べるどくん
2023-01-03 15:27:17
4111文字
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降風(ノックのリズムでディスティニー)

2022年12月 降風ワンドロ「カウントダウン」お題をお借りしました

 降谷零は有体にまとめるなら聡い男で、それは彼の三つある顔のうち、どれにも当てはまる言葉だった。風見裕也もそう思うひとりであったが、今回ばかりは目敏い男だと思うよりほかなかった。
 風見はかねてよりゼロの連絡役であり、畏敬の念をもってゼロの要望にはつぶさに応えてきた。IoTテロの一件を経て一層、その念が増したとともに、右腕であるという誇りもまた高くなったものだ。
 だからこそ、ハロウィンの悪夢にうなされているなど、悟られるわけにはいかなかったのだ。
(だのに、なんで……
 降谷はこうして、自分の手を丹念にマッサージしているのか。
「いいか、風見。睡眠改善薬なんかを試すのは最後だ。試せることをすべて試してから」
「はあ……
「君を薬漬けにはしたくないからね」
 その日、風見は深夜に帰宅し寝支度をしていたところだった。コンビニで買った売れ残りのにゅう麺を温めて胃にそそぎ、シャワーを浴びながら歯を磨いて、体が温かいうちに眠ればせめて疲れくらいはとれるんじゃないかとベッドに滑り込もうとした、ところだったのだ。
 チャイムではなく、控えめなノック音。
 夜更けであることを配慮したのだろう、四度のノックをした人物は想像通り、降谷零そのひとだった。ドアチェーンの向こうにいる降谷を見て、いつだったか彼が、ベートーベンの交響曲にある通称『運命』冒頭は、ノック音を表現している説があると話していたことを思い出していた。運命が扉を叩いているのだと。
「君、体調悪いだろう」
 開口一番。
 ドアチェーンが外れると、降谷は猫のように中へ滑り込んだ。11月中旬、東京都の人々が秋を思い出してコートを着込んでいる時期。降谷もまた仕立ての良いコートを脱いで、勝手知ったる様子でハンガーにかけながら風見に尋ねる。
 食事は? もう食べたのか。じゃあ買ってきたものは朝食用にしてしまおうか。
 風呂は? もう入ったのか。このバスソルトは僕の気に入りだから使ってみるといい。
「降谷さん、通い妻かなにかですか」
「じゃあ、あとは僕かな」
「冗談よしてください」
「甲斐甲斐しくもなるさ」
 聞けば、風見の異変には少し前から気付いていたらしい。風見はそこで焦り、頭のなかで直近の失態を探った。しかし、睡眠不足は日頃の業務でもままあることであるし、ゼロに対しても通常通り不足はなかったはずだと認識している。そのままを伝えると、確かに仕事上では問題なかったと降谷は頷く。だけれど、と彼は続けた。
「返事が僅かに遅かった」
「へ、返事?」
「僕と君も組んで長いだろう? 僕たちの間にも特有のリズムがあったと思うんだ。それが少し乱れることが、最近、続いていたから」
 はぁー、と、感嘆とも溜息ともつかない息が漏れた。曰く、だからこそ彼は「ただの睡眠不足ではない」という考えに至ったのだという。
「いや。気付いたときに、すぐ来れたらよかったんだが。遅くなってすまなかった」
「自分はこうして、あなたにプライベートの面倒を見てもらっていることこそ申し訳なく思うのですが……
 降谷の多忙さは風見もよく知っている。それこそ、いち部下の体調管理をする暇がどこにあるのかというほどに。それでも降谷はちょくちょく風見に弁当を寄こしたし、今日もこうして具合はどうかと訪ねてきた。時間を見つけて面倒をみる上司も上司だが、面倒なことになっている部下も部下である。風見は恥ずかしさを覚えて、手のひらで口元を覆った。唇に触れた指は、湯上りにも関わらず既にひんやりとしていた。
「降谷さんに心配をかけた点では、すみません。ですが、今回のことは本当に、不味くなったら病院にかかればいいことですから」
「僕のほうが上手くやれる」
 言い切る前に、言葉が覆い被さってくる。
 ベッドに腰かけた風見を見上げるように、膝をついて座る降谷の姿は、どこかおとぎ話めいていた。片や寝巻のスウェットで、片やグレーのスーツなのは締まらないし、髪を垂らすにも自分は短すぎるけれど――風見はぼんやりと、青いまなざしの深くを見た。
「医者の腕を疑う訳じゃないが。今回の原因でいうと話を聞くなら、きっと僕のほうがいいんじゃないか」
……どうしてお見通しなんですか?」
「君のことをよく見てるからかな」
「あなたはもっとロジカルでしょう、らしくない……
「そうかな」
 降谷はそっと風見の唇を冷やしていた手をとって、親指の腹で手のひらを撫ぜる。指先から熱が移っていくように、ぬくまっていった。手の霜が取れていくようだった。
「君も自覚しているように、眠れないのはあのときの緊張感がまだほぐれていないからさ」
 あのとき。風見の脳裏に、シェルターの映像が明滅する。
「僕は君のお陰でこうして無事でいるが、どうやら君の奥底はまだ張り詰めているようだ。生真面目な君らしいと言えば、そうだが」
……すぐに、うまく切り替えができたらいいのですが。降谷さんのように」
「それ皮肉か、世辞か?」
 冗談のように笑う降谷に、賛称ですよ、と溜息交じりに返す。
 ――対爆スーツが想像よりも重く苦しいということを、風見は『あのとき』知ったのだ。
 それはスーツそのものの所感でもあり、状況による効果もあったのだと思う。指先はばかみたいに震えたし、解体処理の手順だって飛ばしてやいないかと、その場で何度読み返したことか。ヘルメットの向こう側にいた降谷は、不安にさせないためか絶えず微笑んでいたように思うが、その記憶も今やおぼろげだ。現実だったかどうかさえ、正確に判別がつかない。シェルターの分厚い壁よりもヘルメットの薄膜の方が、降谷とずいぶんと遠く隔たれた世界にいたように思う。
 とにかく風見にとって、降谷が生きているという事実だけでは、安息足り得なかったのだ。
「君もなかなか欲張りじゃないか」
 ひと通り話し終えた風見に、降谷は嬉しそうにした。弓なりになるまなじりを、あのシェルターでも見た気がした。記憶を上書きしないよう、風見は彼から顔を背ける。
「すみません」
「謝らなくてもいい。そのために来たようなものだし、来た甲斐があったよ」
「え?」
「僕は君がリラックスできればと思って来たんだよ。僕が原因でもある訳だし、僕にしかできないことだろう」
「リラックスできればって……
 例えばどんなことをしようと、と尋ねる風見に、わざとらしく降谷は考えてみせた。
「まず、旨い食事やぬる湯の用意だろ、こうしてマッサージをして接触を増やすのもいいかな、とは思っていた」
「はあ」
「好きな音楽をかけてやって、一緒にストレッチしたりさ。ああ、アロマオイルも持参してある」
「はあ……
「そのあとは蒸しタオルを用意して、太い血管の通っている箇所……うなじや腰だな、そこを温めてやって」
「ふ、降谷さん。降谷さん!」
 降谷の頭上に次々と浮かぶ二人のリラックスタイムな情景を、風見は慌てて片手でかき消した。
「なんだか介護っぽいですよ」
「駄目かな」
「だ……めではないですが、こちらにも羞恥心があることを考慮いただきたい、といいますか」
「君の羞恥心ね……じゃあ君、僕になにをしてほしい」
「へ」
 降谷は風見の膝のうえで頬杖をつき、金糸を揺らす。この仕草も絶対にわざとじゃないか。こちらを茶化すような上司に肩の力が抜けていく。彼はまるで、風見の体調不良などすぐになくしてしまえると、自信めいたものをちらつかせる。
(あのときも、恐らくそうだったのだろうな)
 極度の緊張から、輪郭がぼやけてきている記憶。解体中にも微笑んでいた彼には、自信があったのだろう。部下が仕事を全うするだろうということと、この一件がどうなるかという予想の的中を。その顛末に自分と風見がいることを。降谷の溢れんばかりの自信は、並みならぬ努力の結果に他ならない。溢れこぼれたそれを、僅かでも貰えるならよかったのに。
「僕はなにをしたら君を助けられる?」
 重ねて尋ねる降谷に、あなたの自信をくださいと言っても無理がある。それなら、
(あなたをください)
 ……なんて言ったら、本当におとぎ話になってしまう。自分の体調改善のために降谷零を欲しがるだなんて強欲にもほどがある。そもそも彼の場合、本当にもらえてしまいそうなところもあるので困る。その場合は「そしかい後まで待てるか」とか、おもしろおかしく条件をつけてきそうなものだが。
 堅く悩み続ける風見に、降谷は尚も重ねた。
「羊でも数えてやろうか。もちろん英語で」
「それは、降谷さんが眠ってしまうのでは……
「そうかもしれない」
 降谷は急かすこともせず、風見の深くなる眉間を見上げていた。ただ待つのも退屈だったので、とん、とん、と風見の膝を中指で叩く。裏腹に、風見の脳内ではそのリズムがカウントダウンのように聞こえていた。さあ、なにがいい。なんでもするぞ。君を助けたいんだ。力を抜いて。僕はここにいるだろ。ほら。早く。扉を開けて。
……では、そうですね」
「うん」
 肌を打つ指先に手を添える。ノックは四度で十分だった。
「眠るまで、話をしてくれませんか。その、自分と、会話を」
「わかった」
 即答されるので狼狽える。
「な、内容は! 他愛のないものでいいんです」
「ああ、わかった」
「すぐには、改善しないかもしれないんですが」
「わかってる」
 うつむいて影のかかる風見の顔を、降谷は逸らさず見つめていた。風見は告解でもしたような雰囲気で、自分の前で憂いを隠さない彼に、降谷はなんとも充足を覚えた。微笑みたくもなる。この浮かない顔を作ったのも自分で、晴らすのも自分というのならば。
「何度でも来るよ」
 まるで風見のものにでもなったかのように、幾度も扉を叩くつもりだった。風見がただしく降谷の存在に心を許せるよう。
「ちゃんと僕で満たしてやる」
 だから君も、扉の向こうに必ずいてくれ。
 知らずのうちに、手のひらを包む降谷の手に力が籠っていたことを、風見だけが感じていた。