商店が並ぶ大通りのどこかで景気よくベルが鳴り、また別のどこかでは軽快に笛が奏でられていた。続いて、珍しい果物を仕入れただとか旅芸人が到着しただとか、そんな威勢のいい声が聞こえてきてリュートの歩調はつられて軽くなる。
スフォルツェンドの城下街はとかく人で賑わっていた。多くの民がここに居を構え店を出し、各地から旅人や行商人が集まる。リュートの在籍する魔法学校の周辺も大規模な都市となっているが、ここはまた違った活気があって、人波を縫うように歩くことさえ愉快な体験に思えた。
国で一番栄えているこの街にリュートが訪れる機会は少なかった。生まれ育った実家はここから離れた随分とのどかな場所にあったし、寮が完備された学園での生活圏も知れている。クラーリィに同行してここにやって来た今日、街の活気に浮き足立つのもおかしくないことだ。クラーリィの後に付いて歩きながら、リュートは鼻歌でも歌いたい気分だった。知らない景色を目にする度に彼は感心して、頭の中に家族を思い浮かべる。
父さん母さん、みんな、知ってるかな? スフォルツェンドの街にはたくさん小路があって、そこを行き止まりまで進んでみると、小鳥が集まる広場があったり一風変わった魔法道具を売っている商店があったり、子供の秘密基地に侵入しちゃったりするってこと。
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幾度目かの失敗、クラーリィは額に手をやった。今度は住宅街の果てにやってきたらしい。家々の屋根の上には洗濯物が風にはためいており、民家の玄関先にある小さな庭の清々しい緑色が目に眩しい。
城下町での買い物(魔法道具やら特訓の備品やら、いろいろだ)を終えた二人が店を出たのは正午過ぎのことだ。手伝いをしたリュートに昼食でもご馳走してやろうと先導を始めたは良いものの、クラーリィはなかなか目当ての店にたどり着けずにいた。歩き始めたころは真上に照っていた日も僅かに傾き、建物が石畳の道に短い影を作っていた。
「……この辺りは、こうやって庭を作っている家も多いな。この植物の花は破邪の魔法と相性が良い。覚えておいて損はないだろう。では、道を戻るぞ」
美しい金の髪をゆったりとなびかせながらクラーリィは身を翻した。こういった進退も本日四回目で、リュートも四回目の「はい」を呆れもせず朗らかに返す。
この状況はいわゆる迷子である。
クラーリィの最近の行動範囲と言えば、城と学園の往復、たまに案内役を付けて他国へ出向くくらいで、スフォルツェンドの市街地を歩くということがほとんど無かった。その間に街の様相も幾分か変わってしまったのだが、元来方向音痴な彼にとってそれは致命的な変化だった。
道に迷った。その一言を言い出すタイミングを逃して、この国の実質のトップに立つ者が教え子に路地裏案内をし続けているのだ。
幸いにもと言うべきか、クラーリィの決まり悪さを知らずリュートはこの「散歩」を楽しんでいた。授業であったことを報告してみたり、魔法の質問をしてみたり、多忙な師と街を歩きそんな話をしているのはリュートにとって良い時間だったのだ。迷子の副産物としてクラーリィがやたらと細かに街の紹介をしてくれるのも、彼にとっては嬉しいことだった。賑やかなスフォルツェンドの大路を一本外れると意外にも素朴な光景が広がっているのが面白い。それに対してクラーリィが二言三言なにか話しかけてくる内容も興味深かった。
そんな調子で、魔法兵団の間でも評判の美味い店があると言ったクラーリィに付いて歩き出したはずだけれど、リュートは知らない間に始まっていた寄り道の数々に心を躍らせるばかりで訝しむこともない。
「ボク、スフォルツェンドのことをちっとも知らなかったんだなぁ。次の道はどんなところに繋がっているんでしょうか」
あまりに裏もなく笑ってそう言うリュートに、クラーリィはいたたまれない思いがした。次の小路がどこに繋がっているかはクラーリィの方が聞きたいくらいである。次こそ正解の道であってくれ。そうでなくてはもう間がもたないと、追い詰められた心地がする。
細い脇道に入っていくと、人の流れが盛んで道幅も広い大路とは異なり、すれ違う人々は司聖官の姿に立ち止まって恭しく頭を下げたり珍しいものを見るように眺めたりする。そんなことがある度に後ろでリュートが戸惑っている気配がするのでクラーリィも少々居心地が悪かった。
いっそこちらから話しかけてしまえばこのむず痒い遠巻きな視線が何か変わるだろうか。どうやらこの道も目当ての場所にたどり着けそうにない気配があるし、ちょうど良い、ここらが潮時だ、そう観念しておもむろに歩みを止める。
「……尋ねたいことがある」
二人に視線を残しながら通りすがろうとする若者に、クラーリィはそう声をかけた。その者もまさか話しかけられるとは思っておらず、厳格な風体の男と、その後ろにいる由緒正しき魔法学校の制服を纏った青年の姿を忙しなく交互に見てから、やっと「なんでしょうか」と上ずった声で返事をした。司聖官がこんな路地にまで入ってきて聞き込みとは、いったい何が起こっているのかと動悸までしはじめている始末だが、それは二人の知らぬところの話である。
「この辺りにある店を探している。たしか魚料理を出すのが珍しくて、味も良いだとかで評判と聞いた」
「……店、ですか? 魚料理を出す? ああ、いや、確かにありますよ。だけどこことは反対側の通りです」
「なるほど、逆に来てしまったのか。感謝する。引き留めてすまなかったな」
「いえ……えっと……楽しいお食事を」
「ああ」
若者は緊張の残る早足で、今度は彼らを眺め続けたりもせずそそくさと立ち去った。クラーリィはそれを見送ってから本日のお決まりの言葉を繰り返す。
「では、来た道を戻るぞ」
「……ちょ、ちょっと待ってください理事長」
さすがに五度目の「はい」は素直に返ってこなかった。リュートは既に歩き始めているクラーリィの背に追いつくと、おずおずと彼を見上げる。
「もしかしてボクたち……迷子だったんですか!?」
返事はない。代わりに声とも息ともつかない曖昧な音を喉の奥で鳴らして、クラーリィは頬をかいた。違うならば違うと言うはずだ。誤魔化しの言葉を探すような人でもない。この沈黙は肯定だと受け取ってリュートは目を丸くする。
格好がつかないことを変に取り繕うのはもっと悪いと分かっているのだが。相変わらずクラーリィが黙っていると、リュートは小さな十字架のついた杖を取り出して眉を下げた。
「言ってくださったら良かったのに!望んだ場所を示す魔法について、本で読んだばかりなんです!今やってみますね」
その心は、新しく学んだ魔法の出来栄えを見て欲しい、である。返事も待たずに生き生きと詠唱を始める教え子の姿を見つめながら、クラーリィは自分を虚しく思った。見栄をはろうとした訳でもないが迷子を黙っていたのが馬鹿らしくなってくる。
リュートが法力を込めた杖は昼間でもうっすらと感じられるくらいに光を帯びて中空に浮かび、やがて行き先を示すようにゆっくりと傾いた。リュートは魔法が上手くいったと見るとほんの少し誇らしげに杖の指した先へ歩きはじめる。
「きっとお店はあっちです!行ってみましょう。成功してたら嬉しいなぁ」
揚々とした足音が小さく響く。こういう時は子供の方がよほど頼もしくて前向きだとクラーリィは感心した。リュートはもともと優秀な生徒だったが、最近は入学してきた頃よりも随分立派になったと思うことが増えた。こうして彼の背中を見ていると、この子供はどこまでも進んでいけるのだろうと、進んで欲しいと、そう思う。
リュートのさらさらの黒い髪が太陽に照らされて天使の輪を作っている。腕を振って歩くさまは少しだけ彼を幼く見せて、何とはなしにその姿形を見つめながら、クラーリィはふと可笑しくなった。間抜けな迷子を張り切った子供が先導している、そんなことに、自分はいささか感傷的になりすぎだと思えた。
さて、果たしてこの魔法が成功しているか見届けようではないか。気を取り直しすっかり教師の気持ちで後に続いたが、勇んでいたリュートの歩みがだんだんとゆっくりになっていくまで、いったいどのくらいの距離を移動させられただろうか。
杖が示す方向はずっとどこか奇妙だった。目的地が分かっていながら、わざと遠回りをさせているような感覚があるのだ。きれいな花壇があるところだとか猫のたまり場だとか、そんな場所をわざわざ経由しているようで、ぐるぐると細道に入っては戻ってを繰り返していた。初めは楽しそうにしていたリュートの表情にもだんだんと焦りが見え始める。
「あれ、変だな……。すみません、自信はあったんですけど……」
きっと魔法を失敗したのだと、リュートは肩を落としてそう言うけれど、クラーリィはどうにも納得がいかずにいる。というのも、魔法が失敗しているような気配を感じ取れずにいたのだ。リュートは間違えずに呪文を読み上げたし、杖を動かしている法力にも乱れはない。ただ、示す先がどうしてか浮ついていてまだるっこしい。
「失敗という感じはしないのだがな。正しく命じたことが、正しく遂行されているという気配がある」
「えっ。これが失敗じゃない……ってことですか?」
クラーリィはその問いに頷いて、ではこの冗長な道案内はなんなのだと首を捻った。
「おかしいな。もう一度魔法をかけ直してみたらどうだ」
クラーリィはそう提案しつつリュートに視線を向けてギョッとした。隣で彼は顔を赤くして不自然に視線を彷徨わせていたのだ。日差しの下を歩き過ぎて気分でも悪くしたかと、クラーリィの肝が冷える。
「リュート。どうした」
身をかがめて顔を覗き込むと頬の朱はますます濃くなった。えっと、その、とハッキリしない言葉をぽつぽつと溢すのにクラーリィは黙って耳を傾ける。そうしていると、やがて彼にしては珍しく、リュートはゆっくりと顔色を窺うように話しはじめた。
「つまり……失敗じゃないのなら、寄り道ばかりさせられているのは……ボクがもっと理事長と一緒に街を見たいって思ったのが、魔法に影響しちゃったってことですね」
一呼吸分の間。リュートは身を縮ませた。わがままだと、迷惑なことを言ったと呆れられただろうか。
きっとさっきの魔法は失敗しているから、おっしゃる通りやり直してみますと言えば良かったのではないか。だけど一緒に歩きたいと思っていたことは本当なのだ。街の活気に浮かされて、ついそれを伝えてしまった。
じりじりとしたリュートの焦燥も知らず、クラーリィはやっと腑に落ちたと言わんばかりにひとつ頷いた。
「そうか。おまえ、この街で見るものを何でも面白がっていたからな」
「え、ええ。街歩きが楽しいのもありますけど、それよりも……」
「見ろ、あっちでは花を売ってる。あれは葉と一緒に瓶に詰めてポプリにするのが定番らしい。オレの妹がそういうのをよくやっていた」
「花ですか? あっ本当だ。生花のままでもいい香り」
「……望んだ場所に導いてくれるというなら、おまえの腹が減ったら店にもたどり着けるんだろう。それまでの間、こうして過ごしているのも悪くない」
眼鏡の奥の凛とした眼差しがほんの少し穏やかに細められる。丸い瞳でそれを見上げて、リュートはさっき言いかけた言葉の続きは心の内に隠しておくことを決めた。
街を歩くのは楽しいです、あなたと一緒なので、いっそう。
リュートは再び踏み出した足で軽快な足音を鳴らす。
「ありがとうございます、クラーリィ理事長!次の道は、どんなところに繋がっているんでしょうか」
「それはおまえの腹の減り具合によるな」
厳しくて冷静だと評される師の軽口が珍しい。あははと笑った声は、スフォルツェンドの街をまたひとつ賑やかにしていた。
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