大鳥居の先にある石畳に落ちた葉を、竹箒で履いては集める男がいる。袴姿に、上等の袿を羽織っており、箒を動かすたびに、袖に刺繍された白鳥が羽ばたくように揺れた。紅く色付く紅葉が落ちる様を見て、もう現は秋頃か、と哀愁のような想いが渦巻く。
異界と呼ばれる、生きた人が住まう現世以外の場所はいくつもあれど、ここはそのうちの一つ、神域と呼ばれる場所であった。神社の境内や神の依代ではなく、神がその御霊を休める場所。いわば家のようなものだ。
力のある神はそれぞれの神域がどこかの次元に、あるいは世界の裏側にあるのだという。
宮本伊織は、日の本で誰もが知る大英雄、ヤマトタケルノミコトによってこの神域に住まうこととなった。
奇跡のような三度の縁に恵まれこの地に招かれた伊織。お互い同意の上であるし、何より人間が住む現世には、ことある事に降り立ってはやれ食い倒れだの、やれどこぞの娯楽施設だのに興じている。なんならタケルの「今日は御御御付が食べたい」の一言で買い出しに行く始末。人との関わりは確かに薄くなったものの、伊織の感覚で言えば、〝ちょっと人里離れた辺境の土地に引っ越した〟である。車などの移動手段なんて無いけれど。
ふいに、ちりんと、鈴の音がひとつ鳴った。水のように澄んだ音に反し、伊織は腰にある刀に手を添えた。間を開けて二度目の鈴が鳴る。剣呑な眼差しは一つの瞬きでその光を失い、今度は眉間に皺を寄せ、箒を立て掛けてからふぅ、と溜息のような呼吸を一つ吐き出す。
「まったく……」
声音は子供を叱る親のような、上の兄弟のような、そんな暖かさが乗っていた。じゃり、と足音を隠さず、歩みを進め境内の周りを囲う森へ向かう。懐から取り出した、鬼の面を着けてから、地面を蹴った。
「いたな」
面越しの狭い視界に子供が数人見える。速度を落とし、男女が混じったその輪に向かって、ゆっくりと、わざとらしく足音と草木を踏む音を立てながら近づいた。黒髪の、まるで青空のような眼をした子供が、音に真っ先に気がつく。
「走って‼」
皆に危険を知らせるには十分な声音だった。蜘蛛の子を散らすように、四方に逃げ惑う子供。これだけでも十分に役割は果たしただろう。くるりと見回して、一人の子供が足をもつれさせたのを認める。りん、と鈴が鳴った。どうやらこの子供が、神域に迷い込む原因となったらしい。
――更に驚かすのは、気が引ける。どうしたものか。
膝を擦りむいた痛みと、目の前にいる鬼の面を被った得体のしれない人物、今までいた場所とすっかり変わり果てた風景に、子供はぐすぐすと泣きじゃくる。
恐ろしい顔をした面の下で、伊織は困った表情をしてそろりと視線を動かした。視界の先に、小さなふわりとした丸い白の鳥がおり、円らな瞳で小首を傾げる様は愛らしい。だが長年の付き合いで、あれは戸惑っている己を愉しんでいると識っていた伊織は見せつけるように肩を竦めた。
「意地の悪い主だ……。そこのおまえ」
怖がらせたのは意図的であるからあまり優しく声をかけるわけにもいかず、伊織は声を低くして子供に語りかける。がだがたと可哀想なくらい恐怖に震える子供の前に、叫び危機を知らせた子供が、手を広げて前に出た。
青い瞳が怯えながらも、懸命に、敵と認知した鬼を睨みつけている。
「ふ……おまえは変わらないのだな。ここは神域、神の住まう場所。ならば時の流れすら現とは異なるか」
ぽつりと呟いた言の葉が子供に届いた。鬼の音を復唱し、意味を理解したのか恐れの色は畏れの色にたちまち変わっていく。
「しんいき……? 神さま……。っ、かってに、入って、……ご、ごめんなさいっ!」
がばりと勢い良く頭を下げた子供。柔軟な思考によって状況を正しく把握できたのだろう。後ろに庇われていた子供が、意味は分からずとも許しを請うものだと気がつき、倣うように頭を下げた。
「うむ、理解できたのなら良いぞ」
中性的な声音が何処からともなく降り注ぐ。ぱたぱたと懸命に羽ばたき伊織の肩へ留まったましろい小鳥が、朝焼けの眼で子どもたちを、とりわけ青い瞳の子供を見つめていた。
「もう、遊び半分で神や魔のいる場所へは足を踏み入れぬことだ。私や、我が眷属のように侵入者へ加減するモノは少ない」
こくこくと、二人は何度も頷いた。子供故の好奇心も、度が過ぎれば命を奪われかねない。しかし心から反省はしているようであったし、何より伊織も、タケルも、驚かして危ない真似をしないよう促すのが目的であったから、これ以上追求することはなかった。
「このまま鳥居を潜り階段を下れ。さすれば現に帰れよう」
「あ、あの、他の、子たちが……」
「既に鳥居の前に送っている。そこで落ち合うと良い」
柔らかなタケルの声音に安堵の表情で息を吐き出した。真っ直ぐに伊織とタケルを交互に見つめて、深く頭を下げる。
「勝手に入って、ごめんなさい」
「神とは解り合えぬものだ。此度は我が神域故に赦された。それは、忘れるな」
生死を別ける忠告に、子供は不思議そうに小首を傾げた。その言の葉の意味は、過酷な旅路できっと理解できるだろう。足早に鳥居へ向かう背を見送って、それらが見えなくなる頃、小鳥がぴょい、と肩から降りたった。地面に付けた足は細いまるで枝のようなそれから人のものへ。まるい、愛らしい姿もまた、ひとの形へ。
「あの子は幼い頃からああなのだなぁ」
「おまえはマスターを随分気に入っていたな。辛いか」
哀愁漂うタケルに視線を送る。過酷な旅路を、膳たる人のまま終えた小さくも逞しい背を脳裏に描き、その口元は弧を描いた。
「それはきみもだろう? これからの旅路が、あの小さな小さな背に掛かると思うと……。だが、あの子は歩みを止めぬからな。私が喚ばれるその時に、あの手を握れば良い」
今のタケルや伊織にとっては嘗ての日々。あの小さき少年にとっては遠くない未来。
世界のためでなく、生きる為に闘う子供のために。
「……イオリ、パンが食べたくなった」
脈略のない言に伊織が僅かながら片眉を跳ねさせ、直ぐに合点がいったと微笑んだ。
「では買いに行こう。いつもの場所だろう?」
「うむ! トーストと、カレーが良い!」
強請られた料理名に随分と俗世に染まった神様だと、今度は声を出さずに笑った。
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