木綿子
2024-08-04 19:48:47
5297文字
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空の青さは蜜の海

義炭にあんみつ食わせるだけなのに、設定ができあがってしいまい……どうしてこうなった。

この本文には書いてませんが、炭治郎は和菓子屋さん、義勇さんは菓子木型職人です。

 からからころころ。
 薄く雲が棚引く澄んだ青空に、下駄の音が吸い込まれる。まだ気温はそこそこあるが、暦の上ではもう秋だ。透き通る空気に、もう夏の匂いはない。
 大気を見上げていた視線を少し右に向ければ、隣を歩く人も炭治郎と同じように空色を見ていた。空よりももっともっと深い海色の青が、遠く雲の向こう側までを見透かしてしまいそうだ。
 同じ時間に、同じものを見ていたのだと思うと、なんだか少し嬉しくなる。
 つい口から漏れた笑みの吐息に、青色の視線がこちらへ向いた。色は違えど、空と同じように吸い込まれそうな澄んだ青。
 一瞬だけ、呼吸が止まるほどの。
「どうした?」
 声音は低く、怜悧で、柔らかい。もし色があるなら、きっと青色だ。
「あ、いえ、楽しいなって、思いまして」
「楽しい……ただ歩いているだけでか?」
「義勇さんと歩くのは楽しいですよ」
 正直に答えたのに、問うてきた本人は「よくわからない」という顔つきをしている。それにも少し笑ってしまった。
「今日のあんみつ、お口に合いましたか?」
「ああ、美味しかった」
「あのお店、何食べても外れなしですから。きっと他のも気に入ってもらえると思います」
 義勇の右手には、菓子屋の紙袋が下がっている。中身がみっしりと詰まっているのを知っているから、やっぱり楽しくなってしまう。
 いつも和装であることが多いが、今日の義勇は浴衣姿だ。鉄紺の細縞柄に、鼠色の角帯を締めている。古風な菓子店の手提げ袋が相まって、そこだけ雰囲気が時代劇のようだ。何の変哲もない田舎道が絵になりすぎている。
 着古した甚平の炭治郎も和装と言えば和装ではあるが、どう頑張っても時代劇にはなり得ない。でも、アスファルトに桐下駄の音を重ねながら歩いていれば、侍の手下の者くらいには見えるかもしれなかった。
 「おやつを食べに行きませんか」と誘ったのは、今朝方のことだ。
 炭治郎の実家であり勤め先でもある和菓子店は、店休日である。ある程度の仕込みはあるものの、家族経営と言えど完全週休二日制で回しているため、炭治郎は一日丸々休日だった。働きすぎるきらいのある長男を心配してか、家族からは休日厳守を言い渡され、簡単な仕込みすらも手伝わせてもらえない。
 仕事のない時間の過ごし方は、あまり上手くなかった。趣味がないわけではないし、外へ遊びに行くこともあるし、家でのんびりゴロゴロしたりもするが、結局最終的には仕事のことを考えてしまうのは最早本能と言ってもいいかもしれない。新しい型や新商品の考案をついつい始めてしまう。
 ただ、最近はちょっとだけ違うことがある。
 なにもない空白の時間帯に、気付けば今隣を歩く人のことを考えていることが多くなった。
 その変化が、何を起因としているか、炭治郎は正しく理解していた。見て見ぬふりなど、できない。自分自身に嘘を付くこともできない。ならば、飲み下してきちんと把握していたほうがいい。
 だから今朝も不意に義勇が脳裏に浮かび、もう起きた頃かなぁと思った頃合いに、メッセージを送ってみたのだ。
 「お勧めしたいお菓子屋さんがあるので、一緒に行きませんか」と。
 果たして、返事は直ぐに来た。「何時にどこへ?」という一文は承諾に他ならない。あまりの早さに、思わず笑ってしまった。
 義勇は、甘いものに目がない。
 涼し気な外見とは裏腹に、スイーツにはちょっとだけ目の色が変わる。よく炭治郎の実家にも買い物へ来るし、自宅には常に何かしらの菓子が置いてあるらしい。そう言えば以前、オーバーカロリーにならないよう菓子類を食べるために毎日鍛錬をしている、と言っていたこともある。筋金入りである。
 当然情報収集もしているだろうが、義勇の住まいは少し離れたところにある。完全に観光地化した地方都市の地元情報は、確実に炭治郎の方が詳しい。それこそ、雑誌やインターネット上に載らない店も把握している。それを知っているからこそ、義勇が断ることはまずないだろうな、と予想はしていた。
 待ち合わせは実家の店先にした。お互いにわかり易い場所である。そして行き先は、やや距離はあるものの徒歩圏内だ。連れ立って歩く時間も少し長めに取れるというものだ。
 昼下がり、時間通りに現れた義勇は、いつもとそう変わらぬ表情ながら少しそわそわした匂いがした。キリッとしているのにこれから遠足に行く子供のような空気感で、もうその時点で炭治郎は楽しくなってしまった。
「どこへ行くんだ?」
「松華堂っていうお菓子屋さんです。ご存知ですか?」
「いや、初めて聞いた」
「あ、やっぱり。ちょっと入りにくいお店なんですよね。だからあんまり知られてないんです」
……一応地図上に名前はあるが、本当に菓子屋か?」
 スマートフォンで検索した義勇が、怪訝な顔つきになっている。それはそうだろう、地図サイトにそれが菓子屋だとは書かれていない。
「行けばわかると思います」
 なぞなぞの出題者の気分で、炭治郎はやや戸惑いを見せる美丈夫を連れて、目的地へと出発したのだ。
 平日でも観光客で賑わう古い通りを抜け、やや寂れた裏通りを横切り、曲がりくねった田舎道を少し進んだまばらな住宅地。周りはほとんど田んぼと畑、時折林という長閑さだ。菓子屋どころか、小売店自体がなさそうなロケーションである。
 けれど、そのまばらな住宅地の一角に、ほんのりと雰囲気が違う家屋が一つだけあった。
 古い土蔵の壁に囲まれた、瓦屋根の家。間口は小さめだが中の様子が窺えるガラス張りで、白い暖簾には「松華堂」と達筆な文字がある。
……どう見ても筆屋だが」
「表向きはそうですね」
 「こっちです」と炭治郎はさくさく裏手に回った。土蔵の壁と家屋の隙間にはちゃんと道らしく飛び石があり、通れるようになっている。ただし、不法侵入感があるのは否めない。歩を進める炭治郎の後に続く義勇からは戸惑いの気配が色濃く漂って来て、益々面白くなってしまった。
 到着した先は見るからに一般住宅の玄関先である。二枚建の引違い引き戸は古風な格子戸。内側はどうなっているのか、何も見えない。それを躊躇いなく開ければ、フワッと美味しそうな餅菓子の匂いが漂った。
……確かに、和菓子屋なのか」
「見ての通り、和菓子屋さんです。ご安心ください」
 美しい人はびっくりした顔も美しいのだな、と思いつつ、悪戯が成功した気分で炭治郎は笑った。「こんにちは~!」と声高にに挨拶すれば、奥からパタパタと着物姿のご婦人がやってきて、「あらあら~」とおっとりと対応してくれる。
「まあまあ竈門さんとこの。今日は何かご入用?」
 引き戸の内側はやや広いだけの玄関であるものの、本来なら三和土と靴箱がありそうなスペースには小さなショーケースが並び、中身は全部和菓子である。暖簾も看板も何も無いが、確かにここは和菓子屋なのだ。
「あんみつ食べに来たんです。二人分お願いできますか?」
「もちろんよ。こちらへどうぞ。新しいお客様も連れてきてくれたのね」
「はい! あ、義勇さん、こっちです。ここから上がれますから」
「え、ああ、うん」
 とてもそうは見えないが、この店にはイートインスペースがある。
 メニューは二つ。お汁粉とあんみつのみ。どちらかを選べば、自動的に出てくる仕組みだ。ちなみに客席もごく普通の客間なので、親戚の家に来たかのような雰囲気である。炭治郎は慣れたものだが、義勇の方はきちんと座りながらも落ち着かない様子で、少し視線が揺らいでいた。
「びっくりしましたか?」
「うん。通りで菓子屋と表記されてないわけだ」
「元々は墨と筆のお店です。和菓子屋さんができたのは十年くらい前ですね。流石にここは義勇さんもご存じないと思って」
「こんなところ、知りようがない」
「ですよね。ここのあんみつは物凄くお勧めですから、是非食べてみてほしくて」
「それは楽しみだ」
 重厚な座卓の向かい側で、青い瞳が薄っすらと微笑んだ。ともすれば冷たく見える鋭利な美しさは、笑みを浮かべると途端に柔らかくなる。こういうときに、心底「ああ、好きだなぁ」と炭治郎は思うのだ。こうして同じ空間にいるだけで、「好き」がどんどん身の内に重なり続ける。
 たくさんの青色が、波打つ海のように炭治郎の底を満たしていく。
 それは心地よくも、不思議と少しだけ切なく、いつも複雑な甘さにも満ちている。
「お待ち遠さま、どうぞお上がりくださいな」
 程なくして、店主の声と共に運ばれてきた盆が座卓の上に置かれた。眼の前の器に、炭治郎を満たしていた深い青が、ゆっくり瞬いた。
……すごいな」
「でしょう?」
 その感想だけで、ついにこにこしてしまった。
 盆の上にはまず、氷を敷き詰めた木桶がある。その上に、ガラスの大きな器が乗っていた。あんみつとしては大きな器だ。丼と言ってもいいかもしれない。木の葉の形に飾り切りされた林檎がまず目に留まる。それからくるりと重ねられたソフトクリーム。中央に盛られた餡は粗い粒餡だ。紅白の求肥と白玉が並び、色鮮やかな濃い橙色の杏も添えられている。具材のせいで、寒天はちらとも見えない。この具材の上に、自らの手でとろりとした黒蜜をかけて完成させるあんみつだ。
「ここの粒餡が美味しいんで、よかったら餡だけで食べてみてください」
 炭治郎の言葉に義勇は素直に頷き、中央の餡にスプーンを入れた。もぐもぐと味わい、ちょっと目を瞠る。これはお気に召した表情だ。やった、と心の中で拳を上げてしまった。
 いわゆる田舎風の餡なのだが、アクの抜け方が絶妙なのだ。巷によくある上品な餡には出せない深い味わいがある。粗く豆の感触が残っているところもいい。むちむちとした白玉と一緒に食べるのも美味しい。
 器の中身は果物以外全部自家製だ。餡も黒蜜も寒天もソフトクリームも、食べ進める内に渾然一体となっていくのが、それがまた一際美味しい。結構な量があるのに、いつもさらりと食べられてしまう、魔のあんみつでもあった。
 食べている最中は、お互いに無言だった。集中しているときの義勇は一際静かだ。だから炭治郎も、静かに味わった。決してガツガツしているわけではないのに、ひっそりと減っていく器の中身を見ているのが楽しかった。
 楽しくて、嬉しくて、また「好きだなぁ」と思うのだ。
 新たに重ねられた青色は甘くくすぐったく、炭治郎の胸の内を優しく波打たせた。
 そうして至福の時間を過ごした後、義勇はショーケースの中身をほぼ全種購入した。
 全種と言っても、そこまで種類があるわけではない。基本は三種類の餅菓子で、他に羊羹や干菓子がいくつか。全種類購入したとしてもそれほどの物量にはならない。特に、義勇にとっては大したことはないだろう。何しろ、三日に一度は店に買いに来るような人だ。
 その菓子屋の袋は今も、大事そうに義勇の右手に吊り下げられている。
(お菓子はいいなあ。お家に連れ帰ってもらえて)
 おれもあの紙袋の中に入ってしまえたら、などと益体もないことをつい考えてしまう。
「松華堂さんは今日みたいな感じで普通に入って大丈夫ですから。気に入られたらまた買いに行ってみてくださいね。お汁粉も美味しいのでお勧めですよ」
「ん……
 好きなお店を気に入ってもらえたらとても嬉しい。その一心で放った言葉に、義勇がふと相槌を詰まらせた。
 歩きながら、横目でちらりとこちらを見る。それが恐ろしいほど色香の乗った流し目で、一瞬にして炭治郎の喉が干上がった。
 今の青色は、不可思議な色をしている。海のようだと思っていたのに、海ではない。深く、重く、どこまでも沈んで落っこちそうな、夜空と海を重ねたような。
……行くならまた、お前とがいい」
 声まで深い。深くて、耳の中まで探られている錯覚すらする。それなのに、感情の匂いが嗅ぎ取れない。
 秋の大気の匂いしか、しない。
「え、お、おれとですか?」
「うん。ついでに、他の店も教えてくれるとありがたい。お前となら、食べ歩きするのも楽しいものだから」
「あ、はい。それは全然、いくらでも、ご一緒しますけれども」
 乾いた喉に粘った唾液を飲み込ませ、なんとか返事をすれば、ふと空気が緩んだ。
 微笑む視線からは色が霧散し、ただただ綿菓子みたいに柔らかい。今さっきの重さがまるで嘘のように、消えてしまった。
 白昼夢でも見ていたかの如く。
「えっと、えっと、じゃあ、また次のお休みのときにでも、お誘いしていいですか?」
「ああ、頼む」
「わ、わかりました。いくつか候補、考えておきます」
 掠れそうな声でようよう答えると、今はもう静かに凪いだ人は満足そうに「うん」と応え、またさっきのように空を見上げた。

 からからころころ。
 下駄の音が吸い込まれていく。
 次第に変わり始めた空の下、新たな青色が重なり合いながら炭治郎の中に滴り落ちた。