べるどくん
2024-07-30 01:53:57
4593文字
Public
 

嬉しいよ

しし+さめ写経

 青い風吹く初夏が過ぎていき、セミのわななきと共に猛暑が押し寄せた。朝にテレビをつければニュースキャスターが「眠るときもクーラーをつけるように」とセミに負けじとアピールしており、村雨礼二はそれにやかましさを覚えつつも「その通り」と医者として内心頷く毎日だった。
 さる熱帯夜、数日振りに自宅へ車をつける。運転席から降りたところで、車の排熱によろめきそうになった。途端、噴き出す汗もうっとうしく、玄関へつま先を向けた――そんなときだった。内ポケットに入れていたスマートフォンが振動する。一回。またいつもの妙なチャットルームからかと村雨は眉をひそめたが、振動は一回のみ。あそこは連投が常であるから、それでは違うだろうとあたりをつける。予感のまま車内へ戻り、ようやく画面を確認する。
……
 思わず漏れ出た溜息は自分が思ったよりも熱があり、よく冷えた車内を真夏に戻してしまいそうだった。それが嫌だった。ただそれだけだ。村雨は今一度エンジンを入れて、自宅の駐車場をあとにした。



「うわっ、来んのかよ」
「呼び出したのはあなただ」
 玄関を開け、明かりを背負い出迎えたのは獅子神敬一その人だった。勝手知ったる玄関にずかずかと上がり込む村雨の鼻先を、溶けた砂糖の匂いが霞めていく。
「だってお前、既読つけただけだったろ。夜遅いし寝てっかなって……ちゃんと寝てたらスルーしろって書いただろうが」
「だがこうして来ただろう。有難く思え、私は空腹だ」
「いや、まあそりゃ助かるんだけどよ……
 聞こえたエンジン音で村雨の存在にはとうに気付けていたろうに、獅子神は彼の姿を見て初めて狼狽するような素振りを見せる。その声色からして動揺3、歓喜3、期待4。聞き慣れたエンジン音に尻尾を振ってそのまま玄関へ走り寄ってきたのだろう。村雨はそんな彼に一瞥もせず、甘い香りに誘われるがまま足早にキッチンへ向かう。
 そこに聳え立っていたのは、小さなシュークリームの山だった。円錐形に積み上げられたシュークリームにキャラメルやチョコレートがかかり、クルミやベリーで隙間が埋められている。時期外れだがクリスマスツリーのようにも見えるそれは、村雨にも覚えがあった。
「クロカンブッシュか」
 村雨の肩口から顔を出し、獅子神が頷く。
「そうそう。真経津の野郎が……
「またあの男か」
「まあ聞いてくれよ。聞くも涙、語るも涙の」
「マクラはいい。早く言え」
「わかったよ!」
 獅子神によると、そもそも真経津のジャンケットである御手洗が発端だったらしい。彼が友人の結婚式に出席した際、そこで振る舞われたウェディングケーキがクロカンブッシュであったこと。その見た目の楽しさ珍しさが印象に残ったことを赤裸々に話してみせたそうだ。ギャンブラーへプライベートを語る銀行員は職務の性質上ごく少なく、ギャンブラーとしての真経津を注視する御手洗もそのひとりだと村雨は認識していたが、そうでもないらしい。
 というよりもと、慮る。思わず話してしまったというのがことの始まりだろう。真経津が好きそうなものを教えるついでに結婚式の話をしただけ。そう思うとただのダシにされたその友人夫婦というのが哀れで、村雨の口角が僅かに上がった。
「で、あろうことか『真経津さんは食べたことありますか?』と来たそうだ」
「雑談としては最低のチョイスだな」
「だろ? じゃあもうオレに来るじゃねえか、『獅子神さん! ボク、みんなでクロカンブッシュ食べたい!』」
「似てないぞ」
「本質はそこじゃねえ」
 話しながら、獅子神は平皿とフォークを用意し始める。茶も淹れろと村雨が言うと、水出し紅茶がすぐに出てきた。先回りで用意していたことに満足し、村雨はグラスに口を付ける。
「さては、そこに叶も乗ったな」
「配信したいんだそうだ」
 だろうな、と叶の厄介な笑顔を思い出す。チャットルームにログは残っていなかったので、恐らく自分が悪態をつきながら病院で寝泊まりしている間になにかしらの会合があったのだろう。天堂には叶から話が通ったらしく、「良いものを作るのだな。神も食す」とご満悦だったそうだ。
「これってそんな良いモンか? って調べてみたら縁起モノなんだな」
「私も同僚の結婚式で目にしたことがある。向こうでは洗礼の際に食うこともあるらしい」
「ひとつひとつ小さいし食いやすそうだもんなあ」
 水出し紅茶のおかわりを所望した村雨は、獅子神がついでくるあいだ、改めてクロカンブッシュをしげしげと見る。シュークリームは作るのにコツが要ると聞いていたが、やはり出来だけは良い。村雨の膝ほどの高さがあるそれは、夏の真夜中にはどうにも不釣り合いで浮いて見えた。しかし、その他。その他にも、なにかが気にかかる。
……
 違和感を覚えて眼鏡をかけ直していると、獅子神が満足げな表情を浮かべて戻ってきた。
「結構いいだろ? ようやく人に見せられる程度になったって訳だ。つう訳で、メッセ入れた通り試食頼むぜ」
 紅茶のグラスを引き寄せて、村雨は両手でそれを傾ける。ごくり、と音を立て嚥下される。
「気になることが三つある」
……なんだ?」
「あなたは素直にこれを作ったのか?」
 前説はかいつままれたものだったが、結果的にひと悶着もなしにここまで完成されている。獅子神ならば一つ煽れば五つのクロカンブッシュを作って並べるであろうものの、そそり立つのはここに一つ。村雨の問いに、獅子神はへらりと笑った。
「いやぁ。知らねぇ洋菓子だったから、作ってやってもいいかなってな」
 まず嘘がひとつ転がってきた。村雨の脳内に、それは小さなシュークリームとして形成される。
「次に、なぜ私を呼んだ。試作品の処理なら奴隷の出涸らしにさせればいい」
「奴隷の出涸らしって言うな。可哀そうだろうが。……そりゃお医者様を労わる心だろ、最近は本業の方がお忙しいみたいですし?」
 皿の上にコロコロとシュークリームが転がる。すべてが嘘という訳ではないのが、余計に村雨を懐疑的にさせた。では、なぜ。このシュークリームには。
「まあ一個食べてみろって。自信作だからよ」
 獅子神は村雨の前に置かれた皿をすいっと押して、片眉をあげて笑う。勧められるがまま銀色のフォークを取り――鋭く、その先を獅子神に向けた。
「最後に」
 視線をクロカンブッシュに向けてから、わざとらしくゆっくりと、村雨は獅子神をねめつける。
「僅かにスパイス臭がする。あなた、私を騙そうとしているな」
……
 沈黙。窓の外からは夜中にも関わらずセミが鳴いており、両者の間をじわじわと埋めていく。たまらず獅子神は声をあげ、頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
……だーもう! やっぱり即バレんのかよ!」
「やっぱりとはなんだ。この匂いは……マスタードか? 嫌がらせをされる筋合いはない」
「ない訳はないだろ。まあ、そう、そうだよ。ロシアンルーレットってヤツ……
 村雨の脳内に積み上げられていたシュークリームたちが、拳銃で穴ぼこにされていく。ロシアンルーレットとは、映画でよくあるアレではないのか。一発だけ弾を装填した拳銃を、こめかみに……と、獅子神がそうしている光景を想像したところで合点がいった。
「菓子でやるのか? 下品だぞ」
「テメーに正論言われんの腹立つな……
 獅子神は椅子に浅く座ると、企みが露見した殺人犯の如く語り始める。
「ちょっと魔が差したんだよ」
「今時ドラマでも使わない言い訳だな」
「オレさ、良いように使われてるだろ。だからここいらで、ちょっとな……面目躍如というか……鼻を明かしたかったんだよ」
 それで菓子に仕込みをする程度というのがこの男らしいと、村雨は下がっている眉を更に下げた。
 叶が配信すると言うので、ぶっつけ本番でクロカンブッシュを提供すれば良いネタにもなるだろうしと続く言葉は段々と萎んでいく。どうも話しているうちに冷静になってきた様子で、村雨は自らの飽きを凌ぐためにクロカンブッシュに手を付けた。フォークに刺さったシュークリームが、目を丸くする獅子神の前で、村雨の口の中に放り込まれていく。
「甘すぎるな……。それで、話の続きは?」
「いや、事情聴取ならこのへんで終わりだろ」
「マヌケ。まだ終わっていない。私を呼んだ理由として弱いだろう、あなたのそれが目的ならば私も目標のはずだ」
「そりゃ……
 頬杖をつく獅子神が、あからさまな態度で言い淀む。掌で隠れた口元が、もにょもにょと動いた。
「もし気付いたら、一緒に作ってくんねーかなって……
 ふたつめのシュークリームを突き刺したところで、村雨の動きが停止する。
 つまるところ、そうか。この獅子神という男は、私に共犯になれと言っているのか。そのためにクロカンブッシュを作り上げ、夜中に呼びつけ、試し、乞うために。馬鹿らしい、なんという稚拙さ、杜撰、策とも呼べないこの体たらく。村雨が動きを止めた一秒に、様々な考えが巡る。
 しかし獅子神は知っているはずだ。村雨の目に晒すもので「もし気付いたら」は存在しないことを。「必ず気付く」と、彼は知っていたはずなのだ。だからこそ、村雨は若干のおもばゆさを覚えた。そしてそれを裏付けるようにして――村雨はそもそも、この策とも呼べないものに、乗っていた。通知を無視すればよかった。「寝ている」と一言でも返せば。それをしなかったのは、できなかったのは、ひとえに、
……まあ、目利きは良い」
 誤魔化すように、シュークリームをぱくつく。甘い。
「私ならば人体に悪影響を及ぼさないギリギリのところを攻められるからな。私を呼んだあなたの判断は、正しい」
 僅かな動揺が早口にさせる。その様子に獅子神は気付くことはなく、彼は弾んだ声で身を乗り出した。
「おっ、意外と乗り気か!?」
「私を騙しにかけたのは許していない。埋め合わせはしろ。手を貸すことへの謝礼も出せ。ステーキがいい」
「は、はい。はい。わかりました。でも助かるわーマジで、味方につけりゃ頼もしいぜ」
 浮かれた獅子神が取り出したレシピノートは、クロカンブッシュの研究日誌のようになっていた。テーブルに広げて「いろいろ試行錯誤してたんだけどよ」と語りはじめるのを、村雨はしんなりとした目で眺めていた。
「あ、おい」
 ふと、獅子神がノートから顔を上げる。罫線上で目が合う。
「甘いモン食わせてやりたかったのはほんとだぞ」
 なにを言うのかと待ち構えていた村雨の肩が、少し持ち上がった。当然のことだったのに、言葉にされるとまた揺れそうになる。
「知っている」
「は……
「だから、あなたにはこれをやろう」
 素早い手業で村雨がシュークリームを皿に盛っていく。たこ焼きでも盛ってんのかという獅子神のぼやきを無視し、こんもりとした皿を彼へと差し出した。青い目が瞬時に皿の上の個数を数え、なにがしかを理解し、青ざめる。
「これ、なんで分かっ、え、オレが食うのか? 全部?」
 獅子神とは対照的に、村雨はにんまりと笑みを作った。
「あなたの反応を見て調味料の配合を決める。さあ、悪巧みするか」
……よろしくお願いするぜ、ドクター……