夜之 夢
2024-07-28 17:04:10
16921文字
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240728アズジェイ

結婚式前にすらワチャワチャしてほしい~~~と思って書いたクソギャグです。書いた人は海外旅行行ったことないのでおかしいところあるかもしれません。すみません。

AM10:00

 空港に辿り着いた時、アズールの目に飛び込んできたのは『ストライキ決行中』というクソったれな言葉だった。信じられない、と思わず声が漏れる。異国はこれだからダメだ、と八つ当たりのように思ったが、どこの国でもどんな会社でもきっとストライキはある。アズールだって従業員から何度か「ストをするぞ」と脅されたものだ。しかも従業員といっても、自分の直属の部下で、いわゆる「幹部」とされるであろう立場の奴から。
 とにかく、アズールが帰りの飛行機に乗るために行った空港は、ストライキ決行中という事だった。当然ながら周囲は混雑していて、利用客たちは皆それぞれの反応をしている。怒り口調でどこかに電話をかけている者、落ち着いた様子で笑いまじりにすら話している者、早々に諦めたのか、ロビーのソファですっかりくつろいでいる様子の者。
 空港内のアナウンスは先程から同じ言葉ばかりを繰り返している。だからこそ嫌でも理解が及ぶ。アズールが乗るはずだった便はちっとも動いていないし、いつ動くのか予想がつかない。
 アズールは高い高い天井を見上げた。茫然とした時に、空を仰ぐ人間たちの気持ちが初めて分かった気がした。
 とにかく、とアズールは考える。とにかく、連絡をしなければならない。
 自らの心音が激しい。ドッドッドッという音が心臓から脳内にまで響くようだった。よくわからない汗が滲み始めているのがわかる。スマートフォンを取りだした手が震えている。
 思考が真っ白になる思いで、それでもアズールは何とかどうにかして、通話履歴を開いた。すぐさま一番上に表示された相手を選び、発信ボタンをタップする。時差がある向こうが今何時なのかは気にしていられなかった。
――アズール?』
 発信ボタンを押し、アズールがスマートフォンを耳に当てたとほぼ同時に、通話相手は電話に出た。向こうが何時なのかは計算できていないままだが、少なくとも相手は眠そうではない。
「フロイド、」
『なぁ、もしかして』
 アズールが口に出来たのは通話相手の名前だけだったが、フロイドはそれで察したらしい。察していた、というべきか。航空会社のストライキはすぐさまニュースになっただろう。
『スト、巻き込まれたって言わねぇよな?』
……
 アズールは何も言えなかった。
 たっぷりとした沈黙が走って、それから、フロイドがスゥと息を吸った。
『信じらんねぇ! だからオレ言ったよな!? このタイミングで行ってる場合かって!』
 フロイドの怒声というのは実は珍しい。それがアズールを詰る叫びだというなら、なおのこと。
 左耳から右耳へ貫くようなキンとした怒声を受けながらも、けれどアズールは何も言えなかった。通話相手はますますギャンギャンと吼えている。ひじょうに珍しい事だったが、当然ともいえる反応だった。フロイドの怒りは正しい。
『電話かけてきたって事は間に合う見込み無いって事!?』
「違……まに、あわせ、ます……まにあわせるつもりで……
……どーやって?』
……それを、相談しようと……
 相変わらず『欠航』を並べている掲示板を見上げて、アズールは力なく言い返した。
「一応、ぎりぎり間に合う、はず……
『どーやって』
……ここからのフライト時間は通常7時間ほど、空港から自宅までは2時間……もともと3日は余裕を見てましたから、明日飛行機が飛べば、何とか……
 ギリギリは間に合うはずだった。
 通話相手がはっきりと舌打ちをする。
……その……フロイド」
『なに』
…………――ジェイドに、」
 何と伝言を頼むか思いついてもいなかったが、その名前を出した。
『ジェイドもうニュース見てっから』
 アズールの口から深い溜息が漏れ出す。アズールは右手で自らの髪をぐしゃりと掻いた。そうして項垂れた姿勢のままいれば、通話相手がしんと静かになった後、ふっと突然に人の気配が生じた。
 ジェイドか、とアズールは身構えたが、聞こえてきた声はフロイドのものだった。
『ダメだわ、ジェイド爆笑してる』
『電話かわろうと思ったけど話せる状態じゃないっぽい』
「何でだよ!」
 叫んだのはアズールだった。
「笑いごとじゃないだろうが!」
『でもアズール今納得したでしょ』
「しま……しましたけど! 笑ってる場合か!」
 それアズールが言えた側じゃねーよ、と言うフロイドの声はもう呆れている。『ジェイド、ジェイドー? ……ダメだわ、酸欠で死にそうなってる』そんな声が聞こえた後、ようやく、ジェイド・リーチと思しき笑い声がかすかに聞こえた。
 フロイドが言う。
『で? 帰ってこれるんだろうな? 式までに』
「何とかしたいと思って今電話しています……
『だからオレ言ったよな? そんな直前に行く必要ある?って』
……今は反省しています……
『何とかしてよマジで。このままだと片方がいないまま結婚式になるよ』
 とんでもない結婚式だ。結婚式として成立していない。
 アズールはまた溜息をついた。
 ふと電話の向こうで別の声が聞こえた。フロイドと少し距離があるのだろう、誰かが何かを言った声だけが聞こえた。『え?』というフロイドの声が離れて、また電話口に近づく。かと思えば、次に聞こえてきたのはフロイドではない声だった。
――大丈夫ですよ。アズールの代理はフロイドにでも頼んでおきます』
 丸一日ぶりに聞いた声は、怒っているふうではなかった。いや、笑っている。大笑いしてまだそれが収まりきらないうちに喋るような、無理に笑いを噛んだ口調だった。
 そのせいでアズールは思わず呆気にとられてしまう。
『いや代理とかねーから』
 フロイドの声が割り込んで、ふふふと笑う気配があって、アズールはそれでハッとした。
――ジェイド、」
 あの、と言ったのに、その先に何をどう言えばいいのかわからなかった。アズールがぐるぐると思考を混ぜているうちに、電話の向こうでジェイドが言う。
『姿変えの魔法は?』
『やだよメンドくさい。大体、結婚式に代理とかねーから』
『出席者にトレイさんがいたでしょう。最初に髪に色変え魔法でもして、それを上書きでもしてもらえばいいんです』
『それさぁ、変わるの多分顔だけでしょ。身長191cmのアズールが爆誕するわけだけど』
 ジェイドはそれを想像したらしかった。あははは、という笑い声が響いて、少し遠ざかり、フロイドの声がもう一度『代理とかねーから』と言う。
 何だか脱力するやりとりだった。強張っていた肩から力が抜けるのを味わいながら、アズールはそっと言った。
……ジェイド。話せますか」
『ええ、はい』
 返事はすぐにあって、ジェイドの声は即座にしゃんとしたものになる。
「その…………こんな事になってしまって……
『アズール、そう気に病まれないでください。別にダメになっても良いじゃないですか、結婚式くらい。話のネタの一つになりますよ』
「なってたまるか! ……大体、今回は僕に非があるのは認めますけど、ジェイドはどうしてそんな落ち着いて……
 つい泣き言みたいな声になったのが悪かったのかもしれない。通話相手であるジェイドはその時、一瞬、静かになった。
……? ジェイ、」
『あぁ、いえ……すみません。少し考え事を……。僕もどうして自分がこんなに落ち着いているのか不思議で』
……結婚式、乗り気ではありませんでしたか」
『いいえ。一緒に色々と話し合ったじゃないですか』
 そう答えたジェイドが、ただ、と付け加える。
『ただ……いえ、どうでもいいと思ってるわけではないんですよ。ただ……NRC在学中はそれこそ様々で予想外なトラブルに巻き込まれましたし……
 ジェイドが言い、アズールはまた深く溜息を吐いた。
……思い出したくもない……
『おや、そうですか? 僕はそれも含めて悪くなかったと思っているんですよ』
「そんなふうに思えるのはきっと、ジェイドくらいですよ……
『色々ありましたよね。……本当に色々……
 懐かしむようにジェイドが言ったので、アズールも何となく記憶を浚う。
 本当に色々あったのだ。ありすぎた……とアズールが思ったところで、ふっとジェイドが声を発した。
――そういえば、在学中に……
「はい?」
『在学中に、僕が稚魚になってしまった事があるじゃないですか』
「どれだ」
 どれ、と聞き返したアズール自身が妙だと思ったが、『どれだ』と確認せねばならない通り、それは複数回あった。それも2~3度ほど。
『本当の稚魚です。ウツボの人魚の状態で……確か手のひらにのるくらいのサイズに……。両手で持てるほどの丸い水槽……監督生さんが「金魚鉢」と呼んでいたアレに入れて、アズールが一日連れ歩いてくださっていたそうですね』
「あぁ……
 言われれば簡単に思い出すことができた。それくらいにはアズールの記憶に強く残った出来事だ。
 そんな事もあったな、とアズールが思っている内に、ジェイドが言葉を繋いだ。
『今ごろ不思議になったのですが、アズールはあの時、どうして稚魚の僕を持ち運んだんです。水槽ごと部屋に置いておけばよかったでしょう』
「目を離している間、大人しく水槽の中を泳いでいてくれる魚だったなら僕もそうしましたよ」
『なるほど』
 それでジェイドは納得したらしい。くすくすと笑う声が聞こえてくる。
 その音を左耳で聞きながら、アズールもまた、あの時の事を思い出していた。
 ――確か魔法薬のせいだった。何かひどくくだらない理由でジェイドはそれを服用して、本当に小魚のサイズになってしまった。フロイドがそれをグラスに入れて、アズールのもとに持ってきたのだ。「これジェイド」グラスごと渡されたそれに、アズールは最初思わず悲鳴をあげて飛びのいたものだった。あまりにサイズが小さすぎて、もはやそれは未知の生物だったのだ。
 アズールの片手の上にのってしまうほど小さくなった人魚は、それから間を置かずしてガラス製の丸い水槽に入れられた。ジェイドが言った通り、監督生が『金魚鉢』と呼んでいたものだ。海水を汲んできてたっぷり注いでやり、水のせいで重い水槽を、アズールはそれでも1日持ち運んだ。寮から教室へ。教室から教室へ。体力育成の時間はフロイドに預けたが、それ以外はアズールがそれを持ち運んだ。
 そういえばその移動中、当時の1年生――エース・トラッポラとデュース・スペードと出会ったのを覚えている。「あの話本当だったんすね」と話しかけてきたエースは、アズールの手にある水槽を覗き込んで「ちっせぇー」と笑い、水面から顔を出したジェイドに、不用意に指先を差し出した。案の定、エースはその人差し指にガブリと咬みつかれ、悲鳴をあげた。エースは右手を差し出していたので、グローブをしていなかった素肌に、切り取り線みたいに咬み痕がついたのを覚えている。
 そういえばアズールはあの時、明確な意思を持ってエースを止めなかったのだ。不用意に人さし指をさしだしたエースに「危ないですよ」とも「咬まれますよ」とも言わなかった。どうなるかわかっていながら。
 痛みに悲鳴をあげるエースと、手中の水槽でパシャリと跳ねてきゃらきゃら笑った稚魚を見て、アズールは稚魚を叱らなかった。
 ほら見たことか、という思いでエースを眺めて、それから水槽の中の稚魚を確認した。満足げにぐるりと水槽内を泳いだ稚魚を見て、うんと頷いたのを覚えている。
 ジェイドの稚魚は1日で元に戻った。うんと小さくなっていた間の彼の記憶は無く、アズールもフロイドもジェイドに文句は言ったものの、ジェイドを揶揄う事をしなかった。ガラス製の丸い水槽はジェイド自身が引き取って、確か中にテラリウムを作っていた。
 だからジェイドは、あの『小さかった時』のことを知らない。
 金魚の餌をスナック感覚で食べていたことも覚えていなければ、昼休みにアズールが手ずから食べ物を与えられていたことも、アズールの指にじゃれついて笑ったことも覚えていない。アズールがグローブをとって差し出した指にすり寄るみたいにして巻きついて、頬をすりよせたことも。
 ――思えば、あの時はまだアズール自身が自分の恋心を自覚していなかった。だというのに、そんなとびきりの揶揄いネタを得ながら、アズールはどうしてかジェイドを揶揄う気持ちにならなかった。元のサイズに戻ったジェイドに対して「まったく随分と面倒だった」と文句を言ったのに、「お前がうんと小さい間、お前はこんなふうだったんですよ」と揶揄う事をしなかった。
……そういえば、その時に」
『はい?』
「お前、魔法薬が切れて元の姿に戻る時に、ひどく苦しんだじゃないですか」
『あぁ…………あれは本当に……さすがの僕も、あれは二度と味わいたくありませんね』
 魔法薬によって姿を変える場合、その効果が発動する際と切れる際には、変化に応じた苦痛が伴う。男から女へ。大人から子供へ。美女から老婆へ。その変化が大きければ大きい程に、その苦痛は凄まじいという。肉体を変えるとはそういうことだ。骨を変え、筋肉を混ぜて、神経を紡ぎ直すのだ。その通りの苦痛がある。
 だから当然、ジェイドが味わった苦痛も凄まじかった。全長15cmほどの稚魚から、2mを超す成魚へ。そのぶんだけ骨を引き伸ばし筋肉を捏ね上げて変形・成形し、神経を構成し直すのだ。想像するだけでも恐ろしい。
 実際、ジェイドの苦しみようは悲惨だった。もとに戻る兆しがあらわれ、アズールは水槽を持ってフロイドと共に寮の一番大きいバスルームに駆け込んだ。濡れた床に水槽の水ごとぶちまけてジェイドを転がし、あとは、ジェイドがのたうち回るさまを見守った。そうするしかなかった。
 ジェイドの苦悶の叫びを聞いたのは、たぶん、あれが最初で最後だ。バスルームの床をひっかいて這い転げて、呻き、時折耐え切れず叫ぶジェイドの口からは、おそらくは痛みに対してであろう罵声すら混じった。犯人は自分であるというのに、呻きと叫びの間に「ころしてやる、」とすら吐き捨てたことを、ジェイドは覚えていないだろう。
 そんな事をアズールがぼんやりと思い出しているうちに、機械越しのジェイドの声が言った。
『何ですか、今頃あんな事を蒸し返して』
「いえ……あれ、今だから言いますけど」
『はい』
……あまりにも可哀想だったもので、興奮したんですよね」
 沈黙。
 サーッと静かな音だけがあり、アズールの周囲では空港の雑音やアナウンスが突然に再開されたかのようだった。
 ずっと同じ案内を繰り返しているはずのアナウンスが、今頃になって返金処理の方法を説明している――とアズールは思った。実際にはそれは先程から繰り返されていたのだろうけれど。
 電話の向こうのジェイドは黙り込んだままだ。
 アズールの後ろで、頼むよ、とスタッフに泣きついている誰かの声が聞こえてくる。足止めをくらった利用客の一人だろう。
 す、と息を吸う声が聞こえた。
…………思えば、アズールは他者を嬲る事に興奮を覚えるタイプですからね……
……失敬な」
 何となく「そんなわけあるか」とは言いにくかった。『どうして今その状況でそんな話を? さすがの僕も面食らいました』ジェイドの声はすぐに呆れたふうになって、それからふと、ほんの少し苦笑した気配が混じる。
『そういえば、フライトに関して返金か変更の手続きは?』
「あ、あぁ……それは、しますけど」
『おや。アズールの事ですから、真っ先に返金手続きをしたものかと』
……それよりも重要な事があるでしょう。そっちの方が気になったんです」
『結婚式ですか?』
「ええ」
『3日後の』
…………ええ。いえ……何とかして間に合わせますから……
『大丈夫ですよ。いざとなったら代理を頼みますから』『だから代理とかねーから』
 箒ねぇのかよ箒あんだろ箒がよ、という野次だか罵声だかわからないフロイドの声が聞こえてきて、アズールは自らの前髪を掴み、ぐしゃりと乱した。
「今ばかりは箒でも乗ってやろうかという気になります」
『フロイド、飛行機は時速約900kmですよ』『飛べよそんくらい』
「飛べるか馬鹿」
 ジェイドが笑う。3日後に結婚式を控えていて、その相手が今異国の土地でストライキに遭遇しているとは思えないほど穏やかな様子だった。
――ジェイド」
『はい』
「その……
 絶対に間に合ってみせるので、と言ったが、ジェイドは『いいんです』と言った。嫌味や諦めの言葉ではなくて、それには慈愛めいたものがこもっていた。
『アズールが無事ならそれで良いんですよ。それよりも便の変更手続きを早くされては? 飛行機が飛ぶようになっても席が埋まっていて乗れない、なんてことになりかねませんよ』
「ええ……はい」
 また電話をします、と言えば、大丈夫、とささやくような声があった。
 通話が切れる。
 仕事を終えたスマートフォンをのろのろと下ろし、アズールは歩きだす。返金と予約変更の手続きは、とあたりを見回せば、すぐそこだった。おそらく先程「頼むよ」と言っていた男だろう――カウンターの前から一人の男が「ちくしょう」と萎びた様子で立ち去る。ちょうどあいたカウンターへと、アズールは素早く体を滑り込ませた。
「代わりの便を。とにかく一刻も早く戻りたいんです」
「出来る限り対応させいただきますが――
 スタッフの態度は丁寧だが、決まり文句なのだろう。立ち去りかけていた男が、同情するようにちらとアズールを振り返った。
「3日後に結婚式なんです」
 まあ、とスタッフが目を丸くさせ、口もちょっと開いた。
 おいおい何だって、と背後の見知らぬ男までもが声をあげる。
 そう、3日後には結婚式だった。アズールと、ジェイドの。
 空港のアナウンスは、ずっと同じ案内を繰り返している。




PM 3:00

 飛行機は変わらず欠航のままだが、空港内は諦めた人達――あるいは諦めることが出来る者たち――が去ったせいで朝よりは幾分か人が落ち着いていた。柱の近くなどで数人、旅行グループと思しき人間たちが座り込んではいるが。
 アズールのスマートフォンが着信を知らせる。取り出し見れば、発信者はフロイドだった。
 アズールは通話ボタンを押してそれを左耳に当てた。
『アズールさ、ジェイドに何か言った?』
……まあ、昔話を」
『変な事言ったんでしょ。ジェイドちょっと様子おかしいもん』
……別に驚かせようとしたわけでもないんですが……まあ、確かに少し、変な話をしたかもしれません」
『どんな話したのか聞きたくないから聞かないけどさ、アズールってジェイドを驚かせることに関しては一流なんだから気をつけてよ』
 まあだからジェイドはアズールの事好きになったんだろうけど、とフロイドが言う。言って、それからフロイドはけろりと口調を変えた。
『ヒコーキ、どう?』
「つい先ほどストは解除されましたが、もともとのダイヤから狂いに狂いまくってる。何もかも追いついていなくて、僕が求める帰りの飛行機はありません」
『乗り継ぎも?』
「あればさっさと乗っていますよ」
『やっぱそう?』
 そう言ったフロイドは、自らの後ろを振り返ったらしい。『ジェイドー、アズールやっぱまだダメだってぇ』と奥に向かってはりあげる声が聞こえて、アズールは憂鬱になった。
『気にしないで良いと伝えてください。それよりもアズール、少しは休憩されてはどうですか。ホテルの案内は?』
 そんな声が聞こえてきて、ますます憂鬱になる。
「案内はありましたけど……休んでる場合じゃない」
『まあ気持ちはわかるけど』
『そんなふうだと、飛行機が飛ぶようになるよりも先にアズールが倒れますよ』
 ジェイドの声が近づいてきて、そう言った。
 ちっ、とフロイドが舌打ちをする。
『アズールもジェイドもさぁ、トラブルに巻き込まれすぎだと思うんだけど』
「フロイドに言われたくありませんよ」
『オレは巻き込まれても解決する側だったもん。アズールは運が悪すぎ、ジェイドは自分からトラブルに頭突っ込みに行きすぎ』
『ですがアズールはそこで必ずどうにかなるので、悪運もあると思いますよ』
 自らトラブルへ突っ込んでいくな、というくだりを、ジェイドは綺麗に流した。フロイドもアズールもそれをわかっていたが、わかっているので黙っておく。
『そういやさぁ、』
 ふ、と思い出したようにフロイドが言った。
『アズールだけどっか連れ去られたりとか、ジェイドだけどっか行ったりとか、二人ともどっか行ったりとかあったけど。アズールもジェイドも、そのままって事は無かったな~』
……そのまま、とは?」
『んー? アズールが連れ去られた時とかさ、ジェイドはずっとアズールの事気にしてたし、オレと一緒にアズールの事助けに行く方法考えてたよ。アズールの事、放ってはいなかったって話』
『それはそうでしょう』
『それでアズールはアズールで、ジェイドがどっか行ったりジェイドをどっかやったりする割に、絶対ジェイドのこと気にしてたし』
……何ですか今頃……
 途端、あははは、とフロイドの笑い声が聞こえた。『今頃、だって!』けらけら笑う声は明るく、しっかりしている。その声に少し元気づけられたような気になったところで、ハッとフロイドが声を止めたのがわかった。次いで、がばりと姿勢を正すような布の音。
『アズール、』
「な、何ですか?」
『ホタルイカ先輩いたじゃん』
「あぁ……イデアさん?」
『ホタルイカ先輩のとこの……あー……何だっけあれ……『S.T.Y.X』? あれさ、何か凄い速いのに乗ってたよな?』
――おい」
『あれ借りたら行けない?』
……あれは時速何kmなんだとか、おそらくそれに対応するためのあのアーマーなんでしょうとか、言いたい事は色々ありますけどね。まず第一に、そんな事であれを借りられると思うな」
『え~……だめぇ?』
『ダメというか無理じゃないですか? 大体あれに誰が乗っていくんです』
 そうもっともらしい事を言ったジェイドは、しかし直後に笑いだしたらしかった。なに、とフロイドのほうが戸惑っている声が聞こえる。
 アズールが耳を澄ませていると、ジェイドが笑いながら途切れ途切れに言う言葉が聞こえた。
『ふ、ふふ……っ、いえ、あの乗り物……借りたとしても、まずあれに乗っていく人がいるでしょう。そしておそらくあれは『S.T.Y.X』の訓練された人しか乗りこなせない。だとすれば『S.T.Y.X』から一人借りて、その人にアズールを迎えに行ってもらうわけですが……っ、ふふ、あはは! フロイド、それで帰りの事はどう考えていたんです? 時速120kmは超えているであろうあの乗り物に、担がれて飛ばれるアズールの姿まで想像しました?』
 まるでエイリアン・アブダクションですよ、とジェイドが笑うので、何だかアズールは疲れた気持ちになってくる。バカ、とは言ったが、状況が状況だった。あまりジェイドを怒ることもできないので、アズールは溜息を吐いた。
 ややあってフロイドまでもが笑いだす。
 バカ、ともう一度アズールは言った。
『とにかくアズール。そちらは夏時間でしょう。そのあたりでワインの一杯でも飲んだらどうです。そうなればもう旅行だとでも思って楽しんだほうが得ですよ』
 バカという言葉を3度も言う気にならず、アズールは押し黙った。
『いざとなれば、結婚式参加はリモートなんかはどうです?』
『えー? パソコン持っていってカメラ繋げんの?』
『ええ。僕の隣の席にそれを置いて……
 このままだとジェイドは本当にしかねない。何としてでも帰らねばならない、とアズールは思った。
 とにかく、とにかく明日の午後までに直行便に乗れば何とかなるはずだ。
……何としてでも間に合わせます……
 ぶすりとした声そのままで言って、アズールは通話を切った。


PM 5:00

 飛行機は翌日15時に飛ぶものを何とか取れた。最悪だったが、まだ、まだ何とかはなる。
 その「何とかなる」とは、『何とかギリギリ、式当日に会場には着けるはずだ』というものではあったけれど。
 間に合うはずだ――という気持ちと、これでもし更に何かあれば、という不安でアズールの思考は埋め尽くされている。
 たとえば翌日15時より一本早い飛行機にキャンセルが出たりしないだろうかと、そんな事が気になってホテルで休む気にもなれない。アズールが間に合わなかっただけで、翌日の飛行機は10時から飛ぶものがある。直行便。それならばだいぶ話が違ってくるのだ。
 飛行機のキャンセルなど、ひそかに発生してはすぐに埋まっている。カウンターには「30分でも出発が早くなる便があればそれに変えてください」と言っているが、それでも突発的なアナウンスなんかがないだろうかと気になって眠れる気にもならなかった。
 カウンターのすぐ傍の席をとって、荷物を置いたりどけたりしながらそこを陣取ったアズールをスタッフも見逃してくれた。その目にあるのは気づかわしげな視線だけだ。
 

PM 9:20

 おきゃくさま、と呼びかけられて、それが自分にかけられた言葉だと理解するのに2秒ほどかかった。
「っ!」
 ハッとして目を開き頭を上げる。いつの間にかウトウトとしていたらしい。寝起きの目を開くと同時にわっとした明るい光が視界を染め、アズールは思わず顔を顰めた。
「お客様」
 声がして、目元をおさえながらも何とかそちらの方へと顔を向ける。
 おそらく退去を命じられるのだ、と思ったが、思った通りの言葉があった。
「もうじきこの空港は閉館となります。おそれいりますがご退出を……
 慇懃だが有無を言わせない言葉づかいを、なめらかに、男の声が言う。
 何だかあいつが言いそうな――と思い、目をこすりながらもアズールは頷いた。
「わかりました……
 こうなれば仕方ない。今日のタイムリミットだ。ホテルに戻るしかない――と思ったところで、何者かの手がアズールの腕のあたりに通され、そのままぐいと引っ張られた。
 随分と乱暴な、とアズールが苛立ちを覚えて、さすがに文句を言おうとした時だった。
「あの、」
 当てていた手を下ろし、目を開いてキッと睨みつけた先。
 よく見知った、ここにいるはずのない相手の姿がある。
……ジェ、ジェイド……?」
 フロイドではない――フロイドだったとしても驚きだが――見間違えるはずのない、婚約者の姿がそこにあった。
 アズールがぱちぱちと瞬きをしてもその姿は消えず、そして彼は、にっこりと笑った。
「ええ。おはようございます、アズール」
 そんな事を言うものだから、思わずこれが夢なのかもしれない、とアズールは思った。古典的だが自らの手の甲をつねってみるが、きちんと痛い。目の前のジェイドの姿は消えたりしない。
「ところでここが閉まるという話は本当なんですよ。あと10分もすれば完全閉館だそうで――アズール? まさか夢だと思っていますか?」
 眉を下げて困ったように微笑みながら、目の前のジェイドはアズールの手の甲を撫でた。つねってちょっと痛かった手が、他者の肌でさらりと撫でられる。
……ジェイド……ッ?」
 どうしてここに、どうやって、式は、と矢継ぎ早に声を大きくさせたアズールに、ジェイドは人差し指を立てて薄く笑って見せた。意地が悪そうで、とびきり蠱惑的な微笑み。アズールがよく知るジェイドの笑い方の、一つだった。
「帰りましょう、アズール。でないと式に間に合いません」
「帰るって……
 どうやって、と言う前にジェイドはアズールの腕を掴んで引いた。そうしてそのまま、空港の出入り口へと歩きだす。硬質な床にカツカツと靴の音が響いて反響した。もう周囲に人はほぼいない。時折遠くにちらと見える人影だって、閉館作業をしているスタッフのものだ。
 ジェイドがぐんと躊躇いなく歩きだしたのでアズールは「荷物、」と焦って自らが座っていた席を振り返ったが、そこには何も無かった。すわ盗難、と思うと同時に、前を向いたままジェイドが言う。
「荷物は先に持っていきました」
「どこへ?」
 答えはなかったかわりに、視覚で全ての答えが与えられた。
 ジェイドがずんずん進む先、空港の出入り口に数人の人影がある。それらは皆アズールたちのほうへとひらひら手を振っていて――それから、アズールとジェイドの姿がはっきり見える距離になると、早く、と声をあげた。
「フロイド……と、リドルさんまで? え? イデアさんも?」
 フロイドにリドル、イデア。それだけでも驚きだというのに、さらにその3人の横からぴょこりと人影が二つ飛び出してくる。誰かと思えば何とカリムとジャミルである。
「おう、来たな! いやー良かった、間に合ったな!」
「とんだ馬鹿だ」
「アズールぅ、早くー」
 フロイドの手には、アズールが持っていたはずの荷物が持たれている。なるほどとりあえず盗難の心配はなさそうだ、と理解すると同時に、しかしアズールは密かにハッとした。
 咄嗟に自らのジャケットの胸ポケットを確かめれば、それはきちんとそこにある。さすがにフロイドもアズールのポケットを漁ったりはしなかったのだろう。当然と言えば当然である。
 アズールの手を引いてジェイドが歩いていく。手を振って呆れたように笑っている『友人たち』のもとへ。
 カツカツと急ぎ足の足音が2人分。後ろで消灯が始まって暗くなっていく空間から逃れるように、とうとうジェイドが自動ドアを反応させて――2人が外に出ると同時に、フロイドがげらげら笑った。
「あははは! アズールだせぇー」
「う……るさいな! 不可抗力だろうが!」
 一体何がどうなってる? という質問をするよりも先に爆笑されたものだから、アズールも色々なものをそっちのけにして怒ってしまう。
「ちょっとキミ達、今そんな事を言ってる場合じゃないだろう」
 リドルが呆れたように両腕を組んで言って、アズールをじっとりと見つめた。
「まず言う事があるね?」
……何が起こったんですか?」
「アズール、そこは『ゴメンナサイ』でしょ」
「状況がわかってないまま謝罪が出来るか!」
 もう、とリドルは溜息と共に腕を解いた。そうしてフロイドに視線を寄越す。何かと思っていればフロイドはリドルに促されるようにして少し横に『ずれ』、そしてフロイドの後ろから、それが現れた。
…………、な……
「そ。学園の闇の鏡使わせてもらったぁ」
 あはは、と笑うフロイドの後ろで、黄緑色の炎に縁どられるようにして鏡が浮いていた。
「な……ど、どうやって!?」
「え? だから言った通りだって。貸してもらったの。学園に。瞬間移動が可能なものってこんくらいしか思いつかなくて」
「だから、どうやって!」
「そのままの意味だって。学園に電話してー、鏡貸してーって。イシダイ先生いたから、イシダイ先生にお願いした」
「よりによってクルーウェル先生に!?」
「アカイカせんせーのほうが面倒でしょ」
 そうじゃない、とアズールは自らの頭を押さえた。
「つまり……全部バラしたんですね……?」
「え? バラしたっていうか、事情は全部説明した。そうじゃなきゃ話進まなかったし。アズールが結婚式直前に国外旅行行ってー、んでスト食らって戻ってこれなくなってー、ジェイドとの式にも間に合わなさそうだから、迎えに行ってやるためにも鏡貸してーって」
 ああもう、とアズールは呻いたが、呻くしかできなかった。
 今回ばかりは反省することだね、とリドルが言う。
「キミの事だから事情があったんだろうけど……今回ばかりは何とも……式に間に合わなくなるなんて、あってはならない事だよ」
「あ、あ~~~~盛り上がってるところ申し訳ないんですけど、とりあえず戻んない? 話はあっちでも出来るでしょ」
 それまで黙っていたイデアがもっともなことを言い、そういえばそうだ、と皆が鏡を振り返った。
 空間の転移ができる鏡は、もちろんまだそこに浮いている。
 それを見て真っ先に「じゃあ俺たちはこれで」と声をあげたのはジャミルだった。
「そうだな、俺達はとりあえず帰るか! あ、俺とジャミルはアズールたちの結婚式に出席するからな! また3日後にな!」
「まったく、いい加減にしてくれ……
 手を振って鏡の中へ行こうとするジャミルへと、アズールは声をかけた。
「カリムさん達は何故ここに?」
「フロイドに呼ばれたんだよ」
「ああ。最初は空飛ぶ絨毯を借りれないかどうかって話だったんだけど……さすがにこの距離は移動しても数日かかるって話になってさ。そうするうちにフロイドが闇の鏡のことを思いついたから、結局解決したんだけどな」
「いい迷惑だ」
「とにかくアズールもジェイドも何とかなって良かった。じゃあな、3日後に!」
 アズールはもう直前に国外旅行なんて行こうとするなよ、と手を振って言われたが、文句も言えない。
 力無く手を振り返せば、カリムは笑顔で、ジャミルはうんざりした顔で鏡の向こうに姿を消した。おそらくだが、学園からすぐに自国へ戻るだろう。夜空の空気の中を、二人が空飛ぶ絨毯に乗って去っていく様子が想像できる。
 二人の背中が完全に見えなくなったのを確認して、そういえば、とアズールはイデアへと顔を向けた。
「イデアさんは何故ここに……?」
「フロイド氏がいきなり電話してきたからだが!? 『あのアズール連れてった時の、すげー速い空飛ぶやつあるでしょ。あれ貸してー』って何!? 自由すぎる! 貸せるわけないんだよなァ!」
 大体あれで何したかったわけ、とイデアは肩を怒らせたが、ジェイドはふきだして顔をそらし、アズールはうんざりとした。
「それで貸せないって言ってたら、いきなり学園に来いって言われてさぁ! ろくな説明も無いのにアズール氏が大変だっていうから、おっっっもい腰あげて来たらこれですぞ! 拙者がいる意味マジで無! 外出損! やだもう帰る!!」
 ぐわっと吼えたイデアをものともせず、ジェイドが声をかける。
「イデアさん、結婚式には来てくださいますか?」
「行かないよ欠席って出しただろ返事!!」
「残念です……
「お祝い送るからそれで許してクレメンス!!」
 イデアの声は悲鳴というより怒声だった。卒業してから少し快活になったかもしれない、などとアズールはぼんやりと思う。そうしているうちにフロイドが親指で鏡を指すようにした。
「じゃー次、とりあえずアズールとジェイド帰る?」
「待って。その前にどうしてこんな事になったんだい」
 腕を組んでリドルが鏡の前に立ったので、アズールはフロイドを見た。フロイドはジェイドを見る。ジェイドが首を傾げたので、それを見てリドルが眉をつりあげた。
「まさか、本当に誰も知らないのかい? アズールは婚約者であるジェイドにも説明せずにこんな所へ?」
 信じられない、と言うリドルは慄くような様子さえある。イデアがうんざりしたように肩を落として、フロイドが「あーあ」と言った。
 仕方ない――とアズールは腹をくくる。
 ジャケットの胸ポケットへと指をさしいれ、先ほど存在を確かめたそれを摘み取る。本当はきちんと箱に入れるつもりだったのだ。でもこうなれば仕方ない。
「ジェイド」
 呼びかけて掌を揺らしてみせたものの、ジェイドには意味が通じなかった。
「はい?」
 返事をして首を傾げたその相手に溜息をついて、アズールは勝手にジェイドの左手を取る。ジェイドの体がぎくりと強張ったことに気付かないふりをして、アズールはその手に――ジェイドの左手の、薬指に。いま既に婚約指輪がつけられているそこへ、もう一つ、新しい指輪を通して足した。
「え……
 リドルが唖然とした様子で目を見開いている。フロイドがフゥと息を吐いた。イデアなぞはあんぐりと口を開いている。
 ジェイドの左薬指にぴったりとはまった指輪の、その宝石の周りを撫で、アズールは言った。
「結婚指輪です。……これを、取りに行っていました」
 本当はもう少し早く納品される予定だったのだ。けれど鉱山の関係やら加工の職人との都合でなかなかスケジュール通りに進まず、こんな直前になった。もともとは発送される予定だったがそれでは式に間に合わなくて、アズール本人が現地に取りに行ってしまうほうが早かった。そういう理由だ。それだけの理由だった。
……結婚指輪はいただいたと思っていましたが……?」
 ジェイド本人が茫然としたように言うのだから、アズールも何だか気が抜けてくる。
「あれは婚約だろ……
「待ってください、これ……ただの宝石では……魔法石……?」
 なんだって、と声をあげたのはリドルだった。
「それ……しかも、随分と質の良い魔法石じゃないか」
 ふん、とアズールは小さく笑う。
 驚きはジェイドの方が大きかったらしい。
「質が良いんですか? いえ、確かに……帯びている空気はとても清浄な……待ってくださいアズール、元々貴重な魔法石で、なおかつ宝石として使えるほどに質が良いもので、それを採掘させて職人に加工させたって……あなた一体どれだけ使ったんです?」
 気にするところそこなの、と言ったのはイデアだった。
 アズールは肩の力を抜くように微笑んで、ジェイドは愕然とした表情を見せた。
「こんな、」
「すげー! 売れるじゃん!」
 非難めいたジェイドの言葉を塗り潰したのは、フロイドの興奮した声だ。
 おそらくそれはわざとだったのだろうが、すかさずイデアから「ヤバ、冗談キツすぎんか?」と言葉が続き、ハッとしたようにリドルが肩を怒らせた。
「フロイド! 冗談でもそんな事言うんじゃないよ!」
「えーだってさ、売ろうと思ったら売れるでしょ、これ」
「ええ、売れますよ。それなりに良い値がつくはずです。……もし僕かジェイドに何かあっても、これを売れば、とりあえず少しの足しになる程度には」
 つまりそれは、もしアズールの身に何かあっても、これを売れば、多少はジェイドを支えるための金銭になるということだ。
 指輪に使う石をわざわざ魔法石にしたのだって同じような理由だった。
 もし。もしジェイドが何かに巻き込まれたその時に。この魔法石が、せめてものジェイドの助けになりますようにと。ジェイドを守れますようにと。そういう仕組みで作られた指輪に他ならない。
 だからこそアズールはこれにこだわらなければならなかった。式直前にでも無理やり受け取りに行くほどに、これにこだわっていた。
 きっと、ジェイドはそれを理解したのだろう。察しの良い男なのだ。アズールのその言葉を聞いたジェイドは愕然とした表情で自らの左薬指を見つめ、それから、そこにあるたった今得た指輪を、指先でそっと撫でた。
……アズール、」
 アズールに呼びかける声が小さく震えている。まあるくなっているその目がじわりと湿ったのを見て、アズールはジェイドに向かって手を伸ばした。
 リドルとイデアはこの先のことを察したらしい。お互いにお互いの目を塞ごうとして、バッと勢いよく手を出し合ったのが見えた。だが二人同時に勢いよく、お互いに向かって手を伸ばしあったものだから、リドルがイデアに向かって伸ばした手はイデアに目つぶしするみたいになって、イデアがリドルに伸ばした手は途中でリドルの腕とぶつかってリドルの腕に突き立てられるみたいになった。
「痛い! ギャー――ッッ! 目潰れたァ!! 目が! 目がぁぁ!」
「こちらのほうが負傷していますよ!」
……何やってんの?」
 フロイドが呆れたように横目でイデアとリドルを見やったので、アズールはその一瞬で、背伸びして、ジェイドの唇に掠めるみたいなキスをした。
 目を押さえて苦しみ悶えるイデアと、それに謝罪しながらも反論をするリドルと。それの横で、フロイドがあきれ果てた表情をしている。
「そういうのさァ、3日後にしろよ」
 そうでしたね、とジェイドは笑ったようだった。たしかに、とアズールは頷いた。
 フロイドがうんざりした様子で自らの髪を掻き、そうして乱暴な付きでイデアの首根っこを掴み、リドルに「行くよ」と声をかけて鏡をくぐる。
「もう3日後には式なんだから」
 光と共にその言葉が鏡に飲み込まれ、ジェイドが「そうでした」と笑って、アズールの腕をそっと掴んだ。
「素敵な指輪をありがとうございます、アズール。さあ後は、帰りましょうか」
 結婚式なのですから、とジェイドが目をとろけさすようにして微笑む。
 そのあまりにも綺麗な笑顔に息を飲んでいると、ジェイドはアズールの手を引いて鏡に駆け寄った。
 反応した鏡がカッと光り、お互いに白い光に包まれて、手を繋いだまま空間を跨ぐ。
 きっと出た先は母校である学園の鏡の間で、そこにはイライラした様子のクルーウェルが待ち受けていて、それなりのお叱りの言葉が飛んでくるだろう。イデアはべそべそ泣きながら帰っているかもしれない。リドルはそれに腹を立てているかもしれない。それでもまあ、3日後には結婚式だ。この間抜けなことの顛末すら、きっと3日後には、会場での笑い話になっている。