何をやるでもない、退屈すぎる午後の授業。教壇では、教師が睡眠誘導かと思わんばかりの言語でなにやら解説をしている。それを右から左へと聞き流しながら、皆守は大きく欠伸をした。生理的な涙が目に滲む。
葉佩に引っ張られて授業に出たはいいものの、見事にやる気も沸かねば授業自体も退屈だ。一応出席だけはとったし、隙を見て逃げ出そうか…なぞと考え出す。窓から零れる日差しは暖かで、こんな日には狭苦しい教室で缶詰授業を受けるよりは屋上でのんびり昼寝をするのが一番だ。
隣の席にいる葉佩も、なにやらぼんやりと視線を窓の向こうへと置いている。遠い目を向けた先には《墓地》があった。恐らくは今夜もまた潜るであろうその場所に、様々な思いと期待を馳せているのであろう。全くご苦労なことだ。
カサッ、と不意に皆守の腕に何かが当たる。硬くもなく、痛くもなく、一体何事だと意識と視線を向ければ、机には真っ白なノートと綺麗な教科書の他に、先刻まではなかったものが鎮座していた。小さく折りたたまれたそれは、薄桃色の紙。訝しげにそれを開こうとすると、皆守の前方で気配が泡立つ。騒がしいそれには覚えがあった。
スッと伏せていた目を走らせると、案の定八千穂がなにやら奇妙な動きをしていた。異物であるメモを軽く示し目線で「お前か?」と問い掛ければ、張子の虎よろしくコクコクと頷いた。教師が黒板にずらずらと長い講釈を書き記しているのをいい事に、八千穂はパントマイムのように身振り手振りで自分の意思を伝えようとしてくる。
まず自身を指差し、続いて皆守を。その後胸元で指で四角を模って、それを投げつけるモーションをした。恐らくは『あたしが皆守君に、そのメモを投げたんだよ』とでも言いたいのだろう。判ったから、本題に入れ、と皆守も小さく手招きして先を促す。
伝わったのが嬉しかったのだろうか。八千穂はぱっと表情を明るくすると、もう一度四角を作った後、ぐいっと勢いよく皆守の横を指差した。皆守の隣には先日の席替えで隣同士になった友人がいる。皆守はメモを手に取り、空いた一方の手で葉佩を指差した。すると、八千穂は妙に誇らしげな様子で親指を立てた。
…つまりは、このメモを葉佩に渡せばいいらしい。それだけなのに、何故かドッと疲れた気がする。
大きく溜息をつくと、皆守は隣の席の少年の肘を突付いた。ビクッ、と身体を揺らして振り返る。少し驚かせてしまったようだ。
何も言わず、ポイとパステルピンクの小さく折りたたまれたメモ用紙を放り投げる。反射的に思わず葉佩は受け取った。訳も判らず、目を白黒させている友人に、くいっと親指で発信元を示してやった。その先には、さも嬉しそうな表情で八千穂がヒラヒラと手を振っている。
それに同じような調子で挨拶をして、葉佩は渡されたメモを開き始める。一体そこに何がかかれているのかは判らないが、皆守自身には関係ない。やれやれ、と肩を竦めた。
暫らく興味のわかない授業を聞き流していると、すぐ傍でビリッと紙が引き裂かれる音が耳に飛び込んできた。横目で様子を窺えば、葉佩がノートを破いて――上手く破れず端がボロボロだが――いるのが見える。そこに何かしら書き付けていた。
酷く楽しそうな表情の彼に、一体先ほどのメモには何が書かれていたのだろうか…と不意に気になってくる。ちらちらとバレない程度に覗いてみるが、やはり何を書き込んでいるかまでは判らない。
書いては消し、書いては消しを数回繰り返し、満足のいくものがようやく仕上がったのか、葉佩はそれを丁寧に折りたたむと、皆守の腕をトントンと叩いた。前後のやり取りから、恐らくは八千穂に向けての返信だろう。少々行儀悪く顎で彼女を指し示せば、葉佩がニヤっと笑って肯定した。
…俺は郵便屋じゃないんだがな。
心中でそう呟き、手首のスナップだけでメモを教室のフロント部分へ投げた。僅かに放物線を描いて、見事にそれは八千穂の頭の上に乗った。隣で音のない喝采を上げる葉佩に、少しだけ鼻を鳴らした。ナイスコントロール、と自画自賛する。
頭の上のメモに気付いた八千穂が、そっとそれを取り上げる。クルリ、と首だけで後ろを振り返り、メモを指し示し再びのパントマイムで聞いてきた。それに無言で隣の席を指差すと、葉佩がVサインを返す。八千穂も彼等に対して、同じポーズで答えた。
かくてそのやり取りは授業終了間近まで続けられたのだった。
「…で、結局なにしてたんだお前等は」
機嫌の悪さも隠す事無く、イライラとした調子で皆守は二人に問い質した。
まあ、ずっと伝令役として使われていたのでは無理もない。おかげで久々に五十分間の授業中、居眠りなしを体験してしまった。
「何って…手紙のやり取り」
「その内容を訊いてるんだよ」
「プライバシーの侵害だよ、皆守クンッ!」
「俺の居眠りの権利は侵害されっぱなしだ」
「そんな権利もっちゃ駄目でしょー」
「ま、別にたいした事はいってないけどな。今日も《遺跡》に行くぞーとか」
「そうそう。放課後一緒にマミーズで腹ごしらえしようかとかね」
「そんなモン、休み時間にすればいいだろうがッ!!」
人を巻き込むな! と怒りも顕に皆守が怒鳴りつけるも、葉佩の上機嫌の様子は変わる事はなかった。へらっとしたいつも通りの緩みっぱなしの笑顔は、ちっとも皆守の言葉を聞いていないように思える。
「まーまー、落ち着いて皆守クン」
「落ち着いてられるかッ! 大体九龍、お前なんでそんな――」
「いやァ、これで俺の野望が一つ叶った」
『……はァ?』
少しばかり殺伐とした場の雰囲気を読まない朗らかな葉佩の台詞に、皆守と八千穂の二人も思わず間の抜けた声を揃えて出す。
何を言ってるんだ、と視線で問い掛けてくる二人に葉佩は少しだけ照れくさそうに言葉を続けた。
「俺ってさ、日本の学校って初めてだし…学校に通うのも実は暫らくぶりなんだよ。
だから、授業中とかに手紙回すのやってみたかったんだよなー。こんなに早く夢が叶うとは!」
万歳! とばかりに大喜びをしている葉佩に、さしもの皆守も何も言えない。八千穂もそうなのか口を閉ざし、思いがけず場にしんみりとした空気が漂う。そんな雰囲気を嫌ってか、皆守が口を開きかけた途端――
「――あの、ちょっといいかな」
「あれ、取手君。どうしたの?」
「よ、取手」
痩躯の男が場の雰囲気をさほど壊す事無く三人の会話に乱入してくる。にこやかに出迎える二名とは逆に、出鼻をくじかれた皆守は僅かに眉を顰めた。行き場を無くしたコメントを噛み潰し、ポケットからいつものアロマパイプを取り出すとジッポーで火を入れる。
「あ、あのね…次の時間、僕のクラス英語なんだけど…うっかり教科書を自室に置いてきてしまって」
「ありゃりゃ」
「取りに行くには少し遠いし… も、もし次が英語でなければ、君達の誰かに教科書を貸してもらえないかなって…」
「OKOK! 英語だろうと数学だろうと持っていけよ!」
「九龍クン、うちのクラス次は数学だよ!」
「あれ、そうだったっけ? ちょっと待ってろ、取手」
そう言うと、葉佩は教室の一番奥に鎮座する掃除用具入れまで歩いていくと、その扉をおもむろに開けた。少し背伸びをして、奥の上棚に詰めてあるダンボールを引っ張り出してくる。
「英語英語…お、あった」
「全部置き勉かよ」
「だって予習とかかったるいし、英語ならやらなくてもある程度判るし」
目的の英語の教科書とついでに数学のそれとを取り出して、再び箱は押し込められ扉が閉ざされる。所望された本をほいよ、と取手に向けて葉佩は放り投げた。空中で半開きになったそれを何とかキャッチする。
「あ、ありがとう… 次で今日の授業も終わりだし…放課後、返しに来るね」
「おう…っと、そうだ。もし都合がつけば、今晩どうだ? ちょっと潜るつもりなんだけど」
「――僕でよければ、いつでも喜んで」
「頼りにしてる」
葉佩の言葉に取手は僅かに微笑むと、そのままC組の教室を後にした。その彼をヒラヒラと手など振りつつ、笑顔で見送る。その様を二人は何とはなしに見ていると、くるっと葉佩は背を向けた。
何だ、と問い掛ける前に葉佩は級友に向けてこう告げてきた。
「教科書の貸し借りも、学生生活の醍醐味だよな」
満面の笑みで言う葉佩の言葉は、何処までも本気なのだろう。勢いに負け、否定できずに短く肯定の返事を皆守は返した。確かにそれは間違いではないだろうが…どこか偏っている気もする。
半ば呆気に取られている皆守の横で、少しだけ早く立ち直りを見せた八千穂がポソリと呟く。
「そういえば九龍クンって、普通の高校生じゃないんだよね」
「……だな」
「馴染みまくってるから、つい忘れちゃうよ…」
《遺跡》外での彼が馬鹿ばかりやっているせいか、ついつい失念してしまうが、葉佩九龍は《宝探し屋》だ。素性もいまいちあやふやだし、時々――否、よく日本の常識とは外れた言動を起こす。様々な意味で《普通》ではない人物である。
そんな葉佩でも、なんでもないこと――それこそ掃いて捨てるほどあるただの日常のやり取り――に憧れる事があるのかと思うと、何故だか言葉にし辛い感情が僅かにこみ上げてくるようだった。
ぱちん、と両の手を合わせてどこか弾む声音で八千穂が言う。
「だったらこれからどんどん日本の高校生らしく過ごせるようにしなきゃね! もっと手紙回そう!」
「…今度は俺経由じゃない方法にしてくれ」
「えー、皆守クンもやろうよ。楽しいよ」
「遠慮する。つうか、隣同士で手紙っておかしいだろ。しかも男同士だ。サムい」
「俺は気にしないけど、それくらい。皆守もくれよ、手紙ー」
「お前な…大体、普通に話せば済むだろうが」
「手紙には言葉とは別の趣があるのですよ。侘び寂びですよ?」
「あんまりその意味判ってないだろ、九龍」
「もののあはれとか」
「思いついた端から口にするのはよせ」
「あはは、九龍クンらしいね」
軽く葉佩の頭を叩いて黙らせる。何が可笑しいのか、八千穂は大袈裟に腹を抱えていた。
ロクな抵抗もせずにわざとらしく痛がる葉佩とケラケラと笑う八千穂へ、実に苦々しい表情を浮かべて皆守は半分唇を開く。そこから漏れるはずだった咎めの台詞は、次の授業の始まりを告げるチャイムによって再び掻き消された。
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