天海翡翠
2024-07-26 20:05:02
4404文字
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水菓子一つの味も知らぬまま【アンソロ再掲】

オスラ日常アンソロジー「OsuraDays」に「天海翡翠」名義で寄稿させていただいた小説のweb再掲となります。発行から一年過ぎましたので公開させていただきます。初めてのアンソロ参加で拙い部分も多かったですが、参加させていただきありがとうございました!


 ふと、故郷の風景を思い出す夜明けがあった。今の自分が歩いているエオルゼアの黒衣森は、その地の奥深くまで木々に覆われている。だが、自分が生まれ育った東方地域のアジムステップにおいては、たった一本の細い木すらとても貴重な素材だった。どこまでも、地平線まで広がる大草原に一本だけ、神聖なる太陽からの光を遮られることなく浴びて立つその木に、部族の仲間たちを含め皆が恐れ多いと崇拝していた。まるで、これから始まる合戦へたった一人で挑む気高き勇士のようだった。しかしこの森には、その木すら凌駕してしまうほどの大木が所狭しと陣取っている。太陽の光は数え切れぬほど生い茂る葉に多くを遮られ、自分が踏みしめている地面には木漏れ日だけが小さくまばらに落ちている。さあさあと音を立てて流れていく風は、土と水と草木と花の匂いを混ぜ込み、またどこかへぶつかり複雑に絡み合っていく。どこまでも続く空の下で草と共に舞い、何も捕らわれることなく吹き抜けていった疾風はもう随分と感じていない。
 さて、日が昇ったならこの仕事はおしまいだ。グリダニアの冒険者ギルドから依頼されていた夜間の牧場の警備任務は何事もなく終わり、あとは依頼主である牧場のオーナーから報酬を受け取るだけだ。念のためと構えていた弓を背中に背負い、ふくよかな森の香りをもう一度深く吸い込んで、依頼主の待つ牧場へ戻るために歩み始めた。



 牧場に戻ってから、オーナーに夜間の周囲の状況について伝える。特に大きな問題がなかったことで当初の契約の通りに報酬のギルを頂いて、ついでに「朝食代わりに食べておくれ」と何かがゴロゴロと入っている感触がする紙袋を手渡された。確かに、自分は夜通し歩いていたので腹は空いている。しかし、まずは横になってゆっくり休める場所へ移動しようと考えた。オーナーに礼を言ってから、グリダニアへのテレポの呪文を唱える。目を閉じた後、一瞬の浮遊感が過ぎてから足が地面に触れる。朝を迎えたばかりなのに、エーテライトの周りには既に多くの人々がせわしなく動いている。自分の黒い角の中には、先程の静寂から一転して人の声がぐわんと反響していた。無事にグリダニアへ到着したことを改めて確認し、そのまま近場の木製の階段を降り、青狢門へと続く坂を下って冒険者ギルドのある大きな建物へと向かっていった。



 到着して早速、建物に併設されている旅館の受付に向かう。カウンターの先にはちょうど従業員のエレゼンの男性が立っており、彼に空き部屋があるか聞いてみた。すると現在はまだ清掃中の部屋があるらしく、それが終わり次第使えるようになるらしい。それなら好都合だとその部屋に予約を入れておき、受付に呼ばれるまで待機しておくために併設されているカーラインカフェの方に移動した。まだ朝の早い時間だったこともあって、食事をするためのテーブルに客はほとんどいなかった。しかし自分にはテーブルを使う用事はないので、それらをスルーして隅の方へと移動して、背負っていた弓や荷物を足元に置き、壁に寄りかかりながら待つことにした。腹が空いている自覚はあるが、特に料理を注文する気にはならない。別にここの料理が嫌いというわけではないが、どうにもアジムステップで食べてきたものと比べるとあまりにも味が薄すぎる。あちらで暮らしていた時は、スパイスが効いた肉を包み蒸したボーズ、ケナガウシから頂いた乳を凝縮させた塩気の強いチーズや濃厚なバターなど、舌をビリッと刺激させてくるような料理を日常として味わってきていた。しかし、このグリダニアで出される料理は豆やキノコ、野菜や果物の味をそのまま使っているような料理が多く、向こうの地域と同じような乳製品を使っているであろう白いシチューも、そこまで強い味を感じられなかった。ただ、良く言えば素材の味を活かしているということだろうし、この味覚に関しては自分がアジムステップに生まれ育ったことによる影響だから、一概にどちらが悪いということもないだろう。そう、慣れてしまえば問題はないと理解したのだ。



 それからしばらく待ってみたが、なかなか受付に呼ばれる気配はない。先程から腹をキュッと締め付けられる感覚が痛くなってきて、無意識に黒い尻尾が背後の壁をビタンと叩く。いい加減、空腹も苛立ちも限界になってきたのが分かる。そこでふと、先程牧場のオーナーから頂いた紙袋のことを思い出し、足元に置いてあるそれを拾い上げて中身を確認してみた。そこには艶を出して煌めく真っ赤なアップルが数個入っており、紙袋の口を開けた瞬間にふわりと甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐった。すると、その香りに引き寄せられるように、ある記憶が脳裏に蘇ってきた。

 ああ、そういえばこの果実、美味しくなかったな。

 それはまだアジムステップに暮らしていた頃、部族の族長からの命令で、同じ年頃の奴らと共に再会の市へ物資の買い出しに赴いていた時だった。それぞれが頼まれていた通りに物資を買い揃えていく中で、ふとある屋台に置かれていた赤い果実に目が留まった。
「おお、どうしたんだ坊主。このアップルが気になるのか?」
 恐らくは遠い異国の行商人なのだろう。この再会の市からほど近いドマの恰好とは違う、見た事のない服を身に着けているヒューランの男性がこちらに声をかけてきた。アップル、という物はこの時に初めて聞いて知った。
「こいつは本当に珍しくてな、ここから北方の山岳地帯でたまたま育ったっていうアップルなんだ。しかしまあ、これがどうにも売れなくてな。このまま捨てるのも勿体ないし、もし坊主が欲しいっていうなら格安で譲るけど、どうだ?」
「その、アップルというのは、食べられる木の実なのか?」
「あー、まあ基本的には砂糖とかで甘く煮詰めたり、パイ生地にのせて焼いたりしたほうが美味しいだろうな。そのままでも食えないわけじゃないが……。正直なところ、味の保証は出来ないぞ」
「そうか、食えるならいい」
 両手で持つと丁度収まるサイズの丸い実を、行商人と取引をして手に入れた。そのまま食べても問題はないらしいので、集落への帰りの食糧にしようと考えたからだ。その後は部族の仲間と合流し、ケナガウシに荷物を載せてぞろぞろと集落へ帰っていった。その途中で休憩をとっている時、先程買ったアップルを手に取りガリッとかじりついた。香りは甘さを含んでいて、とてもいいと思ったのだが……。食感は硬くジャリジャリと砂のようで、何より酸味がとても強かった。確かにこれは、そのまま食べるものではなかったなと、興味本位で購入したことを後悔した。しかし、この広い草原では貴重な食べられる果実だから、好みではないからと捨てるわけにもいかない。実の大半を占める酸味や奥に潜んでいた苦みに顔をしかめ、その様子を見ていた周りの奴らにどうしたのかと不思議に思われながら、なんとかアップルを丸ごと食べ切ったのだった。

 そんなアップルが、今は手元の紙袋の中に入っている。さて、そのまま食べていいのだろうか?

 あの時の行商人が言っていたように、調理して食べるのが一番無難な方法だろう。しかし、あいにく自分にはこのアップルを使った調理の知識はない。カーラインカフェで調理してもらうという手も考えたが、持ち込みの食材を果たして快く調理してもらえるかは不明だ。結局、手っ取り早い方法はこのまま食べてしまうことだろう。幸い、食べられるということは分かっているのだから、味さえどうとも思わないようにすればいい。



 意を決して、アップルを一つ手に取る。残りは一旦紙袋の口を閉じて、足元に置き直す。あの時よりも大きく成長した自分の手は、両手ではなく片手でアップルを掴むことが出来た。恐る恐る、小さく一口かじってみる。赤い皮を破って出てきた果汁は、あの時のような強い酸味は記憶よりも遥かに薄かった。その代わりに舌に落ちたのは爽やかな甘さ。黄色い果肉は最初だけ硬かったが、噛むと次第に柔らかくほろほろと崩れて、数度噛んだ後に形を無くして溶けてしまった。もう一度、今度は先程よりも大きく口を開けてかじる。甘さはより濃く感じられ、じゅわりと口内を潤す果汁に満たされた。あとはもう、シャリ、シャクという音だけが角から身体へと響いてくる。自分でも驚くくらい、夢中になってアップルを頬張っていた。周りの果肉をある程度食べ終えて、残っているのは小さな黒い種と筋張った部分が目立つ果肉の中心部になった時、ふと視界の端にこちらに向かって手を振る人物がいるのが見えた。
「おーい、そこのアウラの兄さん。部屋の準備が出来たからいつでも入れるぞ」
 手を振っていたのは、先程予約していた旅館の受付のエレゼンの男性だった。それなら続きは部屋で食べようと思い、残った果肉を適当な布の切れ端に包んで荷物のポケットへしまい込む。それから足元に置いていた弓や荷物を背負い、旅館の入り口に向かって歩いた。そうしていざ旅館の方へ入ろうとした時、受付のエレゼンの男性がまた声をかけてきた。
「そういや兄さん。そのアップルを随分と旨そうに食べていたが、もしかして芯まで食べるつもりじゃないだろうな?」
「芯……?」
「あまりにも勢いよくかじりついていたし、うっかり全部食べそうな雰囲気があったからな。言っておくが、芯や種は苦いし食べにくいし、特に種には微量だが毒があるから食べない方がいいぞ」
……毒、あるのか」
「ああ。まあほとんどは食えるから、その部分だけ食べなきゃいいだけの話だ。じゃあ、ごゆっくり」
 彼に芯と指摘された、自分の歯型の残ったアップルを改めて思い出してみる。そういえば、かつてはこの部分まで残さず全て食べ切っていた。ならば、あの時のアップルの苦みは毒の味だったと考えるのが妥当だろう。では、元々果肉にあった強い酸味は一体何だったのか。やはりそのまま食べるアップルではなく、加工して食べるべきアップルを押し付けられただけなのだろうか。ただ、それも今となってはどうでもいい。毒だって致命的なものではなかったから、大した問題ではない。今とあの時の味の違いの理由に、自分の中で納得が出来たからこそ、この手元にあるアップルを改めてじっくり味わいたいと思った。きっと、これが新しい好物になるという確信があったからだ。だって、素材自体の味は、悪い物ばかりじゃないということは、このエオルゼアに冒険者としてやって来て知ったことだから。そう考えると自然と口角が上がっていくのを感じた。幸い、今日はまだ始まったばかり。少し眠って休んだら、この果実のことを知りに行くのもいいだろう。この森には、まだまだ興味をそそられることが沢山ありそうだ。



【2023年6月25日 天海翡翠】