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千代里
2024-07-30 08:28:06
12318文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その32
ノエが父のいるラペイレット家の屋敷の門を訪れ、守衛に名前と用件を伝えても、さすがにすぐに通されるということはなかった。
ベルナールは屋敷にはいるようだったが、当然というべきか、彼は執務に忙殺されていて、今すぐに面会に応じるとはいかないというのが、最初の回答だった。
だが、何の成果もないかと言われれば、そういうわけでもなく、数時間後に面会の約束自体は取り付けられた。それならばと、飛竜の追跡に向かう行程で必要そうなものを買い足しているうちに、あっという間に約束の時間は訪れた。
守衛に案内されるままに、一行は屋敷の中へと案内された。
ノエが先頭に立ち、その後ろをヤルマルとオランロー、オデットが続く。オデットにとっては昨日ノエを迎えに行くために来たばかりではあったが、屋敷の空気はあの頃と変わらず慌ただしさと緊張に覆われていた。
(よく考えてみたら、わたし、兄さんのお父さんに直接会うのは初めてなんですよね)
一度、不安に揺れる街の人々に演説をしている場面には出会したが、こうして直に顔を合わせて言葉を交わしたわけではない。
とはいえ、今回も、結局話をするのはノエだろうとオデットは思っていた。オデットにとっては兄のように敬愛するノエの父だが、向こうからすれば、オデットはノエの仲間の一人に過ぎないのだから。
客間に通されたノエたちは、数分も待たないうちに領主の来訪を告げる召使の声に促され、席を立った。
部屋に入ってきたベルナールは、四人の顔を見て領主らしい厳しい顔から僅かに表情を和らげる。
「ノエ、元気そうで何よりだ。それに
……
そちらの三人のうちの二人は、昨日ノエを迎えに来てくれた客人だったか」
ベルナールは、一日ぶりに会うノエの姿に安堵の表情を浮かべていた。息子の快復を確認する間もなく別れてしまったので、父親として無事に傷が癒えたか、気がかりだったのだろう。
「昨日は、怪我の手当をしていただきありがとうございます。おかげで、痛みもなく、こうして過ごすことができています」
「礼を言われるほどのことではない。お前はーー領主を助けた恩人なのだから」
ノエのお礼に対する返答には、不自然な間が挟まれていた。
おそらく、ベルナールは『私の息子なのだから』と言おうとしたのだろうと、オデットはすぐに察した。しかし、その瞬間、確かにノエの周囲を漂う空気が強張った。
(まるで、兄さんが全身から、ベルナールさんの子供って扱われるのを拒絶してるみたい
……
)
ベルナールとこんなにも近くで対面するのが初めてならば、オデットにとってはノエが父親と会話をする場面を見るのも初めてだった。
オデットの目から見れば、ベルナールはごく普通の壮年の男性に見えた。旅日である自分に対しても礼儀正しく、どんな相手に対しても丁寧に接する相手に好感を抱いたほどだ。
そして、それは普段のノエにも同じことが言える。彼はどんな相手であっても、常に穏やかな物腰で接する青年だ。少なくともオデットにとってはそうだった。
(だけど、兄さんはこんなにもお父さんを拒絶している
……
)
けれども、今の彼は、父親とはいえ自分より年配の相手に対して、無礼とわかっているはずなのに敵愾心を抑えきれずにいる。これから情報を教えてほしいと依頼する相手に、普段のノエなら決してこのような振る舞いはしない。
(兄さんにとって、お父さんと会うっていうのは、それほどまでに心を騒がせることなんですね)
せめて、ノエがざわつかせた心に飲まれたまま、本来の目的を見失わないよう、オデットはノエの指先にそっと自分の指を重ねた。かすかに動いた指は、きっとノエが己の動揺に自分でも気がついた証拠だ。
「それで、ノエ。それに皆様方も。今日は何の用だろうか。まさか、先だっての怪我を治したことの礼だけで、このような場を設けたわけではあるまい」
ベルナールも、ノエがただ世間話や社交辞令のために来たわけではないと察したのだろう。表情を引き締め直し、目の前の冒険者と相対する。
ノエも数秒の瞑目を挟んで気持ちを整えると、
「実は
……
僕と仲間たちは街の人にあることを依頼されたんです。その依頼のために、領主様の元に集まっている情報を提供してほしい。そのために、こうして面会の時間を取っていただいたんです」
「そういう事情だったのか。しかし
……
それは、情報の内容と、街の者が依頼した内容にもよると言わざるを得ないな」
いくら負い目のある息子からの依頼であっても、さすがのベルナールは素直に首を縦に振ってはくれなかった
「たしかに、街に配備している騎兵たちは、現時点では復興や防備に手を割かれている。そのため、街の者からの個人的な依頼を聞いていられる状況ではない。民が騎兵たちの代わりにお前たちに依頼をしたというのなら、それに協力するのも領主の務めだろう」
グリダニアのように冒険者ギルドがある場所ならば、ギルドに依頼するという手段があった。しかし、イシュガルドには冒険者ギルドのような確立した制度がない。故に、あくまで個人的な契約に頼るしかないということはベルナールも理解していたようだ。
「だが、それも内容次第だ。いかなお前の頼みといえども、犯罪に加担するような内容の場合は手を貸すことはできない」
「ええ、もちろんそうでしょう。なので、先にあなたに依頼の内容を伝えます」
そうしてノエは一拍置いてから、告げる。
「僕らは、飛竜に攫われた人を助けてほしいと頼まれたんです」
「
……
!!」
これは流石に予想外だったらしく、ベルナールは大きく目を見開いた。続けて、告げられた内容を今一度噛み締めるかの如く、ノエをまじまじと見つめている。
「僕も、飛竜に攫われた人を既に死んだ者として扱うことに、疑問を抱いています。まだ、攫われてから二日と経っていません。今すぐ追いかければ、彼らは無事かもしれない」
「そういうわけで、飛竜が飛んでいった方角について検討がついているなら、教えてもらいたいんです」
「ああ。そのために、オレたちは、忙しい領主様の時間をこうして割いてもらっているんだ。やや、強引な手段を使ったことは謝罪するが、事情が事情であることはわかってほしい」
ノエの言葉を引き取り、ヤルマルとオランローが自分たちの目的を改めて示す。
ベルナールは小声で何事か呟くと、ゆっくりとかぶりを振り、
「確認しておくが、私が街のものに示した『攫われた者を助けに行かない』という意見に反発するためだけに選んだことではないのだな」
「
……
こんな大事なことを、あんたへの反抗なんていう子供じみた理由で選ぶわけがない」
ぴしゃりと言い返すノエの語気の鋭さに、オデットは思わず身を硬くする。
今まで、オデットは暖かく優しい言葉ばかり与えてくれたノエが放った、氷のような冷たい一声。それが、まるで自分に向けてぶつけられたかのような衝撃をオデットに与えていた。
「
……
僕がこの街で過ごして、この街の人たちを助けたいと願った。ただそれだけです」
オデットの強張りを感じ取ったのか、ノエは語気をいくらか和らげて、簡潔に自分の意見を示してみせた。
それに対して、ベルナールは眉を寄せ、数秒目を瞑り、思考の時間を経てから、
「ならば、私自身がお前たちに『止めろ』と言うことはできない。冒険者が街の者から個人的に依頼を受けて自主的に連れ戻すことについては、私が介入できる範囲ではない」
そこまで言ってから、「ただし」と彼は今まで以上に厳しさを込めて続ける。
「私は、彼らが異端者に連れ去られたものだと推測している。たとえ無事であったとしても、異端者と接触した者を簡単に街に足を踏み入れさせるわけにはいかない」
「
…………
」
やはり、ベルナールは分かっていた。連れ去った側の思惑の中で、最も警戒しなければならない結末が何か、ということを。それらの可能性を予測できないほど、領主として彼は耄碌していなかった。
ただでさえ、先日の襲撃によって姿を見せた竜により、難民の中に異端者が紛れていた可能性が高いと言われているところなのだ。異端者が入り込む可能性について、彼は人一倍警戒している。
「連れ去られた者が戻ってきたら、私は異端審問官を呼び、彼らに引き渡さねばならない。それが、領主としての責務だ。それでも構わないなら、被害者たちを連れ戻してくるといい」
感情を敢えて出さないように殺した声で、ベルナールは領主として己がすべきことを口にする。被害者を連れ戻したところで、自分は彼らを再び死地に追いやる、と。
「たとえ、彼らが望んで異端者になっていなかったとしても、あなたは彼らは異端者として死すべきだというのですか」
一方、ノエの声には微かに感情的な気配が混ざっていた。
「彼らは被害者です。自ら異端者の手を取り、竜になろうとしたわけじゃない。それでも、この街で受け入れるという道はない。
……
そういうことですか」
ノエとて、ベルナールが拒絶する可能性は考えていた。けれども、どこかで民を想うために何かノエでは思いつかない道を示してくれるのではないかと、無意識に期待してしまっていたところもあった。
しかし、どれだけ望まれたとしても、ベルナールはノエの期待に応じることができない。
なぜなら、彼は領主であり、より多くの人を守る立場にあるからだ。それを薄情だと責めるのはお門違いだと、ノエも理解はしていた。
ただ、ここでノエが「仕方ない」と諦めれば、被害者がかつての生活を取り戻せる、という選択肢は完全に潰えてしまう。そして、ベルナールにこのような個人的な意見をぶつけられる立場にいるのは、ノエだけだ。だからこそ、大人しく引き下がるわけにもいかない。
「もし、あなたが受け入れられないと言うのなら
……
僕は彼らをあなたに引き渡さない選択肢を選び取るでしょう」
別れた家族や知り合いとの再会のためにも、一度は街に寄るだろう。しかし、その後は知らぬ顔をするというわけにはいかない。
「助けた人をみすみす死なせるために、僕は彼らを助けるのではありません」
「
……
たとえ、異端者になったとしても、彼らにとって二度と会えぬと思った家族や知り合いと再会し、別れを告げられるのは、十分な恩恵だ。
……
そのように考えることもできよう」
「ええ。最初は、そう考えていました。でも、それじゃ結局、僕はあなたと同じ所に堕ちることになる」
ノエの放った声に混じった厳しさには、現状のままならぬ状況に対してのもの以外の感情があった。
かつて自分が晒された状況と、それを生んだ者への怒り。ノエはまだ、ベルナールに捨てられたことを許したわけではない。
「あなたは、僕たちに貴族の生活が永劫約束されているかのように振る舞った。けれども、実際の結末がどうなったは、あなた自身がよく知っているでしょう」
ノエの言葉が何を意味するかを察して、ベルナールは表情を曇らせる。しかし、父親の憂いなど気にせずに、ノエは続ける。
「希望をちらつかせるほど、後に感じる絶望は大きくなる。たとえ、それがどれだけしょうがないものだと頭では理解していても、飲み込めなくなり、やがてそれは怒りや悲しみになる。それを、僕はこの身で知った」
ノエにきっぱりと断言されて、ベルナールは言葉に詰まる。
「もし、異端審問官に引き渡すというのでしたら、尋問の末に崖から落とされる前に
……
僕らはその方たちを連れて、別の道を探します」
「別の道、というのはどのような道だ」
「
……
イシュガルドで生きられないなら、違う国に行くこともできる。同じような異端者になってしまった被害者の人たちが、他にもいるなら、彼らと協力することもできる。異端者として処刑される以外の道だって、選べるはずです」
「イシュガルド正教の教えに背く生き方をするということか」
「
……
そうなるでしょう。彼らの正しさでは、攫われた人たちを救えないというのなら」
イシュガルド正教の教えに従い、竜の血を飲んだ者は徹底的に排斥する。その教えは、イシュガルドという国内で絶対的な正しさであった。
けれども、その正しさで救えない者がいるというのなら、ノエはイシュガルド正教に抗うという決意を示すしかなかった。
「あなたが異端者を恐れる気持ちも、少しはわかるよ。人が竜になって暴れ回る姿を見たら、流石にあのような存在を懐に勝っておくのは為政者として許容できない、という気持ちは出てくるだろうからね」
ノエとベルナールの意見が平行線を辿っていることを察して、今まで沈黙を保っていたヤルマルが声をあげる。
「そこで、一つ確認しておきたいんだけれど。竜の血って、一滴でも飲んでしまったら未来永劫竜になってしまうものなのかい?
ヤルマルの疑問は、異端者と相対した者としては至極当然のものだった。
一方で、その部分については、異端者は竜へと変じてしまうもの、という認識が強くこびりついていたイシュガルド人のノエやベルナールにとっては、あまり意識していない部分の指摘でもあった。
「もし、少しでも竜血を飲めば竜になってしまうというのなら、ボクらが連れ帰る被害者も竜の姿をしているかもしれない。助けに行く人の姿がどうなっているかは、きちんと確かめておかないとね」
それで、どうなんだい、とヤルマルは二人へと問いかける。先に口を開いたのは、ベルナールだった。
「
……
私もこの目で実際に確認したわけではないが
……
皇都の騎士団の報告によると、少量の竜血を飲んでも、竜に完全に変異してしまうわけではないらしい。一時的に竜になっても、じきに戻る場合がほとんど、というのが騎士団が異端者たちを観察した結果、分かったことだ」
「えっ。では、あの時は、どうして、あの人はすぐに竜に戻らなかったのですか」
思わずノエがあげた声には、今までのひりついた空気が引っ込み、純粋な驚きと疑問が混ざっていた。
ノエが言っている『あの時』とは、ノエの母が竜に変じた正妻に殺されたときのことだ。
ノエは、正妻に竜血を飲ませたのはノエの母本人であると考えていた。
貴族である正妻が実は異端者になっていたという後ろ暗い事情があったなら別だが、それならば正妻は自身が結婚したベルナールを標的としていたと考える方が筋が通っている。しかし、彼女が暴れたのが大した後ろ盾もない妾の前であるということを踏まえると、彼女は知らぬ間に血を飲んでしまった被害者と考える方が自然だ。
正妻の顔に泥を塗ろうと、ノエの母はそうと知ってかしらずか、竜血を正妻が飲むように仕向けた。その結果、正妻は竜に変じたが、彼女がすぐ人の姿へと戻るようには見えなかった。
「彼女については、どうしてあのようになったのか、仔細な原因はわからぬ。だが、異端者の中にも、一度の血の摂取で過剰に体が反応し、竜の姿をしたまま姿が戻らぬ者もいるようだ。おそらく、ワルギリアもその一人だったのだろう」
自身が悍ましい化け物に変わっていくことを理性が受け止めきれず、竜に変じた女性の精神は崩壊した。その末に、見境なく周囲への破壊行為を繰り返し、最終的に騎士に仕留められた。ベルナールはそのように、当時の事件を改めてノエに説明した。
「話を戻そうか。じゃあ、連れ去られた人が竜の姿をしているとは限らない。そういうことだね」
ヤルマルは、そこで一度パチンと手を打つ。
「じゃあ、話は早い。彼らがこれ以上竜の血を飲まないように警戒するから、どうか許してくださいと領主様から異端審問官に頼んでもらうのはどうだろう。さすがに報告をしないままダンマリというのは、教会側の心象も悪くなるからね」
「街の人間には反対する者もいるかもしれないが、街から離れて監視下に置かれながら暮らすということなら
……
ある程度は理解してくれる者もいるだろう」
ヤルマルとオランローの意見は、妥協案としては順当なものだ。しかし、ノエは顔を歪めると、
「
……
それは確かにもっともな話ですが、そのような言葉を異端審問官が聞いてくれるとは思えません」
「そうかな。何事もやってみないと始まらないじゃないか! もっとも、領主様が、竜の血を一滴でも飲んだやつは、もう領民じゃないので守る必要はないから死んでも構わない、それよりも正教の教えが大事だって思ってるなら、それは仕方ないけどさ」
ヤルマルがさらりと言った言葉に対して、ベルナールは何か言おうと口を開きーーしかし、言葉を詰まらせる。
ヤルマルは敢えて酷薄な物言いをしたが、ベルナールがノエに示した考えはまさにその通りだ。異端審問官に異端者を引き渡すのは、正教の教えを信じる者として当たり前である。
しかし、その末に命を失うと知って引き渡すということは、彼らを守るべき民として勘定しないと言っているのと同義だ。
「どっちの『正しさ』に従うのが、あなたにとって望ましい選択なのだろうか。ボクらが戻ってくるまでに、今一度考えてもらえるかい」
「しかし、ヤルマルさん。これで、もし父さんが異端審問官に引き渡すと決めたらーー」
被害者を更なる苦難に晒すために連れ帰るのではないのだと、ノエは言いかける。
だが、ヤルマルは噛んで含めるような語調で、
「そうだね。領主様の意見は変わらないかもしれないし、変わるかもしれない。それは、今この場で答えを引き出せるものじゃないだろう。たとえ出してもらったとしても、そんな短時間で答えは、結局後であっという間に翻ってしまうような軽いものに決まっている」
前のめりになっていたノエの肩を掴み、ヤルマルはぽんぽんと叩いてみせる。
「ノエ。君のお父様は領主様だ。責任ある立場のお方だ。そんな人は、何を決めるにしても、時間が必要になる。それは理解してあげないと、流石に気の毒だ」
ヤルマルの説明には、筋が通っている。
ただ、ノエとしても、できる限り後顧の憂いなく攫われた人を助けに行きたい。帰ったあと、やっぱりだめでした、という結末には至らないという確約が欲しい。
そんなノエの気持ちが顔に出ていたのか、ベルナールは大きく息を吐くと、
「
……
お前に私へと繋がるリンクパールを渡しておく。無事に攫われた人を連れ戻せたなら、外壁から少し離れたところで私へ連絡をしなさい」
「それは構いませんが、どうするつもりですか」
「私が彼らを受け入れまいと受け入れようと、どちらの選択をしても、その選択の結果をお前に伝える。その結果を聞いた上で、戻ってきた彼らに選ばせてやってほしい。異端者として大人しくハルオーネの元に旅立つ誉を選ぶか。それともーーこのまま何が起ころうとも、生ある限り生き続けるのか」
ベルナールの言葉を聞いて、ノエはハッとする。
今まで、ノエは犠牲者たちは皆、異端者のように扱われることをを嫌がる筈だ、このまま死ぬのは嫌だと思うはずだ、と考えていた。
しかし、竜血を飲んでしまった以上、一秒でもこのような穢れた体で生きていたくないと思う者もいるかもしれない。自らは異端者であると認識して、生きながらえないことこそが己のなすべきことだ、と考える者もいるかもしれない。
生きたいと望む者は当然いるだろう。
だが、同時に。
自分は異端者として生きながらえるのは嫌だ、と拒む者のことも考えるべきだ。
自由である、というのはそういうことでもあるのだから。
たとえ、ノエには受け入れられない考え方だったとしても。
「
……
分かりました。その依頼、確かに引き受けました」
ベルナールが懐から取り出したリンクパールが、ノエの掌の上に落ちた。
小さな真珠に似た飾りは、近い未来、ノエが救った人の未来を決定づける重要な鍵となるだろう。
話に一つ蹴りがついたところで、ベルナールは客間の引き出しから一枚の大きな地図を取り出した。それは、軍議で使うような、小さな机ならまるまる覆えてしまうような大きなものだった。
「もともと、お前達は飛竜が飛んでいった方角を聞きにきていたのだったな。奴らがどの辺りをねぐらにしているかについては、大体の予想がついている」
「では、そこに行けば攫われた人たちがいるのかもしれない。そういうことですね」
ベルナールはノエの意見に一度頷き、ラペイレット領を包括していると思しき地図の一端に指を置く。
方角は北西。地図に記された尖った模様から察するに、その辺りは山脈が続いているようだ。
「我が領土には、大きく目だった山岳地帯はない。だが、唯一、ニヴェール領ーー隣接する隣の領土の境に跨る形で広がるここには、急峻な山脈が存在する」
「飛竜は、その山脈に向かったのですか」
「ああ、そのように報告を受けている。元々、山に住み着いている竜の数はさして多くない。普段は、近くの砦に駐留している騎兵たちが、村落に出没する弱い個体を迎撃していた。どれも知性は低く、大型の魔物と大差ない相手だったと報告を受けていた」
ベルナールが広げた地図を自分の手元にある羊皮紙に書き写しつつ、ノエは父の言葉に耳を傾ける。
「しかし、飛竜の来訪により、付近の魔物が攻撃的な行動をするようになった。おそらく、見慣れない存在が突如姿を見せたことにより、警戒心を強くしているのだろう。あの山に向かうつもりなら、十分に警戒をするように」
「わかりました。気をつけるようにします」
「山自体も、地脈の流れを強く受けている。そのせいで、通常の山と比較して、標高が低いところも草木が少ないそうだ。飛竜が山に住み着いているかは不明だが、登るのなら地元の説明をよく聞くように」
ベルナールはノエが地図を書き写したのを確かめてから、地図をくるくると纏めていく。
「山脈に辿り着くまでの道程にある砦や要塞には、お前たちの来訪があるかもしれないことを伝えておく。あそこは、商人たちが宿として使用する場合もあるので、宿泊施設の機能も持っている。長旅で疲れた体を休めるのに利用するといい」
「それは助かるよ。寒空の下で野営をするのは、凍死と隣り合わせになると思っていたところなんだ」
複雑そうな表情をしているノエにかわって、ヤルマルが御礼を述べる。
ノエとしては父親に特別扱いされているようで不服なのだろうが、もとよりノエの名前を使ってベルナールとの面会を取り付けたのだ。今更、潔癖がっている場合ではない。
その後、二、三の注意事項を受け取った頃には面会は終了の時間を迎えていた。
召使にそれとなく、そろそろ時間であると告げられたベルナールは、残念そうにノエたちへと向き直ると、
「では、私はこれにて失礼する。ノエ、先だっての件はお前に任せる。ただ
……
」
妙に歯切れが悪い様子を見せたベルナールは、一つ咳払いを挟んでから、
「
……
いや、何でもない。気をつけて行くように」
お決まりの別れと気遣いの言葉を残して、ベルナールは部屋を辞した。
言葉だけを聞けば、定型句のような挨拶だ。しかし、単なる挨拶だけではないことは、ノエにも分かっている。
では、一体どんな気持ちがそこにあったのだろうか。何とも言えないモヤモヤとした気持ちをノエが抱えていると、
「
……
危ないことはしないでください、と言いたかったのだと思います」
ノエの手を今までずっと握っていた少女が、ノエのモヤモヤをたった一言で表した。
「兄さんのお父さんは領主様です。でも、危ない目に遭わないでって気持ちは、すごく個人的なものです。そういうのって、偉い人が軽々しく口にしてはいけないんですよね?」
「
……
そうだね。そういうものだと、僕はそう思っている」
だから、ノエはベルナールが幼子を庇ってその身を危険に晒したときに激しく怒ったのだ。領主という責任ある立場が、個人的な感情を優先してしまったことは、ノエが認める『領主としての父』を裏切る行為だったから。
「だから、面と向かって言えなかったんだと思います。兄さんは、お父さんとしてのベルナールさんは好きになれないってこと、わたしも知っています。でも、領主としてのお父さんは認めてるってことも、知っています。それは、ベルナールさんにも伝わっているから
……
だから、あんな当たり障りのない言葉になったんだと思います」
もし、オデットがノエの本当の家族だったなら、間違いなく「よその人を助けに行く必要などない、お前は安全な家にいなさい」と言うだろう。オデットがノエの背中を押せたのは、単に彼がひたむきに走る姿を好ましいと感じたからであって、ノエに傷ついてもらっても平気だと感じたわけではない。
まして、ノエが己の身内だったならば、その身を案じる気持ちは何倍も強いはずだ。
しかし、ベルナールはノエを危ない場所に向かわせると分かっていても、地図を見せてくれた。飛竜のねぐらを教え、できる限りのバックアップもすると請け負ってくれた。
流石に、領主として異端者になったかもしれない相手を軽々しく受け入れるとは言えなかったけれども。
それらのお膳立ては、ベルナールなりの、父親としての最大限の譲歩だったのだ。
本当は「行くな」と言えない父親なりの、精一杯の応援だったのだと、オデットはそう思う。
「
…………
」
言葉を発することなく、ノエはただゆっくりと首を横に振っている。
今はまだ、受け止めることはできないだろう。ひょっとしたら、一生、ノエはベルナールの『父親』としての側面を受け入れられないかもしれない。
それもまた仕方ないことだ。一度父によってノエにつけられた傷は、一生残り続けるものなのだろうから。
「礼ぐらいは、後で言ってもいいかもね。無事に帰ってきたら、さ」
「
……
そうですね。領主様のお気遣いに助けられました、と」
ノエの言葉は、予想通り、自身の父を『領主』として扱うものだった。その言葉の選び方はどこか刺々しくて、オデットには馴染みのないものだ。
けれども、そのような言葉遣いは父親を相手にするには相応しくない、などというのは余計なおせっかいである。それはオデットが求める『理想』の親子像であり、ノエの望む親子の形ではないのだから。そして、ノエがその理想を飲み込もうとすればするほどノエが傷つくことも、オデットはよく分かっていた。
「雪の中でキャンプする必要がなくなったのなら、わたしは大歓迎です」
「いやいや、そう都合よく砦にたどりつければいいけれどねえ。ちゃんと野営の準備もしておくべきだと思うよ」
できる限りいつもの調子を取り戻すように、オデットもヤルマルも旅支度の話題に切り替えていく。それでも、オデットは屋敷を出るまで、ノエの手を離すことはなかった。
***
ノエたちが宿に戻ると、折よくルーシャンが食堂から出てくるところだった。彼の手にはいくつかの紙束があり、ちょうど何か調べ物をしていたかのようだった。
「おう、お前たち、帰ってきたのか。準備はもうできたのか」
「はい。飛竜の行き先もわかりました。できるなら、今すぐにでも旅立ちたいと考えているところです」
もたもたしていると、日が暮れてしまう。さすがに、いくら慌てていても夜に出立するというリスクの高い選択はしたくない。それぐらいなら、少し慌ただしくても日が出ているうちに少しでも行程を稼いでおきたかった。
「そうか。こっちも、領主様の使いとやらから、色々預かってな。ちょうど読み終わったところなんだ」
どうやら、ベルナールはあの短時間では説明しきれなかったことを、資料としてまとめて宿まで運ばせてくれたらしい。
ルーシャンが渡した紙束の中には、道中の魔物の生態調査の結果や、領内の村の位置、そして長らくこの領土に住み着いているドラゴン族ーーランドンの特徴がまとめた資料もあった。ノエたちが向かうのは飛竜が飛び去った先だが、異端者が入れ知恵をしたドラゴン族本体と遭遇する可能性もある、とベルナールは考えたようだ。
「出発前に、こいつを頭に入れておいたらいいだろう。俺とサルヒはもう確認しておいたからな。途中で読ませてくれ、とかは言わないよ」
「わかりました。ありがとうございます
…………
えっ?」
何気なくお礼を言いかけて、そこでノエの言葉が止まる。
何気なくルーシャンが口にした言葉。それはまるで、彼がこの無謀な旅について行くと言っているかのようで。
ノエが思わずまじまじとルーシャンを見つめていると、
「あー
……
若人だけ危ない場所に送り出して、自分は安全なところでのんびり、というのも、やっぱりどうかと思ったんだよ」
ノエよりも一回りは年上の男は、どこか居心地悪そうに自分の短髪をガシガシと掻いて、そう言った。目線を逸らしているのは、今更同行を名乗り出た気まずさからだろうが、ノエにとってはそのようなことは些事に過ぎない。
「
……
! ありがとうございます、ルーシャンさん。とても心強いです!」
ノエの素直な感謝の言葉は、ルーシャンにとっては居心地の悪さを加速させただけだったらしい。彼は片手で一歩詰め寄ってきたノエを押し留めると、
「だけど、言っておくが、俺もサルヒも、自分の命が安全な範囲でお前に付き合うだけだ。どうにもならないと思った時点で、俺たちはお前を見捨てる。いいな」
こればかりは普段の朗らかな物言いではなく、真剣さを表に出した声音でルーシャンは言う。ノエも、オランローやルーシャンから突きつけられているこの大前提が、単なるパフォーマンスとしての発言とは思っていない。
「ええ、構いません。それに、もしもの時は
……
オデットのことだけはお願いしていいですか」
先だってオランローと交わした無言のやり取りを、ノエは小声ではあれどルーシャンとも交わす。彼は苦虫を噛み潰したような顔をした後、
「
……
頼む相手を間違えてると思うけどな。まあ、お嬢ちゃんに恨まれる役なら喜んで買ってやるよ」
ひらりと手を振り、彼は「荷物の準備がある」と言って二階に上がって行く。サルヒは姿を見せていないので、彼女も荷造りをしているところなのだろう。
ノエは渡された紙束に視線を落とす。これもまた、父なりの不器用な心配の気持ちの表れなのだろうが、今は親子関係については一度棚に上げておく。そのような個人的な悩みは、無事に戻ってからゆっくり考えればいい。
資料に視線を落とし、ノエはこのさき待ち構えているだろう難関へと気持ちを切り替えた。
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