ベッドの上で膝を抱えて小さくなってるヒースは焦れるくらいに口数が少なかった。森に果物を取りに行くかと誘っても、虫を呼ぶのに木に蜜を塗ったのを見に行くかと誘っても、小さく首を降るだけ。せっかく遊びに来たのにこれじゃあ一人でいるのと変わらないじゃないか。オレは木の丸椅子に腰掛けて足をぶらぶらと泳がせた。
ヒースはさっきまで奥様と音楽の勉強をしてたみたいだ。なんで知っているかって、庭の草刈りの休憩で木陰に入ったとき、オルガンの音と二人の歌声がどこかから聞こえて来たからだ。
ヒースは奥様と勉強する時、いつも静かに本を読んだり、羽ペンで何かを書いたり、そういうことをしていると聞いていたから驚いた。そして、なんて綺麗な音があることかと思って休憩の間じゅう耳をそば立てていたのだ。森の木々がザワザワと風に揺れるのとも、川の水がザブザブ流れるのとも違う。耳に慣れないものではあったけど、いつも聞いてる二人の声が、揺れては伸びて沈んで浮いてとしているのは、なんだか楽しそうに聞こえた。
そう。そんな様子だったからてっきり今もヒースはニコニコ笑っていると思ったのに、実際はこの湿りようだ。ベッドの脇に脱いだ靴も片方転んだまま、金糸で刺繍を施してある大きなクッションをベッドの上に散らかして。夜色の靴下を履いたつま先をぎゅっと丸めて俯いている。落ち込んでいると言うよりは拗ねてるみたいだ。
「なぁ、ヒース。何だって言うんだ。オレは出て行った方がいいのか」
ヒースは黙って首を振って、オレを窺う。それから口元を隠してようやくごにょごにょと訳を話しはじめた。
「歯が……」
「うん?」
ヒースは続きを言おうとして、やっぱり黙ってオレを手招きした。椅子からひょいと下りてヒースの前に立つと、ヒースは口を開いて前歯を、前歯のあった場所を指差した。
「あ」
オレが思わず声をあげるとヒースはすぐに口を閉じて恥ずかしそうに俯いた。ヒースの上の前歯は、まるごと綺麗に無くなっていた。
歯が抜けるなんて、何かとてつもなく硬いものを齧ったとか、殴られたとか、病気とか、とっさにそういうことが思い浮かんでザッと血の気が引いた。ヒースを害したものを絶対に許してはいけないと腹の底が熱くなって、それからよくよく思い出して恐らくの正解に辿り着き、体に入った力が抜ける。
「……ああ。最近グラグラするって言ってたところか。歯が生え変わるんだって?」
ヒースは頬を赤くして頷いた。この様子だと本当にただニュウシが抜けただけで間違いないみたいだ。良かった。と思うと同時に、それだけのことをここまで躊躇って言うからあらぬ心配をしたんだ。とも思った。
「……生えてくるまで、ひゃべったり笑ったり、はずかひくて。ほら、上手く言えない」
言っているうちにもヒースの声はどんどん小さくなっていく。大人になるって事なんだから、むしろ自慢してやれば良いのに。オレだって早く背が伸びて歯も生え変わって声も落ち着いて低くなって、そんな風になりたい。グラリともしない自分の歯を舌で押してみながら思う。
大人になるスピードを抜かされたみたいで悔しいから、ヒースを慰めてなんてやらない。けど、さっき聞いた奥様のお言葉くらいは思い出させてやるのがいいだろう。そういうものの言い方があるんだなって聞いてたけど、そのままの意味だったやつ。
「いいじゃないか。さっき奥様とお前とで歌っていたとき、奥様もおっしゃってたろ。『あの木に止まってる鳥だって、歯はないけど綺麗な声でしょう。さあ、ヒースも素敵な声を聞かせてちょうだい』って」
「なんでひってるの!?」
「窓が開いてたんだろ。聞こえてきた。確かに素敵だったぜ」
「ああ、もう……」
ヒースは周りに散らばっていたクッションを一つ掴んで顔を埋めた。何を恥ずかしがることがある。とクッションを取り上げてベッドの上に投げたら、ヒースはまた別のクッションを掴んで、オレはまたそれを取り上げて、それを何度も繰り返してギャアギャアと騒いだ。そうしているうちにヒースは気持ちが晴れてきたのかアハハと笑ったので、オレもいい気分になる。
くたびれた体を休めるように、ヒースはベッドの上に足を伸ばしてゆっくりと息を整えた。
「……でもね。母さま、歌が終わってから俺のこと『かわいい歯抜けちゃん』なんて言うんだ。これも聞こえてただろ?」
「あはは!そこまでは聞こえてなかった。教えてくれてありがとう、かわいい歯抜けのヒース」
「ああ……言うんじゃなかった」
ヒースはむくれてそっぽを向いたので、オレはしょうがないからご機嫌とりにこう誘ってやる。
「機嫌をなおせよ。森に美味い果物がなってるところを見つけた。一緒に食べよう。それとも、蜜に集まった虫や鳥を見に行くか?」
ヒースはいじけた声でうーんと唸ったあと、転けた靴を起こして履きながら「夕暮れまでに両方できるかな」と欲張って、はにかんでオレの手を取った。
おわり
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貴族って抜けた歯どうしてるんでしょうか。『貴族 抜けた歯』『貴族 乳歯』『中世 歯』検索履歴がちょっとニッチになっちゃいました。(しかも答えは分からなかった…)
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