べるどくん
2022-08-19 14:13:31
7110文字
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降風(世界の美しいところばかり見ている)

pixiv掲載のものと同じ内容です

 カメラを買ったんだ、と降谷が言うので、またですか、と風見は返した。いつからかそれは、ふたりで出かける合言葉になっていた。

 RX-7の助手席に座り、風見は流れていく風景をぼんやりと眺めた。降谷に誘われて乗り込んだのが午後九時過ぎ。警視庁で簡単な夕食を済ませたタイミングでやってきた上司の右手には、武骨なインスタントカメラがあった。随分と古いタイプのものらしく、指摘すれば「いいだろう」と自慢げにするばかりで、それ以上の詳細は教えてもらえなかった。どこか知らない伝手から購入したのだろうと風見は追及せず、パソコンの電源を一週間振りに落としてきたのだ。
「今日はどちらに」
「高速道路沿いに、24時間営業のアウトレットができただろ」
 できただろ、と言われても風見にはピンとくるものがない。一瞬の無言を汲んで、できたんだよ、と降谷は続ける。
「そこに行ってみたくてな。海外から初出店のカフェなんかもあるらしい。まあ、安室としての市場調査だ」
……熱心なことですね」
 市場調査という名目は自分を安心させるために付け足したのだろう、と風見は察しが付く。仕事と称すれば風見は多少なりと融通をきかせてくれると、この上司は思っている。概ねその通りであったし、用意された逃げ道になんなく沿うのが、この部下だった。

 ふたりがこうして、カメラを持って出かけるのは初めてのことではない。
 きっかけは押収品のひとつにインスタントカメラがあったことで、風見の部下が誤ってシャッターを切ってしまったのだ。ファインダーの向こうには降谷と風見がいて、ふたりは一枚の紙に現像された。公安部に所属する身の上で、写真物はよろしくない。すぐに処分を、と焦る彼から写真を取り上げて、しばらくそれを眺めていた降谷の丹精な横顔を、風見は未だに覚えている。それこそ瞳に焼き付いた写真のように。
「降谷さん、それ、シュレッダーにかけますから」
 その横顔は声をかけることを惜しむほどには珍しい――思いに耽るような、憂うような、喜びをひた隠しているような――ないまぜになった色をしていたと思う。あの横顔を見てしまったから、風見は気付いてしまったのだ。
「ああ、頼むよ」
 写真を手渡されたときの、彼の指先に宿る熱に。

 降谷が家電量販店からインスタントカメラを買ってきたのは、その次の週のことだった。
 彼が言うには「息抜きも必要だ」ということで、はじめは不承不承、風見は助手席に乗り込んだ。あの一枚の写真が。事故のような、奇跡のような一枚が降谷の心を揺り動かしたということは、火を見るよりも明らかだった。
 そんなインスタントカメラを介した誘いが一度あり、二度あり、三度あり――

 トンネルに入ると窓ガラスに運転手の横顔が映り、あのとき触れた指先から移った熱を思い出す。手持無沙汰に指を動かしていると、ウィンカーが左に点灯した。高速を降りるのか、と風見が目を上げれば、そこだけ夜をぽっかり失くしたように照るショッピングモールが広がっている。奥には暗い地平線が広がっており、その黒い平坦が海だと気付くまで少しかかった。海岸線を隔てるようにして立つ小さな観覧車が、花火のようにカラフルなイルミネーションを灯している。中央に浮かぶデジタル時計には、午後十時とあった。
「こちらですか。遅い時間なのに意外と車がいますね」
「高速沿いだから、旅行者が道の駅代わりに使うこともあるらしい」
「ああ、だから」
 駐車しているキャンピングカーや大型トラックの横を通り抜け、適当な場所へ車を止める。オレンジ色のライトに照らされた駐車場は、昼間、夏の熱気に晒されたアスファルトが未だ放熱しているのか蒸し暑い。それでもしばらく車内の冷気を浴びていた肌には丁度良く、風見は降谷の背を追った。
「あっちに大きめの海浜公園があるんだ。向こうには映画館があるんだが、この時間はさすがにやってないだろうな」
 片手にインスタントカメラと、小さなブリキのバケツを下げながら、降谷は顎でさす。事前に情報は仕入れていたらしく、パンフレットを手には取るもそこそこに、風見は流れるような説明を聞いていた。
「あの観覧車は? 遊園地もあるんですか?」
「そうだよ。遊園地といっても小さいものだけど……君、桜木町の遊園地、わかるか?」
「遠目に見たことがある程度ですが」
「あのくらいの規模だ。あとで見てみるとして、商業施設の方を先に回ろう」
 視界の端で頷く風見を連れ、夜のショッピングモールをそぞろ歩く。商業施設といっても屋内ではなく路面店が並んでおり、営業していないショップも多々見受けられる。施設開放が24時間であるだけで、ショップ自体の営業時間はまちまちなのかと、降谷の肩越しに、風見はまだらに光る店先を眺めた。
 やがて遠くから聞こえてくる水音につられるようにして、円状に開けた空間に辿り着く。館内マップによるとここが商業施設の中央のようで、風見はさきほど降谷が買ってよこしたアイスチョコレートに口をつけた。深夜には刺激の強い甘みに思わず顔をしかめると、降谷がそれに微笑んでカメラを向けてくる。
(勘違いしそうになる)
 風見は唇に残るチョコレートを舐めた。カメラ越しに降谷と目が合っている。目を逸らす間もなくシャッター音が響き、してやった、という風に降谷が微笑むので、やはり勘違いしそうになる。そして勘違いではないようだから、困るのだ。
 『安室としての市場調査』という“名目”通り、降谷はカフェや海外輸入食品を見分しながらも、思い出したように風見を撮る。いちばん初めにこうしてふたりで出かけたとき、風見は「どうして自分を撮るんです」と尋ねたものだが、「いいだろう?」とはぐらかされるばかりだった。降谷の指に下がる銀色のバケツの意味を知ってからは、尋ねることすらしなくなったのだが。
「風見、そこに立ってくれ」
「このマネキンの?」
「同じポーズしろ」
「嫌ですよ……
 ライトアップされたウィンドウに飾られる男性マネキンと対になるポーズを取ると、降谷はただの男のように破顔してみせた。
「顔出しパネルなんてあるんだな。風見」
「しませんよ、いい歳なんですよ」
「誰も見てない」
 風見は入念に周囲を確認して、素早くパネルの穴から顔を出した。撮られた写真を覗くと、ゆるいうさぎのキャラクターの顔面が確かに自分になっていたのでげんなりとし、降谷は心なしかかなり喜んでいた。
「片手で食べられるチーズケーキだと。ほら、持て」
「だからって自分と一緒に撮らなくてもいいでしょう」
「いいだろう?」
 どうにもこの一言に弱いのが風見だった。特に降谷がプライベートを覗かせる瞬間の、この一言に。普段、無茶を強いられているときにも時折聞かされる“おねだり”なのだが、あの有無を言わせない圧が今はない。
(だから少し、絆されているだけだ)
 降谷が連れ出す息抜きのドライブに、気を許している自分がいることに風見は気付いている。自分に逃げ道まで用意して助手席へ乗せて、あの横顔に浮かんでいた熱をファインダーに隠すなんて殊勝なことじゃないか、と。
 風見の考えも知らず、降谷はじわりと印画紙に浮かぶ仏頂面の男を満足げに眺め、ブリキのバケツに入れていく。両手で数えられなくなる程度の写真がバケツの底に溜まり、そのすべてに風見が大なり小なり描かれていた。
「自分にも貸してください」
「少しだけな」
 降谷が風見ばかりを撮るのでカメラをかっさらうと、降谷は大人しく1枚に収まった。目線をカメラに――風見に向けて、少し澄ましてみせて。
「格好つけすぎですよ」
「いいじゃないか、せっかく撮るんだから。かっこよく撮れたか?」
「恐らく」
 出力された紙をパタパタと扇ぎ、浮かび上がる画も碌に確認せずバケツへ放り込む。
「おい」
「あとでまとめて」
 見ればいいでしょう、という意味で区切ったつもりだった。ただこのバケツに収まってしまうと、それも別の意味に聞こえてしまった。カメラを渡す手が僅かに迷い、恐らくそれも気取られてしまったろうけれど。風見は取り繕うように、観覧車を見上げる。
「遊園地も閉園していますよね?」
 風見に倣って見上げた降谷は、ああ、と返す。
「イルミネーションだけは点灯してるんだよ。近くで見てみよう」
 聞けば閉園は午後六時らしい。とっくに門が閉められているこじんまりとした遊園地は、それでも柵の向こうに眩しいほどの光を讃えていた。どの遊具も動きを止めているが、それらの輪郭をなぞるように設置されたライトが黄金色に輝いて、昼間とは違う賑わいを瞳に映す。
 感嘆の声を漏らす降谷を見れば、夏のぬるい夜風に金髪が靡いて、イルミネーションの明かりに溶けていくようだった。
「降谷さん?」
「うん?」
 だからふと、呼び止めたくなった。
……一緒に撮りませんか?」
……構わないが?」
 咄嗟に出た言葉に風見も降谷も目を丸くしながら、おっかなびっくりの応酬をした。だけどこれ大きいからな、と降谷はインスタントカメラを自身に向ける。見かねて風見もカメラを支えに入ると、降谷は戸惑ったように体を揺らしたが、すぐに指をシャッターボタンへと移した。
「これ、ちゃんと入ってますかね」
「なにがだ。イルミネーション?」
「自分たちですよ」
 どうしてそこで日和るんですか、とは風見は言えなかった。自分が気付いてしまった勘違いを、勘違いのままにしておくためだった。
「大丈夫だろう。映っても、映っていなくても」
 なんの感情も乗っていないように聞こえる声と共に、シャッターが切られる。降谷は慣れた仕草で、まだ真っ白なままの印画紙を手渡した。
「安心したか」
「え?」
「なんでもないよ」
 見透かされたようで、風見の心臓がどくんと跳ねる。表出しそうな焦りをなんとか押しとどめ、印画紙にふたりの輪郭が浮かび上がってきたところでバケツに放り込んだ。大分溜まったな、と降谷がバケツを揺らすと、底にあったマッチ箱が転げ出てくる。
「行くか、そろそろ」
「どちらへ」
「海浜公園。浜辺に降りられるんだよ、そこでなら安全だろう」
 さざ波の音が近くなっていく。
 公園には等間隔に街灯が設置されていたが、浜辺に出ればその明かりも届かない。背にはアウトレットモールが煌々と存在しており、眼前の海をいっそう黒々と見せていた。石ころや流木の類を革靴で踏み沈めながら、どうにか歩いていく。スーツをあまり潮風に充てるものでもない、と呼び止めるが、もう少し、と降谷は海岸線をゆったり歩いた。
「靴が、波でだめになりますよ」
「大丈夫だよ、心配性だな」
 事実、寄せる波からは距離があった。たまに高波がきてひやりとすることはあれど、降谷は気にも留めず悠々と歩いていく。風見が波を気にするのは、そんな降谷を呼び止める口実が欲しかったからかもしれなかった。平生、目を離せばどこまで行くか分からない相手を止める格好の理由があるのだから、使わない手はない。先ほど誘ったカメラもそうだ。
(では呼び止めて、自分はどうしたいのかなど)
 それ以上、考えるべきことではない。
 風見は足を止め、しばらく爪先を眺めたあと、痺れを切らしたように声を張る。万が一、海風にかき消されてはならなかったから。
「名残惜しんでもやることは変わらないでしょう!」
 ようやく振り返った降谷の表情が、暗闇に紛れ認められなかったことを風見は密かに喜んだ。また忘れられなくなってしまうところだった。
 潮風に前髪を遊ばせて、目元を隠しながら降谷も大声を返す。
「さっきから風情がないな!」
「はあ!?」
「こんな堅物な君に、恋人なんかできるもんか!」
 まるで八つ当たりのような駄々だった。幼い物言いに肩透かしを食らった風見の口角が、思わず上がる。下手なひとだ、と思う。しょうがなしに風見の方から距離を詰めて、降谷が差し出したインスタントカメラを受け取った。口を引き結び、見るからに不機嫌を隠さない降谷をゆるめるように笑う。
……カメラはいつものように処分しておいてくれ」
「承知しました」
 風見の微笑みにいくらか留飲を下げたらしい降谷が、銀色のバケツを砂浜に置いた。マッチに火をつけると、一番上に重なった写真が照らされる。降谷と風見の顔が半分見切れて、遠くに観覧車の足がかろうじて見えているような、不格好な写真だった。ライトアップが尾を引いていることから、ややぶれていることも伺える。どちらともなく、ふ、と笑った。
「失敗したな」
「ええ。次は上手く撮りたいものです」
 あ、と風見は頭の片隅で後悔した。しまった、口が滑った。降谷がこれを逃さない男ではないということを、風見は重々承知していた。けれど予想に反して降谷は心地よくその言葉を流し、返事の代わりのように、ぶれた写真に火をつける。
 群雲に隠れる月が僅かに海を照らすものの、溶いた墨のように深い波が音を立てては引いていく。砂浜の上にはちらちらと炎が立ち、さきほどまであった穏やかな情景を灰にしていった。

 最初にこうして出かけたときも、このブリキのバケツのなかで写真を燃やした。風見は炎の熱を足元に感じながら思い返す。
 当然のことだと頭ではわかっていても、そのとき、風見は聞かずにはいられなかった。どうして燃やすんです。――職業柄。言ってしまえばそれまでだったが、風見の「どうして」は混みあっていた。どうせ燃やすならなぜ撮ったのか、とか。なぜ自分の目の前で写真を処分するのか、とか。なぜわざわざ火で燃やしてしまうんだ、とか。集約された一言に、降谷はただ「遊んだあとは後始末だろ」と返したのだ。それが自分自身へ言い聞かせている言葉だということは明白だった。
 つまり降谷は、これきりにしたかったのだ。
 風見を誘い、写真を撮り、思い出を封じ込めて燃やしてしまえば、自分の想いも灰にできるだろうと。あの日、彼は押収品のインスタントカメラが吐き出したふたりの写真で気付いてしまったのだ。自分がどんな瞳で風見を見ているのかを。
(それでもあなたは、またカメラを買ってきた)
 そして彼は再び知ってしまったのだ。ひとたび炎に捲いても、諦められなかったことを。だからこそ、“二度目”に誘われた風見は揺れた。
 これきりにできるのなら、風見はそれでよかった。耐え忍び、慈しむようなあの横顔だって、炎にくべてやろうと思った。風見が気付いた勘違いを、勘違いのまま葬ろうとした。降谷がそうするというのなら。
(けれど)
 一度、二度、三度――あなたは何度、この炎を見れば諦めるのだ。

(今夜だろうか)
(次の夜だろうか)
(その次の夜だろうか)

 自分たちがシャッターを切るたびに、諦めがついていくものだと思っていた。
 違ったんじゃないかと、風見は何度目かの炎に問う。
 ファインダーを覗くとき、きっと、私たちは世界の美しいところばかりを見ていたのだから。
 切り取るたびに愛おしく思うのは、当然のことだったんじゃないのか。

「なあ、風見。僕な」
 いっそ波間に消えてしまいそうなくらい、穏やかな声色だった。
「君とこの火を見る時間が好きだよ」
 ああ、と風見はため息を飲み込む。
 降谷さん、それってもう、プロポーズみたいなものじゃないですか。



 切り取った情を炎にくべた翌日も、風見は警視庁にいた。
 一通りの業務に区切りをつけた深夜、足元に置いてあった紙袋をデスクに出す。そこから取り出したのは、処分しろと渡されていたインスタントカメラだ。そのままデスクにある引き出しの一番下を開ければ、無数のインスタントカメラがそこに保管されていた。昨夜使用したものを丁重にそのなかへ安置して、緊張と共に引き出しを閉じる。
 ……このことは、降谷には報告していない。引き出しにはいつも鍵をかけているから、開けられる心配もなかった。
 一番初めに、処分を頼まれたカメラからここにある。風見なりの“処分”といえば聞こえは良いかもしれないが、つまびらかにしてしまえば目に見えた未練だった。
 降谷がインスタントカメラを退路にしたように、風見はインスタントカメラを行き止まりにしていた。
 捨てられない。捨てられるはずもない。
 すべての夜を手放して、あの時間までも炎に焼くことなど。
「風見、」
 炎の熱に浮かされながら鍵を閉めた瞬間、声が降りかかる。弾かれたように見上げると、ぶつかりそうになったらしい降谷が急いで背を起こすところだった。
「またカメラを買ったんですか」
 昨日の今日だが、降谷の手が空いている時間は多くない。隙間を見つけて誘いにくる降谷を、風見の期待と諦念が包む。きっとこの想いは、どちらかが完全に諦めるまで平行線だ。きらびやかに回る観覧車の向こうに広がっていた、真っ暗な地平線のように――
「いや」
 は、と。
 風見は耳を疑った。
「なにも買ってない」
 事実、降谷の両手には手提げのひとつもない。どうして、と風見の唇から声にならない息が漏れる。
……行こうか」
 細められた視線にくすぐったさを感じて、風見の体温がぐわりと上がる。
 ああ、やめたのか。
 その眼差しの意味を汲み取って、鍵を握りしめた。
「今日は、どちらに」
 ――あなたが諦めることをやめるのならば、こちらも。