例えばこういう時だ。口から空気を吸いこんで吐くとき、あるいは喉を震わせて声を発するとき。体内で温度を持った空気が冷えた外気に触れればたちまち水分が白く色づいて可視化される。そうして今日は寒いということに気がつくのだ。
現在の気温を尋ねられたとして、小数点のその先まで答えることは可能だ。知ろうと思えば外気温も、おまけに湿度や風速なんかもリアルタイムでつぶさに測定できる機器だってある。スラーの機械性能を持ってすればそれらはなんら難しいことではないのだ。
この国が誇る技術はすさまじい。世界の機械文明の発展に大きく寄与しているスラー共和国だが、中でも聖鬼軍と呼ばれる五人兄弟の体に注ぎ込まれているのはこの国の最高水準にして最高機密の技術だ。聖鬼軍の存在、引いてはスラーの機械技術はもはや魔法の領域に踏み込んでいると囁かれるほどである。
彼ら五人の体の大部分は、骨や肉や血によって出来ていない。鉄、鋼、ゴム、耐火素材、電子基盤に機械配線、その他さまざま。彼らの形を構成するのはそういった類のものだ。
けれどそれ以外は、拍子抜けしてしまうくらい、いたって普通の仲の良い兄弟だ。国防の任を終えた五人が揃って談笑している姿もこの国ではよく見られるものだった。
「わあっ息が白いや。そろそろ雪が降ってくるかもね」
「あら、それはまだ早いんじゃない? 私の体の調子も変わらないもん。特殊ゴムの性能が良いとは言っても……あまり寒いと伸びが悪くなったりするのよね」
「金属もあんまり冷えると調子出ない気がするよ。でも暑いときよりマシかな〜」
スラーの五人兄弟の、下の二人がぼやき混じりにそう言ったのが寒空に響いた。彼らにとっても寒さ暑さは体で感じることなのだ。ただ少し、生身の人間とは感覚が違うだけで。
「……ここ数日気温が下がっているのは事実だ。我々は風邪をひくようなことが無いとはいえ……お前たちも体の調子を悪くしないように」
どっしりと落ち着いた優しい声色で弟妹を案じたのは、彼女らのすぐ上の兄ゴーンである。大きな手のひらで二人の肩を包んで、この金属で出来た手も外気に冷えているのだったと思い直して、慌てて離した。
手が触れたのも離れたのも兄の思いやりであることをもちろん二人は分かっている。それはやりとりを見ていた次兄ガイタも同じだ。ガイタは赤毛を揺らして気楽な調子で笑う。
「そうだぜお前ら。オレたちの体はヤワではないが……ちっと繊細なところがあるのも確かだからな。なんならオレがあっためてやろうか?」
そう言ったガイタの体から微かに炎の気配が漂い始めた。彼の発する炎が、焚火で体を暖めるとか、そういう次元のものではないことを兄弟は知っている。三人は兄の体が熱を帯び始めたことに大仰に驚いて見せて、それからケラケラと笑った。
「オレの体のミサイルが誘爆したら大ごとだ……!」
「あっはは!もー、馬鹿言わないでよねガイタ兄さん!」
「そうよ。ガイタ兄さんの炎はあったかいも熱いも通り越して大惨事なんだからー!」
「誰の体が大惨事だ!それを言うならお前だって大惨事通り越して怪奇だろーが」
「言ったわね!」
きゃあきゃあと騒がしく言い合う声に、コキュウはため息混じりに笑う。今日も我が愛すべき弟妹は元気でなにより、とはいえもう少し落ち着きが出てきてもよいのではないだろうか。白い息が一瞬コキュウの目の前で揺らめいて、すぐに空気に溶けるように消えていった。
寒いだとか暖かいだかとか、肌でそれを感じることはほとんどないけれど、分からなくなってしまったり頓着するのを止めたりした訳ではない。むしろ敏感になったとさえ思うこともある。リラやショウのように体に影響の出る者がいるというのも理由の一つだが、無意識に人らしい感覚を失わないようにしているのではないだろうかと思い当たる日もあって、その度に己の心の軟弱を自省したものだ。
知らず眉根を寄せたところで、喧嘩の真っ最中であるリラの伸びた腕が流れ弾となってコキュウの頭に当たった。衝撃に思わずよろめくが、喧嘩に野次に仲裁にとヒートアップしている彼らは気づいていないようである。
「まったく、おまえらは……」
コキュウはぎゅうと自身の体を抱くように腕を組みながら思いを馳せる。今日のような気温の低い日でも、ふと体の内からあたたまる心地がするのは何故なのか。その答えはいつも彼のすぐ側にある。
「コキュウ兄さんも何とか言ってやって……って、あら。平気? コキュウ兄さんも寒いのは苦手だったっけ。どうしましょう」
「そりゃ大変だ。やっぱりオレの炎が必要か? なんて冗談言ってる場合じゃねーか」
「うむ。長兄の不調は一大事……おまえたちも喧嘩はほどほどにして、早く帰ろう」
「コキュウ兄さん大丈夫ー?」
四人の弟妹は騒ぐのを止めてコキュウの周りに集まった。兄がずいぶん寒そうにしていると見えたのだろう。普段は叱ってもちっとも黙らない賑やさだというのに、こうして途端にしおらしく心配して見つめてくるのは言いようもなく可愛らしくて、コキュウは顔を綻ばせた。
「……ハハハ! なんだおまえたち、さっきまで国中に聞こえそうな大騒ぎをしていたというのに」
「く、国中にぃ?」
「やだ!そんなにだったかしら……?」
きまり悪そうに声のトーンを落とす様子がまたおかしくて、コキュウは軽く体を丸めて笑った。吐いた息がふわふわと白く漂っては消える。
知っている。胸が暖かいのは愛おしいからだ。運命を共にする兄弟のいることがなんと喜ばしく、何にも代え難く、力の源となることか。
願わくばこの熱が失われることのないように、いや、誰に願わずとも失うはずもないだろう。これは彼らを思う気持ちが枯れない限りこの胸に灯り続けるものなのだから。コキュウは背筋を伸ばし、気を取り直すようにひとつ咳払いをした。
「心配をさせたが、オレの体に不調はないから安心しろ。だが帰還を急ぐぞ!父王への報告もあるのだからな」
「おおそうだ!任も終わったってのにあんまり遅ぇと父王もお冠になっちまう」
誰かさん達が喧嘩なんか始めるから、などと懲りずに軽口を叩いて小さな火花をパチパチと散らしながら、それでも楽しげに彼らの足は進む。王宮へ帰っていく五人の影はくっついて揺れて、いつまでもいつまでもと願うように冬の陽に長く伸びていた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.