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えぬを
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怪物
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jwds_20240324
沼ヒュンした怪物jwds小話。
成立前のような、それでいて矢印が双方向に強めなjwds。
沼りたての勢いで書きました。
再会して、話しをして、食事をして、話しをして、忠清道にも行って、話をした。
その日も約束をしていて、ジュウォンは約束より随分早い時間にドンシクが大半の時間を過ごしているナム・サンベの遺した家に辿り着いていた。
そして車の中で時間を潰した。
悩みに悩んだ結果だ。
ジュウォンは時間に正確だ。人との約束や集合時間は十分前には目的地に着いていることを当たり前のことと捉えている。それが、十五分、二十分と早くなり、今日は四十分も早く、忠清道に着いた。
近々の休暇は可能な限りドンシクとの時間に充てていて、市街で食料を買い込み、辿り着いたのが四十分前。
段々と約束の時間よりも早くなるその行動原理を自問して、単純に少しでも長くいたいという欲求に起源するのだと自覚しすれば、ジュウォンの行動は早かった。ならば早く訪問すればいい。
結果、鍵のかかっていない不用心さを第二の住処でも発揮するらしいドンシクの深層のお陰で、ジュウォンは勝手知ったるとばかりにドアを開ける。
外と変わらぬ室内の冷え冷えとした空気に眉を顰めた。室内は静まりかえっている。
床から直に伝わる寒々とした空気に、相変わらず暖房をつけないドンシクの行為にため息を吐きつつ室内を進む。
そこでジュウォンは足を止めた。
ソファでドンシクが眠っていた。
ジュウォンは氷のように固まって、その場に立ち尽くした。
初めてだった。ドンシクの寝姿を見るのは。
人の気配には聡いはずの彼が、約束の時間よりも早く辿り着き、テリトリーに勝手に入り込んだ第三者──この場合はジュウォンだが──に気付くことなく眠っている。
これが自分でなかったらどうするのか、とか、だから鍵をかけろと幾度も幾度も言っているのに、とか、脳内ではドンシクへの非難の言葉が溢れる。けれど、ジュウォンが次に起こした行動は、自分のコートを脱ぐことだった。足音を立てずに進み、脱いだコートをそのままドンシクにかけた。
そこまでして、ジュウォンはブランケットをかけるべきだと遅まきながらに気付いた。気付いて慌てて振り向いて、足の小指をテーブルの脚にしこたまぶつけた。
無言で悶えて痛みをどうにか逃す。
痛みに耐えながらおかしな歩き方でそろりと寝室に向かおうとすれば、微かな吐息のような声が後ろから響く。
「ぅ、ん、ぁれ」
ジュウォンは慌てて振り返った。
ドンシクの瞼が持ち上がり、夢と現実を漂う眼差しで、一瞬だけ、うろ、と天井から壁を仰いで、テーブルの横に佇むジュウォンに焦点が合う。
「じゅうぉな」
「はい」
素直に返事をした。
ほぼ寝起きの無意識で、ジュウォンをジュウォナと呼んだドンシクのくぐもる声に、室内の寒さが和らいだ気がした。気がしただけだが。
「これ、あなたの、」
「はい、僕のコートです、すみません」
「ふふ、なんであやまるの」
「
……
」
「
……
あったかい。それにあなたのにおいがしますね」
「ごめんなさいすみません今ブランケットを、」
ドンシクの言葉に動揺しつつも我に返り、ジュウォンが寝室へと身を翻そうとすれば、ドンシクは笑ってそれを制止する。
目が覚めたから、とジュウォンのコートを手に、ドンシクが立ち上がる。近づいたドンシクの周りで空気が動いて、覚えがあって覚えのない香りが漂う。それがドンシクが手にした自分のコートに染み付いた香りであることに気付いた。
毎日洗濯してしまいたいところのコートに関しては、仕方なし衣類の防消臭剤のスプレーを振りかけている。香りが強く残るものを選んだつもりはないが、かすかに漂うその香りは、慣れ親しんだスプレーの香りとはまた異なるものだった。
きん、と冷えた室内の空気に混ざるドンシクの香りと自分の香りが混ざったものだ。
それに気付いて、ジュウォンは顔に出さずにドンシクから一歩引いた。しかし、ドンシクが引いた距離分近づいてきて、下方から首を傾げて顔を覗き込んでくる。
「あなたないてる?」
再び固まったジュウォンは、動揺のまま素直に白状した。
「
……
こゆびを、」
「こゆび?うん。ぅん?」
脈絡のないジュウォンの返答に、ドンシクが傾げた首を反対に傾げた。
「ぶつけました
……
あしのこゆび」
テーブルの脚に、と続ければ、ドンシクがどこかが痛いような表情で顔を顰める。
「あらら」
既に痛みは引いていたはずなのに、小指がじんわりと熱を持った心地がした。
ジュウォンはこんな風に、誰かの静寂を乱したくなくて、誰かの平穏を壊したくなくて、誰かのために痛みを耐えたことはなかった。
「あなたを起こさないようにしないと、と思って。起こしたくなかったんです、すみません。静かに、穏やかに、眠っていてくれたらいいなと思っていたのに」
「ぁー、ぅん、うん」
「そう考えながら、ブランケットを取りに行こうとしたら足の小指をぶつけました」
付け加えた言葉に対してドンシクが吹き出した。
「ハン警部補は優しいですね」
「いいえ」
ジュウォンは即座に否定した。
比較にならないほどに優しい人を既に知っているから。
「僕のコートなんかで、すみません」
「だから、なんであやまるの」
ドンシクが困ったように笑った。
「ジェイさんにも言われたんです」
「ジェイに?なんて?」
ドンシクはそのままソファに座り直した。そうして、その隣側をたたき、ジュウォンに座れと促してくる。ジュウォンは導きに従ってソファに腰掛けた。
「なんでつけてないんですか」
今更ながら、テーブルの下にエアコンのリモコンが落ちていることに気が付いて、ジュウォンはそれを拾い上げた。
会話への返答ではなく、冷えた部屋に対してのクレームを先に口にしたジュウォンにドンシクは『忘れてました』とへらりと笑って答えた。
ドンシクの素足の爪先は、冷えて赤くなっている。それを視界に入れたジュウォンの眉が顰められる。慣れたそれに、ドンシクは肩をすくめて先を促した。
『ドンシクさんはね、ソフトクリームを強請ったら全部くれる人だったの。でもね、そうじゃないの。差し出してくれたソフトクリームの先を舐める贅沢が欲しかったのに』
ジェイは手元から目を離さずに、肉を切りながら続ける。ジュウォンは大人しくそれを拝聴した。
『
……
もう手の届かない人たちがドンシクさんを持っていっちゃってるのに。あと少ししかないのに。それをあなたが全部持っていっちゃうんだね』
「すみません、って言ってしまって」
独り言のような、責めるようなジェイの言葉に、反射で答えたジュウォンの言葉に、ジェイは眉を跳ね上げた。
肯定とも取れるそれを聞いたジェイに、『本気で思ってない謝罪なんていらないです』と非難された。
そうしてジェイは、赤く染まった衛生手袋を嵌めたまま、カウンターに置いてある小さな缶を指差した。
『ペナルティ』
『
……
は?』
『〝すみません〟なんて心にもないこと言ったペナルティです』
『え?は?』
缶には幾許かの紙幣と硬貨が入れられていた。ジュウォンは缶とジェイに向けて視線を行ったり来たりさせて、途方に暮れた。
「最近定めたマニャン精肉店内でのルールだそうです。下品なワードを発したり、食べ残しをしたら、ペナルティ。それも店主の気分次第」
始まりはマニャン精肉店に馴染みある人物たちが、酔って決めたお遊びの延長らしい。
「ジェイさんは改装資金にすると。ちょっと。なに笑ってるんです」
ドンシクが腹を抱えて笑っている。耐えかねて、口からおかしな空気音と引き攣った笑い声が漏れている。
ひとしきり笑った後、ドンシクは目に浮かぶ笑い泣きしたらしい涙を拭って顔を上げた。
「あなたのすみませんはごめんなさいに聞こえるからね」
「僕に任せてくださいと言えるとでも?」
「言ってみれば良かったのに」
「彼女、ちょうど肉を捌いてたので包丁が
……
あと、その時僕、現金の持ち合わせがなくて」
ジュウォンが躊躇いがちに告げれば、再度ドンシクが吹き出した。ジュウォンからすれば、ジョークのつもりなど欠片もない。
マニャンの人々は一致団結して敵を排除する。
ドンシクを犯人だと決めつけていた状況証拠について、今はなぜそう思い込んでいたのかさえ分からない。ドンシクは無罪であると盲信的に信じるマニャンのつながりは感情に因るものだったけれど、時としてそれ自体が証拠となる情は、それまでのジュウォンの人生観さえ変える出来事だった。
「まぁ、俺は誰かが部屋に入ったら、気付く方なので。それはあなたにとって良いことかな。それとも悪いこと?ハン・ジュウォン」
「
……
片手じゃ足りないでしょう」
「なに?急に」
「あなたにソフトクリームを丸ごと譲られて絶望した人数。それって女性が多いですか?彼女たちは永遠になれたかもしれない、なりたかったかもしれないポジションを、庇護すべき年下の女性というだけで手に入れることが出来なかったのなら、少なくとも僕は男性性で生まれたことを幸運だと思います」
ジュウォンはいささか道理の外れた思考でもって安堵した旨を実直に告げる。ドンシクが好ましいと思うのはこういうところだ。
「ハン警衛、あなた存外」
「なんです?性格が悪い?今更です。当たり前でしょう、こっちは必死なんです。無駄にあなた好意を持たれやすそうだから」
「無駄にって」
「しかもあなたに好意を寄せる大体がなんというか、」
「うん、なに」
「おもそう?」
「重そう?」
「えぇ。そう言うんでしょう?重感情。そもそも恋愛なんですか?こういうのって。あなたへの感情はその多くが依存のような、執着のような、」
「恋愛談義は置いときましょうか。そもそもそれを言うならあなただって相当数の好意を寄せられてきたでしょ」
「僕へのそれらは打算です」
「まぁそういうことにしときましょう」
例えそれが真実の愛だと告げても、ハン・ジュウォンは散らない薔薇などあり得ないと考えている。
ドンシクは、ミンジョンに強請られて幾度も見たアニメを思い出す。どちらかといえば野獣は自分だとくだらない思考をドンシクは放った。
「俺はね、そもそも誰かの〝それが欲しい〟に、まさか自分が入っているなんて思わないし、自惚れてもいないんですよ」
「いいんです、別に。僕はあなたとソフトクリームを分け合いたいわけではないので」
絵面を想像して、ジュウォンもドンシクも顔を顰めた。髭面のおっさんと、顔はいいが気難しそうな青年が、嫌々の表情で互いのソフトクリームを舐め合うなど。
「ただ、」
「ただ?」
「素足を赤くして眠るあなたの上に、ブランケットをかけることは許して欲しいです」
小さくて小さくてあたたかい、未来に光あれと願うナム・サンベからの贈り物のように、慎ましく愛に溢れた物など贈れるはずもないけれど。
「
……
あなたほんとかわいくなっちゃいましたね。それ元から?ちくしょう、どうしてやろうか」
ドンシクが心底悔しそうに呟く。そしてジュウォンからリモコンを奪ってエアコンの暖房を起動した。ジュウォンはやっと満足して口角だけで笑った。
「ハン警部補の用意した鳥籠は居心地が良すぎて困ります」
「
……
いつでも出ていけますよ。鍵はかけないから。僕も」
「矛盾してるじゃない」
ドンシクには鍵をかけろと言いながら、ジュウォンは鍵をかける気はないと言う。
鍵が開け放たれていたとしても、ドンシクはそこから逃げたりはしない。
返すタイミングを逃して膝に置かれたジュウォンのコートは暖かい。ならばしばらくは借りておいてもいいかと、ドンシクは結局暖房の電源を切った。
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