出迎えた。リュートは数年前にも自国で国王夫妻に会ったことがあったが、その時の記憶と変わらない、強く優しい眼差しに懐かしさを覚えた。
「リュート王子、魔法兵団の皆さま。ようこそいらっしゃいました。長旅、大変お疲れさまでした」
「シュリンクス王、ショーム王妃。お変わりないようで安心しました」
「王子も、ご健勝でなによりでございます」
握手を交わしたシュリンクスとショームの手の平の皮は厚く硬い。何年も剣を振るってきた戦う者の手だ。その力強さに、リュートの心は震える。
「時間まで、どうぞお体をお安めくださいな。お部屋へご案内いたしますわ」
「ありがとうございます、ショーム王妃」
リュートと魔法兵団のうち階級の高い数人は応接の間へ通され、警護の者らは別の部屋へと案内されていった。ダル・セーニョ王国の警備もスフォルツェンド公国側の人数に合わせてか、数人を除いてあとは部屋の外に待機しているらしい。
幾分か喉の詰まるような緊張感も薄れ、リュートはテーブルに置かれたティーカップに口をつけて一息ついた。以前にお会いした時からまた随分とご立派になられて、などと和やかな挨拶代わりの雑談ににっこりと笑って答えて、それから一呼吸置いて静かな声で切り出す。
「お二人とも。先日はダル・セーニョ王国の領土内で魔族の被害が出て
……
怪我をされた方もいたと伺っています。民を思うお二人の胸中、お察しいたします」
二人は微笑みを浮かべていた口元をぐっと引き結んで、痛ましい出来事を思い、声色を固くして答える。
「ありがとうございます、王子。死者が出なかったことが何よりでした。これは後でも正式に報告することですが、魔族は北の都にまだ多くの仲間がいるような口ぶりだったと」
「組織立った進攻がいつ来ないとも言えぬ状況
……
。奴らがスフォルツェンドへ南下せぬよう、ダル・セーニョで食い止めるのが肝要です」
穏やかな陽光の射し込む広い部屋、紅茶の良い香りの漂うこの場の空気が張り詰める。アンバランスの中でリュートは二人を真剣に見つめていた。まだあどけなさの残る丸く澄んだ瞳の、眼差しはしかし、たじろいでしまいそうなほど強く真っ直ぐだ。
「魔法兵団も意見は一致すると思います。より良い協力の方法を探っていきましょう。戦線をなるべく北で食い止めて
……
いえ、ダル・セーニョからも、更に北の大陸からだって、魔族を追い返してやるんです!」
拳を作って息まく少年の姿をシュリンクスとショームはしばし呆気にとられて眺め、その間にリュートは頬を赤くした。
「あ
……
。なんて、ボクはまだ何の権限も持ってないのに、すみません」
「いやいや、会議が不要になってしまうかと思いましたよ」
シュリンクスは目じりに皺をよせて朗らかな笑みを浮かべ、隣でショームも眉を下げて微笑んでいる。リュートは二人の笑顔に気持ちを救われたような気がして少し気恥ずかしかった。
「我がダル・セーニョは、人類の希望たるスフォルツェンド公国の守護国。
……
リュート王子、あなたのそのお言葉にみな奮起することでしょう。本日の会議で皆様のお知恵を拝借し、大陸の防衛戦に必ずや生かしてみせます」
シュリンクスが畏まってそう言ったのが胸に重く沈み、引っかかって、リュートは戸惑う。この不思議な感覚の正体を掴めないうちに会議の時刻が訪れ、両国は軍議の間へと集結した。部屋に足を踏み入れたリュートは、背後で重い扉がゆっくりと閉まっていく気配を感じ取っていた。
♦
ダル・セーニョの被害を聞いた時、リュートはスフォルツェンドから兵を派遣するのが良いだろうと思っていたし、実際にそうなるという気でいた。それは決して間違いではなかったのだが、ダル・セーニョ訪問前の国内会議でその提案はリュートの想定よりも随分と小規模な展開に留まることとなった。
本会議を経ての決定事項も国内会議で出た指針とほとんど変わらなかった。つまりは、リュートが思っていたような、両国が大陸北方で共同戦線を張るという結論にはならなかったのだ。
会議が終了し、魔族と交戦した現場を検証しに行くまではまだわずかに時間があった。リュートは再び戻ってきた応接の間で頭を整理させながら窓の外を眺める。今日はずっと風が穏やからしい。剣の描かれたダル・セーニョの国旗が前庭に掲げられ悠然と揺れていた。
リュートは国内会議の段階から、魔法兵団をなるべく多く自国に待機させるべき理由を言って聞かされた。
治癒の力と慈母神の加護を持つスフォルツェンド公国は人類の要、最も厳重に守りを固めていなくてはならない。魔族の中には翼を持つものもいて、魔法に長けた者は空間転移も可能だという。となると陸地でいくら層を厚くして待ち構えようと無駄な時は無駄だ。どこが戦場になるか分からない中、他国へ大規模に人員を割くわけにはいかないのである。
ましてスフォルツェンド守護国であるダル・セーニョを守るために、というのは本末転倒だとは、他でもないダル・セーニョ側からも言われたことだ。
理屈は分かっている。守護国の決意を思い遣らぬわけでもない。けれど、飲み込み切れない何かがリュートの胸をつかえさせていた。
「リュート王子。出発の準備が整いました」
は、と顔を上げる。廊下には既に外行きの準備をすませた両国の兵がならんでいて、リュートは神官服の裾を少々持ち上げて部屋の外へと急いだ。これから向かう現場は王都よりも更に北の山中だという。寒さも厳しくなるであろうことを見込んで、毛皮のついた外套をしっかりと着込んでから馬車へと乗り込んだ。
王都を空にするわけにもいかぬと、ショームは城に残るらしい。「リュート王子もいらっしゃるのですから万一のことが無いように、どうかくれぐれもお気をつけて」と言葉をかけて、ショームは彼らを見送った。
王都から離れるにつれて路面の状況も馬車の乗り心地も悪くなっていく。造りの良い馬車ではあるけれど、時おり跳ねるように揺れもした。普段のリュートなら楽しんだだろうが、声を上げて笑うような道行きでもない。
がたごとと揺られながら、同乗している兵は間違って舌を噛まないように慎重に口を開く。
「魔族の現れた場所に向かうわけですから、王子、くれぐれもお一人で行動なさいませんようにね」
「大丈夫だよ。陛下からも念を押された、って言ったでしょ?」
「それならよろしいのですが
……
。王子のお力を信じていない訳ではないのですよ、ただ
……
」
言いよどんだ兵の口の端から白い息が漏れた。リュートは髪と同じ色をした深青の目をそっと細めて、小さく笑いかける。
「分かってる。万が一ボクが怪我でもしたら、迷惑がかかっちゃうよね。シュリンクス王にもショーム王妃にも、それからあなたたちにも」
世話役の兵は黙って俯いた。そんな顔をしないで、と慌てて両手を所在なく振る少年の姿に、またいたたまれない思いになる。
「
……
そうだ。ダル・セーニョに現れた魔族は骸骨の姿をしてたと言ってた。城にある古い書物で読んだけど
……
魔族の中には冥界の者を従えている一派があるって」
まさしく血も涙もない連中だ。リュートは持参した魔導書を開いて目を落としながら頭の中で呪文をなぞる。冥界への葬送、冥界からの召喚、いずれもほとんど禁術の水準にある高等魔法だ。もしもこの国に現れた魔族が同等の術を使うと言うならば、それはすさまじき脅威だろう。魔法を扱うスフォルツェンドの民であってもなお恐ろしいのに、魔術に抗う術のない者はどんなにか。
「突然骸骨に襲われるなんて、亡霊でも見た気分だったんじゃないかな。未知の魔物に立ち向かっていけるダル・セーニョの兵は勇敢だね」
守るという覚悟と矜持があるのだと思った。それは彼らの母国に対する愛情で、誰かを想う心だ。
「慣れている我々でも王子の召喚したものを見て慄くことがありますからね。馴染みのない者にはさぞかし恐ろしく見えたでしょうに」
「あれっ。みんな楽しんでくれると思って召喚魔法を見せてたんだけどな
……
」
返事は力の抜けた苦笑で、リュートは頬をかいた。彼の魔法の披露もはじめは可愛らしいものだったのだ。小さな風や雷を起こしたりしているうちは良かったけれど、強力な魔法を自在に扱うようになってからも幼いころと同じような無邪気さで魔法を見せてくるものだから周りの人間は大変だ。
そうこうしているうちに馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて車輪の動きを止めた。どうやら目的地に到着したらしい。周囲を警戒しながら先に下車した兵に続いてリュートも馬車から降り立った。
先にそこに立っていたシュリンクスとダル・セーニョの兵士がリュート達を迎え、なぎ倒された木々を指し示した。
「あちらがまさに魔族の現れた場所です。骨ばかりの脆い姿に見えて、剣を振るえばおぞましいほどの殺気を放っていたと」
刀傷のついた木々、力任せにへし折られた剥き出しの幹。多数の足跡に踏み固められた地面の色が濃くなっていて、禍々しい魔族の気配と、混乱と恐怖が未だここに吹き溜まっているようだった。
その中にリュートは見つけた。折れた幹の白いはずの断面が、赤黒く染まっている。
周囲の木に止まっている鳥たちもじっとそこを見つめているようであった。まるで弱った生き物のにおいを嗅ぎつけてきたかのようだ。
「冥界の骸と、戦ったのでしたね」
リュートはぽつりと呟く。ではここにこびりついた血は、肉片は、勇敢なダル・セーニョの兵のものでなくて何であろう。しかしそのことを口にするのが痛ましく、リュートはただ、手のひらに爪が食い込むほどに拳を握りこんだ。
「
……
近隣に魔族の拠点か、あるいは転送魔法の陣が残っているかもしれません。少し見てみましょうか」
「なるほど
……
陣、ですか。魔法のことは我々では分かりかねるので、ありがたいお申し出です。道は我々が拓きましょう」
シュリンクスの言葉にダル・セーニョの兵の一団がリュートの側に控えた。兵たちは木々や草をかき分け、指示された方向に向けて道を作る。
「あんなに血が流れたんですね」
山道を進む足音に紛れてしまいそうな声だった。シュリンクスはリュートのその小さな呟きに、痛みが滲んでいるのを感じ取る。
既に大人を遥かに凌ぐ実力を持ち次期大神官として研鑽を積んでいるというこの少年の心は、まだ柔らかな子供のそれだ。傷つき、揺らぎながら、確たるものになろうとしている。
「魔族と交戦した方の、その後の容体はいかがですか」
リュートは何かを祈るように問いかける。シュリンクスは少々言葉に迷ってしまった。隠すべきことでもないけれど、まだ幼いという方が合っているような年若い少年に、スフォルツェンドの慈愛の血統と義憤の心を有する彼に、それを告げるのは少しだけ心を固める必要があったのだ。
「
……
剣はもう握ることができません」
重い沈黙。リュートは歩みを遅くして、ゆっくりと俯いた。何も言わなくてもこの子供の心は傷ついたのだということが嫌でも分かってしまう。「そうですか」と返事をした声は掠れていた。
剣とはきっと、ダル・セーニョの兵士にとって小さなころから共にあって、人々を守るために研ぎ澄ましてきたもの。もしも自分が魔法を使えなくなったら。信念のために身につけたものを奪われたなら、どう思うだろうか。想像してみると、リュートの心にはぞっとするような無力感と、果ての見えぬほどの悔しさと、激しい怒りが宿った。
その時、昂った気が何かを気取った。
わずかに魔力の気配が強くなったのを感じてリュートはその場に立ち止まり、獣のように素早く顔を上げて周囲を見回した。やがて一点に視線を定めたころ、兵士たちは足を止めてしまった彼を不思議に思って振り返る。
その背後から姿を現したのは、人間ではないと一目で分かるような、骨だけの姿の魔族だ。
いち早く反応したのはシュリンクスであった。剣を鞘から抜き魔族に向かっていくと、相手の攻撃をいなして、隙を狙って斬撃を打ち放つ。鍛えられた大柄な体躯と研磨された身のこなしから繰り出された重い一撃は装備をものともせず魔族の体を砕いた。
「
……
魔族だ! 一体とは限らん、構えろ!」
砕けた魔族の姿に目を奪われている暇などない。シュリンクスの指示を受けて兵が臨戦態勢に入るまでの一瞬の間に、もう一体の魔族は既に彼らに迫っていた。
それが手にしている剣は、先ほどシュリンクスが討った魔族の持っているものと何か気配が異なっていた。リュートは神経を澄まし、剣身に魔術が施されているのを感じ取ると、交戦は自分が引き受けるべきだと判断した。生身の体やただの剣で相手をして平気なものか分からない。一番早く、相手に触れることもなく討つことが出来るのは、自分だ。
「魔法兵団、皆さんを念のため結界の中へ! あれはボクが相手をする」
言うが早いか、リュートは迷いなく兵士たちの間を抜け魔族に向かって一足で距離を詰め、かざした手の平に魔法陣を発動させた。
向かっていく一瞬の間にリュートの瞳は敵の姿をしっかりと捉えた。意思の読み取れぬ虚ろな眼窩、カタカタと音を立てながら骨の体を動かして、手に持った剣の切っ先をゆらゆらと不気味に揺らしている。なるほど確かに脆そうな姿ではあるが、これは魔の者だ。人を切り血を養分とする、おぞましき化け物。
リュートが詠唱を始めると、周囲に一段と強い冷気が渦巻いた。痛いくらいに肌に突き刺さる凍った空気を少しも気にせず、リュートは詠唱を続ける。
この場の理すべてが彼の言葉と並外れた法力に従う。
中空の何もない空間から鋭く冷たい音が走る。そこから、たちまちにつららのような氷塊がいくつも出来上がり、同時に地面からは氷が這い上がって魔族の足を絡めとる。詠唱を終え手の平を振り下ろすと、槍の穂先のように尖った氷塊は恐ろしい速さで標的に向かっていった。
魔族の鎧も剣も骨の体も全て粉々に砕いて、氷塊は地面に突き刺さり辺りを凍りつかせる。そこをリュートが踏みつけると、一帯の氷は粉雪に変わって薄く積もった。
時間にすればほんの数秒のことだ。その短い間に、有無を言わせぬ圧倒的な力がリュートにあることをその場の全員が思い知った。
魔族のなれの果てである粉雪がさらさらと風に吹かれているのをしばし見つめ、シュリンクスは我に返る。
「
……
王子! お怪我は」
駆け寄ってそう尋ねた一国の王の顔は青ざめていた。リュートはそれに小さく笑って答える。
「なんともありません。
……
向こうに転送魔法の陣があるのが見えました。結界を張っておきましょう、そうすればここに同様の魔族が現れることはなくなるはずです」
リュートは鋭さの残る瞳で前を見据え歩き出す。しばらく、靴の裏に細かな氷を砕く感覚が残っていた。
♦
リュートが己の行動を悔いたのは、王城に戻りついてからのことであった。
飛び出して魔族を倒したのが悪かったとは思っていない。それをせずにいて怪我人が出る方が、自分を許せなかっただろうと思う。兵に指示をして現場を混乱させたことについては、帰りの馬車の中でも反省をしたところではあるけれど。
どうしていればこんな後悔をせずに済んだのだろうと、そう考えるけれども答えはすぐに出そうもない。警備の者や使用人も僅かしかいない人除けをした応接の間でシュリンクスとショームはリュートに深々と頭を下げていた。
「どうか
……
どうか顔を上げてください」
顔をのぞき込もうとするリュートの方が跪きそうなくらいになって、二人はやっと顔を上げた。それにリュートもひと心地ついて、少々強引に二人を腰掛けさせ、自らも傍らのソファに座る。
「我々が護衛となるはずが、王子を危険な目に遭わせ
……
あげく兵をお守りいただくとは」
「お詫びと感謝を、なんと申し上げてよいかもわかりませんわ。リュート王子、あなた様にも、ホルン様にも」
リュートは眉を下げた。謝罪も感謝もいらないのに。皆が無事でいられたならそれで良いと思ったのは浅はかだったろうか。迷惑をかけるつもりも、気に病ませるつもりもなかったけれど、つもりばかりで上手くいかない。
「
……
実はですね」
リュートがおずおずと口を開くと、二人は神妙に耳を傾けた。
「きっと、ボクは怒られてしまいます。母さん
……
女王陛下から、一人で飛び出していくなと言われていたのに」
リュートはダル・セーニョ国王夫妻を見て、それから室内にいる兵たちをくるりと見回した。
「ですから、今日のことは忘れていただきたいのです。もちろん魔族と交戦したことや、結界を張って転送を封じたことはスフォルツェンドに帰って報告します。けど、ボクが勝手に飛び出しちゃったことは、内緒にしてもらえませんか」
「まあ、そんな」
「しかしリュート王子」
二人は承諾しかねるようであった。リュートはすくと立ち上がると、いたずらが見つかった子供のようにちょっぴり俯いてもじもじと両手の指先を合わせる。その姿は、先ほど恐ろしいまでの力で魔族を滅した少年だとは信じがたいほどにいじらしくて、つい手を差し伸べてしまいそうになる、ただの小さな子供だった。
「シュリンクス王も共に戦ってくださったじゃありませんか。皆さんが無事で
……
ボクだってこのとーりピンピンしていますし、ね! そうだっ、シュリンクス王の剣の腕、さすがでした! 法術使いはふつう杖を使いますけど、剣裁きを目の当たりにするとやはり憧れてしまいますね」
リュートは大げさに腕を広げてあれこれと話を続けた。その場にいた者たちは皆どうすべきか少々戸惑っているようであったけれど、やがてダル・セーニョの国王夫妻は所在無げな面持ちでリュートに向き直る。
「わかりました
……
ですが」
ほっと息を吐いたのも束の間。リュートはすぐに、再び心の置き場所が分からなくなってしまう。シュリンクスとショームは胸に手を当てこうべを垂れた。
「恐れながら、王子。我らダル・セーニョはスフォルツェンドの守護国。スフォルツェンドの剣であり盾なのです」
「騎士を守るが盾の務め。
……
此度のことを忘れず精進して参ります」
やっとのことで、はい、と返事をした自分の声が随分遠くに聞こえた。
胸が痛いのはどうしてだろう。悲しいのか、悔しいのか、傷ついているのか、怖いのか。どうして? 何が? 赤黒い色をした木の幹が、頭から離れない。
「
……
シュリンクス王、ショーム王妃。ボクがさっき、剣に憧れると言ったのは
……
けっして話を変えようとして、無理に言ったんじゃないですよ」
「え?
……
ええ」
二人は、いったい何の話だろうかと曖昧に返事をしたが、リュートはかまわず言葉を続ける。そうすることでこの胸の痛みがどうなるかも分からなかったけれど。
「あなた方が剣を振るう理由や懸ける想いは、とても強くてあったかくて
……
尊敬しているんです。ボクはお二人のことも、騎士団の皆さんも、ダル・セーニョに暮らす方もみんな
……
みんな、好きですよ。ですから
……
」
盾だなんて言わないで。と、その言葉はとうとう続けられず、痛みも終ぞ消えることはなかった。
シュリンクスとショームは慈愛の国の幼い王子の心を想い、言葉の続きを促すこともせず、ただひとつ約束を結んだ。
お優しい王子。今度いらっしゃる時にはゆっくりと我らの剣技をお見せいたしましょう。もしもそれがあなた様の心を乱さず、糧としていただけるのなら。我々が剣に懸ける誇りを見ていてくださるというのなら。
♦
ダル・セーニョ王国を訪問してから数か月が経った日、スフォルツェンド城に、国の名工や細工師たちの連名であるものが届いた。
城の検分を終えて使用人たちに受け渡された時には、それが「リュート王子が職人に作らせた品」であることしか知らされず、随分と大きなその荷物は丁寧に布が巻き付けられていて見た目も全く分からない。
「次期大神官のリュート王子が手にするのなら、これは多分うんと大きな杖なのでしょうね」
「きっとそうね。神官は杖に法力を込めて戦うものだから」
二人がかりでそれを運んでいた使用人は想像を巡らせながら、長い廊下を懸命に歩いた。やっとの思いでリュートの部屋がある階にたどり着いたところで、向こうから駆けてくる影がある。荷物の到着を聞きつけたリュートが迎え出てきたのだ。
「わあっ、ありがとう! ここまで運ぶの大変だったでしょ。ごめんね
……
呼んでくれたらすぐ取りに行ったのに」
リュートは軽々とその大荷物を受け取って顔をほころばせると、宝箱の蓋をそっと開くみたいに、布をゆっくりとほどいて行った。
「リュート王子、それはいったい何ですか?」
「ふふ、これはねぇ
……
」
リュートは人懐っこい笑みを浮かべている。二人の使用人はふと、こんなにも心待ちにしていた物を最初に一緒に見るのが私たちで良かったのかしらと思った。けれど目の前の少年は自分たちが心から共に喜んでくれることを信じて疑ってもいないのだから、つい一緒になって、心を躍らせてしまうのだ。
「じゃーん!」
リュートは取り去った布を鳩に変え窓に向かって飛ばし、盛大に中身をお披露目してみせた。
「まあ! 杖
……
では、ないですね。だけど素敵な宝石が付いてます」
「本当だわ、とても澄んだ緑色。
……
てっきり、リュート王子もホルン様のような杖をお持ちになるのかと」
リュートは手に持ったそれを輝く瞳で見つめている。
「これはね、剣なんだ。と言っても魔法を使うための特別製だから、切ったり刺したりするような、本当の剣じゃないんだけどね」
そう言われて造形をよく見ると、柄のような部分があって、なるほど巨大な剣であると納得できる。
大剣を握って、埋め込まれた大小の宝玉や装飾を眺め、早くこれを扱うことに馴染みたいとリュートは思った。使い方は本物の剣とはかけ離れたものになってしまうけれど、振るう理由は変わらない。これは守る覚悟を宿す剣だ。
「
……
騎士を守るのが盾、かぁ」
「盾、ですか? いったい何のお話でしょう」
にこにこと笑っていたリュートの声の調子が急に落ちたものだから、二人の使用人は不安げに顔を見合わせた。リュートは安心させるように笑って、柔らかく眉を下げる。
「ボクは
……
たとえば、盾にひとつも傷をつけない騎士になれるかな」
「まぁ、リュート王子」
「何をおっしゃいますか」
とても驚いたようにそう言われて、リュートは思わず肩をすくませた。戦いから遠く離れた使用人たちにとっても、いったい何を言っているのだと思われるような馬鹿げた言葉だったのだろうか。盾があるならば使ってみせろと。それが責であるのだと。
続けて、使用人が声をそろえて言うことには。
「リュート王子は騎士ではなく、大神官になられるのに!」
リュートは目を丸くして、それからアハハと笑った。二人の使用人は相変わらず不思議そうな顔をしていたけれど、リュートは説明もせず「そうだね、ありがとう」と、大剣を手に駆けだした。
そうだ。守りたいと思うことが間違いであるはずがないのだ。盾を捨てる騎士も盾を庇う騎士も、いないかもしれない。けれど、全てが大切な神官になってもいいだろうか。
リュートは心が急くに任せて修練場へと向かった。守ろうと思っていいのだ。守ることが、出来るのだ。志に胸が熱くなる。
少年の小さな足は軽やかに、けれども力強くスフォルツェンド城の廊下を鳴らしていた。
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