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ふーこ
2020-07-12 02:55:22
2325文字
Public
小説
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雨上がりは待たない
ヒスシノ。お題「雨具」
シノが、すんと鼻をならして「雨が降るな」と言った。
そういうのって匂いでわかるの?と聞く前に雨の一粒が鼻先に当たる。「本当だ」と気の抜けた返事をすることになってしまいヒースクリフは眉を下げた。
市場の通りの石畳に雨粒がひとつふたつ、やがて勢いを増してそこら中に黒く染み込んでいく。ある者は家路を急ぎある者は雨宿りの場所を探す。急いで品物に雨除けの布をかぶせる露天商の姿もあった。一気に忙しくなった人の流れの中、ヒースクリフとシノも買い出しの荷物を抱えたまま、早足に近くの店の軒先に逃げ込んだ。
魔法舎を発った時には雨の気配なんてなかった。雨具の準備をしておけば良かったな、と今さら思っても仕方のないことだ。シノは空を見上げて目を僅かに細めた。
「雨雲が厚い。これはしばらく止みそうにないぜ」
「困ったな。
……
けど、荷物があんまり濡れなくて良かった」
ヒースクリフは腕の中に持った紙袋の中身を柔らかな手つきで確認しながら、困り顔のまま小さく笑った。手元に視線を落としているその横顔に湿気を帯びた金色の髪の一束がひたりと張り付いているのを見つけて、シノは短いため息をつく。
「荷物の心配もいいが、おまえも雨に濡れてるぜ。乾かして体を温めてやる。ついでに雨除けの魔法もかけておくか。マッツァー
……
」
「わあ! よせ、シノ!」
シノが呪文を唱えはじめたのと同時にキィンと澄んだ音が響き、この場に不思議の力が働きかけたのをヒースクリフが慌てて止めた。シノが訝しげにしながらも一応黙ったのを認めると、口を塞ぐようにかざしていた手をゆっくりと下ろして語気を強める。
「驚かせるな。こんなところで魔法を使っちゃ、目立つだろ」
「濡れたままでいるとおまえは風邪をひく。魔法をかけるのなんて一瞬だ。今だって別に、誰も見てなかった」
「いま見られていなかったとして、その後はどうするんだよ。俺たちだけ雨に濡れずに歩いていたらおかしいよ」
シノが眉を顰める。どうしてヒースクリフのためを思ってしようとしたことが、こうも悉く否定されなければいけないのだろうか。
「なら、雨が止むのを濡れながらじっと震えて待ってるって? オレはごめんだ、そんな湿っぽいこと。おまえはそうしてるのが好きだって言うのか」
「なんだよその言い方
……
! だいたい、おまえが言うほどずぶ濡れになってもいない。上着を脱いじゃえば分からないくらいで
――
」
ヒースクリフがベルトを取り去りコートを脱ぐと、ちょうど通りかかった二人組の女性がきゃあと色めき立った。水もしたたるいい男が不機嫌に服を脱ぐさまは刺激的に映ったのだろう。
その声を聴いてヒースクリフは耳を赤くした。人目を気にしないシノを咎めていたはずなのに、言い合っている間にヒースクリフの方がシノと二人きりのような気分になっていた。往来でつい大きな声を出して怒って、恥ずかしい。
「あ
……
。驚かせてしまってすみません、お嬢さん方」
なんとか取り繕い、彼女たちからの「私の家で雨宿りをしていきませんか」という誘いも切り抜けたあと大きく息を吐いたヒースクリフの姿を見て、シノは先ほどまでの勢いを削がれてしまったのを感じていた。
カッとなりかけた熱が引いたのはヒースクリフも同じようで、少しの沈黙の後シノにそっと向き直ると、心を落ち着けるようにコートを両手で抱えて言葉を探した。心配してくれたのだということは分かっている。最初にありがとうと言ったら何か違っただろうか。シノの気持ちが嬉しくない訳ではなかったのだと。
「シノ。
……
えっと、俺は大丈夫だから。もう少し人の少ないところまで移動して、魔法を使うのはそれからにしよう」
シノの表情はいつだって心に正直だ。おかしければ笑うし、納得できなければ眉を顰めるし、呆れたらじっとりと目を細める。だからシノが真っ直ぐな赤い瞳で、いつもの調子で返事をしたとき、少しホッとしたのだ。
「しょうがないな。まだるっこしいのは嫌いだけど、そうしてやる。少しの移動ならちょうどいいものもあるしな」
「ちょうどいいもの?」
ヒースクリフが目を丸くして問うと、シノはマントを肩から外して大きく広げた。くっつけば二人でかぶれそうな大きさだ。マントの一端を掴み腕を恭しく伸ばしてヒースクリフを招き入れると、シノは口の端を僅かに上げた。
「ひとつ外れた通りまで行こう。急げよ。あまりちんたらしてると雨が染み込んでくる」
「でも、シノのマントが濡れちゃうよ」
「後で乾かせばいい。うじうじ言ってると置いてくぜ」
「あっ
……
待ってよ」
シノが先に軒先の外へ足を踏み出したので、ヒースクリフもそれに続いた。頭上で鳴り続けていた屋根を叩く雨音から離れると、マントの中はとても静かで、現実からふっと抜け出してしまったみたいだ。濡れた石畳を蹴って進む感覚だけが確かにここにいることの証明のよう。
こうしてぴったりと隣合い足並みを揃えて走っていると、ヒースクリフは不思議と子どもの頃を思い出した。森を探検するときなんかはシノがずっと先導していてすぐ隣を歩くことは少なかったし、今日みたいな雨の日に外を走り回るなんてことはしなかった。違わず合致する思い出はきっと無い。それでもこうしていると、どこか胸の奥がくすぐったかった。
雨具の準備をしてこなくて良かった。とまで言ったら、マントを濡らしてかばってくれたシノに悪いけれど。
「なんか、懐かしいな」
ヒースクリフは告げられない幸福を大切に心に置いておきたくて、雨の音に溶けそうな小さな声でそう呟く。
街に雨を降らせる雲の縁が、ずっと遠くの空に薄れていた。
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