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ふーこ
2020-07-29 23:02:19
2047文字
Public
小説
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そこ
ヒスシノ。お題「距離感」
ぼんやりと目を開くけれど覚醒にはまだ遠い。ゆっくりと瞬きをしてみて、それから再び無意識にとろとろと目を閉じた。
どうして目が覚めたんだったっけ。窓から眩しい陽の光が差したわけでも皆が起き出して物音がしたわけでもない。目覚めるにはまだ早いようだけれど、空気はもうすぐ朝のそれになる予感がする。日が上る少し前の、静かで、どこかそわそわしてしまう不思議な気配。もうしばらくもすると木々に集まる鳥の鳴き声が聞こえ始めるだろう。それを待つともなく耳を澄ませながらゆっくりと寝ころんでいるのはちょっぴり贅沢だ。
毛布を巻き込んで寝返りをうつと、くん、と何かが引っかかるような抵抗を感じた。なんだろうと思って眠たい目をもう一度開くと、隣で見知った姿が静かに眠っている。ざんばらの黒い髪をベッドの上にくしゃりと柔らかく遊ばせて、意志の強さがうかがえる赤い瞳を閉じているその顔は普段よりもいっそう幼く少年らしくなって見えた。
シノだ。こんなに近くで寝てたのか。魔法舎のベッドはさすがに二人で寝るには小さいからな。
自分の大半を夢の中に置いたままにしたかのようなおぼつかない思考で、毛布ごとシノの体を抱き寄せた。後からこの時シノはもう目が覚めていたのではないかと思ったけれど、なんだか気恥ずかしくて改めて確かめる気にはなれず、真相は謎のままだ。ともかくその時シノは小さく身じろいだだけで黙って俺の腕の中にいた。じっと大人しく抱きしめられていたのだ。
シノからは深い深い緑の香りがした。夜を忍んだ葉が朝露の恵みにきらめくような、愛おしく気持ちが良いものを想起させる香りだ。
前にもこんな気持ちになったことがある気がした。ブランシェット城にいた頃、シノと一緒に過ごす何度目かの大いなる厄災が近づく日。二人でシーツにくるまって、シノが森でどんな風に過ごしているのか聞いていた時だったろうか。話を聞きながら、木々のざわめきや生き物の気配、ぬかるんだ泥や夜風の香り、それからそこにいるシノに思いを馳せた。頭の中のその姿は、暗く深い豊かな森が愛情深く在ることとよく馴染んでいた。
森と城がずっと共にあるように、俺たちも共にいられると思った。
苦しくないようにと気をつけながらシノを抱きしめる腕に力を込めた。そうしている間にも、優しい朝の気配と心地の良い他人の体温は意識をどんどん絡め溶かして眠りへと誘う。あらがえず瞼を閉じると、思考はそこで途絶えてしまった。
♦
次に目が覚めた時にはもうすっかり日が上りきっていた。魔法舎の中は既に足音や話し声、それから朝食の香りと、他者の生活の気配に溢れている。明け方のように「どうして目が覚めたんだろう」なんて疑問がうかんでくる気配もない。当然に世界に朝が訪れているのだから。
隣にシノの姿はもうなかった。寂しいような気もしたけど、シノがシノの生活を差し置いてここに眠ったままでいることを期待するのは乱暴だろうかとも思う。
隣に、シノが眠っていた場所に、ぱたりと腕を伸ばしてみる。まだ起き上がるには勢いが足りなくて横になったまま昨晩のことをあれこれと思い出していると、じわじわ顔が熱くなってきた。シノのよくしなる体も、喉の奥でこらえる声も、汗ばんだ額も、なにもかも今だ鮮烈に焼き付いて残っている。
同じベッドで眠るということに特別な意味合いが生まれたのは最近のことだ。昔は幼い非日常の楽しみをそのままに包んで二人で眠ったものだけれど。今になってからそこにいた自分とシノのことを思うと、切ないような妙な気持ちになる。
家族とも(シノだって身分こそ使用人ではあったけれど)使用人とも違うところにシノがいた。今もそうだ。家族とも、使用人とも、友達とも、恋人とも言いきり難い、何と称したらうまくおさまるのか分からないけれど、そこにシノがいる。もしもシノと出会わなかったら永遠に空位のままの、他の誰も馴染むことはないと思える、そこ。
『おまえは唯一の人だよ』
『そういう甘い言葉も、おまえが言うとめっぽう上等に聞こえるもんだな。分かってるじゃないか』
そうじゃないだろ。
空想の会話を、かぶりを振って打ち消した。なんとなく恥ずかしくなって枕に顔を埋めるとサシェの香りに混じってシノの髪の香りが残っているのを鼻先に感じる。
何に肩を落とすわけでもないけど、ため息がひとつこぼれた。体がうんと近づいてもまだもどかしく立ち止まっている気持ちがする。ずっと仲良くいたいと、伝わってほしいと願う通りに伝えるのは難しい。
腕の中が空っぽなのがやはり寂しいように思えて、ようやく起き出す気になった。このまま眠っていたらきっとあの幼馴染はずかずかと部屋の中に入り込んで起こしてくるだろうと簡単に予想はできるけど、それよりも早く顔が見たくなったのだ。
急いで身支度をしながらぎゅっと口を引き結んだ。俺がそんなことを思ったと知ったら、シノはいつもみたいに、口の端を上げてにんまりと笑うだろうか。
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