溶けかけ。
2024-07-26 23:11:56
4445文字
Public ほぼ日刊
 

水の恋歌

ARIAパロのヌフです。
よろしくお願いします。


「待ってよ! フォカロルス!」

 少女の甲高い声とともに飛び込んでくる小さな白い影。影は大きくジャンプをするとヌヴィレットの遥か上を通過して行った。

「もう! 待ってって……うわぁ!?」

 走ってきた少女は勢いを殺しきれずに立ち尽くしていたヌヴィレットに衝突する。二人は折り重なるようにして倒れた。

「痛ったた……

「うぅ……

「あっ……ご、ごめんね!」

 少女は慌ててヌヴィレットの上から降りると手を差し出す。

「ほんとにごめん……怪我はない……?」

 ヌヴィレットが差し出された手を取りながら頷く。

「あ、ああ……君こそ、怪我は?」

「僕は大丈夫! ……それより君の方が心配だよ。僕の下敷きになっただろう?」

「こう見えて、体は丈夫な方なのでな……心配しないでくれ」

 心配そうにおろおろとする少女に思わず笑みが溢れる。責任感が強い性格らしく、どうしよう、どうしようと言う顔色は徐々に青くなってきていた。
 ……この少女が罪悪感で押しつぶされる前に話題を変えた方が良いだろう。

「それはそうと君の猫かね?」

 塀の上で欠伸をする白い子猫を指差す。少女は「フォカロルス!」と言いながら子猫を捕まえようとぴょんぴょんと飛び跳ねた。

……君の身長では届かないと思うのだが」

「そうは言ってもだね……! 降りてきてよ!」

 子猫は躍起になる少女を愉快そうに見ている。時折、白い尾が「捕まえてみろ」とでも言わんばかりに揺れた。

……捕まえればいいのか?」

「そうだけど……ってキミ!」

 石造りの塀は僅かに足をかける隙間がある。そこに足をかければヌヴィレットの身長なら猫を捕まえることなど造作もないことだ。

「にゃ〜……

「いつも、僕をからかって!」

「にゃー?」

 少女に渡せば、彼女の腕の中で嬉しそうに丸くなる子猫。なにやら陰謀めいたものを感じるが気のせいだろう。

「では私はこれで」

「あ、待って!」

……まだ何か?」

 ヌヴィレットの手首を掴んだ少女は視線を泳がせる。やがて、一点を見つめると意を決したように口を開いた。

「そ、それ!」

「これが何か?」

 少女が指さしたのは、この地の観光ガイド。何か気になることでもあったのだろうか?

「僕に案内させてくれないか!?その、フォカロルスを捕まえてくれたお礼……ってわけじゃないんだけど……だめ、かな……?」

 捨てられた犬猫のような目をする少女。断るのは簡単なのだが、この瞳に見つめられては流石のヌヴィレットも断り難かった。

……ならば、頼んでもいいだろうか。実を言うとずっと同じところに戻ってきていてな」

 ヌヴィレットの発言にぽかんと口を開けた少女。やがて呆けていた口が弧を描いた。

「ふふっ……キミ、意外と方向音痴なのかい?」

 少女は帽子を胸に抱くと、白い制服の端を摘んで恭しくお辞儀を一つした。
 片手しか嵌められていない手袋に目が留まる。

「僕はフリーナ。ネオ・ヴェネチアの水先案内人だ。――半人前だけどね」

「そうか……私はヌヴィレットだ――期待していいのかね?」

「まっかせてよ!――最高の一日を約束しよう!」







「して、フリーナ殿」

「なんだい?ヌヴィレット」

――『ゴンドラ』というものに乗ってみたいのだが」

 ヌヴィレットの言葉にガイドをしていたフリーナが勢いよく振り向いた。

「乗ったことないのかい!?……観光なのに!?」

「あ、ああ……丁度、行楽シーズンということもあり予約が取れなくてな……

 何をそんなに驚くことがあるのだろう、とヌヴィレットは首を傾げる。フリーナは彼に背を向けると子猫と相談を始めた。

「フォカロルス、どうしよう……!? 確かにこの時期は予約が取れないけど、折角なら乗ってもらった方がいいよね!?」

「にゃ〜」

「キミはそう言うけど、僕はまだ半人前だし……指導員なしでお客さんを乗せちゃいけないんだよ」

「にゃ」

「そういう方法もあるけど……!」

「いいんだ、フリーナ殿。――キミを困らせるのは本意ではない……少し残念に思うが、次に来たときにでも乗ればいい」

 ヌヴィレットの顔は言葉と裏腹に残念そうだ。肩を落とし、しょんぼりとしている。

「にゃあ……にゃ」
 
「〜〜〜〜っ! 分かった、分かったよ! やればいいんだろ! やれば!」

 フリーナがやけくそ気味に叫ぶ。ヌヴィレットが驚いた顔をした。

「だが、君は『客は乗せられない』と言っていたはずだが?」

……実はちょっと狡い方法なんだけど、乗せる方法があるんだ。お代はいらない……そ、その代わり『お友達』ってことでいいかな……?」

 徐々に小さくなるフリーナの声。最後の方は何を言っているのかよく聞き取れなかった。

……すまない。よく聞き取れなかったのだが」

 真っ赤な顔で俯くフリーナ。はくはくと息を吐き出すだけの彼女の頬を白い子猫が叱咤激励するようにぺちんと叩いた。

「にゃ」

――――……僕と『友達』になってよ! ヌヴィレット!」

「は?」

「うぅ〜……その、えっと……『お客さん』は駄目なんだけど、例外として『友達』を乗せるのはいいんだ……お金も取らない、あくまで練習のためならってことで……

 ヌヴィレットは顎に手を当てて考える。つまり、本来は禁止されていることを『友達』という言葉で有耶無耶にしてしまおう、ということなのだろう。

……ならば、私が君の『友達』になればゴンドラに乗せてもらえるのだな?」

「ええっと……うん。そういうことだね」

「ふむ……では、よろしく頼む、フリーナ殿」

 ヌヴィレットの言葉にフリーナの顔がみるみるうちに喜色を帯びる。花が開くような笑顔に見惚れる彼の頭上に子猫が飛び乗った。

「くっ……

「ヌヴィレット、大丈夫かい!? フォカロルス、駄目じゃないか!」

「にゃー」

 ヌヴィレットから引き剥がされた子猫はいたずらっぽく尻尾を揺らした。「大成功だね」という誰かの声が聞こえた気がした。

「フォカロルス……いつもはこんな感じじゃないんだけどなぁ……

 フリーナが肩にのるフォカロルスを見ながらため息をついた。



「乗って、乗ってー」

 フリーナのゴンドラは黒色だった。彼女が言うには、白いゴンドラに乗れるのはプリマと呼ばれるプロだけで、半人前と見習いはこの黒いゴンドラを使うらしい。

……内装は会社ごとに違うのか?」

 青系で纏められた船内は黒い船体も相まって些か地味にも思える。しかし注意して見れば、ひとつひとつの品質は高い。地味というよりは洗練されていると表現したほうが的確だろう。

「ううん。内装はシングルの僕でも自由に変えられるんだ……気に入らなかった?」

 緊張した面持ちでフリーナが問う。見ているこちらまで心臓の音が聞こえてきそうなほどだった。

「いや……むしろ、私もこのような装飾の方が好みだ」

「良かったぁ……実は初めてなんだ、先輩以外を乗せるの」

 ほっと胸を撫で下ろしたフリーナは嬉しそうに笑いかけた。





「歌が聞こえる」

 案内の途中、ヌヴィレットがそう言った。

「歌……? ああ。カンツォーネだね」

「カンツォーネ?」

「説明するより、見たほうが早いね。行ってみよう」

 オールを漕ぎ、声のする方へと船体を向ける。日照りは暑いが漕ぐたびに感じる風が心地良い。
 少しして、開けた場所に出た。
 そこでは白いゴンドラの上で歌う一人の女性の姿があった。

「ほら、あれがカンツォーネ。……本来の意味はマンホームのイタリア語で『歌』って意味なんだけど、僕らウンディーネの間ではお客さんに歌を披露することを言うんだ」

「なるほど……フリーナ殿も歌えるのか?」

「うぇえ……! ぼ、僕かい……!?」

 女性が歌い終わり、拍手をしていたフリーナが不意を突かれて身動いだ。反動でゴンドラがゆらゆらと揺れる。

「っと……ごめん。取り乱して」

「いや、こちらこそ驚かせてしまったようですまない――それで歌えるのか?」

「で、出来るよ……一応、習うから……

「なら、君の歌が聞いてみたいのだが」

 遠足前の子どものような無邪気な瞳に見つめられてはフリーナも羞恥を理由にダメとは言えなかった。

「披露するのは構わないよ……ただ、恥ずかしいから場所を変えてもいいかい?」

「ああ、勿論……どこまで行くのかね?」

 問われて、フリーナは考える。

「そうだね……僕がいつも練習している岬の方まで行こうか。あそこなら人も少ないし」





 オールを漕ぎ、言っていた岬へと到着する。波が複雑なこの場所はフリーナの秘密の練習場だった。

「ここまでくれば良いかな」

 特にこれといって特徴のない島があるだけで観光地もない以上、観光客を乗せたゴンドラもここまではやって来ない。

「えっと……じゃあ、歌わせてもらうよ」

 何を歌おうか、と考える。観光客に人気がある曲でもいいのだが、彼に歌うのなら――

 曲を決めて息を吸い込む。

 (何度も練習した曲だ。大丈夫、上手く歌えるはずだ……

「〜♪」

 強く、弱く、相手への想いを込めて。  






……素晴らしかった」

 歌い終わり、惚けたように彼は開口一番そう言った。

「喜んでもらえて嬉しいよ」

 オールを漕ぎ、出発地点へと戻る。彼が泊まっていたホテルは彼が迷っていた場所から近かったからだ。

「到着だね。お手をどうぞ、お客様」

 ゴンドラを係留し、桟橋から彼に手を伸ばす。乗り降りの際にはお客様への気遣いも欠かさずに。

「ありがとう、フリーナ殿」

 彼の手を引き、桟橋へと降り立つ。船酔いの兆候も見られないみたいで何よりだ。

「キミは明日帰るんだよね?」

「ああ、そのつもりだ」

「そっかぁ……会うのが二日、三日早ければもっと色々案内出来たんだけどな」

 せめて、見送りくらいとも思ったが、明日はプリマのテストの日だった。
 落胆するフリーナの頭をヌヴィレットが撫でた。
 
「なに、また来ればいいのだから……次の時は君の客として――

……! うん! そう、そうだね!――僕、頑張るよ、ヌヴィレット! 今度は正式な水先案内人として、キミを案内出来るように!」

「楽しみにしている……一つ聞いていいだろうか?」

「うん? なんだい?」

「あのとき歌っていた歌詞はどのような意味なのだ?」

「あ、あぁ~……あれかい?――内緒」

 口に指を当て、フリーナがはにかむ。彼女の足元で白い子猫が機嫌良さそうに「にゃあ」と鳴いた。