千代里
2024-08-05 08:27:46
13264文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その35


竜に出くわさずに旅路を終えること。それは、イシュガルド皇国で旅をする者なら、まず全員が望む幸運だ。
しかし、その幸運をつかみ取れる者は多くない。ゆえに、ノエたちが道のりの九割を竜に出くわさずに終えたことは、たぐい稀なる天運に恵まれたと言える。
しかし、運命神ニメーヤの微笑みが降り注いでいたのも、どうやらこの瞬間までだったようだ。
「出るか出るかとは思っていたけれどさ! いざ近づいてくると、これはもう勝ち目なんて考える気にもならないね!」
後ろから聞こえるヤルマルの声と共に、無視できない振動が、ノエたちのチョコボが走る大地に伝わってくる。それは間違いなく、一行の近くに竜が近づいている証拠だ。
ノエは、自分の前後左右を覆う木々の数々を睨みながら、障害物でもあるそれらに衝突しないように巧みに手綱を操る。奥歯を強く噛み締め、迫る危機にどう対処すればいいのかと頭の中で素早く計算を走らせながら。



それは、要塞での休息を終えて旅立ってから、三日目の朝のことだった。
目的地として定めた山脈近くに位置する砦が目と鼻の先に迫っていた一行は、一刻も早く砦へと辿り着き、これから先に続く救助作戦の算段をつけようと考えていた。
しかし、砦に最短距離で繋がっている峠道が雪崩によって塞がってしまったと聞き、道の変更を余儀なくされた。
迂回路として通ることになった森林地帯は、寒冷化の前より根を張り続けた針葉樹が並び立ち、鬱蒼とした風景を作り上げている。
樹高が高い木々が並ぶ森を、雪原のように真っ直ぐ走っていくわけにはいかない。チョコボは森林の入り組んだ道でも臆することなくノエたちを先へと運んでくれたが、やはり減速は免れなかった。
もし、雪原の時と同じスピードでこの場所を通り抜けられていたらーー。
そんなありもしない可能性を思いながら、ノエは手綱ごしに、できるだけ早く走るようにチョコボを促す。その間にも、竜の地響きのような鳴き声が遠く近く、こだまし続けている。
……頼むから、こっちに来てくれるなよ」
少し先を行くルーシャンの願いはむなしく、気のせいとして無視することもできなくなった地響きが、ノエたちのいる大地を再度揺らした。
竜の接近を感じ取ったのは、森林に入り、小休憩を挟みながら走り続けて一時間と少しが経った頃だった。
遠くに聞こえるだけだった雄叫びを、またいつぞやのように遠方で吼えているだけなのだろうと、聞こえた当初はそう思おうとした。
しかし、此度遭遇した竜は、ノエたちから遠ざかるどころか、少しずつその距離を縮めている。その証拠に、竜の雄叫びと地響きは、もはや無視できぬ大きさにまで迫っていた。これでは、竜そのものの全容を見るのも時間の問題だ。
今も、木々の向こうにチラと見える巨大な影を、一行はただの気のせいとはもう思えなくなっていたのだから。
「わざわざ、竜から遠ざかるように進路を変えただろう! なのに、なぜ遠ざからないんだ!?」
「それよりも、あちらがこちらに近づく方が、ずっと早い……!」
ノエの隣を走るオランローが言うように、予定していた道からは外れてしまうリスクを背負って、ノエたちは竜から離れるように進路を変更していた。
それでも、一同の苦労を嘲笑うように、竜は遠ざかるどころか、その気配は近づくばかりだ。サルヒが悔しげにうめくのも無理もないことだった。
振動はますます強くなる。吼え声は、もはや耳でもはっきりとわかるほどの大音声となっていた。
竜からすれば、自分の通り道に偶然ノエたちが通りがかっただけかのだろう。しかし、その偶然の邂逅すら、ノエたちにとっては肝を冷やすには十分すぎる出来事となる。
一際大きな振動の後に、バキバキめりめりと何かが大きく軋む音と破壊音が響く。思わず周囲に目をやるノエに、
「気をつけろ! あの野郎、木を倒してきやがった!!」
ルーシャンの警告を聞き、ノエは目線だけをそちらにやりーー絶句する。
雪により、白く化粧をした木々の群れ。まるで地平線まで永劫に続くかのように整然と並ぶそれらの一角がまるで邪魔な荷物を少しどかすかのように折られ、傾いている。そして、その一部はこちらに向かって倒れ込もうとしている。
しかも、よりによって進行方向を塞ぐように、逃げ場などないほどに何本も。
「くそっ、竜に続いてこれかよ!」
ルーシャンが悪態をつくのが、ノエの耳に聞こえる。自分たちに向かって突っ込んでくる倒木を回避しようとしても、全力でチョコボを走らせて逃げ切れるのは先頭を走るサルヒくらいだろう。
だが、この程度のピンチで根を上げるほど、一行もやわではない。
「僕が一時的に壁を作るので、その間に!!」
まず、ノエが声を張り上げる。
何が木をへし折ったかなどと、今は考える必要はない。ノエは手綱を軽く引き、あえて速度を緩め、倒れ込んできた木々を受け止めるかのように盾を振り上げる。
もちろん、自分の小さな盾で倒木の全てを受け止められるなどとは思っていない。
(間に合えーー!!)
振り絞った魔力で、ノエは自分たちを大きく覆うように障壁を作り上げる。
全身のエーテルを振り絞って作り上げた光の翼に似た壁は、頭上から倒れ込んできた木々を受け止める一時的な天蓋となった。
「ヤルマル、いけるか!?」
「任せてよ、ルーシャン! オランロー、撃ち漏らしをお願い!」
「ああ、カバーは任せろ」
ルーシャンの腰に吊るされていたレイピアには、柄にあたる部分にクリスタルが据え付けられ、今や一本の杖と化していた。その先端には、触れるのも憚られるような高濃度の魔力の高まりが生まれている。
続けて、ヤルマルが自身の弓に数本の矢を番える。そこには、これまた夥しい量の魔力が宿っていた。
「ノエ、こっちはいつでもいいぞ!」
「ではーーお願いします!』
ノエが障壁を解く。
瞬間、壁と拮抗していた倒木の周りの時が動き始めたかの如く、落下が再開する。
本来ならば、そのままチョコボごと一行を潰していただろう倒木の群れに、
「木を撃ち壊すなんて、前代未聞の曲芸だよ!」
軽口を叩きつつヤルマルが放った矢は、溜め込んだ高濃度のエーテルを纏い、圧倒的な破壊力を纏った矢としてまっすぐに解き放たれる。
単純な破壊の力だけがこれでもかと込められた矢は、倒木に負けず劣らずの密度を持った光線となって、木を撃ち抜くーー撃ち、壊す。
数本の倒木を打ち抜いた光の線は、その時点で役割を終えて虚空へと消える。そこに間髪入れず挟まれたのが、
「一点突破ってなりゃあ、こうなるのは当然だよな!」
「ヤルマル、あんたは休んでろ。残りは、オレがーー!」
ちょうど木々の中程を撃ち抜かれた倒木たちは、一本の長さこそ幾分か短くなったものの、このまま落下してきては脅威になることには変わりない。
そこに、ルーシャンが放った風の魔法と、オランローが得意とする魔力で作り上げた円月輪の投擲が放たれる。
複数に分たれた倒木の大きな破片たちを、風が細かく切り裂き、幻の刃が砕いていく。そうすれば、一行を簡単に押しつぶせそうだった倒木も、木のかけらの雨ぐらいの規模に抑え込むことができた。
だが、中には風からも刃からも逃げおおせた木の塊も存在する。
「あっ……!」
木片が破壊される音に紛れて、オデットの小さな悲鳴をあげる。彼女の体躯の半分はありそうな倒木だったものの一塊が、今まさに少女の眼前に迫らんとしていた。
ーーぶつかる!
障壁の魔法を発動するよりも早く、彼女がそう思ったときだった。
「オデット!!」
澄んだ流水の如き声と共に、声には似つかわしくない重々しいシルエットが横合いから割って入る。オデットが一歩下がるよりも早く、地を蹴ったサルヒの小柄な体躯が、その手に握る斧が、木の塊に激突し、
「させない……っ!」
力任せに振り下ろされた斧が倒木だったものの塊を撃ち落とし、叩き割った。
その合間に、ルーシャンたちが砕いた木のかけらが、さながら霰のように一行へと降り注ぐ。
木端でできた霰は、体のあちこちに打ち身傷を拵えてくれたが、オデットめがけて落ちてきたほどの塊は他にはなく、おかげでその程度の傷で済んだ。
それに、本物の霰と異なり、木端の群れの落下はすぐに終わりがあった。
一行の全身を打った不愉快な木片の雨あられは、雪に無数の残骸だけを残して、あっという間に静まった。
「オデット、無事?」
「は、はい。何とか、乗り越えられたみたいです……。でも……
本当ならば、咄嗟の連携を労い、皆の無事を確認してまわりたいところだった。
だが、眼前に広がる光景を目にして、オデットだけでなく、その場にいた全員が言葉を無くす。
彼らが見つめる先ーー倒木が倒れてきた先には、見慣れた針葉樹林の隊列が明らかに薄れていた。今まで地平線まで埋め尽くすかのように並び立っていた木々が、一部だけ大きく欠けている。しかもその一部だけではなく、よく見れば森の切れ目まで、ずっと。
そして、今、ノエたちの近くにあった木々も倒されたことにより、ノエたちの目にも不自然にできた森の間隙に気がつかされた。
「まさか、さっきのは、『あれ』がやったのか……?」
森の中に突如現れた間隙。それは、自然に生まれたものではない。
今まさに、その隙間を生み出した張本人が、乱暴にへし折られた倒木の群れの中心に君臨していた。それこそが、おそらく、森の入り口から森の奥であるノエたちのいる場所まで木々を薙ぎ倒しながら、近づいてきたものだった。
「あれがーー……竜、なのか」
思わず、ノエが口にした言葉。その一言が、そこにいる存在の全てを物語っていた。
鈍色の鱗が覆う体躯は、以前ノエが目にした、異端者が竜に変じた姿とは比べ物にならないほど大きい。恐らくは、ヒトが竜に変じた姿の三倍はある体には、地上を行く竜にはよく見られる特徴の一つとして、太く逞しい足が備わっている。
一方で、背にある一対の翼は、飛竜のそれに比べると、体と比較して小ぶりだ。これでは、この巨大な体を長時間浮かび上がらせることは不可能だろう。
……はっ、本人自らお出ましってことかよ」
ルーシャンの皮肉混じりの呟きには、いつもの覇気がなく、代わりに普段ならまず見られない震えがわずかにあった。
だが、無理もない。
六人が目にしたその竜は、街を襲撃した飛竜や異端者が変化した竜とは明らかに違う、『規格外』だったのだから。
「どうする、ノエ」
「どうするも何も、逃げるしかありません。あんなもの、僕らが戦える相手じゃない」
いち早く竜を間近に見た衝撃から立ち返ったヤルマルが、ノエに判断を問う。
彼女の言葉に促されるようにして、ノエはすぐさま予定していたように退却の意思を言葉にする。
……いや、待て」
手綱を握り直し、驚きから硬直しているチョコボに指示を出そうとしていたノエに、どうにか怯えを振り解いたルーシャンが声を発する。
「どうやら、あの竜はただの気まぐれでこっちに来たわけじゃないらしい」
「どういうことですか」
ルーシャンが返答をする前に、ノエたちはその答えを知った。
今まで広場に佇んでいたように見えた竜が、どこか鬱陶しそうに首を巡らせる。その竜の太い首に、突如いくつかの炎が爆ぜ、次いで虚空から生み出された雷や氷が襲いかかった。
自然現象では到底あり得ないそれは、間違いなく、誰かが発動させた魔法だ。
竜が不愉快そうに身を引き、再び雄叫びを上げ、数歩後ずさる。その隙をつくようにして、辛うじて竜に折られずに残っていた木陰のあちこちから、武器を持った騎兵たちが飛び出してきた。
「今だ、押し返せ!」
「あいつに砦を襲わせるな!」
「ったく、なんでよりによって、こいつがここに……!」
まばらに聞こえる兵士たちの掛け声。
竜にとっては鼠のようにか弱く見えるそれらも、魔法で傷ついた鱗に剣や槍を突き立ててくるとあれば、流石に無視はできないらしい。
竜が、鬱陶しげに前足を大きく振るう。しかし、騎兵たちも心えたもので、竜に弾き飛ばされる前に兵の多くが後方へと下がっていた。
後退と共に、間髪入れずに再び放たれるた魔法が、竜の鱗を焼く。さすがに致命傷には至っていないようだが、騎兵たちが竜を少しずつ森の奥へと追い込んでいるのは明白だ。
どうやら、この竜はノエたちが目指していた砦に接近したため、騎兵たちによって追い払われている真っ最中らしい。
「このまま、彼らを見守っていていいの。あの竜の気が変わって、こっちに来たら私たちが踏み潰されてしまう」
「だけど、あちらの部隊が何のために、どの方向に竜を追い込みたいのか分からなければ、迂闊に動けない。下手をすると、こちらが向かう先に竜が追い込まれてくる可能性もある」
サルヒの焦燥と不安を混ぜた声に対して、オランローがそのように返す。
彼の言う通り、進行方向に騎兵たちが竜を追い込んできたなら、ノエたちは竜との戦いに否応なしに巻き込まれることになる。
「一度、引き返した方がいいのではないでしょうか」
「オデットの言う通りだ。向こうに話を聞きにいく余裕もなさそうだしーー」
ヤルマルがオデットの意見に賛成して、チョコボの首先を進路の反対方向に向けようとしたときだった。
「おい、あんたたち! こんな所でいったい何をしているんだ!」
全身を鎖帷子で作られた鎧ーーイシュガルドの騎兵が身につける一般的な鎧に身を包んだエレゼン族の兵士が二名、ノエたちへとチョコボに乗って駆け寄ってきた。
槍を背負っている所から察するに、恐らくは今まさに竜を追い払おうとしている部隊の兵士なのだろう。
「ここでは今、ランドンの迎撃作戦を行っている真っ最中なんだぞ! すぐに離れるんだ!」
二人は、旅人のようにも見える一行が作戦に巻き込まれてはならないと、警告しに来たようだ。焦燥が激高のような形となって、半ば怒鳴るように声をぶつける彼らに、
「そうはいっても、どこに逃げるのが安全なのかもわからない状態ではーー」
咄嗟に返事をしたノエだったが、その言葉は中途で切れる。
その理由は、兵士の言葉の中にあった。
「今、ランドンの迎撃作戦……そう言いましたか。では、あの竜が、例の……?」
「ああ、そうだよ。我らの故郷であるこの土地を長年に亘って踏み荒らしている、忌々しい竜。あいつが、ランドンだ」
兵士たちは憎たらしげに舌打ちをして、今まさに騎兵たちとの攻防を続けている竜ーーランドンへと視線をやる。
その視線の先、御伽話の悪役の名を与えられた竜の尻尾の一振りが、兵士の数名を薙ぎ払う。木端のように吹き飛んだ兵士の一人の上に、ランドンは無造作に重々しい足が振り下ろした。
「ーーーー!」
ノエたちと、ランドンとの間にまだ距離はある。
故に、遠目から見ているだけだったノエには、その音は聞こえなかった。
ヒトが、竜の足に踏み砕かれる音は。
それでも、オデットは思わず顔を手で覆い、サルヒもルーシャンも唇を強く噛んだ。ヤルマルは無言で目を伏せ、オランローは奥歯をぐっと噛み締めた。
そして、ノエはーー思わず、指先を己の剣にかけていた。
これ以上、あの竜に好き勝手させてはいけない。そんな衝動が、彼の腹の底から湧き上がる。
今すぐ剣を抜き放って、あの竜を切り伏せたい。その衝動は、英雄願望から生まれたものではない。
これ以上、誰かが傷つき、命を散らすさまを目にしないために、自分にできる最大限の何かをしなければ。それが、ノエの中に生まれた衝動の源泉であり、彼の根幹を形作るものの叫びだった。
しかし、その叫びに今は身を任せるときではないともわかっていた。
……落ち着け。今回の僕の旅の目的は、何だ。皆にここまでついてきて欲しいと頼んで、僕が果たそうとした望みは何だ)
瞬間的に湧き上がった感情を落ち着かせるため、ノエは己を宥め、そうと悟られぬように大きく息を吸いーー吐き出す。
仮初とはいえども取り戻した平常心を抱えて、ノエは言う。
「僕たちは、北西の山脈の近くにある砦に向かいたいんです。領主のベルナール様から、そちらに話が届いていないでしょうか」
即座の撤退を求める兵士に、ノエはランドンの動向を片目で追いつつも、自らの目的を告げる。
幸い、ベルナールからの連絡はここにも届いていたようで、兵士の表情が僅かに変わった。
「竜から遠ざかるように逃げるのは構いませんが、砦に続く峠道が塞がれている以上、僕らは再びここを通ることになります」
「そちらの作戦でランドンをこの森の奥深くまで追いやるつもりなら、俺たちはどこに竜が潜むか分からない道を、通ることになる。それは避けたいところだ」
ノエは森を通る理由を語り、続けてルーシャンがこのまま大人しく撤退しがたい理由を語る。
「そこで、お願いしたいことがあるんです。あなた方の帰還先が僕らの目的地でもある砦なら、この作戦がひと段落した後で構いませんので、帰還する皆様にどうこうさせてもらえないでしょうか」
砦から遠ざけるために森へとランドンを追いやったのは、騎兵たちの作戦の結果だ。そのせいで、森を通り抜けている最中のノエたちが、こうして竜に遭遇する羽目になった。
偶然がもたらした結末とはいえ、騎兵のせいでノエたちは危険な目に遭っているとも言える。その責任を取ってほしいと言外にそう告げていることは、向こうにも伝わったのだろう。
……仕方ない。そういう事情があるのなら、お前たちを後方部隊の元へ案内しよう。どちらにせよ、ここは危険すぎる」
兵士の言うように、ノエ達はランドンと騎兵部隊の戦闘が行われている最前線にほど近い場所にいる。
辛うじて残っている木々がノエたちを隠してくれているが、それとて、ランドンが少し体の向きを変えて暴れれば、あっという間にその姿を曝け出すことになる。
幸運なことに、ランドンと兵士はこう着状態に陥っているようだ。このまま遠くまで押しやれるか、それとも付近に被害をばら撒きながら戦いが続くかは未知数だが、一時的に避難する程度の時間は稼げるだろう。
「私が先導するから、お前たちは後をついてこい。道を外れるなよ」
騎兵たちはチョコボの首を巡らせ、ランドンが暴れ回っている場所から遠ざかる方向へと走り出す。大きく迂回して、後方部隊に向かうつもりらしい。
「よし、じゃあボクたちも急ごう。今のうちに少しでも安全な場所に行かないと」
今度は、しんがりだったヤルマルが先頭となって、騎兵の後を追う。
続けて、最年少のオデットと、彼女のそばに寄り添うようにサルヒが続く。さらに、その後をオランローが二人を守るように付き添った。
……ノエ。気持ちはわかるが、アレは俺たちにどうにかできるもんじゃない。ほら、行くぞ」
ルーシャンに声をかけられ、ノエは初めて自分がランドンを注視していたことに気がついた。
鈍色の鱗を持った竜は、口に炎を溜め込み、ブレスとして兵へと吐き出している。
負けじと、兵たちも氷の魔法を放ち、拮抗した魔法が風となって、遠くから見守るノエの髪を揺らす。
「ノエ!」
……はい。今、行きます」
先行して駆け出したルーシャンに呼びかけられ、ノエはチョコボの手綱を握る手に力を込める。
未練の尾を断つかの如く、最後に一瞬だけ、ノエがその青銀の視線をランドンへと向けたときだった。
「ーーーー」
振り向いたランドンの朱黄の瞳が、ノエのそれとぶつかる。
それは本当に、ただの偶然だった。本来ならば、気に留める必要もないほどの自然な交差だった。
ノエがランドンに向けた視線が、体の向きを変えたランドンと交わる。実際、交わるとも言えないほどの遠距離であったがために、ノエはすぐに視線を断ち切ってチョコボを走らせようとした。
ーーだが。
「何だ!? おい、急に動きを変えてーー」
「待て! 貴様、どこへ行くつもりだ!!」
騎兵たちの、困惑の声。それらを無視して、ランドンの太い足が雪に塗れた地面を蹴る。
今まで億劫そうに騎兵を散らすだけだった鈍重な竜は、ちっぽけな一人の人間を目にした瞬間、目の色を変えて動きを変えた。そして、一目散に、ある方向へと走り出した。
騎兵の驚きの声を聞いて、ランドンに再び視線を戻したノエも、すぐに悟る。
「あいつ、僕に向かって、近づいてきている……!?」
咄嗟に、チョコボに急ぐように指示を出しても、時すでに遅し。
ランドンの突進は、ノエの姿を辛うじて隠していた細い木々をあっさりと薙ぎ倒した。
まるで、大砲を耳のそばで発射されたような凄まじい轟音と破壊音。竜が踏み荒らす大地からもたらされた振動は、ただでさえ竜が間近に迫って半狂乱となっていたチョコボからノエを振り落とすには十分すぎた。
「ぐぁっ」
チョコボから受け身をする余裕もなく落ちて、地面に叩きつけられ、潰された蛙のような声が口から漏れる。骨の芯まで響くような衝撃のせいで、体のあちこちがずきずきと痛んだ。
けれども、治癒魔法をかける間もなく、ノエの視界が薄い闇に覆われる。
倒された木々のおかげで、よりはっきりと届くはずの朝の日差しが、どうしてかげったのか。顔を上げ、ノエはその理由を知る。
「ぁーーーー」
眼前に、竜がいる。
吐息が、喉の奥の微かな唸りが、僅かな瞬きの音すら聞こえるほど近くに。
……っ」
悲鳴すら出ない。ノエの口からは、もはや声とも言えない引きつれた音を出すのが精一杯だった。
(僕は、ここで、死ぬのか……?)
竜の口が開く。ずらりと並ぶ牙を目にして、ノエは確かにその牙に噛み砕かれる自分の未来を予想した。
せめて一矢報いてやる、などという気持ちなど、生まれる余地がない。自分のような矮小な生命体は、この規格外の生き物の前では無力なのだと、本能で理解させられてしまった。
死ぬか生きるか。生き物として、ただそれだけが思考の全てを埋めた。
そのとき。
『ーーーーーー!!』
ノエの全身を打つ、竜の咆哮。突如至近距離の雄叫びを受けて、ノエは頭の血管という血管がはじけ飛んだではないかのような頭痛に襲われた。さながら、教会の鐘の中に入り込んで、そのまま鐘を鳴らされたかのように、音が暴力となってノエを苛む。
「う、あ、ああぁ……っ!」
頭が破裂したのではないかと思うほどの痛みに、ノエは耳ではなく頭を抱えて苦悶の声をあげた。雄叫びの衝撃波によって体が吹き飛び、地面に再び体を打ちつけたものの、そんな痛みなどもはや気にしている余裕もなかった。
ノエが吹き飛んだ分、ランドンがさらに近づく。一歩、竜が地を踏みしめるたびに、振動がノエの腹に伝わる。
あまりに大きな音を至近距離で聞いたせいで、耳鳴りが響いている。その向こう側で、騎兵たちがランドンを攻撃する音がしていることも、ノエの耳はしかと拾い上げていた。
けれども、ランドンはそれらの追撃を意に介さず、鬱陶しそうに尻尾を大きく振るだけだった。騎兵が尻尾に薙ぎ払われ、吹き飛ばされていく。その悲鳴を聞き、
「やめ、ろ……!」
辛うじて、ノエがそれだけを口にしたときだった。
ぐう、と今度は先ほどまでとは異なる色を帯びた声が響く。
なぜだろうか。その声は、ノエには、竜が困惑をしているように聞こえた。
『ーーーーーー』
竜が、再び吼える。その声は、確かに今まで何度も聞いたランドンの雄叫びと似た音程ではあった。
しかし、これまで耳にしていた、感情に任せるままに叫んでいるような、如何にも獣然とした鳴き声とは異なっていた。
『ーーーー?』
……なん、だ?)
じんじんと激しく痛む頭の向こう側から、何かが聞こえる。
『ーーーーぜ、なぜ、ーーた?』
(何か話している……? 誰が……?)
竜の低い音が、独特の抑揚を刻んでいる。
高く、低く。
時に音を長く伸ばし、時に短く音を切り。
そのような音を発するのがどのような時なのか、ノエは知っている。
『なぜ、ーーなかった? どうして、ーーなかったんだ』
(これは……まさか)
ノエは痛む頭に片手をやりつつ、竜を真正面から見据え直す。
自分の目と鼻の先にある竜の顎が何度も開閉していた。独特の抑揚がもたらす音ーーそれは、ヒトであるノエたちが『会話』をするときの発声に似ていた。
ランドンがノエの理解できない言語で『会話』をする度に、『声』が、『意思』が頭に雪崩れ込んでくる。
『なぜ、来なかった!? どうして、姿を見せなかったんだ!!』
ノエは目を見開き、目の前の竜を見つめる。
だが、それがノエの限界だった。
竜はさらに何かを語ろうとしている。けれども、ノエの痛む頭では怒涛の勢いで流れ込んでくる言葉と意識の山を到底受け止めきれなかった。
疑問、不安、哀切ーーそれらを上回る圧倒的な『怒り』。それらの感情が全てごちゃ混ぜになったまま、言葉の形を取る間もなく、ノエの頭と心へ、無理やり流し込まれていく。
そんな莫大の情報が、すでに心身共に限界に至っているノエに処理しきれるわけがない。
「やめろ……話しかけるな……!」
このままでは、頭が割れる。そう思い、文字通り血を吐くような思いで、
「僕に、話しかけるなーーーーっ!!」
自身を苛む頭痛の原因を取り除こうと、ノエは己の力を振り絞り、声を上げた。
途端、ぴたりと声がやむ。
理由はわからない。しかし、ノエはそれを好機と判じた。
足に力を入れて、ふらりと立ち上がる。視界が微かに赤に滲んでいるのは、倒れた証拠に額を切っていたからだろうか。それとも、頭の血管が本当に切れて、体内から出血しているせいか。
(どういう理由からかは……わからないけれど。でも、ランドンは僕の様子に関心がある……みたいだ)
本来ならば、竜の咆哮を至近距離で聞いただけで悶え苦しむようなヒトなど、歯牙にもかける必要はないはずだ。なのに、死に際の虫のような生き物の叫びで、ランドンは咆哮を止めて、じっとノエの様子を伺っている。
(だったら……僕の行動次第では、こいつにこれ以上騎兵を殺させず、砦から離れさせられないか)
ひどい頭痛はまだ残っているが、必死で思考を回転させる。
ノエたちは、飛竜にさらわれた人を助けにきただけだ。騎兵がランドンによってどうなろうが、直接は関係ない。けれども、目的が別にあるのだから、目の前で誰かが虫ケラのように踏み潰されていても『良し』とできるのか。
答えは、すでに見えていた。
……どのみち、今の僕はろくに動けそうにない。だったら、今できる精一杯をやる。それだけだ)
立ち上がったノエの青銀の双眸が、ランドンを見据える。
どうやら、この竜はノエと『会話』をしようとしていた。信じがたいことだが、ノエはその身でもって、竜が何らかの意思を伝えようとしているのを察した。
そして、ノエが『やめろ』とはっきり言った瞬間、ノエの次なる言葉を待つように話しかけるのをやめた。
つまり、ランドンは。
(こいつは、僕の言葉を理解している)
そして、この竜がノエの言動に関心を持っているならば、口に出す言葉とそこに宿る意思も伝わるはずだ。
そう考え、ノエは震えるそうになる喉を叱咤して、咄嗟に考えた言葉を口にした。
……この場でお前と話すことなど、何もない。今すぐ誰も傷つけずここを立ち去れ。さもないと、僕はお前と生涯口を利かない」
このような押し付けがましい威丈高な命令をして、竜を怒らせるのではないか。
そのような懸念はあったが、元より竜の眼前にいる時点でノエの命は風前の灯なのだ。だったら、今更遠慮する方が馬鹿らしい。
もし、目の前の竜が『会話』を望んでいるのならば、この要求は通るはずだ。
果たしてーーランドンは、混迷を言葉にしたような呻き声を漏らした。
不思議なことに、それは友人に怒られて困っている子供のような、ごく自然な感情の発露のようにノエの耳には聞こえた。
ランドンの動きが止まったのを見て、再び騎兵たちが魔法を使った攻撃を再開する。しかし、ランドンはそれを取り除こうと、尻尾を振るおうとはしなかった。
ランドンはぐるりと向きを変えると、騎兵たちに追い立てられるままに森の奥へと向かっていく。そのついでに数本の木が薙ぎ倒され、騎兵たちが避難の号令を出すのが遠くに聞こえた。
……まさか、あいつは本当に僕の言葉に従った……のか?)
ランドンが本当に去っていくつもりなのか、その姿が見えなくなるまで見届けたかった。
しかし、不意にノエの視界がぐらぐらと揺れ始める。それが視界が揺れているからではなく、自分が立っていることもできなくなったのだと自覚する前に、ノエの体はどさりと森林の地面に倒れ込んだ。
いっときの興奮で抑え込んでいた頭痛が再び息を吹き返し、ノエを蝕んでいく。
意識を失うほどの痛みではないがために気絶することもできず、ただぼんやりと空を見つめて、痛みと無言の戦いを続けていると、
「ノエ、無事か?!」
雪に半ば埋もれたノエの耳に、ルーシャンの声を筆頭として、チョコボの足音らしき振動が伝わってくる。
「ランドンが君に向かって突進していくのが見えて……もう駄目かと思ったよ……
「おい、ノエ。しっかりしろ!」
「兄さん、兄さん!!」
ぼんやりとした意識の中に、聞き慣れた仲間の声が響く。
同時に、癒しの光がノエの視界を照らし、頭痛がゆっくりとおさまっていく。その治癒魔法が誰のものかは、すぐにわかった。
「ありがとう……オデット。ついでで悪いんだけど……教えて、くれないか。皆は、無事……なのか?」
まさか、ランドンが何かの策があってノエの元に突っ込んできたのではないかと思い、ノエはオデットへと問いかける。
「無事かって……倒れているのは兄さんだけですよ。わたしたちにも、竜が兄さんのいた所に走っていくのが見えて、それで……砦からきていた兵士さんに、兄さんを助けてくれって……頼んで……
微かに声が震えていたのは、あの瞬間、確かにオデットはノエの死を九割がた確信させられてしまったからだろう。
「兵士さんには、もう助からないって、断られてしまったんですけれど……ランドンが兄さんに突進した隙をついて、他の騎兵の方々が攻撃をしてくれたんです。でも、ランドンはずっと兄さんがいた場所にいて……だから、わたし、もう……
オデットの手が、ノエの手を強く握る。ここに倒れている人はまだ生きているのだ、と確かめるように。
彼女を安心させようと、ノエはようやく痛みが引いてきた上体をゆっくり起こす。起きあがろうとするノエの体を、それとなく支えてくれたサルヒに感謝の礼をすると、サルヒは訝しげにノエの顔を覗き込んだ。
「私の目には、ランドンが急にあなたから興味を無くして立ち去るように見えた。いったい何があったの? ノエには、ランドンがあなたの元に突っ込んできた理由が分かる?」
サルヒの問いかけに、ノエは首を横に振るしかなかった。
ノエ自身、なぜランドンが自分に向かって急に突撃してきたのか、会話らしきことをしようとしたのか、理解できていないのだから。
「ひとまず、詳しいことは後で話します。砦への案内の約束は、まだ生きていますよね?」
「ああ、そいつに関しちゃ問題ない。それよりも、ノエ。お前、チョコボを逃しちまっただろ」
ルーシャンから指摘を受けて、ノエは小さく首を縦に振った。
どのみち、今のノエでは手綱を握ってチョコボを操ることはできそうにない。癒しの魔法をかけてもらったといえども、体のあちこちはまだ鈍い痛みを放っている。
「チョコボについては、砦で貸してもらえないか交渉するしかないね。とりあえず、今はオランローに相乗りさせてもらうといいよ。彼のチョコボが一番大きいから」
ヤルマルの提案を受けて、ノエはようやくふらつく体に鞭打ち立ち上がる。
今すぐ寝台に潜り込んで体を休めたいところだが、そればかりは砦に着いてからにするしかない。
(それにしても……さっきのは何だったんだろう)
ノエが視線を向けた先ーーランドンが立ち去った方向を示す、薙ぎ倒された木々の群れを見つつ、思う。
あの瞬間、確かにランドンはノエと『会話』をしようとしてた。ノエには理解できない内容ではあったが、そこには長き時を生きた竜なりの意思と言葉があったように思えた。その真意が気になる気持ちはある。
……でも、あいつは兵を殺した。街にいた人々を傷つけた。僕が目にしたものだけでなく、何百年もの間、ずっと)
雪原に残されただろう、人々の血の赤を思い、ノエはゆっくりと首を横に振った。